第26話 魔法少女は束の間で。(4)
◆6月17日 午後5時46分◆
金髪長身で目鼻立ちの整った西洋人と思しき男性で、ラフな白Yシャツにシックなチノパンツという、特に目立った服装では無かったのだが、唯一の特徴として挙げるには申し分のない、映画や架空の物語でしか見ることのない片眼鏡が、どことない違和感と言い知れぬ存在感を混在させていた。
「なな……なに…?」
突然話し掛けられたことで、不意にコミュ障スイッチが入ってしまい、私はたどたどしく返事をすることになったものの、仮称・片眼鏡紳士はそれを怪しまれていると勘違いして、慌てて取り繕う仕草を見せる。
「オー…!?そんなに警戒しないでください!少々お尋ねしたいことがあるだけでして…」
見た目を裏切るような流暢過ぎる日本語と、その大袈裟とも言えるオーバーアクションを見て、私はどことなく安心感を覚え、自然と警戒を緩めた。
「その眼鏡なのですが、どちらで手に入れたものなのでしょうか?」
「え…?眼鏡…?」
私はまったく予想していなかった質問に戸惑いながらも、なんとか返答する。
「こ、これは友達から借りてるもの…。私は知らない…」
「友達から…ですか…?それでは、その方に会わせて…。いえ、連絡先だけでも結構ですので――」
物珍しい片眼鏡を掛けていることから察するに、眼鏡を作ってる会社の人とか、そういったものに興味のある人なのだろうと、私の思考は落ち着いた。
「別に…特殊なものじゃないし…。プライバシーが…あるから…。答えられない…」
だが、どんな理由があろうと、友達のプライバシーに関する情報をおいそれと教えてやるほど、私は親切でも甘くもない。
「そうですか…それはザンネンです…。それでは、ちょっと失敬…」
そう言いながら、片眼鏡紳士は何の躊躇もなしに、私の掛けていた眼鏡をひょいっと取り上げた。
「んな…!?ちょっ…!?」
「少しだけ見せていただけませんか?」
まったく悪びれる様子もない――というより、悪いことをしたと思ってすらいないであろうその態度に、私は半ば諦めの念を抱き、仕方なく頷く。
「ま…まあ、見るくらいなら…別に…」
「それでは遠慮なくー。ほうほう…。なるほど、なるほど…」
片眼鏡紳士は眼鏡の角度をくるくると変え、フレームを曲げようとしたり、その硬さを確かめたりして、言葉どおり少しの遠慮も見られなかった。
私としては借りている物だったので、壊したりしないだろうかと、その様子をヒヤヒヤしながら見つめていた。
「ありがとうございます。参考になりました」
時間にして十数秒ほど経っただろうか、片眼鏡紳士は意外にもあっさりと観察を終え、満足げに眼鏡を私に差し出した。
私はもう良いのかと疑問を抱きながらも、それを受け取ろうとする。
しかし、私がそれを手にとっても、片眼鏡紳士は握ったその手を離そうとはしなかった。
それを不審がっていると、片眼鏡紳士が私の顔をジッと見つめていることに気が付き、私は一瞬たじろいだ。
「…実のところなんですが、先ほどから私が一番気になっているのは眼鏡ではなく、そちらなんですよね」
「そ、そちら…?」
片眼鏡紳士は微笑むように口角を上げると、私の顔を指差した。
「あなたの瞳…とても不思議で綺麗な瞳をしています…。まるで全てを見通しているかのように濁りが無く、透き通っているかのように透明度の高い琥珀色の瞳ですね…」
「琥珀…色…?何を言って…?」
私は一瞬だけ新手のナンパや口説き文句なのかと思ったが、当然私にはそういった経験は一切無いので、それを否定する情報は持ち得ていなかった。
だが、片眼鏡紳士の“琥珀色の瞳”という言葉が、私の中で引っかかった。
――私の瞳は黒い。
しかしそれは、私がそう思っているだけにすぎない。
鏡に映る私や、写真に写る私がそう見えるだけあって、それらは鏡やレンズ越しに映った虚像でしかない。
自分の目をくり抜き、もう片方の目で見るなんてことをしない限りは、自分で自分の瞳の色を見ることは出来ないだろうし、もしも私がオッドアイだったのならそれも間違った情報になる。
