第26話 魔法少女は束の間で。(2)
◆6月17日 午前7時25分◆
「皆さん朝がお早いのですねー」
「すごい人の数ですの…!」
通り道を覆い尽くさんばかりの人間が立ち並ぶ長蛇の列を前にして、芽衣は周囲をキョロキョロ見渡しながら、好奇心に満ち満ちた声を上げた。
「これって上にある水族館に並んでるってわけじゃないんだろ…?とりま、説明プリーズ…」
対して雨は、頭を抱えながら小さく手を挙げた。
「シャイニングクリエイション――通称・シャニクリ…。ここは数多の欲望が渦巻く神聖な場所なのです…」
まるで教祖が神の教えを説くように、雹果は穏やかな口調で雨に告げる。
「欲望なのに、神聖…?どゆこと…?わからん…」
「邪教徒の方々…?」
「神聖…欲望…邪教徒…。言い得て妙だが、否定も出来ない…」
周囲を見渡すと、尋常ではない負の感情が大気にまで満ち満ちているのが窺えた。
それらはストレスを視覚化したようなものではあるものの、まるで敬虔な信者や修行僧のように、列を乱したり騒ぐような輩は一人として存在しなかった。
私たちもそれに倣うように、五人で肩を並べながらその列に並んでいるのだった。
「一般的な言い方をすると、同人誌即売会。もっとわかりやすく言うなら、本のフリーマーケットが近いかも」
「同人誌…即売会…?フリーマーケット…?」
私と雹果はほぼ同時に頷く。
「あ、そうだった。これが宝の地図」
私は事前に用意していた会場内の地図を、雨と芽衣に手渡す。
「宝の地図…ですの…?」
「あーちゃんたちには、これからソルジャ…じゃなくて、トレジャーハンターになって宝の地図に描かれた場所に行き、宝を集めるためにこの建物の中を縦横無尽に駆け抜けてもらう」
「んー…?アトラクションとかオリエンテーリングってこと…?つか、今ソルジャーって言おうとしなかったか…?」
「気のせい」
「え~っと…つまり、こちらの建物の中で販売されている本を、この地図を頼りに私たちがそれぞれ購入してくる…ということですの?」
あまりにも察しの良すぎる芽衣の発言に、私は肯定の意と称賛の拍手を贈る。
「そういうことか…。人手が欲しいって言うから、私はてっきり力仕事だと思ってたんだけど…。まあ、これなら楽勝っぽいな?」
「ズビシッ!」という効果音が出そうなほどの振りかぶりで、私は雨を指差す。
「甘いな、あーちゃん。販売数にも限りはあるし、敵は待ってくれない。効率的に回らなければ戦果ナシなんてこともこの世界ではザラ。言うなればここは戦場だ」
「敵…戦場…それに戦果ナシ…?これだけあって…?だから、ここにいる人たちはこんなに朝早くから並んでんのか…」
雨は目を閉じ、数度頷いたあと、瞳を大きく開いた。
「良いじゃん…。これってようするに“速さ勝負”ってわけっしょ?」
私は頷き返す。
「上等。速さなら私は負けるつもりはないし」
雨が本調子になるようテンションを上げさせることに成功できたところで、私は話を本題に切り替える。
「さて、あーちゃんも本気になってくれたことだし…。雹果は自分の買いたいものがあるだろうから単独行動として、あーちゃんと芽衣は初心者だし、イノちゃんは迷子になりそうだから、二手に分かれようかと思う。私はイノちゃんと一緒に行くとして、あーちゃんと芽衣が…」
私が言い終える前に、祈莉は私の腕に手を回し、体をくっつけてきた。
「それでは、エスコートお願いします。チーちゃん♪」
「お…おい…そんなに引っ付くなって…」
「この感覚、懐かしいですね…。昔もこうして、チーちゃんをぎゅっと…」
そうしていると、私と祈莉の間に芽衣が割り込んだ。
「エスコートなら私や雨さんも出来ますの。ここはジャンケンで組み合わせを決めませんの?」
そう提案する芽衣の表情はいつも通りには見えるものの、私にはどこかいつもと違うように見えた。
それを言葉に表すのなら、いつもの余裕が感じられないという表現が正しいのかもしれない。
「そうですか?私はかまいませんが…?」
「はぁ~…。ま~たやってる…」
「また…って、どういうこと…?」
二人の間にただならぬ何かを感じ取った私は、その場をおさめるために仕方なく口を開く。
「よ…よくわかんないけど、わかった。それじゃ、ジャンケンで決めよう」
◇
◆6月17日 午前11時5分◆
休憩スペースで合流した私と雨の二人は、戦果を確認しながらベンチに腰掛けていた。
「お疲れ」
私は功労者に報いるべく、予め持参していた飲料水をリュックから取り出し、それを手渡す。
