第29話 魔法少女はそれぞれの戦いで。(1)
◆6月20日 午後6時10分◆
「う、動けるはずはない……!だって、ソレの意識はここに――」
ライアは亡霊や怪奇現象を見るような目で私を見つめ返しながら、動揺の色を濃く窺わせた。
その動揺に付け込むように、絶対に放さんとばかりに、私はライアの腕をしっかりと握る。
「――その端末には、一人分の意識しか閉じ込めることが出来ないことは判っていますの。そして、閉じ込めた意識は意図的に消去することも出来ない……。だからこそあなたは、霖裏さんの意識を元の体に戻すために病院を訪れた。違いますの?」
そう語りながらも、私は胸元のブラウスのボタンを順々に外しにかかる。
「な、なな……!?キ、君は何をしてるんだ……!?」
私の突然の行動に、ライアは驚く様子を見せながらも、片手で顔を隠しながら目を逸らした。
顔を赤らめている様子を見て、可愛らしいところがあるではないかと内心で笑みを浮かべながら、私は更なる行動に出る。
「お子様には、少し刺激が強すぎましたでしょうか?ですが……――やめてあげませんの♪」
「――!!!」
手首を強引に引き寄せると、私はそのまま胸の奥へと捻じ込んだ。
「――!?」
だからといって、お子様相手に胸の谷間を堪能させる――などという破廉恥行為をしたわけでもない。
「……って……あれ……?か、感触が……ない……?」
ライアは手先の感覚に違和感を覚えた様子で、自分の腕へと視線を戻し、驚きの表情を一層色濃くした。
だが、恐らくその驚きは、数秒前とは別のものへと変化していると言えるのだろう。
なぜなら、ブラウスの先にある、本来あるはずのない空間を知ることになったのだから。
「手が……飲み込まれてる……!?これは一体……!?」
『――来ました!!』
裁判の判決を待つ記者のような叫び声が、鏡の向こう側から漏れ聞こえると同時に、まるで釣り竿が引っ張られるかのように、ライアの腕が何かの力によって引き込まれた。
「な……に……!?何かが僕の手を……掴んだ……!?」
ライアが慌てて腕を引き抜こうと身を捩りながら必死にもがくも、その腕は底なし沼にはまったように、その鏡の中へとどんどん吸い込まれてゆく。
「くそっ……!?腕が引き込まれる……は、離せ……!!」
私は鏡の先を援護するように、引き抜こうとする腕を左手で引っ張る。
「やはり、誰かの助けがなければただのお子様ですの」
「くっ…!?何をしている!?僕を助けろ、イクシスー!!」
ライアが上体を反らし、天井に向かって吠えるように叫ぶ。
だが、その声は広大な天井を反響するばかりで、助けを呼ぶには至らなかった。
「――なぜ、来ない!?アイツ、またサボってるのか!?クソッ……!!」
歯軋りを鳴らすと、ライアは何かを覚悟したように私を睨みつけた。
「いいさ……!こんな状況くらい、僕一人でなんとかしてみせる……!!」
そのまま体を捻り、支えを失って姿勢を崩しながらも、鏡に引き込まれていない左手を動かし、私の右腕へと手を伸ばす。
その行動を視界に捉えた私は、掴んでいる手を入れ替えるように右手で掴み、私の左腕に触れようとしたライアの左手首を捻り上げながら捕らえ、腕をクロスするような形で完全に身動きが取れない体勢へと持っていく。
「ぐぁっ!?く、くそっ……!」
苦虫を噛み潰したような怒りの形相で私を睨みつけるが、私はそれを嘲るようにニッコリとした笑みを返す。
「そちらのビリビリハンドにはビックリさせられましたが、私に同じ手は二度と通じないと覚えておいたほうが良いですの♪」
ライアの装着している手袋には、恐らく触れたものに高圧電流を流す仕組みが施されているのだろう。
私は既に一度それを食らっているため、ライアがその行動に出ることは予測出来ていた。
「二度……?」
ライアは数秒だけ考えるように目を閉じると、すぐに目を見開いた。
「お前は一体、誰だ……?」
「くくっ……!ははは……!!ようやくそこに気付いたかー。わざわざ出向いてこの魔法を試しておいた甲斐があったわー。まあ、こうしてお前たちに一泡吹かせてやれたんだから、私としては大満足?」
「わざわざ出向いて……?試した……?魔法……?」
「まだ解らないのか?それじゃあ、大ヒントだ。ソレ呼ばわりした人形に一泡吹かされたのは、どういう気分よ?」
その一言が決定打になったのか、ライアは私を私と認識した。
「――!?お前……まさか、あの時の逆ギレ女……!?その姿は魔法によるもの……だとすると、昨日僕たちと会っていたのは……!?」
「へぇー、意外に察しがいいな。昨日、お前たちと会っていたのも、さっきまでお喋りしていたのも私の分身体。まあ、お前が念入りに踏んでくれたお蔭で、今はそこで水溜りになってるけどな?」
