第25話 魔法少女は夜明けで。(3)
◆5月14日 午前4時50分◆
「ふわぁ~…」
「お姉ちゃん眠そうだねー?」
「そりゃまあ、こんな時間だからなー…」
旅行前の早起きから続く数々のイベントに加え、夜更けの睡眠妨害からの戦闘と、私の身体は酷使され続け、昨夜の私は時計の短針が真上を向く前に寝落ちした。
結果的に身体のほうは普通の状態まで回復していたものの、眠気のほうは早起きしたとき以上のバッドコンディションとなっていた。
「…昨日の今日だけど、夏那は平気なのか?」
「わたし…?私は自然と目が覚めちゃったよー?なんか、無性に体を動かしたくなっちゃって!」
そういって駆け足をする妹を横目に、私はうな垂れるように背を丸める。
「はぁ~…。これが若さか…」
「…?」
…
それから暫くして目的地を視界に捉えると、私は歩幅を狭め速度を落とす。
「あれ…?ここって、この前の公園…?あ!私を連れて来たということは、さてはお姉ちゃんも朝のジョギングに興味が――」
「それは間に合ってるから大丈夫」
「え~…?じゃあ、これから何するの?お散歩?」
「違う」
私が無言で手を差出すと、夏那は数秒間考えた後、なぜか嬉しそうに私の手を握った。
「…?一応、先に忠告しておくけど、物珍しいからって走り回ったりするなよ?」
雹果の前例や、真っ先に海に突っ込んだ前科のことも考え、私は先に釘を刺しておく。
「いくら公園に来たからって、そんなことしないよー?」
「…」
雹果を連れて来たときに判ったことだが、この領域に立ち入ることを許される判断基準は、魔法少女であるかどうかは関係ないと考えられる。
単に一見さんお断りの紹介制ルールみたいなものがあり、どうやら私が同行者を連れてくることは、この場所の主に許可されているというだけのことらしい。
とはいえ、私が連れてこようといまいと、夏那が拒否されることはありえないのだが。
「どうしたの?お姉ちゃん?」
わざわざ変身する必要が無いと判ったことは喜ばしいことだが、ここに閉じ込めた張本人の私がそこまで信用されているということに、違和感を感じざるをえない。
つまり、そこに何かしらの意図があると考えられる。
「…何でもない。行こう」
私は夏那の手をしっかり握り締め、その手を引きながら公園内に足を踏み入れる。
◇
◆5月14日 午前4時57分◆
空を見上げると頭上は枝葉で覆われ、その隙間から零れ落ちる光は早朝とは思えないほど僅かなものとなっており、まるで夜など明けていないかのような暗がりになっていた。
地面に張り巡らされた根を避けるように右往左往し、まるで登山をしているように呼吸を乱しながら歩みを進めて数分後、私たち二人は大樹の麓まで距離を詰めていた。
「しかしまさか、またここに来ることになろうとはな…。というか、なんかこの前よりもでかくなってないか…?」
決別したはずの場所にこう何度も訪れていては、あの時の別れは一体なんだったのかと考え、最終的には思い返すだけで恥ずかしくなってしまう。
「…さっきはごめんなさい」
道すがら、妹は申し訳なさそうに頭を下げていた。
「いいよ。なんとなく予想はしてたし」
案の定、夏那は放たれた犬のように走り回ったあと我を取り戻し、釘を刺されたことを思い出して大反省している真っ最中なのだった。
「ただ、これからは自分の行動に責任を持たないといけない。アイツの飼い主になったんだから」
「アイツ…?飼い主…?あっ!?ブッブーだよ。お姉ちゃん!!」
夏那が私を指差したその直後だった。
夏那のすぐ隣に、何の前触れもなく巨大な影が現れた――というより、最初からそこにいたかのように、姿が見えるようになったというほうが近いかもしれない。
「ぉぅ…びっくりした…。もうちょっとないのか…?こう、現れますよって感じのエフェクトは…」
「…?よく判らないけど、アイツなんて呼び方じゃ可哀想だよー?この子にはちゃんと私が名前を付けてあげたんだから!というわけで、ぱちぱちぱちー!」
夏那が手を叩くと、それを合図とばかりにケートスは宙を旋回しはじめる。
「名前…?ケートスに…?」
「うん!!その名もー…――カイくんです!!」
夏那はドヤ顔で胸を張りながら、そう言い放った。
「カイ…くん…?へぇ…なるほどな。いいんじゃないか?」
ケートスは海獣という意味の言葉でもあり、呼び方によってはカイトスとも発音する。
無論、夏那がそれを知った上で名付けているとは到底思えないが、私は率直に最適な名前であると感じていた。