「サンキュー。しかし、マジこんなハードな運動だとは思ってなかったわ…。でもま、任務はコンプリートしたし、私としては満足」
その発言通り、開場からすぐに売り切れてしまうような大手サークルのものも含め、雨は私の宝の地図に印した宝を全てゲットしてきていた。
私はその結果に驚くと同時に、新しい武器を手に入れた時のように上機嫌になっていた。
「じゃあ、次もヨロシク。今回のは前哨戦で、夏にはもっと大きい舞台が待っているから」
そう告げると、雨は口に含みかけていた飲み物を、口端から零す。
「ぶ…!は…はぁ…?これより大きいだって!?ま、マジか…」
私も自分の飲料水を口に含み、一息つく。
「あっちの二人はどうしてるんだろうな…。ちょっと気になるな…」
私は気になるというその言葉を耳にすると、二人のことについて聞かなければいけないことをふと思い出した。
「そうだった。聞きたかったんだけど、もしかしてあの二人って仲悪いの?」
私の言葉に、雨は眉をひそめた。
「…はぁ?あの二人って、芽衣と祈莉のこと?てか、チーがそれを聞くか?」
「聞くとなにかマズイの?」
芽衣と祈莉の二人が先ほどのようなやりとりをしている状況を、私は何度か見掛けたことがあった。
だが、口論や直接的な喧嘩をするでもなく、傍から見ればただの会話にしか見えないため、私はお互い初対面同士で少しギクシャクしているだけなのだと勘違いしていた。
しかし、今日のやりとりを見た限り、どちらかというと判り合った間柄同士のちょっとした摩擦という表現のほうが近いと感じた。
「んー…まあなんというか…。あの二人は色々と似てるんだと思う。同族嫌悪っていうの?だから反発しあってるってかんじ?」
私は雨の言葉に心底納得した。
「なるほど…。二人とも育ちの良いお嬢様っぽいし、貴族同士のプライド的なものがあるのかもしれない…。私にはそういうの判らないけど」
貴族というくくりの中に階級が存在していて、その中でも上下関係が存在していると聞く。
同じ階級の貴族同士であれば仲良くする――なんてこともなく、そこには派閥による対立や領土を巡る覇権争い、上流階級の令嬢との婚姻を勝ち取るための世継ぎ争いといった、様々な争いが水面下で行われているらしい。
この時代にそんな浮世離れしたことがあるのかどうかは私の知るところではないし、二人がそれに当てはまるのかどうかも定かではないが、ただ言えることは、二人にはプライドのようなものがあり、それを貫こうとしている互いの意志があるということと、私がそこに水を差すのはお門違いということだろう。
「たぶん、そういうんじゃないだろうけどなー…って、アレ…?芽衣から通知が来てる…ナニナニ…」
雨は何気なくスマホを眺め始めたかと思うと、やがてそれ見つめながら石像のように固まってしまった。
「どうしたの、あーちゃん?」
暫くしても動き出さない雨の様子を不審に思って私が問うと、雨はようやく正気を取り戻したように私の方を向いた。
「や…ヤバいぞチー…。緊急事態だ…」
「緊急事態…?」
「イノがはぐれたっぽい…」
その瞬間、私は耳を疑った。
そして、一瞬だけ気が遠退く感覚を覚えた。
「だ、大丈夫か!?チー!?」
「はっ…!?い、イノちゃんが…はぐれたって…?まさか、そんな…。それは緊急事態……いや、これはもう事件だ…!!」
「前みたいなのはマジ勘弁だし、放っておいたらマジで手遅れになる…」
私と雨は同時に頷く。
「今の私たちに出来ることをやろう。とりま、状況の整理から」
私は館内マップを取り出し、それをベンチに広げる。
「こっちが芽衣たちの向かった区画。それほど時間が経っていないなら、まだこの周辺に居るハズ」
「結構広いな…。探すにしても、何の当ても無くってのはムズいだろうし…。今のイノはスマホ持ってるから、前みたいなことにはならないんじゃないか…?」
私はすぐにその淡い希望を一刀両断する。
「いや。スマホがあっても、本人が地図を読めないし、付け加えるなら機械音痴でもある。道に迷ったとしても、なんでも他人任せにしてしまう節があるから、逆にそういうものに頼ったりはしないだろうな」
方向音痴には色々と種類があるらしいのだが、祈莉の場合は自分の居る場所の特徴を正確に記憶することが苦手なうえに地図が読めず、それに加えて機械音痴も併発しているという惨状だった。
しかし、当人には道に迷うことに対しての危機意識はまったくなく、楽観的に考えてしまう思考回路も相まって、方向音痴の化身と相成っている。
