第28話 魔法少女はそれぞれの葛藤で。(4)
◆6月20日 午後5時57分◆
壁に背を預けるようにして曲がり角から顔を覗かせ、進行方向に人の気配が無いことを入念に確認する。
「……よし」
足音を殺すよう注意を払いながら、長い迷路のような廊下を急ぎ足で突き進んでゆく。
『――その道の突き当りを左です。その先一つ目の十字路を右に曲がった先にある部屋に入ってください。そこを抜ければ到着です』
「……アルファ、了解」
インカムの誘導に従いながら、私は少しずつ目的の場所へと近づいていった。
だが、順調すぎる一歩一歩とは真逆というべきか、私の中に芽生えた「本当に順調なのか?」という猜疑心は次第に膨らみ上がり、万力で少しずつ締め付けるように私の心臓を圧迫してゆく。
――上手く行き過ぎていないか……?
――そもそも、あんな小細工が通用するのか……?
――もし、失敗したらどうなる……?
――私は本当に、芽衣を救うことが出来る……?
「芽衣……」
最後に、芽衣のことを思い浮かべたその瞬間、芽衣が私に向けて掛けてくれた言葉の数々が、ダムが決壊したかのように私の中に流れ込み、溢れ返った。
それらの言葉は私を満たすだけでなく、僅かに湧いた心の弱さというものを“涙”という形で押し流した。
『――どうしました?』
――この涙は、悲しいから出たわけでもなく、辛いから出たわけでもない。
私は嬉しかったのだ。
一人ではないということが。
「いや……なんでもない……。それより、ブラボーとチャーリーの状況は?」
顔を袖で拭い、涙声を誤魔化すように小声で呟くと、インカムの向こうから即座に作戦の状況が伝えられた。
『二人とも、もう配置に着いてる。見た感じは……順調そう?』
疑問形だったことに一抹の不安を感じつつも、私は気持ちを切り替えて自分の任務に集中する。
「……OK。ちなみに、エコーから連絡は?」
『……ありません』
「了解。雹――じゃなかった、デルタ。そっちも気をつけて」
『わかった。アロ……アルファも』
「お、おう……。了解……」
私に割り当てられたのは、接着剤のような名前ではなかったはずだが、状況に適応しようとする努力に免じて、噛んでしまったことには目を瞑った。
…
「さて、と……――ここか」
目的の部屋の前まで到着すると、私はすぐさま時間を確認する。
「なんとか間に合った……」
ほんの少しばかり時間に猶予があることを確かめると、その時間を有効活用するように、大きく深呼吸を繰り返し、乱れた息と高鳴る鼓動を整える。
「――ここからが、私たちの腕の見せ所」
眼鏡ケースに眼鏡を入れると同時に、一枚のカードを取り出す。
そして、腕時計に注視しながらその時が来るのを静かに待つ。
――3……2……1……。
腕時計の短針と長針が、縦一本になったその瞬間だった。
――ブチン!
何かが切れるような音とともに、廊下に点々と灯っていた明かりは消え、周囲は突如として暗闇に包まれた。
「作戦開始……」
◇
◆6月20日 午後6時◆
重たい扉をなんとか抉じ開けてから、私は隙間から滑り込むように室内に入る。
「やっと入れた……。って、広っ……」
室内はざっと見て100平方メートルほどはあり、地下施設とは思えないほどに広く、天井も二階建ての民家がすっぽり納まるのではないかと思うくらいの高さだった。
「ガチの秘密結社って感じだにゃー……」
私の今居る場所は、表向きは医薬品や医療機器の開発を行っている有名企業の研究施設内部だった。
事前調査の報告によると地下10階まで存在しており、一般的な研究施設と呼ぶには無理のある規模といえ、それを知っていれば何か裏があるのではないかという疑念も当然生まれる。
まさしくというべきか、それを裏付けるように異空現体研究所の連中が出入りしているのだから、それこそが答えだと言えるだろう。
「それにしても――」
周囲は真っ暗闇であるはずだというのに、私の視界はまるで昼間の屋外のように鮮明に映っており、段差やコードに躓くようなことは無かった。
「夜目が利くのはいいけど……。コレ、聞いてないんだけどにゃー……」
祈莉から譲り受けたカードを使用したことで、今の私には獣化魔法が発動していた。