昨日、私はチーに言われてこの場所を訪れ、指示通りに分身体を作り、祈莉としてライアたちに会わせる検証を行った。
その結果、異空現体研究所の人間には、私たちの魔法が見破られないことが判明した。
チーによると、私たちの魔法は自然現象を元に作られた化学反応みたいなもので、異空現体研究所に検知され難いものになっているらしい。
もし仮に存在がバレたとしても、分身体であるから危険は無く、最悪でもレイン・ストリングスによる感覚共有を使い、相手の記憶からこの施設に関する情報も引き出せるという、ノーリスク・ハイリターンの作戦だった。
その作戦は予想以上に上手く運び、施設の情報を得るだけに留まらず、私の口車で相手側に付くことに成功し、魔法によって自分の姿を芽衣に偽装したうえ、分身体を祈莉役として用意することで、相手側に堂々と潜り込むことに成功した――というのが潜入に至るまでの経緯である。
ライアは視線を足元に向け、床に広がる水溜りと、自分の足元に散らばっていた泥を不思議そうに眺めていた。
「つまり、お前が……お前こそが、本物の魔法少女だったっていうのか……?」
私はようやく出たその問いに、笑みを浮かべながら答える。
「それは、半分正解で半分不正解。お前の間違いは、本物の魔法少女が一人だと思い込んでいたことなんだよ」
異空現体研究所は魔法少女を捕らえるという目的で私たちに接触していながら、二度も失敗していた。
それこそが付け入る隙だと、チーは考えていた。
私たちの中で魔法を使える人間が一人だけだと考えていれば、自然と警戒心は一人に集中する。
自分が魔法少女であることを明言すれば自然と囮役になり、伏兵である私たちから注意を逸らし、不意打ちを仕掛けることで二人を分断をすることが可能になる。
「――!?本物を探すあまり、僕は本物が一人だと思い込んでいた……。そういうことか……」
ライアは悔いるように言葉を漏らすと、私まで歯軋りの音が聞こえるくらい奥歯を強く噛んだ。
「お前たちの言動や行動を見ていて、私は確信したよ。お前たちは、人を人だなんて思ってない。人の痛みも判らないし、人の感情すら持っていない。チーが描いたような、未来のために魔法を普及させて、私たち魔法少女が人間として普通の生活を送るなんて、お前たちに頼ったとしても絶対に訪れることはない……。だから、もう覚悟は出来てる」
祈莉役の分身体は、不覚にもライアの裏切りによって感電させられ、まるでおもちゃのように何度も踏みつけられた。
分身体と感覚共有をしている間に電流をくらってしまったものの、すぐにリンクを切断したことで、私への影響は多少痺れたくらいで微々たるものだった。
だが、そうしていなければ私もどうなっていたかは判らないし、何よりも、それがもし本物の祈莉だったとしたならば、私が芽衣のフリを続けられたとは到底思えない。
確実に言えるのは、「運が良かった」などという言葉で簡単に済ませていい話ではない、ということだ。
彼等は目的のためには手段を選ばず、平然と他人を騙し、弱い者を踏み躙り、人の命すら研究材料としか思っていない。
私はそんな存在を形容するのに、最適な言葉を一つ知っている。
それは――“悪”だ。
「私がチーの描いた幻想を断ち切る……。お前たちが本当の“悪”だっていうのなら、私も本気になれるから」
――チーの言っていたとおり、私は相手を甘く見すぎていた。
いや、実際のところ、私自身の考え方が甘かったのだ。
芽衣の言っていたとおり、異空現体研究所は人の尊厳を軽々しく弄び、奪うような狂った連中だ。
だからこそ、私はいま一度、認識を改めなくてはいけない。
これは命を賭けた本物の戦いであり、私たちの未来を左右する戦場である。
相手は人に仇をなす悪であり、私たちを人間などとは微塵も思っていない。
私は悪を倒すために、魔法少女になりたいと願った。
そして、その力で大切な人のために刃を振るう。
どこか何か間違っているだろうか。
戦場で武士が刃を振るうのだから、何もおかしいことはない。
故に私は、人間の真似事をやめる。
「――ムラクモ」
私が小さく呟くと、床に溜まった水が集まり、透き通るような青白い刀身が出現した。
そして、刀身は草木が伸びるように生え続け、音や抵抗すらも感じさせず、ライアの足をゆっくりと串刺しにしていった。
「ぃ……――!!」
声にならない、断末魔のような叫び声が響き渡った。
◇
◆6月20日 午後6時12分◆
「あーちゃん……?」
耳鳴りのような何かを感じ取った直後、私は何故か雨の名を呟いていた。