彼女をそんな状態にしてしまったのは全て、あの魔法が原因なのだろう。
「つまり、むこうから合流させるのは絶望的ってわけね…。となると、イノがどう動くかを予測して先回りするしかないか」
「そうは言っても、ここには動物も居ないだろうから、放っておいたら確実に外に出るだろうし、そうなったらもう探しようがなくなる…」
以前、林間学校で山を訪れた際、祈莉が迷子になったことがあった。
同じ班だった私たち二人もすぐに見つかるだろうと思っていたのだが発見には至らず、教師たちに報告してからはあれよあれよという間に行方不明扱いになり、捜索願が出されるほどの大事になってしまった。
テレビでは連日報道され、警察が事件性を疑う事態にも発展しかけたが、行方不明になってから三日が経過した後、祈莉はひょっこりと家に姿を現した。
本人曰く、道に迷ったので魔法で動物たちの声を聞きながら、自分の足で帰ってきたそうだ。
何事もなく無事でいたことは喜ぶべきことだったが、私と雨は二度とこんな事態にならないようにと祈莉からは極力目を離さないよう注意を払っていた時期もあった。
だが、数年という月日が経過したことで、私たちは確実に油断をしていた。
「動物か…動物…。いや…待てよ…」
雨は顔を上げ、何か思いついたように突然立ち上がる。
「チー!動物って、動く生き物ならなんでも動物なんだよな?」
「そうだと思うけど…?突然なに…?」
そして、建物の奥へと一目散に駆け出した。
「荷物お願い!私、ちょっと心当たりがあるから探しに行って来るわ!!」
「お…おう…?」
私は人混みに紛れてゆく背中が見えなくなるまで、視線で追っていた。
「あ。もしかして、ああいうところが似てるってこと…?」
◇
◆6月17日 午前11時25分◆
「芽衣…?」
「あっ!!春希さん!!」
私が芽衣の姿に気が付くと、芽衣もこちらに気付いて駆け寄ってきた。
「イノちゃんとはぐれたって聞いたけど、その後は?」
「いえ、まだ…。私も探しているところですの…」
「そっか…」
既に祈莉を発見していたから、報告のために芽衣がこの区画に来た――などと淡い期待を抱いてしまった自分を恥じながら、私は気を取り直すように自分の顔を数回叩く。
「少し目を離していたら、どこかにいかれてしまって…。私どうしたらいいのか…!」
まるで迷子になった子供を捜す親のような口ぶりで、芽衣はオドオドしながら心ここにあらずといった様子で答えた。
大層不安そうな様子を見兼ね、私は芽衣の手を取って握った。
「は…春希…さん?」
「別に芽衣のせいじゃないから。これは全部私のせい。みんなを無理やり連れてきたのは私だから」
祈莉を誘ったのは私であるということも勿論あるものの、祈莉がすぐに行方不明になってしまうほどの方向音痴であると知りながらも、このような人の多い場所に連れて来てしまったことは、間違いなく私の過失と呼べるものだった。
つまり、芽衣が責任を感じる必要などこれっぽっちも無く、その何倍もの責任を私が負うべきなのは明らかであり、確定事項だった。
「いえ…。私が組み合わせに変えようなんて言い出さなければこんなことには…!」
私は芽衣の手を両手で強く握る。
「いーから。今は考えても仕方ない。あーちゃんが心当たりを探しに行ってくれてるけど、こうしていても気が晴れないっていうなら、とりまこの区画を一緒に探してくれない?」
「は…はい…ですの…」
私が芽衣の手を引いて会場内を進もうとすると、私の足は自然と止まった。
その理由は、私が手を引こうとも芽衣がピクリとも動かなくなってしまったからだった。
「芽衣…?」
振り返って声を掛けたものの反応は無く、ただただ一点だけを見つめ、まるで音が耳を通り抜けているかのようだった。
気になって近寄ると、芽衣はとあるブースの前に陳列されていた一冊の本を凝視しながら、聞き取るのも難しいほどの小声で呪文のような何かを呟いていた。
「こ…これは…。あの…きの……もしか…マジ…キャプ…メ…げん…」
「おーい?」
音や声がダメならと、私は再び芽衣の手を強く何度も引っ張る。
すると芽衣は、まるで眠りから覚めたように瞬きを何度かしたあと、私の顔を真正面に捉え、慌てた様子を見せた。
「あ…!?ここ…これはその…!?な、なんでもありませんの!!早く、祈莉さんを探しますの!!」
「…あ、ちょっ…?」
今度は芽衣が私の手を引っ張り、私は引き摺られる犬のように歩かされることになった。