第25話 魔法少女は夜明けで。(4)
◆5月14日 午前5時12分◆
『よっと…』
ノワはケートスから飛び降りるように跳躍する。
そして、空中で猫のように一回転すると、重力などまったく感じさせることなく無音で私の前に着地した。
『キミはその言葉の意味をどこまで理解しているんだい?』
夏那が水族館で母親に再会できたのは偶然ではなく、ケートスが夏那の望みを実現させた結果そうなったと考えられた。
では、夏那の母親はどのようにしてそこに現れたのか。
瞬間移動させられたという可能性もあるにはあるが、慌てた様子などもなかったことからみても可能性は低く、最初からそこに居たと考えるほうが自然だった。
つまり、夏那の母親は何かしらの理由でそこを訪れるように仕向けられた結果、そこに居たことになる。
ここでの問題は、そう仕向けるきっかけになったのが夏那だという事実だった。
「因果を書き換える――それは過去の小さな出来事を改変し、今という現実を自由に変えられるということ…。ケートスには、不慮の事故や運が悪かったと諦めてしまったことや、理不尽な現実すらも思いのままに変えられる力がある…。私はそう考えている」
ある物事を起点として、それが他の何かに影響を与えること――それを因果関係と呼ぶ。
石が足元に転がっていた場合、そこを歩く人は横に避けたり歩幅を変えて跨いだりすることだろうし、有名人が近くでドラマ撮影してるという噂が流れれば、それを耳にした何人かは本来の目的を大きく変えてそこに足を運んだりもするだろう。
人や物が動いたことで、他の何かに影響を与えているという点で、それらには因果関係が成り立っているし、突き詰めて言えば、私たちが生まれた理由やこの地球の森羅万象すべてのものに、因果関係は成り立っているとも言える。
夏那の母親が水族館に足を運ぶよう行動を変えさせたことや、ハーマイオニーが私の糸とは違う方向から突然現れたこと、大剣仮面に斬られそうになった私がこうして無事に生きていること――それら全て、ケートスが夏那の望みを叶えたことで起きた現象だとするのなら、ケートスはそれらの因果関係を現在から過去に遡り、目的の結果に辿り着くように過去を変える力を持っていることになる。
それはつまり、失敗を無かったことにしたり、悪い結果を良い結果に変えることも可能であり、言い換えれば思い通りの未来を創りだすことが可能であることを意味している。
「問題は、お前がその力を手に入れるために私に隠れてケートスの保護をしようとしていたこと。もし最初からその力が目的だったとしたのなら、私はたぶんお前を止めないといけない」
私は目を細め、睨むようにしながらノワに詰め寄る。
『安心して。キミが思っているようなことは何も無いよ?』
子供の見た目にそぐわない、まるで浮気を疑われた彼氏みたいな言い回しをするノワに違和感を覚えながらも、私は威圧感を強めるように眼前まで接近し、その瞳をまっすぐ見つめる。
「…その言葉を信じるほうが難しい」
ノワがケートスの力を手に入れるために画策していたのだとすれば、その目的や動機には心当たりがあった。
今という状況に不満があり、それを変えるチャンスが巡ってきたというのだから、動かない手は無いと考えるのは当然だろうし、その結果に見合うだけの労力と手回しを行ったきたこともそれならば頷ける。
つまり、ノワが束縛を強いられる今という状況を打開するために手練手管を弄していたと考えるほうが最も自然な答えだった。
『僕ってやっぱりキミに嫌われてるんだねー…。あんなに一緒だったのに…』
ノワは私から視線を逸らすと、その場にしゃがみこみ、落ちていた枝で地面の石ころをつっつきはじめた。
以前のノワであれば顔を鷲掴みにして強気に聞き返すところだったが、妙に人間らしくなってしまったノワの行動に私は思わず動揺してしまった。
「うっ…。そ、そういう話はしてないだろ…。信じてもらいたければ、その証拠を…」
『あー。証拠ねー。ケートスくんも僕と同じで、人の心を媒介とする方法でしかその能力を使うことは出来ないし、そうでなければ知覚することすらできない。それも、意識が同調しやすい純粋な心を持った人間にだけ。これでは証拠にはならないかい?』
スイッチが切り替わったようにハキハキと答えたことで、私はその見た目に騙されていたと悟り、さらなる不信感を募らせる結果となった。
「知覚できない…意識が同調…純粋な心…。だから、私とハーマイオニーにケートスは見えなかったし、ケートスを釣る餌にもならなかった…」
ケートスが夏那を選んだ理由があるのなら、それは私やハーマイオニーはおろか、他の誰もが持っていない特殊なものを夏那が持っていたということになる。
子供には見えないものが見えやすいというのは良く聞く話ではあるが、私が魔法少女だということを知っていたとはいえ、その存在を純粋に信じている人間は、幼い子供を除けばそうそう存在はしない。
そして、水族館でサメを見ていたとき、夏那が父親に暴力を振るわれた出来事を思い出していたとしたのなら、ケートスが大剣仮面の襲撃を受けた直後という状況に意識が同調したという理由も、言い分としては頷ける。
「それなら、なんでお前はケートスを惹きつける餌として夏那が使えると考えたんだ…?」
もし、ノワがその状況を作り出そうと画策していたのなら、夏那にケートスと同調できるという強い確証がなければ行動を起こさなかったはず。
そうなると、夏那とほぼ面識の無いノワが、どうやってそれを知ることが出来たのかという疑問が湧く。
