第26話 魔法少女は束の間で。(1)
◆6月24日 午後7時◆
電子音の鳴り響く音、人の喧騒、そして薬品のような匂いが、朦朧とする私の意識を覚醒させた。
瞼を開いたものの、視界は霞がかったようにぼやけ、天井らしき白い壁が目の前にあるということだけしか情報は得られず、ここがどこなのかも、どうして私はここにいて、ここで何が起きているのかを理解することまでは叶わなかった。
周囲を見渡そうにも、まるで首が思うように動かず、私は仕方なく視線だけを横に向ける。
すると、隣に並ぶベッドを取り囲む、白い服を着た人々が視界に入った。
その人たちは忙しなく動き回り、慌しい様子が伺えたので、私は何かあったのかとそちらに注視する。
そうしているうちに、私の脳はようやく本来の機能を取り戻しはじめ、やがて私は自分の置かれている状況を理解しはじめた。
――そう…だ…。
私は条件反射のように飛び起きて、隣のベットに向けて手を伸ばそうとする。
しかし、私の体は私の意思を拒むように、ピクリとも動く様子はなかった。
「ぁ…ぅあ…」
まるで首輪で締め付けられているかのように、言葉に出そうとした声すら、私の思うようにはならなかった。
辛うじて動く右半身を使ってなんとか上体を起こすも、私の腕は自分の体を支えきれずに転がり落ち、床に背中を打ち付けた。
こちらの様子に気がついた何人かの白い服の人たちが私に駆け寄ってきたが、私は振り払うように暴れながら、自力で這いつくばりながら隣のベッドを目指す。
「…ぅああー!!!」
もう言葉を伝えられないなんて思いはしたくない――そんな私の想いを嘲笑うかのように、私の体は自由に動かず、声を発することすらままならなかった。
「――!?」
私がようやくベッドの手すりに手を掛けた直後、その異変は起こった。
突如として、淡くぼんやりとした光を放つ炎のようなものがベッドの真上に出現し、それは幻想的な輝きを放ちながら空中を漂い、ベッドの周りを旋回しはじめた。
私はその穏やかで温かな光に惹かれるように、無意識にそれを掴もうと右手を伸ばそうとしたものの、半身だけではバランスを維持することが出来ず、体勢を崩して床に倒れこむ。
そうしている間に、炎は螺旋を描きながら部屋の天井付近まで上昇した。
私が「待って」と心の中で叫んだその直後、炎は一瞬だけ強く燃え盛るような強い光を放った。
しかし、まるで蝋燭の火が消えるかのように静かに燃え尽き、やがて空気中に掻き消えた。
私は呆然とそれを見つめていた。
私の手は動かない。
声も出せない。
そして、私の気持ちすら、もうその人へと届くことはない。
今の私には、この想いを涙に変えることしか許されていなかった。
◇
◆6月15日 午後3時30分◆
――コンコン。
扉を叩く音がしたあと、軋むような音が室内へと鳴り響き、視線が一点に向けられる。
「あれ?皆もう揃ってる?」
黒髪眼鏡の女生徒が顔を覗かせると、扉をゆっくり閉め、所定のソファーに腰を下ろす。
「こんにちわですの。いつもなら一番最初ですのに、何かありましたの?」
「いいや、なんもないよ。普通に日直」
そのやりとりを背中越しで聞いていた私は座っていた椅子を回転させ、大きなテーブルに両肘を付き、そして遅れて来た人物を眼鏡の奥から睨み付ける。
「…遅れるのなら連絡を入れるのが社会人の常識。少し自覚が足りないんじゃないのかね?五月くん?」
「そりゃすみませんでした…――って、チー…。あんた、ナニやってんの…?つか、その口調と態度はナニ…?わりとウザみがスゴいけど?」
「何か不満でも?」
私が眼鏡の位置を整えながら答えると、雨は小さなため息を漏らした。
「はぁ…大アリだよ。てか、誰のモノマネ…?そこはチーの席じゃないだろ…。つか、お前も席を取られたじゃなくて、何とか言ったらどうなんだ?新会長さん?」
新会長と呼ばれた人物は自分に話を振られたことに気付いていなかったらしく、鉢植えに水を差す作業を止めてゆっくり振り返る。
「あ、僕に言いました…?僕は別に構わないですよ?それに、その椅子僕には大きすぎてちょっと落ち着かないんですよねー」
ハーマイオニーはそう言ってニッコリ笑みを浮かべ、鼻歌を歌いながら窓際に並べられた植木鉢の水やりを再開する。
「…だそうだ」
「だそうだ――じゃない。だからって、チーが生徒会長ヅラして座ってるのは意味わかんないし」
