第27話 魔法少女はそれぞれの想いで。(2)
◆6月17日 午後7時2分◆
「まったく、呆れました…。ここは病院ですよ?場をわきまえてください」
「あっ…ヤバぁ…」
私を含めた三人は、通路の奥から聞こえた女性の声に反応するように、慌ててそちらを向く。
「現生徒会役員が公共の場である病院でそのような素行をしていては、この施設を利用している方々にご迷惑を掛けるばかりでなく、一般の生徒たちに示しがつきません。貴方たちはそれを理解しているのですか?」
しなやかに伸びる黒髪を払い上げると、眼鏡の奥の眼光が鋭く光り、私たちをギラリと睨みつける。
「あー、いや…これは恒例行事っていうか…。なんか、すみません…」
誤魔化すように雨が平謝りすると、それを起爆剤とばかりに天草雪白は雨に標的を絞って接近を始める。
「副会長ともあろうものがそのような不誠実でだらしのない態度だから、今の生徒会は便利屋などと言われるのです」
その瞬間、雨は片眉を眉間に寄せた。
「えー…?でも、前の生徒会はいろんな意味で幽霊生徒会って言われて印象はサイアクだったし、今のがまだマシじゃ――」
「――何か言いましたか?」
「いえー?なにもー?」
まるで姑のようにクドクドとイチャモンをつける天草雪白と、ああ言ってはこう言うを繰り返す雨との間に一触即発の空気を感じ取り、私は見兼ねて止めに入る。
「落ち着いて、先輩。それで、りんちゃんの様子は?」
二人を引き離すように間に押し入ると、天草雪白の背後から夏那がひょっこりと顔をのぞかせた。
「まだ気を失ったままだけど、体のほうは問題ないだろうってお医者さんが言ってたよー?お姉ちゃん?」
数十分前の様子はどこへやらといった様子で、夏那はハキハキと答えた。
「…医者の先生には吐血をしていたようでしたので、その原因を調べるために精密検査は必要だろうと言われました。ですので、大事を見て今日のところは入院することになりました」
「そっか…。とりま無事で良かった…」
その瞬間、足先から何故か力がフッと抜け、私は近くの椅子に転ぶような形で腰掛けることになった。
「えっ!?だ、大丈夫か…?チー?」
「…大丈夫。ちょっと気が抜けただけ…だと思う」
骨折していただろう肋骨が元通りになっているだろうことは、ここに運ぶ前に祈莉が触診で確認していた。
しかし、それも素人判断であったため、医者にお墨付きを貰えるのとはわけが違っていた。
それ故に、私の中で張り詰めていた緊張の糸は、その事実を確認したことで解けたのだろう。
「ま、いくら調べても怪我の原因なんて出てこないだろうけど。つか、どうやって治ったのかも――」
私は雨の言葉に激しい同意を示すように、首を何度も縦に振った。
「…言えない。というか、未だにあの光景が目に焼きついて離れない…。予想よりだいぶ斜め上いってた…」
私たちが協力した結果生み出された魔法――言うなれば、ミナデ○ンならぬミナホ○ミとも命名すべき合体魔法は、色々な意味で想像を絶するものだった。
応急処置などという枠を優に越え、腹部に痛々しく刻まれていた痣は綺麗さっぱり消えており、結果的に骨すら復元するに至った。
だが、その代償と言わんばかりに、私たちの心に別の傷痕を残すことになったことも、まったくの想定外だった。
「…あんな姿に変身して治ったなんて、私だったら立ち直れないかもしれない」
祈莉から貰ったカードの効果は、光の巨人が現れてからご帰宅するくらい短い時間だったものの、使った直後に見たその光景は筆舌に尽くし難いものであり、そういった耐性無しでは見れないような衝撃的な光景だったとしか表現出来なかった。
「ん…?どうしたの、イノちゃん…?」
気がつくと、祈莉にしては珍しい、引きつり笑いのようなものを浮かべていた。
「へっ!!?あ…い、いえ…。なんでもありません…。おほほほほ…」
「あなたたちは一体、何の話をしているのです…?怪我が治ったというのは…?」
天草雪白は私たちの会話に首を傾げ、訝しむように目を細めていた。
「え…?あ、いや…。それはこっちの話というかなんというか…」
