第26話 魔法少女は束の間で。(3)
◆6月17日 午前12時3分◆
「見つかりませんの…。こちらにもいらっしゃらないのでしょうか…?」
一通り会場内を探し終えたものの、案の定というべきか、祈莉の姿が見つかることはなかった。
「糸さえ見えればすぐに見つかるんだけど…。あーちゃんも結構離れてるみたいだし…」
指先にいくら目を凝らしても、芽衣と雹果に繋がっているであろう二本の糸しか見当たらず、祈莉を探そうにも文字通り糸口さえも未だに見つかってはいないというのが現状だった。
裏を返せば雨と祈莉は私から離れている場所に居るということにはなるものの、糸をレーダー代わりにして建物内を探索する方法も、これだけ大きな施設となれば互いにすれ違う可能性も高くなり、徒労に終わる可能性もまた高くなってしまう。
そこで、こちらから無闇矢鱈に探し歩くのではなく、建物に出入りする人の流れに焦点を絞り、ターゲットが現れるのを待つ作戦に切り替えることにした。
「ここで見張っていれば、きっと通りかかる瞬間を押さえることが出来る――なんて思ってたんだけど…」
しかし、結果から言えばこの作戦は失敗だったと言えた。
私と芽衣の二人は会場の入り口付近の壁際に陣取り、出入りする人間を一人ひとり目で追いながら過ごしていたものの、既に30分ほどの時間を費やしても見つかるには至っていない。
それもそのはずで、人の往来が予想以上に激しく、とてもじゃないが一人一人の顔を確認しながら一人の人間を二人で探すというのには限界があった。
「もしこのまま見つからなかったら…。いや、あの時みたいなことには――」
「そういえば!」
芽衣は何かを思い出したかのように突然声を上げる。
「こうして春希さんと二人きりになるのは久しぶりですの♪」
「…?そうだっけ…?」
何を言い出すのかと呆気にとられながらも、私はここ最近の出来事を振り返ってみる。
「ええ、そうですの。春希さんの周りにはいつも皆さんがいらっしゃいますから」
思い返してみれば、生徒会選挙やら引継ぎやらで慌しく時間が流れていた気がするし、こうして誰かと一対一でゆっくり話すような時間の余裕は無かったように思えた。
生徒会の仕事が増えたことで、ランチミーティングと称して皆で昼休みを過ごすことは多くなったし、登下校の時間も一緒になったことで、一人で行動する時間も少なくなった。
だが、私としてはブラック企業さながらに労働させられていたという事実よりも、一人じゃないことが普通になっていたという事実が何よりの驚きポイントだった。
「このような状況でこのようなこと言うのも不謹慎だと思うのですが、私、実は今すごく楽しいんですの」
「…?」
芽衣の突然の主張に、私は思わず首を傾げる。
「こうして皆さんと一緒にお出かけすることなんて、少し前の私はまったく想像もしていませんでしたし、友達と一緒の時間を過ごしているという現実が、何よりも嬉しいんですの」
芽衣は私に視線を合わせることはなく、道行く人々に視線を向けながら淡々と答えた。
私はそこで、少しだけ気になったことを問い返す。
「…そういえば、芽衣には前に仲が良かった友達とか居ないの?」
「え…?」
表情こそ変えなかったものの、私の言葉に対して、芽衣は明らかに口を噤むような反応を見せた。
そして、十分に時間を置いた後、その口を開いた。
「…居ましたの。ですが、いくら私が会いたいと思っても、その人と逢うことは絶対に叶わないですの」
“その人と逢うことは絶対に叶わない”というフレーズを聞き、自分が無神経な問い掛けをしてしまったことにその瞬間気付かされた。
その意味をそのままの意味で解釈すれば“何かしらの事情があって会えない”や“住んでいる場所が遠くて会えない”などが考えられる。
だが、その場合“絶対に叶わない”などという言葉を用いることは不自然だった。
つまり、ここでの意味は現実的に会えない人を指している――つまり、既にこの世を去った人を指している可能性が最も高かった。
「ごめん…。聞いちゃいけないこと聞いた…」
平謝りする私を一瞥すると、芽衣は少しだけ驚いた様子で首を横に振った。