私はおもむろに立ち上がり、両手で机を叩く。
「なんとなくやってみたかった!ただそれだけだ!!」
「……は?」
私は咳払いを一つしてから再び椅子に座り直し、自分で椅子を回転させる。
「だって、こんな機会がないと生徒会長ごっこなんて出来ないし」
アニメや漫画の世界では、生徒会長という肩書きを持った人物が多く登場するものの、現実的に見ればその席に就けるのはごく一握りの人間に限られ、普通の人生を送っていたら生徒会長になる機会などまず巡っては来ない。
逆を言えば、手の届かないものだからこそ、そういった役職に憧れを抱いてしまうというのが人の性だと言えるだろうし、私も例に漏れずそういったものに憧れていた一人だった。
「いや…。考えようによっては、事実上の生徒会長は私でハーマイオニーちゃんが影武者なわけだから、私がここに座るのはまったく問題が無いと言って差し支えがないのでは…?」
「んなワケあるかっての。だいたい堂々と影武者って…。せめて参謀くらいにしとけって」
先月の中旬頃、満を持して生徒会役員の立候補者募集が始まった。
私は天草会長と交わした約束を果たすべく、生徒会選挙に立候補しようと意気込み、書類の項目を埋め、意気揚々と担任に提出したのだが、その書類はその場で突き返される羽目となった。
その理由は至極単純だったものの、私は思わず耳を疑った。
申込書類の末節には“一年生が立候補出来る役職は、生徒会長と副会長を除く生徒会役員のみ”と記されており、一年生の私が生徒会長への立候補が認められていないという事実がそのとき発覚した。
世の中の不条理を嘆いた私は心が折れてしまい、泣く泣く立候補を断念した――などといいうことはなく、すぐに次なる作戦を思い立ち、行動に移したのだった。
「参謀かー…。そもそも、学内一頼りなさそうに見える男子であるハーマイオニーちゃんを、生徒会選挙で勝てるまでに私がプロディースしたんだから、この椅子くらい私のモノにしてもバチは当たらないと思うんだけど…?」
「学校一頼りないって、男としては地味に傷つきますねー…。あんなことまでさせられたのに…。というか、もうその名前で呼ばないでくださいよー…」
私が天草会長との約束を果たすために、この生徒会室という場所を守るのであれば、私が生徒会に入り、内部からコントロールするしか方法はないと考えていた。
しかし、よくよく考えてもみれば、私が生徒会長である必要性はなかった。
私が一年生で生徒会長に立候補出来ないのであれば、二年生の誰かを生徒会長に立候補させれば良く、その人物に生徒会役員として入れてもらうなりすれば事足りるということに気付いた私は、条件の合うハーマイオニーと雨の二人に白羽の矢を立てた。
雨は運動神経の良さと堂々とした立ち振舞いが出来た性格もあり、本人に自覚は無かったものの周囲からは姉貴分として慕われていた。
一方、ハーマイオニーも温厚な物腰と実直さで同性人気も高く、その守りたくなるようなビジュアルから、女性の隠れファンも多数付いていた。
私はそれらの層を選挙の武器に出来ると考え、二人を生徒会長に立候補させた上で、双方を裏でプロディースし、最終的に生徒会へ潜り込み、その実権を手中に収めようと画策したのだった。
その間に選挙演説やらコスプレ勝負やら、票数獲得のために色々なことをやらせたりしたが、開票の結果、他の立候補者から抜きん出た票数を二人は獲得し、最終的にはハーマイオニーが僅差で生徒会長の座を獲得することとなった。
「こんな面子に任せて大丈夫なのか、この学校は…?」
水やりを終えると、ハーマイオニーは雨の斜め向かいのソファーに腰掛けた。
「心配は要りませんよ。花咲さんの言う通り、僕だけでは生徒会長なんて大役が務まるとは思えませんけど、生徒会長になってしまった以上、僕は責任をもって務められるよう努力しますから」
「…へぇ。意外と生徒会長の自覚、芽生えてるじゃん?」
「そうですか…?まあ、最初は冗談だと思って引き受けましたけど、まさか本当に生徒会長にされちゃうとは思ってもみませんでしたけどね…?はははは…」
その一言で、雨の表情が一瞬にして曇る。
「それなら私だって、まさかアンタに負けるとは思ってなかったけどねー…」
