第28話 魔法少女はそれぞれの葛藤で。(5)
◆6月20日 午後6時5分◆
「――私は既に、異空現体研究所の一員ですわ」
「――ちょっと待った」
ライアがその宣言に異議を唱えると、口を挟まれた理由にまったく心当たりがないと言いたげに、祈莉は首を傾げた。
「……何でしょうか?」
「あのねー……何でしょうか?……じゃないでしょー?君はまだ異空現体研究所の一員じゃないのー。正式に名乗るのは、本物の魔法少女を捕らえた後にしてくれないかなー?」
ライアがそう苦言を返すと、祈莉はキョトンとした顔を見せながら眉をハの字に曲げ、自身の正当性を主張するように私のことを指差した。
「だ・か・ら・ね…?僕たちも、いいかげんニセモノを掴まされるのは懲り懲りなワケー?あのコスプレ猫ちゃんが本物の魔法少女とは限らないでしょー?」
「コスプレ……猫…――」
自分の手のひらに可愛らしい肉球がついている様をボーっと眺めながら、その言葉を否定できるほどの説得力が今の私には微塵も存在しないことを自覚し、私はただただうな垂れることしか出来なかった。
「それでしたら、何をすれば信じていただけるというのでしょう?」
祈莉の問い掛けに、「やれやれ、仕方ない」とでも言いたげに大きなため息を吐きながら、ライアは口を開く。
「僕があの子を魔法少女だと信じられるようなことであれば、どんな手段でも構わないよ?」
「……承知しましたわ」
祈莉は迷った様子もなく承諾するように小さく頷くと、その両手を芽衣の首に添えた。
「ちーちゃん。今、ここで変身していただけますか?そうしていただきませんと――」
「――!?」
その細指に力が込められ、芽衣の喉下にその指先が食い込んでゆく。
「ちーちゃんはご存知の筈ですわ……。最悪の結末がどうなってしまうかを……」
当然ながら、私はその言葉の意味を理解していた。
肉体という器を失えば、端末に残っている意識は閉じ込められたままになってしまう――この場に居る全員がそのことを理解しているうえで、祈莉はその言葉を選択したのだろう。
「――ちょーっと待った!」
「……何でしょうか?」
数秒前にまったく同じようなやり取りを見たような気もしたが、今回の異議申し立ては少しばかり様子が違っていた。
「どんな手段でもとは言ったけど、出来れば違う方法でお願いしたいなー。僕たちも、善良な一般市民に理由もなく危害を加えたりしたくないんだー」
その言葉に嘘はないと、私の目は認識している。
だが、それと同時に一つの変化を捉えていた。
「――イノちゃん!」
私は二人の会話に割り込むように声を上げた。
「言うとおりにするにゃ。計画通りとはいかなかったけど、もともと私と引き換えに芽衣を助けるつもりだったから、それでいいにゃ」
たとえ雨がこの場に居たとしても、今回ばかりは止めに入ることはないと割り切り、私は臆面もなく言い放つ。
すると、ライアは満足げな笑顔を浮かべながらパチンと指を鳴らし、それを合図に私の体は宙吊り状態から唐突に開放され、引力によって落下を開始した。
そして、毎度毎度のお決まりどおり、私の体は受身も取れずに地面に打ちつけられる――というわけでもなく、猫化効果の恩恵によってか、私は四肢で地面に着地することに成功した。
「それじゃあ、とりあえず見せてもらおっかなー?その変身ってやつ?」
ライアは好奇心旺盛な子供のようにひょこひょこと近寄ってくると、私の目の前にしゃがみ込んだ。