『前々から目をつけていたからねー。というか、目をつけられていたと言ったほうが正しいかもー?』
「前々から…?」
そういってからノワが軽くジャンプすると、この世のものとは思えないファンシーな爆発音とともに、その姿は煙に包まれた。
次に私が瞼を開けると、目の前には見慣れている姿に戻ったノワの姿があった。
「なんでいきなり元に…――」
「――あーっ!?」
その直後、ケートスとの遊びを再開していた夏那がこちらの様子に気付き、指を差しながら声を上げたかと思うと、まるで鯉を素手で捕らえるようにノワを拘束し、その体が歪むくらい強く抱きしめた。
「この子は、お姉ちゃんの喋るぬいぐるみ!!やっぱりノワちゃんって、あの妖精さんだったんだー!ナツカワイー!!」
夏那のその様子から、私は全てを悟った。
「…前から見えてたのか」
『そういうことー。あの頃は熱い視線を感じていたよー?』
魔法少女だった当時、ノワは公衆の面前ではぬいぐるみのフリをしてやりすごしていた。
そもそも普通の人間にノワの姿は見えないものの、子供のような純粋な心を持った人間には見える可能性があったため、事前にそうするよう私が決めた。
だが、私が魔法少女であることを知っている夏那が、私が常に持ち歩いているぬいぐるみに疑念を抱いてもおかしくはないし、飛んだり喋ったりしているのを一度でも見られていたとしたなら、魔法少女の英才教育を受けている夏那がそれを妖精だと勘繰るのに、それほど時間は掛からなかったことだろう。
「いや…。それだけじゃ説明にならない。たとえ見えていたとしても、夏那がケートスと同調するとは限らな――」
私はそう言いかけたところで、思わず口を閉ざした。
「そっか…。そういうこと、か…」
私とノワが出会ったきっかけは、私が強く願った想いに反応したノワが私を見つけたからだった。
それはつまり、ノワには“人間の願う想いを感知する力がある”ということになる。
夏那が以前からノワの存在に気付いていたとするのならば、ノワもまた夏那の抱えている想いや願いを以前から知っていたことに他ならない。
「まさか、私よりもお前のほうが妹のことを知っていたとはね…」
私は景観を一望できる位置まで移動すると、その場で大きく息を吐く。
「ノワ。疑って悪かった…ごめん…」
ノワの言っていることは何一つとして間違っていなかったし、状況証拠的に見てもそれが嘘ではないと示している。
私がこれほどまでにノワを疑っていたのは、私の問題であるところが大きいと自分で判ってながらも、それを否定することが出来なかったためだった。
「正直に言うと、私は誰かを信じることに臆病になっているんだ…。信じた先に待っているのが裏切りと失望しかないと、どこかで思っているから」
私が家族旅行に行こうと言い出したのは、母の日があったからという理由はもちろんあるが、雹果や天草会長の件があったからとも言える。
旅行に行けば、もともとバラバラの境遇だった私たち家族に、どういった信頼関係が築かれているのかが見えてくると私は考えていた。
しかし、考えてみればそれすらも理由付けに過ぎなかった。
あの時の私は、その答えが知りたいだけだった。
「でも、それだけじゃないってことを、私は知った。誰かを信じるということは理屈じゃない。信じきった先にしか答えは見つからないって」
私は、自分の指に繋がれた赤い糸を眺めながら答える。
「だから、ノワ。私はお前のことを、もう一度信じてみようと思う」
――夏那は今という時間が幸せだと言っていた。
私にとってもこの現実は幸せと言えるものであり、今という時間を失うことが怖いとさえ思っている。
私と夏那は同じことを考えていた――そう思っていたが、それは根本的に違っていた。
夏那は過去を受け入れ、今という現実を肯定した上でそう言っていた。
だが、私はどうだろうか。
ノワが私の人生を捻じ曲げた張本人であるという事実を、私はどうしても否定することが出来なかった。
結果からみれば、誰が悪いわけでもないということも、頭では理解していた。
だけど、私はノワに対してずっと否定的な感情を抱き、意地を張り続けていた。
しかし、現実を見渡したそのとき、私の考えはわがままで幼稚なことだったと悟った。
今の私の周りには、ノワが居たからこそ得られたものばかりだった。
それなのに、私は傲慢にも、ノワと出会ったからこそ得られた幸せと、出会わなかったことで得られただろう幸せとを天秤にかけ、果たしてどちらが幸せだったのかなどと考えてしまっていた。
そんなこと、神でもない私が判るはずもないのに。
だから、私は決めた。
この世界が私にとって幸せなものであり、正しい形なのであれば、今という幸せが続いている限り、私はノワを信じ、過去を認め、この世界を否定しないと。
私が振り返ると、ノワは再び子供の姿に戻っていた。
『キミがその一歩を踏み出してくれて、僕は安心したよー。キミは自分のことを理解し始めてくれたみたいだねー』
ノワは私の隣に並び立つと、その小さな手を差し出した。
「…?」
『人間は仲直りをするとき、こうするんでしょ?』
ノワは首を傾げながらそう言った。
そして私は少しだけ考えてから、その手を握り返した。
「…生意気」
ノワを認めたからといって、その態度が不愉快だという感情が変わるようなことはなかった。
だが、悪い気がしていない自分に気付いて無性に恥ずかしくなり、私はノワから視線を背けた。
『キミはそのままのキミで居るといいよ。キミが信じるものが多ければ多いほど、それはきっとキミの力になる。これは僕からのアドバイスだよー?』