第26話 魔法少女は束の間で。(5)
◆6月17日 午後6時15分◆
木々の間を縫うように私はひた走り、地に張る根に何度も蹴躓きそうになりながらも、大樹の見える方向を一直線に目指す。
「ハァ…ハァ…!」
息も切れ切れにようやく開けた場所に出て、私はわき腹を抑えながら足を止める。
居場所を確かめるように片目で視線を泳がせていると、地面にへたりこむように座る人影の背中が目に止まった。
私は乱れた息を整えながら、背後からその人影に近寄る。
すると、その人物は驚いた様子でこちらの気配に気がつき、身構えながら振り返る。
「夏那…?」
私の姿を確認しても、夏那は感情を失ったかのように無表情のまま、ただただこちらをボーっと見つめていた。
その反応が不自然であることをすぐに察し、心配して近づこうと一歩踏み出す。
しかし、それが合図かのように、夏那はまるで野生の猪のように唐突に私の懐に飛び込んできた。
「――ぐはぁ!?」
肺を抉るような、ボディーブローの如き衝撃をなんとか堪え、私は何とか声を絞り出す。
「お姉ちゃん!!」
「よ…良かった…。とりま、元気そうで…」
考え得る最悪の状況でなかったことに私は安堵し、思わず咳き込みながら吐息を漏らす。
だが、私の服にしがみつき、離れないようしっかり握られたその手が小刻みに震えているのを、私は見逃さなかった。
「助けて…!お姉ちゃん…!!」
「たすけ……て…?」
今の今まで暗がりでわからなかったが、よくよく間近で見てみれば、夏那の顔は涙で濡れそぼり、その頬は僅かに腫れ上がっていた。
そしてもう一つ、その手を連綿と染めているものが、私の焦りを無性に掻き立てた。
「その手…。まさか、怪我してるのか!?」
私の問いに、夏那は無言で首を横に振った。
「じゃあ…」
その答えを聞いた瞬間、私は悪寒に似た胸騒ぎを感じ、先ほどまで夏那の座っていたあたりに視線を向ける。
光の粒子と木漏れ日のように差し込む月明かりだけが闇に視界をもたらしている中、地面に横たわる人の姿を私の目は捉えた。
私は夏那の手をそっと解いて、意を決して近くまで歩み寄る。
そして、その光景を間近で目の当たりにして、言葉を失った。
「…」
地面に横たわっていたのは、私の妹の同級生であり、先輩と友達の妹――八代霖裏だった。
しかし、一目見ただけで、それがただ寝ているという状況でないことは理解できた。
白と黒を基調としたメルティー・ベルのドレスには、さほど乱れた様子はなかった。
しかし、口元から腹部一帯にかけて、あたかも染料で染めたような色鮮やかな赤が加わっていた。
私は動悸を抑えるように一呼吸してから、その口元に耳を近づける。
「息は…ある…。けど、意識は…無い…」
微かに呼吸をしていることは確認できたものの、苦しそうに呼吸を繰り返していることから、状況が逼迫していることは、素人の私から見ても明らかだった。
「りんちゃんが…。わ、わたし…どうすれば…?」
夏那は全身を震わせながらうろたえ、大粒の涙を地面に落としながら、その場に崩れ落ちる。
だが、間一髪というタイミングで、その体を支えるように人影が滑り込む。
「…夏那ちゃん。落ち着いて。ますは呼吸を整えよっか?」
遅れて到着した雨は、手馴れた様子で夏那の肩をそっと抱き寄せ、赤子を落ち着かせるかのように背中をポンポンと叩いた。
「チー」
雨は無言ながらもこちらを睨みつけ、こちらは任せろと私に告げていた。
そして、私もまた了解の合図を無言で返した。
「手伝います」
祈莉は私の隣にしゃがみこみ、手馴れた様子でハンドバッグから裁縫道具を取り出すと、赤色に染まった腹部の布をハサミで切った。
「これは吐血のようです。傷はありませんが、何か重いものが衝突したようなひどい皮下出血があります。この様子ですと内臓は無事ではないでしょうし、肋骨も何本か折れていると考えて間違いないと思います…。それに、下手に動かそうとすれば骨が内臓をさらに傷つけてしまう危険性があります…」
祈莉の的確な対処と観察力に驚くものの、そんなアクションをする暇さえ端折って、私はすぐさま思考を巡らせる。
「となると、応急処置を済ませてから安全に運ぶしかない、と…。だけど――」
この場から動かせないとなると、助けを呼ぶしかない。
しかし、そこには大きな問題がある。
異空間であるこの場所に、救急隊員や救急車を呼ぶことなど出来るはずもないし、かといって医療ドラマのように、この場で手術を出来るような天才医師や道具も都合よく存在などしていない。
しかし、そんな状況だからといって、私はすぐに諦めたりするほど馬鹿のつく正直者ではなかった。
「――それは普通であればの話」
私は思いつく限りの可能性をひとつひとつ試すことで窮地を脱してきた。
科学であろうと魔法であろうと関係は無く、解決方法は手段の一つでしかないと私は知っている。
そして、それはどんな状況であっても変わりはしない。