「おやおや、これはこれは……してやらましたね。以前出会ったときとは質量が違うと思っていましたが、まさか中身が別の人間だったとは」
芽衣の体を実際に持ち上げていたとはいえ、見ただけで質量を測れるというのはなかなかに凄い能力ではあるが、女性を敵に回す禁断の能力であると言わざるをえない。
それはともかくとして、二人にはそれほど身長に差がないため、質量の誤差というのは胸部のことだろうが、私自身も比較されることを快く思っていないため、それは本人には伏せておくことにする。
「しかし、この程度の状況で取り乱してしまうとは……。本当に私の主人は手が掛かりますね……」
気だるそうな素振りを見せながらも、片眼鏡紳士は足を踏み出そうとする。
「おや……?」
その直後、何かの違和感を感じたように視線を足元へと向け、片眼鏡紳士は硬直する。
なんとか動かそうと試みるものの、どうあっても足は1ミリとして浮くことはなく、まるで靴底が地面に張り付いているかのように固定されていた。
「――行かせない」
まるで背筋が凍るような囁きが背後から聞こえ、片眼鏡紳士は後方に全神経を集中するかのように、ピタリと動きを止めた。
そこに居るというのに、気配すらも感じさせないゆったりとした足取りで私たちの横を堂々と通り過ぎると、その人影は一人でファッションショーでもしているかのようにクルリと振り返る。
片眼鏡紳士はその人物を視認すると、不思議そうに首を傾げた。
「これはこれは……。はじめてお見掛けする顔ですね?気品が漂う佇まい……まるで大和撫子――いえ、天女というべきでしょうか……?」
出会って早々、挨拶代わりにナンパの口上を述べる変態紳士に、私は無言で後ろ蹴りを加える。
「えっと……」
意味が分からないといった様子で少しだけ戸惑うと、ふと思い出したかのようにポケットから一枚の紙切れを取り出し、それを読み上げ始めた。
「か……鏡の世界からやってきた……孤高の戦士?メルティ・ミラ……!仲間のピンチを聞きつけて、華麗に参上……???」
私が事前に渡しておいたカンペを読み終えると、雹果は沢山の疑問符を浮かべながら私に湿った視線を送ってきた。
「……私、鏡の世界からやってきたのですか……?」
「そんなこと、自分が一番判っているだろう」と心の中でツッコミを入れつつも、私は声に出さず、口パクで「そういうことにして」と返す。
「これはご丁寧に。はじめまして、メルティ・ミラさん。申し送れましたが、私のことはイクシスとお呼びください。ところで、これは貴女の仕業でしょうか?」
「はい」
雹果がそう答えると、片眼鏡紳士は何故か嬉しそうな表情を浮かべた。
「これは素晴らしい。見たところ、これは呪術の類。このような使い方があろうとは存じませんでした。それにまさか、私の目を欺いてここに侵入できる人間が存在するとは……。ですが、これでは他人のことをどうこう言っていられませんね。職務怠慢です」
片眼鏡紳士はそう言いながらモノクルを掛け直したものの、さほど驚いた様子は見せなかった。
「しかし、メルティ・ミラさん。貴女が姿を見せ、私の脚部を束縛したところで、現在の状況はさほど変わらないと思いますよ」
片眼鏡紳士の言うとおり、依然として私の両腕はがっちりと拘束されており、刑の執行を待つ磔の咎人となんら変わりはない。
「……?春希さんはあなたたちにとって大事な存在のはず。だから、あなた方は手を出せない?」
雹果は小動物のように小首を傾げた。
「確かに、こちらの魔法少女は私たちの最優先捕獲対象ではありますが、私たちに必要なのは肉体ではなく中身――ようするに、精神体です。つまり、意識が残りつつ、死なない程度に生きていれば問題はありません」
次の瞬間、激痛が不意に私の中を駆け巡った。
「――うぐぁああああ!?」
私の両腕は踏みつけられるように圧迫され、さながら腕を引き千切られるような錯覚さえ覚えた。
「これでお判りいただけましたか?腕の一本や二本折れていても、私たちにとっては大した問題ではありません。まあ、度を越えると精神が壊れてしまうのでやりすぎは禁物ですが」
まるで何度もそういう状況になっていると言わんばかりの口調に、痛みも相まって恐怖すら覚えた。
「――あなたは、神様を怒らせるとどうなるかご存知ですか?」
雹果は瞑想するように目を瞑ると、片眼鏡紳士に問い掛ける。
「いいえ。残念ながら。安直なところでいうと、雷でも落ちるのでしょうか?」
二本の指を立てながら腕をまっすぐ伸ばし、肘から先を90度に曲げる。
「では、この機会に覚えてください……。こうなります」
目を見開き、指先を勢いよく真横に薙ぐ。
するとその直後、私の目の前の光景は一変した。