第27話 魔法少女はそれぞれの想いで。(3)
◆6月17日 午後7時40分◆
ばつが悪そうな表情を浮かべながらも、雨は肯定するように小さく頷いた。
「…ああ。魔法が使えないってのは嘘だよ」
雨は塀に背を預け、夜に咲いた街灯の光を仰ぐ。
「最初は何かの間違いかと思った。魔法少女を捨てたはずなのになんで…ってさ。でも、そのことに気付いたすぐ後、チーは魔法少女に変身した。正直、私だけじゃなかったんだって思って、あの時は少し安心したりもした」
私が魔法少女に再び変身したのは、トウガと戦ったあの日だった。
その直前に魔法が使える事実に気付いたのだとすれば、雨と芽衣が私と別行動をとっていた最中――つまり、メルティー・ベルと交戦した際に魔法が再び使えることに気付いたと考えられる。
魔法少女に戻ってしまう条件が“魔法少女を否定する想いよりも、必要とする想いがそれを越えたとき”であるということも鑑みれば、メルティー・ベルに一方的に追い詰められるという状況に置かれ、普通の人間に戻ったことを痛感し、魔法があればと雨が考えたであろうことは容易に想像がつくし、それは必然の流れだとも言える。
だが、たとえそうであったとしても、一つだけ疑問は残る。
それは、なぜそのことを私に黙っていたのかということ。
「何でそのこと、黙ってたの…?」
私がそう問いかけると、雨はゆっくり目を閉じ、そして俯いた。
「…それじゃダメだと思ったんだ。だって、あの時の私たちの気持ちや覚悟は一体なんだったんだって話だし、私が魔法を使えるなんてチーが知ったら、チーはまた無茶をして、余計なことに首を突っ込みはじめる。それじゃあ前までと何も変わらない…。だから、せめて私だけでも使えないってことにしておけば、何かが変わるんじゃないかって思ったわけ」
閉じた瞳をパチリと開くと、雨は切れ長の目をこちらに向けた。
「…けど、結局何も変わらなかった。もしかしたら、もっと悪くなったのかもしんない」
切るような視線で睨みつけられ、私は決まりの悪さを感じて、視線から目を逸らすように俯く。
「ごめん…」
私は雨の言葉を否定することは出来ず、ただ謝るしか出来なかった。
なぜならば、雨の言うことは全て事実であり、以前の私と何も変わっていないのもまた事実だったから。
現に私は、雨との約束を蔑ろにして魔法少女に変身したことを黙っていたし、私にしか出来ないなどと傲って危険なことに首を突っ込み、周囲の人間を再び危険に巻き込んでいた。
雨がそこまで考えていたことなど、私は今の今まで露程も思わなかったが、きっと雨はそうなってしまうことを予見していたからこそ、私に魔法が使えることを隠し、私に“魔法少女に変身しない”という約束をさせたのだろう。
「はぁ…」
雨は大きなため息を一つ吐いた。
そして、まるで諦めたかのように、その瞳を穏やかなものに変えた。
「…違うんだ。謝るのはこっち。間違っていたのは私だったんだ」
私が意外すぎるその一言に思わず顔を上げると、雨は困ったような表情で笑った。
「実を言うとさ、チーに言われて納得しちゃったんだよ…。私たちはもう普通の人間ではいられない…普通の生活に戻るなんて不可能なんだってこと…。そんな都合の良い道なんて、最初から私たちの進む先には用意されていなかった。だから、私のほうが間違っていたんだって」
「そ…れは……」
その瞬間、私は酷く後悔した。
大切な人を危険に晒さぬよう魔法を捨てようとしたのは私も同じであり、雨が魔法を使えることを隠そうとした行為を私は否定出来ないし、する気もない。
ただ、私と雨の考え方には大きく違うことがあった。
私は魔法を捨てられなかったのではなく、魔法を捨てることなど出来ないことに気付いていた。
魔法という世の理を外れた概念を知った私は、それを知ったことで“普通という概念”を失った。
それならば、普通という概念を失った今の私は、一体何者なのか。