「夏那、カイくんの力は使えないか?」
「カイ…くん…」
夏那は戸惑った様子で、両手を花の蕾のように合わせる。
すると、その手のひらから小さな金色のクジラが現れた。
「うわ…!?ナニコレ…!?」
雨が驚く様子をよそに、私は別の意味で驚いていた。
「どうしてこんなに小さい…?」
『――たぶん、力を使いすぎたんだろうねー?』
大樹の方向から声がして、私たち全員が咄嗟に振り向く。
そこには、軽やかにステップを踏みながら近付いてくる、幼女の姿があった。
「――ノワ」
「は…?えっ…?コイツがノワ…?どゆこと…?そういえば、さっきもノワの領域って…」
「ややこしいから、それはあとで。それより、力を使いすぎたってどういうこと?」
混乱する雨をとりあえず黙らせると、私はノワにその言葉の意味を問い返す。
『夏那ちゃんの望みを叶えるには、それだけ力を使う必要があった。そういうこと』
私の予想を裏切り、ノワはいつものように誤魔化すでもなく、珍しく淡々と答えた。
「カイくんが私たち全員をここに集めた…。それで力を使いすぎたから、小さくなった…。まさか、そんな代償が…」
小さな因果を辻褄あわせのように変えたところで、近くに居る人間を物理的に遠くの場所へと飛ばすことは難しい。
まして、この場所を訪れたことのない、私と夏那以外の三人をここに集めるには、小さな因果を変えるだけでは成し得ないことも、容易に推察できる。
だからこそ、雨と祈莉の記憶には曖昧な記憶が残り、記憶と認識との間に齟齬が生まれたのだと考えられる。
「その話はあとにしましょう。この子に残された時間はそう多くはないと思います」
祈莉は落ち着き払った口調で淡々と答えた。
「…ごめん」
私は言わずもがな同意して頷き、再び解決手段の模索に入る。
「手持ちのポーションは無いし、家から持ってくるのにもここでは時間が掛かり過ぎる…。病院に運ぶにしても、応急処置は済ませないと移動はできない。メルティー・ミラの力を使えば前みたいに鏡を移動できるかもしれないけど、準備が必要…。となるとやっぱりこの方法しかない」
私は背負っていたリュックを地面に下ろし、シャイニーパクトを取り出す。
「――私がここで治す。魔法で」
「えっ…?ですが…」
祈莉は何度か夏那に視線を送り、私に無言のメッセージを送ってきた。
「大丈夫。夏那は私が魔法少女だって知ってるから」
「そうなの…ですか…?」
私は小さく頷き返す。
「変身した方が効果が上がることは判ってる。今の私の魔法がどれくらい効くか判らないけど、しないよりはいいはず」
――パシッ!!
私がシャイニーパクトを真正面に掲げようとした瞬間、突然誰かが私の手首を掴んだ。
「何するの?あーちゃん?」
「私が言いたいこと…判ってるだろ?」
雨が私に向けるその視線は、決して冗談などではなく、真剣そのものだった。
だが、私は雨と問答する時間すら省き、その手を振り払ってすぐに変身モーションに移る。
「緊急事態。その話はあとにしてくれると助かる」
私はギャンブラーではないし、まして人命が掛かっているのあれば、確率の高い方法を試すのは定石である。
だが、それが正しい対処方法であるとは限らないし、成功するとも限らない。
最悪の場合、それが悪い結果を招く場合だってある。
だからこそ、こういった状況の場合、試行回数がものを言う――つまり、今の一番の敵は時間だった。
…
「――グロース・ライト!!」
私は身体強化の魔法を何度も使い続けた。
「駄目です…効いていません…」
「くそっ…!なんで…!!」
だが、魔法の効果が見られた様子は無く、それどころか呼吸すら希薄になっていくように思えた。
「小さな外傷であれば魔法の効果が現れると思います…。判っていたことですが、やはり自然治癒力を少し引き上げたくらいでは、簡単に骨や内臓が元通りになるわけではないようです…。せめて、カードさえ完成していれば…」
祈莉の指摘はもっともで、私の魔法は自然治癒能力を高めるものであって、直接回復したり復元したりするような魔法ではなく、アニメやゲームのようにその場ですぐさま傷が治るとは真逆の、時間を掛けてじっくり回復するタイプと言える。
それはつまり、生死を決めるであろう時間との勝負である現状において、その効果が焼け石に水程度の効果しかないことを示していた。
「お姉ちゃん…。大丈夫…だよね…?りんちゃん…元気になる…よね…?」
「それ…は…」
私が答えに口篭ると、夏那は一層不安そうに私を見つめ返した。
だが、私はその期待を抱いた視線に耐え切れず、思わず妹から目をそらした。
「これはきっと私のせいだ…。でも、正直な話、今の私の力だけじゃどうすることもできない…」
「そん……な…」
救いたいけど救えない。
技術や時間、手段が無いから救えない。
そんなものは、ヒーローだろうと医療現場だろうと変わらない。