「ええ~…?それだけ~…?一生懸命考えたのに、どうしてそうなったとかは聞いてくれないの?」
その様子から察するに、あれこれ考えた結果の名前なのだろうが、私にはおおよその見当がついていた。
「形が鯨っぽいところと、自分の夏という字から連想すると、海。だから、音読みでカイ。こんなところ?」
「――!?なんで判るの!?」
「妹の考えることなんてお見通しって言ったろ?まあそれはともかく、夏那はそいつの飼い主なんだから、他人を危険に巻き込まないためにも、お前がしっかりしないと駄目だぞ?」
「は~い…」
◇
◆5月14日 午前5時◆
「ふぅ…。到着…っと」
「ふぇ~…。前はここまで来なかったけど、近くで見るとおっきい樹だねー?上のほうが全然見えないよー?」
妹は某ツリーやらタワーを初めて見上げたときのような感想を口に出しながら、これでもかと言わんばかりに上体を反らしていた。
私はそれに構わず、木の洞に向けて声を掛ける。
「言われたとおり、来てやったぞー。ノワー」
『――こういうときは、ご足労ありがとうございます…だっけ?』
次の瞬間、どこからともなく声が聞こえた。
「わわっ!?」
背後に気配を感じたため、私は二の轍を踏むまいと心を落ち着かせながら振り返る。
「…間違ってないけど気持ちが悪――」
だが、結果的に冷静を保つのは無理だった。
「――誰…?」
そこには、私の半分の身長くらいしかない背丈にボーイッシュなショートヘアをした、まだ年端も行かない子供が立っており、首を傾げながら私のことを見上げていた。
中性的な容姿のためか、男子なのか女子なのかも見た目からはまったく判別できず、色白の肌と白いワンピースが妙に眩しいのが印象的だった。
当然ながら、私の記憶の中にその子の記憶は無いはずなのだが、私はそのやりとりに既視感を抱いていた。
「お姉ちゃん、この子は…?」
「…知らん」
私はなんとなくその正体に勘付いていながらも、思ったことをそのまま口に出した。
『知らないなんて、ひどいなー。もう忘れちゃったの?まあ、ちょうどいいから改めて自己紹介してあげるよ』
その子はその場でくるりと一回転すると、ニッコリ微笑んだ。
『僕はノワ。流れ星の妖精だよ?よろしくね!』
「なるほどー!この子が噂に聞く妖精さんか~…。人間とあんまり変わらないんだねー?よろしくねー?」
『よろしくー』
夏那がノワと名乗る子に手を差し出す。
妖精という単語に疑問をまったく抱いていない夏那に危機感を覚えながらも、私は差し出した手に割り込む。
「…ストップ。その前に、どうしてそうなったかを説明して」
当然ながら、私の知っているノワとは見た目がまったく違うため、私はいつも以上に警戒する。
それがたとえノワであろうとなかろうと、初めて対面する相手に注意を払って観察するのは、どんなことにおいても通ずる基本戦術である。
『もしかして僕、警戒されてる?この姿が原因かい?狐の彼にヒトに擬態すると良いって言われたから、人の姿になってみたんだけど?』
その言葉で少なくともノワであることは証言から確認できたため、私は安堵の息を吐きながら警戒を緩める。
「宇城さん…。あのあと何を話しているかと思えば…。まあ、前の姿よりはだいぶマシになったとは思うけど――」
ノワの正面まで移動して目線を合わせるようにしゃがみこむと、私は眺めるようにその顔を見つめる。
『そんなに見つめられると、てれひゃうひょ~?』
正直な話、生理的に受け付けないあの姿よりは、視覚からの不快感がない分、話がしやすくなっているのは事実だろう。
だが、私がノワに抱いている不信感というやつは、姿形が変わったところですぐに変わるものでもなかったらしく、私は衝動に任せて、その白くて柔らかな両頬を左右に引っ張った。
「――そんな姿だからって容赦はしない。お前には聞かなくちゃいけないことが沢山ある。洗いざらい吐いてもらうから」
『おへやわらはに~』
…
「――おおよそ理解はした。つまり、お前はこの場を動けないから、私やハーマイオニーを利用して同胞であるケートスを助けようとした。そういうこと?」
『簡単に言うとそうなるねー』
ノワと夏那はケートスの背に跨りながら宙をゆらゆらと漂っており、私は樹にもたれかるようにしながらその様子を見守っていた。
「なんで私じゃなく、ハーマイオニーを利用した?」
ノワを束縛する原因を作った私がその行動を否定することはできないし、ケートスという同胞が狙われているのを放っておけないというのも理解はできる。
だが、ハーマイオニーがなぜその作戦に選ばれたのかは未だ謎のままだった。