この数ヶ月で、私はその答えに行き着いていた。
きっと私は魔法を知ったことで、人間ではない何かに変わったのだ、と。
知ることで失い、そしてそれが不可逆であると気付いたとき、私は普通の人間として生きることを諦めた。
私だけが魔法を使えると考えていた私は、“雨という普通の人間”と“私という人間ではない何か”に境界線を引くために、敢えてそれを語った。
それこそが最大の間違いだった。
雨が魔法を使えないと勘違いし、そして私が語ってしまったことで真理を知り、あろうことかそのことを受け入れてしまった。
つまり、私は今まさに、五月雨という人間をこの世から消してしまった。
「…付き合い長いんだから、言われなくても判ってる。あんな大剣仮面と戦っておいて私に一言の相談も無かったのは、私が普通の人間に戻ったと思っていたからで、それは私に余計な心配を掛けさせないため。魔法が使えることを黙ってたこともこんなことになった一因だろうから、ぶっちゃけ私がチーをとやかく言うのはお門違いだし、私のせいであるとも言えるんだ。だから、チーが一人で抱え込む必要なんてない」
まくし立てるように理由を述べたあと、雨は私の両肩を押さえ込むように強く叩いた。
「だ・け・ど、これだけはハッキリ言わせてもらう。チーは一つだけ間違ってる」
「間違い…?」
「私は“普通の”人間じゃない。自分で言ったんだぞ?私は“親友”だって。もしも逆の立場だったとしたら、私もチーに黙っていたと思うから人のこと言えないし、もしも私が普通の人間に戻っていたとしても、相談されてたらチーみたいに首を突っ込んでた。私たちは境遇も考え方も同じ人間――大げさに言えば、運命共同体ってやつ?普通じゃない者同士、遠慮はナシ。だから、最後まで互いに協力し合う。OK?」
そういって、雨は私に手を差し出した。
「私は――」
◇
◆6月18日 午後4時30分◆
翌日の放課後、私と雨、そして祈莉と芽衣の四人は再び病院を訪れた。
「こちらです」
天草雪白に案内されて病室に入ると、八代霖裏はベッドの上で小さな寝息を立てながらスヤスヤと眠っていた。
「普通に寝ていらっしゃいますの…」
「さっきの話って本当なのか…?見た感じは…」
雨がそう問いかけると、天草雪白は少しだけ表情を歪めながら小さく頷き返した。
「…ええ。昨日から一度も目を覚ましていません」
この病室に案内されるまでの間に、天草雪白は精密検査の結果は特に問題が無かったことと、八代霖裏が一向に目を覚ます様子がないことを私たちに告げていた。
無論、私はその理由を考えた。
疲れて寝ているだけという線もあるが、私たちの魔法が失敗していたという可能性も一概に否定は出来なかった。
「…あなた方が揃って訪れたということは、やはりこの子は何かの事件に巻き込まれたのですね」
ここに招き入れられた時点で、そう問われるであろうことは覚悟していた。
昨夜の当事者であったという理由はあっても、八代霖裏とそれほど面識もない私たちが、揃ってお見舞いに来るとは考え難い。
まして、このメンツであれば最初から勘繰られても仕方がないだろうし、そのことに気付いていたこそ、私たちをここに招き入れたとしか考えられなかった。
「…それについては、私から話す」
…
私の知る限りの顛末を話し終えると、天草雪白は驚いた様子もなく、ただ「そうでしたか」とだけ呟いた。
「あまり驚かないんですね」
「当然です。普段はあまり表に出していないようですが、この子は向こう見ずなところがありますので、こういったことには慣れています。手の掛かる妹ではありますが、私たちは二人で苦楽を共にしてきました。心配などという感情はとうの昔に忘れてしまいました」
慣れているという言葉通り、天草雪白は私が話している間も一切動じる様子はなく、ただ私の言葉に耳を傾けていた。
だが、私はその反応に違和感を覚えていた。