「もしかして、貴方たち――」
「それは後で本人に確かめればいんじゃないですか?」
二人の間に再燃しかけた争いの火種を掻き消し、余計な勘繰りをされぬよう、私はすかさずフォローを入れる。
すると、私の言葉に納得したのか、天草雪白はため息一つとともに頷いたあと、病院の出入り口へと向かっていった。
「私は一度実家に帰って入院の準備をしてきますので、これで。あなたたちも明日は学校があるのですから、早く帰りなさい」
「あっ…は、はい…」
私たちが見送るように視線を向けていると、天草雪白の足は時が止まったかのようにピタリと動きを止めた。
「…言い忘れていました。一応、というと不適切なのですが…その…連絡ありがとうございましたと、雹果…さんにお伝えください」
天草雪白は呟くように感謝のような言葉を残すと、玄関ホールからそそくさと姿を消した。
「…少しは丸くなったのかと思ったけど、相変わらず上からな態度と威圧感だったな…。やっぱり、仲良くなれそうにないわ」
「表には出さなかったけど、あの態度は気丈に振舞っていただけだと思う。ああ見えて結構姉妹想いだから、妹が無事なことを確認して安心したんだろうけど、私たちが居たからああするしかなかった…みたいな?」
「ふ~ん…。そういうもんかね…?まあそれはそうと、本当の妹のほうは何でずっとそこに隠れてるんだ?」
雨が明後日の方向に話しかけると、柱の陰から人影が姿を現した。
「…なんとなく、まだ顔を合わせるのに慣れていないので。それに私が鉢合わせしてしまうと、余計に話をややこしくするだけですから」
「自分で連絡したのに?」
八代霖裏の傷を治したあとの話になるが、彼女を病院に運ぶ仕事は雨と祈莉に任せ、私と夏那は関係者への連絡役に回った。
だが、肝心要の夏那は八代霖裏本人への連絡先を知っていたものの、家の連絡先を知らなかったため、私は少し前に別れた雹果に連絡すれば神社にも連絡することができると考え、雹果に連絡を入れたのだった。
しかし、雨たちが八代霖裏を病院に運んだ直後、息を切らせながら先んじてその場に姿を見せたのは、天草雪白だったそうだ。
「…あの人にとって霖裏は実の妹ということになっています。あくまで、神社で巫女修行しながら一緒に住んでいる同居人の立場として連絡しただけですし、姉さまに連絡しないのも不自然ですから」
淡々と語る様子に、ここにきてもまったく表情を変えていないかとも思ったのだが、よくよく目を凝らすと、苦いものを食べたときのように少しだけ眉を歪ませていた。
そのことから察するに、ほぼ赤の他人として姉に連絡を入れることを理不尽だと思いながらも、渋々連絡を入れたのだろう。
「悪い、無神経なこと頼んで…。でも、良かったな?代わりに良いものが見れて」
「…?」
雹果は小首を傾げ、無言ながらも疑問を呈した。
「きっと以前の天草先輩のままだったら、怪我をしたのが雹果だったとしても、同じように真っ先に駆けつけていた。だって、雹果は実の妹なんだから」
天草雪白が実の妹の安否を心配してこの病院へと駆けつけたとすれば、記憶を失う以前の天草雪白であれば、雹果を心配して同じように駆けつけたことになる。
きっとそれは、数年越しのビデオレターを見たときのように、失われていたはずの愛情を知る数少ない機会であり、姉から忘れられた妹という立場において、それが大きな意味を持っているように私には思えた。
だからこそ、二人の関係を壊すきっかけを作ってしまった私には、未だに擦れ違う二人をそのまま見過ごすわけにはいかなかった。
「そう…ですね…。良いものが…見れた…かもしれません」
そう言って、雹果は微笑むように笑った。
「…それはそうと、妹さん」
しかし、それも格ゲーでいう2~3フレームほどという驚くほど短い一瞬の出来事で、いつも通りの表情に戻った雹果は、何の脈絡もなく、突然夏那に向き直る。
「妹さん…?あっ!?は、はい…!?私……ですよね…?」
突然話を振られた夏那は、あからさまに動揺しながら答える。