雨はひと際大きなため息を吐いて、ソファーに仰け反ったかと思うと、ハーマイオニーのことを横目でジッと見つめた。
「えっ…?あ…あれっ…?五月さん、選挙のことまだ根に持ってます…?」
「さーあねー…」
雨は自分の髪の毛先を眺めながら、イジけるようにそっぽを向き、部屋になんともいえない空気と静寂が訪れた。
私はため息を一つ吐き、仕方なく口を開く。
「…私はその髪の色と眼鏡良いと思うけど。前のあーちゃんに戻ったみたいで」
そう呟くと、雨は飛び起きるように上体を戻した。
「私もそう思いますの!今の雨さんも新鮮ですの!!」
「そ、そう…かな…?」
少しだけ機嫌が戻ったことを確認し、私はここぞというタイミングで切り出す。
「まあ、雑談はこれくらいにして…。まだ一人来てないけど時間も押してるし、今日の議題を進めよう」
…
「ここ最近になって、駅や学校の周辺で不審者が現れるらしいですの。当校でもその方に遭遇した人が何人かいらっしゃると伺っていますの」
芽衣が淡々と説明を述べ、各員のスマホ端末に資料を転送すると、私のスマホ端末にも文字情報と地図が表示された。
「この赤いのが目撃された場所か…。うちの近所にも出てるみたいだな…」
赤い円は周辺地域一帯に点々と印されており、駅や公園、学校といった人の集まりそうな場所に集中しているように見えた。
「その不審者ってやつ、どんな特徴とか判ってるの?」
私が芽衣に質問を返すと、芽衣は待っていましたと言わんばかりにハキハキと答える。
「報告された内容ですと、20代から30代くらいの男性という話ですの。当校で声を掛けられた方々もすぐに怪しんで逃げてしまったらしいので、それ以上の情報は――」
芽衣がそう言いかけると、ハーマイオニーが手を挙げる。
「あ、それなら僕知ってますよ。年齢は情報のとおりで、金髪なんですけどチャラいとかじゃなくて、背筋がピンと伸びた外国人に見えました。背の低い小学生か中学生くらいの女の子を中心に誰彼構わず声を掛けていたみたいでしたよ?」
私はその言葉に違和感を覚えつつも、黙って話を聞く。
「金髪の外国人…?旅行客が道を聞いてるとかじゃないのか、ソレ…?ちな、なんて声を掛けられるんだ?」
一同の視線がハーマイオニーへと集中すると、ハーマイオニーは戸惑った様子で答える。
「『魔法や魔法少女を知っていますか?』って聞かれ……るそうです」
部屋の空気が一瞬だけ凍りついたのを、私は感じとった。
「…それはもしや怪談話ですか?」
今までずっと黙していた人物が唐突に口を開き、話題に興味を示した。
「雹果…。一応聞いてたんだな…」
目を閉じながら一言も喋らずにじっとしていたので、私はてっきり寝ているものだと思っていた。
「か…怪談!?」
私の驚きとは別のことで雨が動揺を見せるも、私はいつものことかと受け流す。
「聞き間違えとか、オタク文化目当ての旅行客って線が濃厚だろう…。まあ、少なくとも怪談ではない」
私は他人を安易に信じたりはしない。
しかし、正反対のことを言っているように聞こえるが、その人物が子供に声を掛けていたという情報だけで、その人が変質者と決めてかかったりもしない。
マホという名前の行方不明の子供を探している親だったり、マホウ商事を探している可能性だってあるし、もし仮に“魔法”で合っていたとしても、二次元の文化に興味がある外国人という可能性も完全には捨てきれない。
つまり、風の噂や見た目の印象などというものは、どうしても私見や偏見が混じるものであり、事実と乖離していることが多いのも事実なのだ。
それ故に、私はどちらの情報を鵜呑みには出来なかった。
「そう…残念…」
とても残念そうに呟くと、神に最も近い女子は百年の眠りにつくかのように瞼を閉じた。
「相変わらず、自由だな…」
「不思議ですの…」
「えっ…?」
私は思わず声を洩らす。
「あっ…いえ…雹果さんのことではありませんの。道に迷ってるにしても変質者さんだったとしても、ここまで目撃情報が出ていますのに、なぜ警察の方々は動かれていないのでしょうか…?」
私はすかさず相槌を入れる。
「それは、その情報を警察が持っていないからだろう。渡された資料に詳細が書れていないってことは、そこまでの情報が無いってこと。だから、今聞いた情報は、実際に遭遇して声を掛けられた生の証言ってこと」
「ん~…?警察も持っていない…?なんでそんな情報がコイツから出てくるんだ?」