「慣れてる…?」
「ふ~ん…?昨日は慌てて病院に駆けつけたように見えたけどー?」
「っ…!あ、あれは…少しばかり、た、たまたま運動をしていただけです…!!」
その瞬間、違和感の謎は解け、私は天草雪白と八代霖裏二人の関係性を理解することになった。
天草雪白にとっての八代霖裏は、一人という存在ではなかった。
今でこそ本当の妹という認識に改変されてはいるものの、メルティー・ミラとメルティー・ベルとして共に過ごしていた時間は紛れもなく本物であり、そこに八代雹果という人間は関係がない。
つまり、八代霖裏は天草雪白にとって年の少し離れた妹である同時に、対等の立場である相棒という認識なのだろう。
「しっかし、お互い苦労してるねー。うちの子猫も気がつくとどっか行っちゃうから、心配で心配で…」
雨は何故か私の頭をポンポンと叩きはじめた。
「…もしかして、それは私のことか?」
「…………。クマゴローのことだよ?」
「なんだよ、今の間は」
雨は私を見下ろしながらニタッと笑った。
――絶対嘘だ。
「ったく……。まあ、それはともかく、りんちゃんに話が聞けないなら長居する理由も無いし、迷惑かけると悪いので帰ります」
「…待ってください」
病室を立ち去ろうとする私の背を呼び止めるように、天草雪白は口を開く。
「この子に何が起きて、どうしてこのような事になったのか。直接話を訊かずとも、貴方なら説明できるのではないですか?」
「…」
私は仕方なく振り返り、小さくため息を吐く、
「はぁ…。私の推察で確証はないけど、それでも良いなら」
「構いません」
天草雪白に促されるように、近くにあった椅子へと腰掛け、私は再び深呼吸をする。
「ふぅ…。まず、りんちゃんが夏那の前でメルティー・ベルに変身したという状況から見て、そうせざるをえないほど追い込まれた状況だったってことに間違いはない」
メルティー・ベル姿の八代霖裏を夏那は「りんちゃん」と呼んでいた――ようするに、二人が同一人物であることを夏那は知っていることになる。
事前に知っていたのであれば、私にその話をしてもおかしくはないし、私のときのように正体を隠す配慮をしていたのであれば、あの場においてメルティー・ベルと紹介していたことだろうから、いずれにしても以前から知っていたとは考えにくい。
気が動転していたから間違えたという可能性も無論あるが、考えられる可能性として有力なのはメルティー・ベルが夏那に名を名乗っていないという可能性――つまり、メルティー・ベルが後から駆けつけて夏那を助けたという状況ではなく、二人は同じ場に居合わせながらも、八代霖裏は夏那の前で初めて変身したという状況だった。
メルティー・ベル同様、天草雪白もメルティー・ミラのときは顔を隠すように仮面を着けていたことから、名前と正体を隠すという魔法少女ルールは二人にも存在すると考えられる。
だとすれば、八代霖裏はどうして夏那の前で変身しなくてはいけなかったのかというのが、疑問に挙がる。
「追い込まれた…?私から言うのも癪だけど、メルティー・ベルは性格むっちゃ悪いけど強かった。変身しながらあれほどの怪我を負う状況ってのは考えにくいと思うんだけど?」
「…よく妹の悪口を姉の前でほいほいと言えますね?場をわきまえなさいと、何度言えば――」
「場をわきまえてない二人が喧嘩するなら、私は帰りますよ?」
私が釘を刺すように呟くと、二人の喧騒はピタリと止んだ。
「あっ…。す、すみません……続けてください…」
珍しくも天草雪白よりも上に立った優越感のようなものを抱き、私は少しだけ上機嫌になりながら話を続ける。
「ここで重要なのは、りんちゃんが変身するに至った理由と、怪我を負わされた理由は別ってこと」
「理由が…別…?それはどういう…?」