そのため、僅かな光でも周囲が明るく見えるという“夜目”と呼ばれる体質を得るという、中々にレアな体験をしている。
それ自体に異論はなく、むしろ嬉しくはあるのだが、その半面、気掛かりとなる問題も露呈していた。
祈莉の説明では、私の見た目は完全な猫へと変化するというものだったのだが、カードそのものが未完成品ゆえの偶然の産物なのか、はたまた不可抗力や陰謀の類いなのか――とにもかくにも、私の体は中途半端に猫化しており、両手両足はネコの手、頭にはネコミミ、お尻にはネコ尻尾という、なんともコスプレ染みた格好になっているというだけに留まらず、私の話す言葉の最後には、「にゃー」という忌まわしき語尾が付くという状態異常が付与されていた。
「ん……?待てよ……?」
祈莉が私に説明していた時のことを思い返し、祈莉の様子がどこか不自然だったことを今更ながらに思い出した。
「まさか、こうなることが判ってて、イノちゃんは私にこれを……?というか、こんな状態を誰かに見られたら――」
大きく首を振り、自分に降り掛かるだろう出来事が恐ろしくなって、私はそれ以上先のことを考えるのをやめた。
「――こ、効果は長続きしないだろうし、とにかく作戦続行……にゃ!!」
私が意気込みを新たに先に進もうと、部屋の中央へ差し掛かったその瞬間――。
『――どうやらネズミが紛れ込んでるみたいだねー?ネズミというより……ネコかな?』
どこからともなく声が聞こえ、周囲は眩い光に包まれ、私の目は目眩ましを食らったような感覚を覚えた。
「――うぅ!?」
しかしながら、猫目の特性なのか、すぐさま視界が鮮明なものへと戻った。
気がつくと真正面にあった扉はいつの間にやら開け放たれており、その奥から二人分の人影が陰影のシルエットとして浮かび上がっていた。
だが、強烈な照明によって、その顔を視認することは叶わなかった。
「ようこそー。君が例の子だったとはねー……?人は見かけによらず――というより、見かけどおりって感じー?」
自分に向けられたスポットライトを手で遮りながらシルエットに目を凝らし、ようやく相手の顔や姿を視認することに成功した。
「君は確か、ライア……だっけ……?どうして先回りされてるにゃ……?それに、どうして照明がこんなに早く復旧して……」
別動隊が変電施設へと向かい、電源の供給を完全に断つことが作戦開始の合図となっていた。
予備電源があることも想定はしていたが、如何せん復旧するには早すぎるし、なにより私を待ち構えるようにして、ライアが先回りしているという状況が不可解すぎる。
混乱している様子の私を満足そうに眺めるライアは、指を一つ鳴らした。
「イクシス。とりあえず、あの子を拘束しろ」
「やれやれ。無能な上司の命令とあれば仕方ないですね。気乗りはしませんが――」
片眼鏡紳士が苦言に似た嫌味を漏らした後、ライアよりも数歩ほど前に出る。
その直後、片眼鏡紳士は何の予備動作も無しに、私との距離を一瞬で詰めに掛かった。
「簡単には捕まってやらな――」
今の私は猫の力を有しているため、動くものを捉える能力に長けており、相手の動きを確実に捉えていた。
「――あれっ?」
だが、どういうわけか私の体は一歩も動くことが出来なくなり、その接近を許してしまった。
片眼鏡紳士は、バスケットボールで相手のディフェンスをくぐり抜けるような動きで身を翻し、私の横をスルリとすり抜ける。
そして、振り向きざまに、私の背を引っ張り上げ、まるで猫を摘み上げるような形で、私の体を軽々と持ち上げた。
「――んにゃあっ!?」
「猫は恐怖を感じると動けなくなると言われていますが……。少し怖がらせてしまいましたか?」
「もう!!猫のマメ知識とかいいから、いちいち文句言わずに従ってくれるー!?」
私は「どうせ猫なのだから、なりふりなどクソ食らえ!」と割り切り、四肢を振り回して必死に暴れる。
「は、離せにゃー!!」
「離すわけにゃい……ないでしょー?」
ライアは恥ずかしそうに口に手を当てたものの、何事も無かったかのように話を続けた。
無論、私がそんな隙を見逃すわけはない。
「……今、釣られたにゃ?」
「つ、釣られてないしー!?と、というか君、不法侵入の現行犯だからねー!?捕まっても文句言えないからねー!?」
「誘拐犯に言われたくないにゃ!!」