だとすれば、自分の見たものだけを信じ、人の言葉を安易に信じたりしない私が、自分の瞳の色を知る術はあるのだろうか。
そして、私の瞳の色は、本当は何色なのか。
「――チーちゃん!その人から離れてください!!」
次の瞬間、悲鳴のような叫び声が、周囲一帯に響き渡った。
「イノ…ちゃん…?」
祈莉が私と片眼鏡紳士の間に割って入ると、私を退かせるように押し退ける。
「あ…あなたは一体何者ですか…!?」
「おやおや…。こちらのお嬢さんは容姿に似合わず、まるで野生の獣のような瞳をしていますね…。興味深い…」
「答えてください…!一体何者ですか!?」
祈莉が鬼気迫る表情で再び問おうとも、片眼鏡紳士はまったく動じる様子も無く淡々と答える。
「どうやら、そちらのお嬢さんにはとても嫌われているようですね」
正直なところ、私は戸惑っていた。
確かに、突然眼鏡を取り上げられたことには流石に驚いたし、それに対して不快感も抱くことはあったものの、目くじらを立てて怒るほどのことはされていなかったので、私自身はさほど気にはしていなかった。
だが、そんな私の気持ちに反するように、祈莉は初対面の相手に対して声を上げ、怒りに似た強い警戒心をあらわにした。
私はそんな祈莉の姿を見たのは初めてだった。
「ど…どうしたの、イノちゃん…?」
「この人は……危険です…!!」
「危険…?」
見ると手は振るえ、相手を睨みつけながらも視線を泳がせ、数ミリずつではあるものの足も距離を取ろうとしており、敵意を向けているというよりも怯えているといったほうが近かった。
相手に威勢を張りながらも、逃げることに全思考を集中させているようなその様は、自分よりも凶暴な獣に出くわした、野生の狼のようだと言えばしっくりくるのだろう。
「――そりゃ、どう見たって危険っしょ?」
「あーちゃん…?」
いつの間にか雨が駆けつけ、物怖じするでもなく祈莉の隣に並び立った。
「私の連れになんか用?ナンパとかだったら警察に突き出しますよ?」
雨がその切れ長の目で、片眼鏡紳士をギラリと睨みつけると、相手もまた目を細め、雨を睨むように一瞥する。
「おやおや…。こちらのお嬢さんも手厳し――」
すると、なぜか片眼鏡紳士はそのまま沈黙した。
「ん…?何よ…?」
その沈黙が暫く続いていると、トラブルの匂いを嗅ぎ付けてか、通りかかる人々が私たちに興味を向けはじめ、好奇の視線をチラチラと送りはじめていた。
『何…?喧嘩…?』
『女の子がナンパされてるのを、女子高生が助けてるんじゃない?』
『おもしろー。拡散しとこー』
周囲の人間たちが、他人事のように騒ぎ立てているのが耳に入ってきた。
「う…」
衆人の目に晒されながらも、動くことを許さないかのような緊張感に包まれていたが、私はどうすることも出来ず、注目されるているというプレッシャーと気持ち悪さに耐えるしかなかった。
早く終わって欲しいと思いながらも声を出せずにいた最中、そんな状況を最初に打ち破ったのは、片眼鏡紳士だった。
「ふぅ…。この状況では、お嬢さん方とはゆっくりお話なんてできそうもありませんね…。とりあえず、これはお返しします」
片眼鏡紳士は両手を上げながらゆっくり近付くと、私から取り上げていた眼鏡を雨に手渡し、にやにやと笑みを浮かべながら後退する。
そして、5メートルほど距離が離れたところで反転し、私たちに背を向けた。
「何だったんだ…?」
雨がそう呟き、私たちが警戒が緩んだその瞬間、まるでそれを見計らったかのように、片眼鏡紳士はわざとらしく呟いた。
「オー!そうでしたー!最後に一つだけ、お聞かせいただけませんか?」
片眼鏡紳士は背中越しのまま、人差し指を立てる。
そして、半身だけ振り返り、私たちに問い掛ける。
「――あなた方は、魔法少女をご存知ですか?」
その瞬間、私たち三人はほぼ同時に硬直した。
「なぜ、そのようなことを私たちに…?」
祈莉がそう問い返すと、片眼鏡紳士はニッコリ笑って答えた。
「いえ、ただの興味ですよ。ご存知ないのであれば構いません」
それだけ言い残し、片眼鏡紳士は暗がりに消えていった。
◇
◆6月17日 午後6時◆