「りんちゃんの体には腹部の皮下出血以外には目立った傷も無かった。そして、メルティー・ベルの衣装には血がついていた。それはつまり、変身する前は何もなかったけど、変身してから何かしらの物理的な衝撃を一度だけ受けたってことになる。変身する前に追い込まれ、夏那の前で変身することを選んだとするのなら、りんちゃんはなぜ追い込まれ、なぜ夏那の前で変身したんだ?」
状況を整理すると、八代霖裏は体力的に追い込まれたというわけでもなく、何かしらの理由で追い込まれるような状況に陥り、夏那に自分の正体がバレることも顧みずに変身し、その後大怪我を負ってしまったと考えられる。
そこまでくれば、結論はすぐ近くにある。
「そんなのわかるはず…――」
雨はそこまで口に出したところで口を閉ざした。
そして、何かに気付いたように私たちを眺めたあと、納得したように何度も頷く。
「あー…なるほどな…。私だったらって考えれば簡単だったわ」
「ああ。その行動は私たちにとっては当たり前だからな」
「どういうことです…?」
追い込まれる状況というのは、路地に追い込まれるとか、体力を消耗させられるだけとは限らない。
私たち魔法少女であれば、そういった経験は何度もしている。
「目の前で夏那ちゃんに危険が迫った。それを助けるために変身した。そういうことだろ?」
私は大きく頷く。
「この子が、夏那さんを助けようとした…。自分の身を挺して…?」
「たぶん。夏那本人に何が起きたかを聞けばすぐに判ることだろうけど、今はちょっと聞けない。もし、私の推察が本当に起こったことで、りんちゃんが目覚めない状況になってるなんて夏那が知ったら、あの子は自分のことをもっと責めてしまう。だから、聞く必要がないのならできれば聞きたくない」
「わかりました…。お互い姉という立場ですから、その気持ちは判ります…。これ以上のことは聞きません」
私は話が終わったと見て立ち上がる。
だが、それを見計らったように、どこからともなく声が聞こえ、病室内に響き渡った。
『――なーんだ?推理ショーはもう終わりー?』
「…そこに居るのは誰?」
病室の扉から小さな人影が顔を覗かせていることに私はすぐに気付き、その影に問う。
「もうバレちゃったかー。それじゃ、おっじゃまっしまーす」
扉を遠慮なく開けて堂々と入り込んできたのは、夏那や八代霖裏よりも小さい、小学生くらいの背丈の男の子だった。
フード付きのパーカーを目深に被り、その奥からは黒い眼帯が見え隠れさせ、その背格好には不釣り合いな大きいヘッドホンを首から下げていた。
中二病を拗らせているのか、最近の流行なのか判りかねたため、私は眉をひそめながら首を捻る。
「りんちゃんのクラスメイト…?」
真っ先に思いついた可能性を口にするも、天草雪白は首を横に振った。
「いえ…。私は存じていません。そもそも、学校には体調を崩していると連絡は入れましたが、入院していることはもちろん、この場所も伝えては…」
天草雪白が答えている最中、少年とは別の声が病室に響き渡った。
『その声は…。まさか、姉さま…!!?』
「今の声…。霖裏…?」
天草雪白は慌てたように振り返る。
だが、八代霖裏は未だ小さな寝息を立てているだけで、何ら変化は無かった。
「今…確かに…」
「あー?だめじゃないかー…勝手に喋っちゃー…?段取りが台無しー」
フード少年は独り言のように喋りながら、ポケットからスマホ取り出す。
そして、ニタニタと薄ら笑いを浮かべながら、その画面を私たちに見せ付けた。
「じゃじゃーん!これなーんだ?」
「――!?」
「あれって…まさか…」
その画面には、暗い部屋のような場所の中で悲痛な面持ちながらも僅かに喜びを浮かべる八代霖裏の姿が映し出されていた。
「りんちゃん…?」
『姉さま!!』
「霖裏……の録画映像ですか…?こんなものを私に見せて、何を…」
『違います!姉さま!!私は――』
「これは録画なんかじゃないよー?彼女は、ここに居るんだからね?」