「いえ、少し誤解させてしまいましたの…。逢うことが絶対に叶わないというのは、以前の私がそう思っていただけですの」
「思っていた…?」
「…以前の私は心のどこかで、その人とはもう逢えないと考えていましたの。ですが、どんなに遠く離れていても、たとえ一方的な片想いであったとしても、“逢いたい”という気持ちさえ本物であれば必ず逢うことができると、今なら信じられますの。だから“絶対に叶わない”なんてことはありませんの」
揺らぎない希望に満ちた無垢な瞳が、その言葉に偽りは無いと語っているかのようだった。
「ですから、祈莉さんにも“絶対に”逢えますの」
芽衣は振り向き、私に向けてニッコリと笑いかけた。
その瞬間、芽衣が「素敵な名前」と言ってくれたあの瞬間のことを、私はなぜかふと思い出した。
「そうか…。そう…かもね…」
私の人生は、偶然や幸運、はたまた奇跡に類するような極めて稀なことばかりだったのかもしれないが、その結果、人の想いの強さが願いを叶えるほどの力を持っていることを、私は人生経験の中で知ることとなった。
そんな私だからこそ、芽衣の言葉を否定することは出来なかった。
「きっとイノちゃんは見つかる。私たちがこれだけ全力で探してるなら楽勝」
「そうですの!その意気ですの!絶対に見つけますの!!」
行き交う人々へと視線を戻し、私は監視を再開する。
そして、小さく呟いた。
「…ありがとう」
祈莉は遠く離れている場所に居るわけでもないし、近くに居ることまでは判っている。
前向きに考えれば、簡単に逢うことの出来ない遠い国や、宇宙や天国、異世界に居るようなことなんかに比べたら、逢えないほうがよほど不自然なのではないかとさえ思えてくる距離だろう。
それだというのに、私は諦め半分の弱音を吐いてしまった。
だからこそ芽衣は、逢えないと諦めているうちは逢えないのだと私に伝え、私を励まそうとしたのだろう。
「えっ…?春希さん…今何か仰いましたの?」
「いや、なんでもな…――ん?」
監視を再開した直後、スマホが振動した。
それを取り出して通知を確認すると同時に、うな垂れるようにその場にしゃがみ込んだ。
「春希…さん…?」
私は長いため息を吐いたあと、口を開く。
「…見つかったって。イノちゃん」
「ほ、本当ですの!?よ、良かったですの…」
雨からの報告によれば、同じ建物の最上階に位置する水族館で発見されたらしい。
当人の証言によると、「上の方から魚の声がして気になったから」と語っていたそうだが、その話はややこしくなりそうなので芽衣の前では割愛した。
「く・び・わ・つ・け・て・お・く・よ・う・に…っと」
私が入り口で待っていることを付け加えて返信すると、雨から「りょ」という一言とともに、敬礼する犬のスタンプが送られてきた。
「なんか、安心したらどっと疲れた…」
「私もですの…」
芽衣も崩れ落ちるように、その場にしゃがみ込んだ。
「…あ」
私はすぐさま立ち上がり、リュックを手早く背負い直す。
「…ちょっと用事思い出した。ここで待ってて」
「はい、ですの…?」
…
「お待たせ」
「あっ…春希さん。どちらへ行かれていたのですか?」
「これ買ってた」
まだ雨たちが合流していないことを確認すると、私はリュックを漁り、一冊の本を取り出す。
それを芽衣に眼前に差し出すと、芽衣は戸惑った様子でその本をジッと見つめながら硬直した。
「こ、これ…は…」
「芽衣にあげようと思って。なんか物欲しそうに見てたから」
私が手に取るよう促すと、芽衣は促されるままに震える手でそれを受け取った。
その本は私も見たことの無い魔法少女のキャラクターが全面に描かれている同人誌であり、先ほど芽衣が熱視線を送っていたそれそのものだった。
「…この前の旅行で気付いたんだ。私って芽衣のことあんまり知らないって。だから、芽衣が好きな食べ物とか、喜びそうなものも全然思いつかなかった。でも、さっきの反応を見てコレだと思った」
芽衣はあまり趣味や趣向を自分から語るほうではないし、私も積極的に芽衣のプライベートを掘り下げるような真似はして来なかったが、それは私が夏那と距離を置いてきた五年間と何も変わらないのだと自覚してしまった。