「妹が怪我をして、皆さんが治してくださったというのはなんとなく理解しています。それに関しては私からも礼を言わせて頂きます。ですが、そもそも霖裏はどうしてそんな状況になったのですか?」
そのことに関しては、私も気に掛かっていた。
正確に言うのであれば、原因に関してはある程度結論は出ていたのだが、その事実を知ってしまうことを私は恐れていた。
だからこそ、私はその話題に入る前に待ったをかける。
「ス、ストップ!!そ、それは後にしないか…?先輩も言ってたけど、明日は学校もあるし、ここじゃ場所も悪いからさ?」
「…それもそうですね」
雹果は私に目を合わせると、数秒の間ジッと見つめてきた。
「な…なに…?」
「花咲さん。私はあなたに感謝もしてますし、信用もしてます。ですが、友人として一つだけ言わせてください」
雹果は私の前に立つと、顔を近付け、耳元で囁いた。
「あなたが私にくれた言葉を、くれぐれも忘れないでください」
雹果はそれだけ私に告げると、いつものように一人でその場を立ち去った。
◇
◆6月17日 午後7時35分◆
祈莉を家に送り届けたあと、私と夏那と雨の三人はようやくといった足取りで自宅前に到着した。
「やっと帰ってきた…」
「私、お腹ペコペコだよー」
思い返してみれば、シャニクリで祈莉の迷子騒動に見舞われ、謎の片眼鏡紳士に絡まれ、終いには生死を分ける場面に強制的に召喚されて命を救ってと、一日にしては中々に濃厚な内容だったと言えた。
当然ながら、度重なるトラブルをこなしてきた私の体は、随分前からHP低下のアラートを鳴らしており、今すぐにでもベッドにダイブして眠りにつきたいくらいの疲労を蓄積していた。
私は今日という一日に終止符を打つように、ドアノブに手をかける。
「それじゃ、あーちゃん。また明日…」
「なあ、チー」
ドアノブを回そうとしたその時、そうは問屋が卸さないと言わんばかりに、雨が私に声を掛けた。
「…なに?」
「ちょっとだけ話があるんだけど?」
「今日は色々なことがありすぎて、さすがにクタクタなんですけ――」
私はゆっくりと振り返り、雨を一瞥するように視線を向けた。
そこで私の目に映ったのは、敵を睨むでもなく、それでいていつものように安心できる眼差しでもない――私を冷ややかに見つめ返す雨の瞳だった
その視線に特別な意思が込められていることをにわかに察した私は、仕方なく延長戦を受け入れ、掴んだドアノブから手を離す。
「――夏那。先に入ってて」
…
「…で?話って何?」
夏那が家の扉を閉めるところまでを見届けたところで、私は頃合いと見て話を切り出す。
「チー。お前、私たちに何か隠してないか?」
「なんのこと…?別に、なにも?」
私が間を置くことなく即答したことなのか、とぼけるような態度をとったことなのかは判らないが、雨は少しだけ不機嫌そうに眉を歪めた。
「じゃあ聞くけど、あの約束を忘れたわけじゃないだろ?」
「…忘れてないよ。さっき変身したことは認めるけど、忘れていないのは本当」
緊急事態だったとはいえ、魔法少女に変身したのは私の意思であり、雨からそれを咎められようとも、弁明の余地は無かった。
だが、雨は首を横に振り、私の回答に反意を示した。
「違う…。私が言いたいのは、また危ないことに首を突っ込んでるんじゃないかってことだよ。ノワのあの姿をチーが知っていたってことは、あの“領域”って場所には何度か来てるってこと。それに、あの子がメルティー・ベルに変身していた姿を見て、チーは私のせいだって言ってた。それは、あの子が怪我をした理由に心当たりがあるから。そうなんだろ?」
私はすぐに誤魔化す言葉を考え、口に出そうとした。
だが、その瞬間に雹果の言葉が頭を過り、私の意志に反して、無意識がそれを拒んだ。
「さっきのこともそうだ。チーは魔法少女に変身できることを当たり前みたいに理由にして、自分一人で背負おうとしてた。それはつまり、まだ自分が特別だと思ってる証拠なんだよ」
私はそう断言されて、自分が約束を履き違えていたことにようやく気付いた。
私は魔法少女に変身しなければそれで良いと考えていた。