私が暴れながら必死にそう言い返すと、ライアはにんまりと笑った。
「へぇー?じゃあ聞くけど、僕たちが“どこの誰を”誘拐したんだい?証拠を見せてよ?」
「……っ!」
その発言は、あの端末を利用する行為が犯罪にならないことを理解しながら使用していることをハッキリさせるものだった。
「そもそも、せっかくの獲物がノコノコ足を運んで罠に掛かったんだから、捕まえない手はないでしょー!?」
「獲物……?罠……?どういう意味にゃ……?」
私の問い掛けに、ライアはクスりと微笑を漏らした。
「えー?まだ判らないのー?君は売られたんだよー。お友達にねー?」
ライアが再び指を鳴らすと、別の扉が開き、その扉の奥から人影が姿を現した。
「どうして……ここに……?」
私はひと目で、それが誰なのかを認識した。
車椅子に乗せられながら運ばれていたのは、友達の身体だった。
「芽衣……」
そして更に驚くべきであろう要素がもう一つ、私の視界に飛び込んできた。
「イノちゃん……?どうして……?」
その車椅子を押しながら続けて現れたのは、祈莉だった。
「……」
姿を現すも、祈莉は私と視線を合わせようとはせず、視線を背けたまま一言も喋らなかった。
「彼女、喋りたくないみたいだから、僕が説明してあげるねー?芽衣っていう子の意識を元の体に戻してあげる代わりに、彼女が本物の魔法少女を連れてくる。それが僕たちの取り引き条件。そして、彼女は約束どおり君をここに誘き出したってわけだよー?当然、僕たちはそのことを知っていて、君を待ち伏せていたってわけ?理解したー?」
「…おい!?誰か!?」
『…………』
私はすぐさまインカムの音声を入れて確認を試みるも、別動隊の誰一人として声が返ってくることは無かった。
「作戦をコイツ等に流していたこと……本当なのにゃ……?」
祈莉は目を瞑って俯き、何も言わずに小さく頷いた。
そして、十分な空白の後に口を開いた。
「――ちーちゃん。きっと気付いていないと思いますが、私はずっとちーちゃんのことが好きだったのですわ」
私はその瞬間、思考が停止した。
「……はぁ。って、えっ……?今、なんて……?」
聞き間違えかと思い、私はすぐに問い返す。
「私はちーちゃんのことが好きですわ」
残念ながらというべきか、聞き間違いなどではないらしい。
「あ、え~っと、アレ?友達として好き――みたいなやつ?」
私が再び問い返すと、祈莉は首を大きく横に振った。
「――この感情は友情などという一過性の感情で表現できるものではありません……!この気持ち、まさしく愛ですわ!!」
「あ、愛!?」
同じ境遇に立たされたとき、そう言われた相手はきっとこの返ししか出来ないのだろうと、私は身をもって知ることとなった。
「霖裏さんに使ったあのカードを作ったのも、もともとは半身不随になってしまったちーちゃんの体を元に戻すためのものでしたわ……。留学している間もずっと、ちーちゃんの体を治療するための研究に時間を費やしていました。研究に集中するために、ちーちゃんと離れ離れになることを決断してまで、わざわざ留学していたというのに、私が離れている間にちーちゃんは日常生活が送れるまで回復してしまい、あまつさえ、ちーちゃんの周囲には余計なゴミ虫がわんさかとくっついているではありませんか――」
祈莉から発せられる感情の胞子の中に、怒りの胞子がちらほらと確認でき、私は首を傾げる。
「こちらのお邪魔虫――木之崎芽衣さんが目を覚ましてしまうのは遺憾至極ではありますが、いずれにせよ異空現体研究所の方々に協力すれば、ちーちゃんをあの機械に閉じ込め、ちーちゃんを永遠に私だけのものに出来ますわ……!!」
祈莉の目がギラリと見開き、私を捉えた瞬間、私は背筋が凍るほどの悪寒を感じた。
「ちょ、え……?ま、まさか本気……なの……?」
「本気……ですわ!!」
ヤンデレルートに突入してしまったのかと思わせるその発言にドン引きしつつも、私は身の危険を感じ、慌てて周囲を見回す。
「あのさー。キミ、昨日と言ってること違うんですけどー?あと、入ることは認めたけど、魔法少女は君のものじゃないからねー?」
「入る……?入るって、まさか……!?」
祈莉は向き直り、私にキッパリと告げる。
「はい。私は既に、異空現体研究所の一員ですわ」