「どしたのー?早くしてよー?」
「……」
その場の全員が自分に視線を送っているという状況を改めて認識し、私の体は条件反射のように背を向ける。
「んー……?急にどしたの……?」
すかさずライアは私の正面に回り込み、私の顔を覗き込むように直視してきたため、咄嗟に片手で顔を隠して視線を逸らす。
「なんか、顔赤いねー?まさか、ここに来て恥ずかしいなんてことは――」
ライアはそこまで言い掛けると、口を開いたまま静止した。
「あーっ!?もしかして、魔法少女の変身で一瞬だけ裸になっちゃうってやつ、まさか本当なの!?」
「ぅぐっ……!?」
魔法少女の変身シーンといえば、キラキラエフェクトの中で全裸を晒すのは定番中の定番要素であり、アニメにおいては目玉シーンと言って過言はないものだが、ノワが私たちを魔法少女にしたことと、その参考にしているものがテレビアニメという二つの事実から鑑みると、私たちにそれと同じことが起きていることは必ずしも否定できない。
人前で変身することをタブーとされていたのだから、見られながら変身するという機会も多くはないので、変身シーンについて人に言われることもないし、もし全裸になっていたとしても「いま全裸になってた?ねえねえ恥ずかしくないの?」なんて直球で言ってくる失礼千万な輩もいないのだろう。
ようするに、私は“変身中に全裸にならない”という根拠を持ち合わせていなかった。
そして、私は今、生着替えをしろと強要されている状況であり、それは複数の男性の目の前でじっくり観察されながら、自らの裸体を恥ずかしげもなく晒すかもしれないという、窮地に立たされていることに他ならない。
「でもまあ、そのあたりは気にしなくてもいいよー。僕は貧相なものに興味はないから」
「女性に対してそういうことを言うものではありませんよ?少数派とはいえ、そういった需要もあるでしょうし、好き嫌いは人それぞれです。それに、この国ではフラットなバストはステータスという金言も民衆に知れ渡っているようですから」
「そうですわ!ちーちゃんは年相応ではありませんが、だからこそ尊いのですわ!!」
「もういい……わかったにゃ!!」
褒められているのか貶されているのかもハッキリとしないモヤモヤした状況に耐えかねた私は、混沌な現状に終止符を打つべく一際大きな声を上げた。
「サクッと変身するから、ガン見でもなんでもするがいいにゃー!!」
ヤケクソ気味にそう言い放つと、私はおもむろにコンパクトを取り出し、それを真正面に掲げる。
「おや…?あのコンパクト……」
私は目を閉じ、コンパクトに意識を集中する。
そして、目を見開いた次の瞬間、私の着ていた衣服は虹色の輝きを放ち、周囲は眩い光に包まれた。
「――光輝く、希望の花!シャイニー・レム……にゃ!」
私はいつものように、登場ポーズを決めてバッチリ決めた――はずだった。
だが、どういうわけかネコデバフが健在のまま、変身は完了した。
「あ……れ……?」
しかしながら、全裸を覚悟してまで変身したという状況にも関わらず、観客である当の二人はまったく目立った反応はせず、私の方をチラチラ見ながらコソコソ話をしていた。
「……」
二人が話を終えると、ライアはご機嫌な様子で指を大きく鳴らし、今までで一番嬉しそうな笑顔を浮かべた。
そして、軽快なスキップを踏みながら祈莉のもとへと歩み寄った。
「これで信じて頂けましたか?」
「うんっ♪信じた信じたー♪でも、その前にー……」
――バヂィ!