だが、雨が魔法少女には変身するなと言っていたその理由は、私が危険なことに首を突っ込んだりして巻き込まれないためであり、私の安否を気遣ってのことだった。
私が魔法少女に変身できると考えている間は、そこに余裕や驕りを生み、私はそれを理由に無茶をする。
つまり、雨が私に求めていたのは、私が“魔法少女に変身できる特別な存在であると考えていること”をやめさせることだった。
だが、その要求は私にとっては皮肉とも言えるものだった。
「あーちゃんの言いたいことは判った…。確かに、私はまだ魔法少女の力に頼ってるし、本音を言えば自分が特別な存在だとも思ってる…。けど、もう遅いんだ…」
私は雨に背を向け、夜空を見上げた。
「何が遅いんだよ…?普通の暮らしに戻って、普通に生活すればいいだけじゃないか?難しいことなんて――」
「――ある」
私は断言するように言い放つ。
「魔法があることを知ってしまった私は、そこに無限の可能性があることを知ってしまった。何を考えるにも、魔法があればと考えてしまう。この考え方を変えることは簡単には出来ない。だからこそ、魔法少女を否定したはずの今でも、私は魔法少女に変身できる」
――魔法と想いの力の関係性。
神の存在や、未来や過去に繋がる縁。
ケートスという存在と、因果の改変。
きっと私は、知りすぎた。
「私が可能性の一つとして魔法を捨てられない以上、私は魔法を信じ、そして魔法少女であり続けることになる。だからこそ、私はもう普通の人間としては生きていけない。もう、手遅れなんだ…」
感情の胞子や、幽霊や残留思念、関係性の糸が視えても、私はそれほど驚くことはなかったし、それをすんなりと受け入れた。
その反応が普通じゃないことを、頭では理解していた。
だが、青空を闇に染めたこの夜空のように、私は魔法という魔力に染まっていき、それが当たり前であると錯覚し、そしていつしかそれらに依存するようになっていた。
果たして、そんな人間を“普通の人間”などと呼べるのだろうか。
「チー…」
私は振り返り、雨の瞳を真っ直ぐに見つめる。
「今回の件は、私が蒔いた種だってことはなんとなく気付いてる。だから、この件は私がかたを付ける。あーちゃんは、これ以上詮索しないでほしい」
私が面と向かってそう告げても、雨はまったく表情を崩すことはなかった。
「そっか…。それはチーの本音だよな?」
「…ごめん」
私がそう答えると雨は小さく頷いた。
「判ってる。私が“普通の人間だから”なんだろ…?」
「……ごめん」
――雨は私の行動や言動の意味を、全て理解している。
だからこそ、感情論でぶつかったりせず、私の言葉に疑いも掛けず、ただ私を信じてくれている。
そんな雨だからこそ、この話をするわけにはいかない。
私の親友であり、普通の人間である雨にだけは。
「――だったら、私にも考えがある」
雨が呟いたその直後、私の左手首は強引に掴み上げられた。
それと同時に私の右肩は鷲掴みにされ、私の体は塀へと押さえつけられた。
「いぁっ…!?」
「とりま、あのケートスってのはなに?夏那ちゃんがなんであんなの出せるわけ?」
「それ、は――」
私が衝撃によって咄嗟に閉じた瞼を再び開けると、雨はいつの間にか自分の瞼を閉じていた。
それを不可解に思っていると、次の瞬間、雨は信じられない言葉を並べ始めた。
「ケートス……因果の書き換え……?大剣仮面…?それに……アカガリ…?」
「――!?」
雨の口ずさんだその言葉たちに、私は驚きを隠すことが出来なかった。
なぜならそれらは、雨が知り得ることのない情報だけに留まらず、私が心の中でしか思っていない言葉までもが含まれていたから。
「は、はなしてっ!!」
私は雨の腕を強引に振り払い、その拘束からなんとか抜け出すと、手の届かない程度の距離を取る。
「チー…お前…。こんな……こと…」
雨はまるで信じられないものを見たかのような視線を私に送っていた。
「私の思考を……読んだ…の…?」
「…ああ。チーが意地でも口を割らないなら、こうするしか方法がないからな…」
そう言って、雨は自分の目を覆うように隠した。
「魔法が使えなくなったっていうのは嘘だったんだね…。あーちゃん…」