そして幸か不幸か、芽衣が好きなものに向ける視線だけは、私自身が一番良く知っていた。
だからこそ、この本が今という状況を変えるきっかけになるのではと、私は直感的に感じたのだと思う。
「そういうこと…でしたの…」
そう呟くと、芽衣はなぜか憂うような笑みを浮かべながら、その本をまじまじと眺めていた。
だがそんな笑顔も束の間に、俯いて黙り込んでしまった。
「え…?もしかして、勘違いだった…とか…?」
私の言葉を否定するように、芽衣は首を大きく横に振った。
「いえ、違いますの…。確かに、この本は気になっていましたの…。それに、春希さんのお気持ちはすごく嬉しいですの。ですが、プレゼントを頂けるようなことを私は何もしていませんの。だから、私がこれを受け取ってしまうわけには――」
本を突き返すように私に押し付けると、芽衣はそっぽを向いてしまった。
「…そんなこと無い。私は色々迷惑掛けてきたって自覚はある。だから、芽衣にはこれを受け取る権利がある。本人が言ってるんだから間違いない」
二ヶ月という短い時間の中で、どこか説得力のある言葉たちに励まされ、小さな気配りの一つ一つに私は度々救われた。
そして先程も、祈莉を連れて来たことの責任を感じている私を元気付けるため、芽衣はわざわざあんな話をしたのだということを私は知っている。
だからこそ、私はその想いに応え、私の想いを形にしたかった。
「ですが…」
「まあそれでも芽衣がいらないって言うのなら、迷惑だろうから私が持って帰るけど…」
「迷惑だなんてそんなこと…――って…も、持って…帰る…?ということは…――」
芽衣は何か考え事をするように首を傾げながら顔を上げた。
冷静に考えてみれば、日頃の感謝の想いとして同人誌を渡すというのも正気を疑われてもおかしくないし、本人が嫌だと言うのであれば、それもまた致し方ないと言える。
今度また改めて、本人が気に入りそうなものを用意するほか無いのだろうと、私はそれをリュックに戻そうとする。
「――あ!居た居た!迷子の子猫ちゃん捕まえてきたぞー?」
「にゃーん」
遠くから雨と祈莉の声が聞こえたかと思うと、芽衣は慌てた様子で振り返った。
「そそそ、それならこういうのはいかがですの!?私が暫くの間お預かりして、読み終えたら春希さんにお返しするというのはどうでしょう!?」
「…?ま、まあそれは別にいいけど――ってあれ…?」
気がつくと私の手にあったはずの同人誌は忽然と姿を消し、走り去ろうとする芽衣の手に渡っていた。
「それではお借りしますの!」
「…そんなに読みたかったなら、素直に貰ってくれればいいのに」
◇
◆6月17日 午後5時40分◆
「さすがに今日は解散だよな…」
休日ということもあり、夕刻とはいえまだまだ活気に満ち溢れている駅前ではあったものの、既に休日を満喫しきった私たち五人は疲れの色を隠しきれず、早くも別れの挨拶を各々にはじめていた。
「そうですか。それでは、私はここで」
「では、私もこちらで失礼しますの」
雹果は礼儀正しく深々と礼をしたかと思うとなぜか意気揚々と立ち去り、芽衣もまた軽く会釈しながら背を向け、二人は別々の方向へと向かっていった。
残された私たち三人は、二人の姿が見えなくなるまでそれを見届ける。
「さーってと…。私たちも帰りますかー」
雨は背伸びをしながら踵を返し、その後を追従するように私と祈莉も歩みを進める。
すると、祈莉が突然私に耳打ちをしてきた。
「チーちゃん。今日はありがとうございました」
「…!?」
突然顔を近付けられたこともそうだったが、その言葉の意味を理解できなかったことも私が動揺する一因となった。
「あ。そういえば、イノは今どこに住んでるの?一人暮らしじゃないんだろ?やっぱり、前の家?」
前を歩いていたため、私たちのやりとりを知らない雨が何気なく問い掛けると、祈莉は考えるように空を見上げた。
「さあ…?私のおうちはどこなのでしょう…?」
「ははは…。だから迷子の子猫ちゃんかっての…。冗談はもう勘弁――」
雨の言葉に祈莉は首を傾げ、不思議なものを見るような目で見つめ返していた。
「う~ん…?あれ…?え~っと、待て待て待て…。もしかして、本気で言ってたり…?」