焼けるように赤い太陽は、今落ちると言わんばかりに、水平線の彼方からその身を隠そうとしていた。
私たち三人はそれを正面に捉えながら駅を離れ、祈莉の家へと向かっていた。
「あんなことが無ければ、昔話をしながら笑って歩けたんだけどなー…。しっかし、まさか噂の変態が本当に実在するとは…。すぐに戻ってきて正解だったわ」
祈莉が以前と同じ家に住んでいることは、雨が家に電話して確認済みだった。
しかし、一人で家に帰らせるのは心配だからと、私と雨の二人は祈莉を家に送り届けることにした。
「…さっきはありがとう、二人とも」
久しぶりに感じていた気持ち悪さはすっかりどこかへ消え、私は通常のコンディションに戻っていた。
「いえ、私のほうこそ少し離れている間にあのような事態を招いてしまい…。申し訳ありません…」
「気にすんなって、二人のせいじゃない。あ…でも、今度からは気をつけろよな?私たちは普通の人間に戻ったわけだし、ああいう変なやつに絡まれることだってあるんだから」
「…?」
祈莉の方向音痴が心配というのも理由の一つではあるだろうが、雨が私一人を先に帰らせたりしなかったのは、先ほどの一件を受け止め、私の身を案じたからだろう。
「それにしても、眼鏡まで取り上げられて…。つか、何してたらあんな奴に絡まれるんだ?」
「何もしてない…。というか、それを私に言わせる気…?もしかして、喧嘩売ってる…?」
私が眉をひそめると、不機嫌を察してか、雨は目線を下から上にスライドさせる。
「なるほど…ゴメン…。悪気は無い…。ははは…」
「…今ので貸し借り無しってことにしといてあげる」
片眼鏡紳士が私に目をつけた理由はハーマイオニーと同じく、身長の低い女子を狙ってのことだろう。
眼鏡に興味があるなどと最初に切り出したのは、相手を不審がらせないための常套句なのだろうが、そんな安っぽい文句に乗ってしまった自分の自業自得ぶりが情けなく思え、私は大きくため息を吐く。
「…そういえば、二人ともあの人のこと危険だって言ってたけど、なんでそう思った?」
片眼鏡紳士と出会ったときや話している間も、私はなんら違和感を感じることは無かった。
しかし、二人は相手を見た瞬間から、相手が危険な人物だと判断して行動していた。
つまりそこには、私の知らない何かしらの判断要素があるのだと私は考え至った。
「そうだなー…」
「そうですねー…」
二人は話を合わせるでもなく、同時に考え耽り、そして同時に答えた。
『――なんとなく?』
「…はあ?」
「あ、いやー…。一応理由ならあるぞ…?佇まいというか、立ち方が普通じゃないというか…。服の上からだけど、人間とは思えない筋肉してたし?」
「あの方の呼吸…。静か過ぎて、呼吸をしているのかしていないのか…。まるで人とは違ったもののように聞こえました」
男性の筋肉を服の上から見て一喜一憂したり、ジロジロ観察したりする習慣は私には無いし、まして筋肉の付き方で強いか強くないかを判断するような知識も無かった。
ついでに言うと、あれほど人通りの激しい場所で相手の呼吸音が聞けるほどの超人的聴覚も、当然だが持ち合わせてはいない。
「やっぱり、脳筋と野生児の意見は役に立たない…。聞いた私が馬鹿だった…」
「誰が脳筋だ!?」
「…ということは、私が野生児ということですね♪ふふふ…♪」
「――って、なんで嬉しそうなんだよ…?意味解ってるのか…?」
結論から言えば、二人が危険だと判断した要素は、常人である私にはこれっぽっちも理解することが出来なかった。
だが、二人の見解の中で、偶然にも共通しているものがあった。
「人間ではない…か…」
“人間とは思えない”――それこそが片眼鏡紳士を危険な存在だと二人が判断した一因だったのだろう。
…
「お?小学校だ…。そういえば、この道を三人で歩くのは久々だなー」
雨がそう呟いて、私と祈莉は右手方向に視線を向ける。
「確かに…。昔は皆でこの道を通ってたっけ」
気が付けば日は沈んで薄闇に浸りはじめ、私たち三人は昔自分たちが通っていた小学校がすぐそこに見える道を並んで歩いていた。
「そう…でしたの…?」