「それは本人に聞けば判る」
「へっ…!?」
私がわざとらしく笑みを浮かべると、それで全てを察したのか、ハーマイオニーは観念した様子で口を割った。
「あー…え~っと…。僕も…その……ナンパされちゃったんですよね…。その人に…」
ハーマイオニーはどこか遠い目をしながら、そう呟く。
すると、雨は堪えきれないといった様子で、腹を抱えて笑い始めた。
「…ぷっ!ははは!!確かに、身長も低いし女の子みたいだもんな!!さっすが、ハーマイオニーちゃん!!」
「わわ、笑わないでくださいよ!?されたくてされたわけじゃないんです!!それと、その名前は学校では禁止ですー!!」
「魔法少女…」
「どうしましたの?春希さん?」
私は気に掛かっていることをとりあえず頭の片隅に追いやり、それを悟られないように自然に振舞う。
「あーえっと…。そう聞かれたとき、私はどうしようかな…なんて思って」
「はぁ?そんなの決まってるだろ。ノーだよ。そんな怪しいヤツ、何されるか判ったもんじゃない」
「ノー…」
物騒な世の中ではあるし、犯罪に繋がる危険性があることも否定は出来ない。
だが、その人が本当に魔法少女のような存在に助けを求めていたとしたらどうだろうか。
当時の私なら、その人を疑ったりはせず、耳を傾け、その人の助けになるよう最大限の努力をしていたのではないだろうか。
そんな考えが、ふと頭の中を過ぎった。
「私たちは、いつからこんな風になったのかな…」
「何…?どうした、急に…?調子悪いのか…?」
私が魔法少女であることは事実であるし、自衛のために嘘を吐くことにも異論はなかった。
だが、私がその人を助けなかった場合、その人の抱えている問題は解決せず、それどころかあらぬ誤解から冤罪を招く結果となり、その人の人生すら捻じ曲げてしまう可能性だってある。
果たして、その選択が正解と呼べるものなのか。
「いや…なんでもない」
今その結論を出す必要は無いと考え、私は気持ちを切り替える。
「芽衣。とりあえず、今出てきた情報は書き留めておいて、来週まで先生や生徒には共有しないでおいて」
「わかりましたの」
…
「今日の議題はここまで」
「それじゃあ僕は園芸部があるので、お先に失礼します」
ハーマイオニーは手早く荷物をまとめると、そそくさと部屋を出て行った。
「あ…」
私が呼び止めようとするも一足遅く、ハーマイオニーの姿は扉の向こうへと吸い込まれた後だった。
「まあいいか…。今度の日曜空いてる人、居る?」
「チーのほうからお誘いなんて珍しい…。何かあるのか?」
私はコクリと頷く。
「ちょっと。私だけじゃ不安だから、もう少し人手が欲しい」
「人手…?まあ、私は空いてるけど…芽衣は?」
「私も大丈夫ですの!というより、春希さんが望むのなら私はどこまでもついて行きますの!!」
そういって芽衣は私の手を握った。
「…さすがにどこまでもは困るから遠慮して欲しい」
どこからこれほど重い感情が湧いてくるのかと、理解に苦しみながらため息を吐く。
「雹果は?」
「…空いています。というか、アレ…ですよね?」
「へぇ…判ってるじゃないか」
私がすかさず手を差し出すと、雹果は阿吽の呼吸で握り返してきた。
雹果の瞳が生き生きと輝いたように見えた。
「…?二人してなにを判り合ってるんだ…?つか、アレ…ってナニ?」
そんな私たちのやり取りを遮るように、室内にその音が鳴り響く。
――コンコン。
「…申し訳ありません。遅れてしまいました。まだ方向感覚が慣れておらず、うっかり反対側の校舎まで行ってしまいました」
その女生徒は、赦免を求める言動とは対照的に、落着いた様子で部屋に足を踏み入れた。
「はぁ…。方向音痴はまだ治ってなかったんだな…」
髪は焦げ茶色のロングストレート、身長は雨よりも少し小さいくらいだが、胸部は芽衣といい勝負をしており、物腰がとても落着いているお姉さんキャラといった印象を受ける。
ひと月遅れでこの学校に転入してきた帰国子女であり、生徒会の六人目の役員でもあるのだが、それだけでは足りていないであろう重要な情報を私は知り得ている。
「祈莉…――いや、イノちゃん」
この人物の名は乾祈莉。
私や雨と同じく、シャイニーレムリィの一人としてダイアクウマと戦った三人目の魔法少女――シャイニー・イアその人だった。