恐らく、医療に携わっている人間は、こういった無力感を何度も味わっていることだろう。
かくいう私も、こういった絶望に似た無力感を、過去に一度だけ味わっていた。
「ふざけんなよ…」
私の呟きを聞いた雨が、突然私の胸ぐらを掴み、私の顔をその眼前まで引き寄せた。
「あー…ちゃん…?」
「勘違いすんなよ…?どういう理屈でそういう考えになったのか知らないけど、諦めるにはまだ早いだろーが!?この子はまだ生きてるし、救いたい気持ちだってみんな同じだ!!なに、一人で戦ってる気になってんだよ!!」
まくし立てるような怒声を浴びせられ、その瞬間、張り詰めていた私の糸はプツリと切れた。
「じゃあ…じゃあ、どんな方法があるって言うんだよ!?あーちゃんならこの状況をなんとか出来るの!?それなら私に教えてくれよ!?いつもいつも都合の良いときだけ頭使わせて、私は便利な質問箱でも知恵袋でもない!!」
「チー…!おま…!!!」
「落ち着いて、二人とも」
慌てて祈莉が止めに入り、私と雨を力ずくで引き離す。
「二人が争っていても、何も変わりません。ですが、あーちゃんの言うことはもっともです。この場所に居るのはチーちゃんだけではないのですから、私たちを頼ってください。昔のように」
『そーそー。イアは良いこと言うねー?それにリインの言うとおりだよ、レム。諦めるにはまだ早いと思うよー?』
殺伐という言葉が似合いそうなこの場に、まったく空気を読んでいないノワのゆるゆる声が響き渡る。
そして、バケツの水を撒いたかのように、場の熱気は少しずつ冷めていった。
『僕が思うに、キミたちは彼女を助ける方法を既に知っていると思うんだけどなー?』
ノワはおどけた様子で、ベンチの背もたれ部分に飛び乗り、平均台のようにバランスを取りながらそれを往復する。
「私たちが…知っている…?どういう意味だ…?」
「何言ってるんだ…?お前、ノワなんだろ!?知ってるならその方法を今すぐ教えろ!?人の命が掛かってるんだ!?」
『しょうがないなー。ヒントだけあげるから、優しい僕に感謝してよー?ケートスくんは、キミたちをここに集めた。ここ重要だからもう一回言うよー?キ・ミ・た・ちを?』
そういいながら、ノワは言葉に合わせるように私たち4人を次々に指差した。
「キミ…たち…。ケートスがここに集めた…。私たち4人…」
私は目を閉じ、その言葉を復唱しながら意味を考える。
――キミたち…。
――ケートスがここに集めた…。
――私たち4人…。
「ありがとう、あーちゃん、イノちゃん」
「チー…?」
雨は少しだけ驚いた様子を見せたかと思うと、私が冷静に戻って安心したのか、少しだけ微笑むように笑い返した。
「あーちゃんの言うとおり、私はまた一人でなんとかするつもりだった。だけど、理解したよ。今回の件は、私一人ではその答えを導き出すことが出来ないんだって」
「それじゃあ、諦めるのか…?」
私は首を横に振った。
「いや。一つだけ判ったことがあるんだ」
私がいくら考えても、その答えには至らなかった。
だが、私一人が考えている間は、それが当然なのだと私は考えを改めた。
そうしたとき、私はその答えに辿り着くための道筋を見出していた。
「カイくんがここに私たちを集めたことにはちゃんと理由がある。あーちゃんとイノちゃん…それに、夏那。きっと三人が、何かしらの手掛かりを握っているんだと思う」
「思うって…?何で私たち…?」
雨は当然の疑問を口にする。
傍から見れば、私が考えることを放棄して、他人に一切合切を丸投げしているようにも見えなくもないのだろう。
だが、私にはそれが正解への糸口であるという根拠があった。
「カイくんは夏那の望みを叶えるために、自分の力の大半を使って私たちをここに呼び寄せた。じゃあ、なんでそんなことをしたのか。その理由は、私たちにはその望みを叶えられる可能性があるからこそ、ここに呼び寄せたんじゃないか?」
もしも、八代霖裏という少女を救うためだけであれば、怪我を負った要因を排除すればいい。
しかし、ケートスがそうしなかったのは、そう出来なかったからとしか考えられない――ようするに、どう転んでも八代霖裏が怪我を負うという運命から逃れられなかった。
ケートスが自分の力の大半を、私や雨や祈莉をこの場に呼び寄せるために使ったのだとすれば、それは怪我を負ってしまった彼女を救う方法を、この場に居る私たちが持ち得ているからと考えられた。
「それともう一つ。ノワは魔法少女である私たち三人だけじゃなく、夏那を含めた四人を指差した」
ノワはケートスの意図に最初から気付いていた。
だからこそ、祈莉の「一人じゃない」という言葉を肯定し、あえて「キミたち」という言葉を何度も使った。
そしてその真意は、私や雨や祈莉という魔法少女以外の存在も、この場にある手段として利用するべきだと示唆すること。
「つまり、ここでのカギは私たち全員だ」