雨が半信半疑といった様子で問いかけると、祈莉は満面の笑みを浮かべた。
「冗談です♪」
私と雨の二人は、ホッと胸を撫で下ろした。
「――でも、帰り道はあまり覚えていません♪」
私と雨の二人は、ガックリと肩を落とした。
「はぁ~…。仕方ない…。とりま、スマホ貸して。家に連絡するから…」
「どうぞ」
雨が手を差し出すと、祈莉は迷う様子も無くスマホを手渡した。
「ちょっと向こうで電話してくるわ。ここだと雑音すごいし」
私と祈莉を残して雨が離れていったことを確認すると、私はこれ好機とばかりに問い掛ける。
「ねえ。さっきの“ありがとう”って、どういう意味…?」
「“ありがとう”というのは、感謝していますよという意味ですよ?あ。英語で言うとサンキューです♪」
予想外のマジレスをされ、私は慌てて取り繕う。
「あー、いや…さすがにそれは知ってるから…。どうして私にって意味」
今回の件で私がしたことといえば、休日だというのに皆を無理やりに連れ出し、その労力を借りて同人誌集めをさせたことと、祈莉を迷子にしてしまい、皆に迷惑を掛けてしまったことくらいだろう。
それらのことを考えても、祈莉から感謝される要因など一つも無かった。
「どうしてもなにも、生徒会に馴染めない私のために、皆さんと交流する機会を作っていただけたのでしょう?」
予想外の言葉に、私の心臓は大きく脈打った。
「…どうしてそう思うの?」
「チーちゃんは昔から、自分のためだけに行動するようなことはありませんでした。ですから、今回のお誘いにはきっと何かしらの理由があるのだと最初から感じていました。他の方々ならまだしも、私のことを誘った理由となりますと、そのような理由しか思いつきませんでした」
動物の言葉を聞くことが出来ることもあってか、祈莉には相手の所作だけで心情や体調を敏感に感じ取る特殊能力めいたものが備わっている。
それは私の目よりも、よほど正確だと言える精度のものだった。
それ故に、私は全てを隠し通すことは出来ないと判断し、自分の考えを素直に打ち明けることにした。
「…正解。私とあーちゃんは昔からの付き合いだけど、他の人たちは違う。芽衣や雹果ともあまりいい雰囲気じゃないみたいだったし、少しでもイノちゃんが今の環境に馴染める手助けが出来ればと思ってた。だから、今日のイベントはいい口実だった。せっかく前みたいに三人揃ったのに、ちょっと入ってきた時期が違ってるってだけで打ち解けられずにいるなんて可哀想だし、イノちゃんには私みたいな経験はして欲しくな――」
次の瞬間、布擦れの音ともに、私の体は懐かしい匂いと暖かい感触に覆われた。
それはまるで条件反射や刷り込みのように、私の抵抗する意思を奪った。
「生徒会に入るよう私を誘ってくれたことも、今日のことも、全部私に寂しい想いをさせないため…。自分のようになって欲しくないと考えていたのですよね…?」
私は少し考えたあと、肯定するようにゆっくりと頷く。
「ありがとうございます…。それと――ごめんなさい…。チーちゃんが大事なときにそばに居てあげられなくて…。ずっと、そのことを誤りたかった…」
そう呟いた祈莉の腕は震えながらも、離さないと言わんばかりに一層締め付けを強くしていた。
「あれはイノちゃんのせいじゃないし、誰のせいでもない。まして、謝られる理由もない。私がこうして立っていられるのは、あーちゃんやイノちゃんが居たからだし、感謝するのは私のほうなんだ」
強く握られたその手をそっと解き、私はその顔を見上げる。
「それでも…。ごめんなさい…」
「顔、凄いことになってる」
その頬は傾きかけた夕日を反射し、目尻から口元までを茜色に輝かせていた。
私はポケットからハンカチを取り出し、その顔を丁寧に拭っていった。
「すみません…。お見苦しいものを見せてしまいました…。少し、顔を洗ってきます…」
そう告げると、祈莉は近くのお手洗いに向かって走って行った。
「あ…。また迷子になったり…」
私が一抹の不安に駆られていると、夕日を遮る大きな影が私を覆った。
「――お嬢さん」
背後から声を掛けられて慌てて振り返ると、そこには人柄の良さそうな金髪長身男性の姿があった。
「少しお話、よろしいですか?」