「――っ!?」
ライアの右手が祈莉の肩に触れたその瞬間、何かが弾けるような音が鳴り響いたかと思うと、祈莉は膝を崩すように地面に倒れ込んだ。
「君は用済みだから、そこで少し眠っててねー。あとでまとめて処理してあげるからー」
「ちょっ……何をして……!?」
私が吠えるように声を上げ、祈莉に近付こうとする。
だが、それを阻むように脇下から腕がぬっと現れ、私の体は空中で羽交い締めされる形になった。
「にゃあっ!?は……離せよ……!!コノッ…!!」
「それは出来ませんね。命令ですから」
足をバタつかせて腹部に何度も蹴りを入れるも、その腹筋はまるで鋼鉄のように硬く、片眼鏡紳士が動じる様子は一度として見られなかった。
「僕たちは人に知られてはいけない存在だから、僕たちのことを知ってしまったこの子を生かしておくわけにはいかないんだよねー。まあ、あの病院で出会った子たちも端から全員生きて返す気なんてなかったけどー?」
その言葉に、私はすかさず反応する。
「全……員……?」
私がそう呟くと、ライアはクルリと振り返った。
「当然でしょー?魔法少女である君が隣町で起こした大災害の当事者だってことは、調べがついてるんだからねー?」
「――っ!?」
私が驚いた様子を見せてしまったからか、ライアは人差し指を立てると、まるで水を得た魚のように饒舌に語り始めた。
「僕たちだって、暇じゃないんだよー?だから、ある程度の根拠がなければ動かない。僕たちが君たちの町を訪れたのは、明日火の大災害という手付かずの証拠が残ってたから。あの場所や事件のことを詳しく調べたら、不自然に破壊された建物、多数の身元不明者の存在――そして極めつけは、人命救助に奔走していた不思議な格好をした少女の目撃情報。そこまで調べるのに、一ヶ月も掛かっちゃったけどねー?」
「そういう……ことか……」
事の発端が明るみになり、私はこうなることが定められていたという事実をようやく理解した。
八代霖裏が怪我をするという事象を、ケートスの因果改変によって回避出来なかったのは、それが容易に書き換えられないほどのことだったからだと考えられた。
一ヶ月前、大剣仮面に追われていたケートスが無事に生き長らえるには、夏那や私と出会うことが最低条件だったと考えられるため、結果として異空現体研究所と私たちの接触は不可避だったことになる。
何が痕跡になったのかは定かではないが、彼らが私たちの街に目星をつけ、魔法少女が存在するという根拠としたものが五年前の明日火の大災害だったとするのなら、形として残っているだけでなく、時間が経過しすぎているため、ケートスの力ではその痕跡を消すことは輪をかけて難しい。
つまり、私が大剣仮面と接触してしまった時点で、彼らが私たちの前に現れる未来は決まっていたのだろう。
「だからって、それは皆を巻き込む理由にはならないにゃ!!」
「異空現体は未知の存在であるが故に、それと接触した人間もまたその影響を受けている可能性を否定できない――言うなれば、ウイルスみたいなもの。だから、僕たち異空現体研究所はこう定めた。異空現体と接触した人間は、人間として扱わない――ってねー?」
地面に倒れる祈莉を転がすように蹴飛ばして仰向けにし、蔑むように見下ろす。
「――!」
「君は異空現体――つまり、ウイルスだ。だから、あの子達だけじゃなく、君と関係のある人間は全員、処分の対象なのさー?」
「――っ!?そんなこと出来るわけ――」
「出来るさー。僕らは今までもそうしてきたんだから――さ!!」
声高らかに宣言した直後、ライアは祈莉の腹部に踵を落とした。
そして、まるで花壇に咲く花を踏み荒らすかのように、その後も何度も何度も踏みつけた。
「これで信じてもらえるかなー?僕らが本気だってことー?あ。でも、君を裏切った人間なわけだから、コレがどうなろうと君には関係ないかー?」
その行動や発言は、彼らが関係のない多くの人々を手にかけてきただろうことを、十分すぎるほど肯定するものではあった。
だが、友達が目の前で踏み躙られているというのに、未だ私の中には怒りという感情すら芽生えていなかった。
ライアは泥遊びをする子供のように夢中になって踏み続けていたが、ふと我に返るようにその足を止めた。
「――おっとー……。ちょっと夢中になり過ぎちゃったー……。僕もストレス溜まってるのかなー?まあ、遊びはこれくらいにして、お仕事お仕事ー」
ライアが何かをポケットから取り出す。
それを視認した私は、思わず声を上げた。
「あれは……芽衣の……!?」
慣れた手つきでそれを操作しながら、ライアは車椅子の前まで移動する。
そして、芽衣の額に端末を当てようと手を伸ばした。
「そんなに焦らなくても、会わせてあげるよー。まあ、入れ替える間だけだけど――」
ライアが一瞬だけ視線を外したその瞬間、機会を待っていたとばかりに事態は一変した。
「――っ!?」
突然の出来事にライアは声にならない声を上げながら仰け反り、慌てて離れようとする。
だが、彼女の手がそれを許さなかった。
「つかまえましたの♪」
ライアの細い手首を掴んでいたのは、本来動くはずのない人間の手――つまり、芽衣の手だった。