「一応聞くけど、それは記憶が無いんじゃなくて、道を覚えてないってことでいいんだよな…?」
「帰り道はお喋りしながら皆さんに付いて歩いていたので、あまり記憶にありません♪」
「はぁ~…」
「相変わらずマイペース――」
その変化は、何の前触れもなく起こった。
「ん…?あ…れ…?私たち、こんなところ歩いてたっけ…?つか、ここどこだ…?」
気が付くと、私たち三人は小学校が見える道などとは程遠い、森林のように草木が生い茂った場所を進んでいた。
「ここは森…でしょうか…?また、迷子になってしまいましたか…?」
「頼むからイノと一緒にしないでくれ…――と言いたいけど、確かに見たことのない場所だな…?どこで道間違えた…?」
二人は警戒しながら周囲を見回し、少しずつ道を進む。
「あっ!私気付いてしまいました!これはお久しぶりのダイアクウマさんではないでしょうか!?」
「あ…いや、それはたぶん無いと思うなー…」
嬉しそうに答える祈莉に、雨は困った様子で相槌を打った。
「それでは怪奇現象…?もしかして、これが神隠し…?」
「――!?そそ、そんなことあるわけないだろ!?なあ、チー…」
雨は振り返り、立ち止まっている私に声を掛けた。
「…って、どうした?急に立ち止まったりして…?」
「私は知ってる。ここがどこなのか」
私はここがどこなのかをすぐに理解することが出来た。
なぜなら、私だけはここ数ヶ月の間に、幾度と無く足を踏み入れていたから。
「ここは公園…。それもノワの領域の中だ」
「ノワの…領域…?チー…まさか――」
私たち三人は、祈莉を家に送り届けるために道を歩いていただけであり、何もしていない。
強いて挙げるのなら、片眼鏡紳士の一件もあったため、尾行などされないよう、念のため周囲を警戒しながら歩いていただけだった。
状況だけを見れば、私たち三人は道を歩いていただけなのに、気付いたらここに居たという、祈莉を咎めることも出来ないほど身も蓋もない説明になるのだろう。
無論、ご都合主義の極みであり、あるのなら大枚はたいてでも教えて欲しい転移魔法の類いも、私たち三人には使えない。
それはつまり、この現象は私たちが故意に起こしたものなどではなく、外的要因である可能性が極めて高いと言える。
そして何より気掛かりなのは、外界から完全に隔離されているはずのこの空間に“直接”、しかも“突然”私たちが移動しているという状況だった。
「もしかして、この現象は…」
その場所に居たという経験は存在するのに、別の場所に移動していながらも経緯を記憶しているという、経験と記憶の不一致。
そんな説明の付かない現象を、私はひと月前に体験していた。
そして、そのことが示す意味も、私はすぐに理解できた。
「因果の…改変…」
次の瞬間、私の足は焦燥感を抑えることは出来ず、二人を追い越して一目散に駆け抜けた。
「あっ!?おいっ!?チー!?」
◇
◆6月17日 午後6時◆
往来する人すらまったくない路地を、金髪長身の男性がひとり黙々と進んでいた。
その行く先の壁に寄りかかりながら、待ち侘びたといった雰囲気を醸し出す、フードを目深に被った少年の姿があった。
「一人…のようですね…。相変わらず団体行動が苦手のようで…」
金髪長身の男性は嘆くように額に手を当てる。
「あー?今、僕も一緒にしたでしょー?傷つくなーもう…。勝手にどこかに行っちゃったのは向こうだからねー?」
「判ってますよ。それで、そちらの成果は?」
「あー、そうそう♪面白い子達がやっと見つかったよー?これがショーコ♪やっぱり、この辺りに間違いないみたいだねー、さっすがー♪」
フードの少年はそういってスマホを操作し、その画面を金髪長身の男性に見せた。
「そうですか。それは良かった」
だが、金髪長身の男性はそれを見ても、まるで意にも介さないかのように軽く受け流す。
「えー?なんか反応薄くなーい?ようやく見つけてきたのにー?そういうそっちはどうだったのさー?まあ嬉しそうな顔してるから、収穫なしってことはないんでしょー?」
「ええ。私のほうも、面白いものを見つけました。とても、面白いものを……ね…?」