私の見た限り、ハーマイオニーの様子は完全に操られているというより、弱味に漬け込んで利用されているようにしか見えなかった。
『利用かー。まあそこに間違いはないけど、彼は自分の意思で僕に協力してくれたんだよー?もちろん、一般人である彼を危険な目に遭わせるわけにはいかないから、キミたちをあの場所に誘導するところだけ手伝ってもらったんだけど?』
ハーマイオニーとの接点がどのようにして生まれたのかが気になったものの、私はそのこととは別のことに異を唱える。
「そこがわからない。何で私を誘導する必要がある?そもそもそれだったら、最初から私に頼めば済む話じゃないか」
私にはノワをここに縛り付けてしまった責任があるし、アカガリと戦わせるのであれば戦力的に見ても適任であるとさえ思う。
しかし、ノワは何故かそうしなかった。
つまり、この件に私を関わらせたくない何かがあるのだと私は考えていた。
『キミは勘違いしてるね』
「勘違い…?何を…?」
『キミが巻き込まれたのは偶然かもしれないし、ある意味では必然かもしれない。ケートスくんは一緒に居たはずのキミやハーマイオニーくんには見向きもしなかったでしょ?』
私はその言葉が引っ掛かった。
偶然かもしれないが必然かもしれないというのは、要約すると確率は高いが必ずではない、という意味合いになる。
それが示す答えは、私という存在は必ずしも必要ではなかったということを意味している。
「巻き込まれた…偶然…。それって…」
ケートスは同じ場所に居た私たち三人の中で、迷わず一人を選んだ。
ハーマイオニーは利用されただけで、私は偶然居合わせただけなのだとしたら、誘導されていたのは一体誰なのか。
その答えは既に出ている。
「…私とハーマイオニーは条件を満たしていなかった。だから、別の誰かを用意する必要があった。そこで、夏那がケートスを釣る餌に選ばれた…。だけど、そんなことを馬鹿正直に私に話しても、私がそれを阻止してしまうだろうし、隠しながら誘導しようにも、途中で勘繰られて計画がバレてしまうリスクが高い。だからハーマイオニーには詳細を告げず、私にバレないように行動させていた…。そういうこと?」
『ご明察~』
詳細は判らないが、私やハーマイオニーではケートスの餌となるには不十分だったか、不適合だったのだろう。
つまり私は、最初からそこに偶然居合わせただけの人間だった、ということになる。
だがそれは、事実かもしれないが真実ではない。
「…やっぱり最低だな。お前」
もしも、私が居合わせることがなければ、夏那がアカガリに襲われることになり、単身で逃げることを余儀なくされていたのだろう。
だが、私が近くに居る状況であれば、それを黙って見過ごすワケはない――つまり、そうなることすらも計画に含まれていた。
ノワの言っていた、偶然でありながら必然であった理由が、それなのだろう。
「お姉ちゃん。あんまりノワちゃんを怒らないであげて?」
夏那はケートスの背から飛び降り、難なく着地を決めると、私に駆け寄ってきた。
「…庇い立てする必要なんてない。今はあんな純粋無垢で無害ですよーみたいな顔しているけど、中身は腹黒だし」
『そうかな~?僕のお腹は白いと思うんだけどなー?』
そう言いながらノワはケートスの上に仁王立ちすると、自身のワンピースを捲り上げる。
「ノーパ…――じゃなくて、そういう意味じゃない」
私は見てはいけないものを見た気分になりながら、すぐに視線を逸らした。
「違うの…お姉ちゃん…」
そう呟いた夏那の表情は、思い詰めた様子などではなく、どこか満ち足りたような表情だった。
「違う…?」
「私は今回の旅行でお姉ちゃんと本当の意味で分かり合えたと思うし、お母さんが私のことをすっごく気に掛けてくれてることもわかった…。本当のママとも再会出来たし、カイくんにだって出会えた。今の私はこんなに幸せなんだって胸を張って言えるのは、たぶん今回の件があったからだと思うの。だから――」
夏那が言い終わる前に、私はその頭を撫でる。
「言いたいことはよくわかった。不服ではあるけど、夏那のことをちゃんと知るきっかけをくれたのは事実だし、その点に関してはノワの行動を評価してやってもいい」
自分が幸せな環境に置かれていることを疑問に感じ、そのことを誰にも相談せずに独りで抱え込んでいた妹が、その幸せを素直に受け入れ、そのことを私に笑顔で告げられるくらいまでに変わった。
今回の家族旅行は、それほどの変化を夏那にもたらしていた。
その事実が無価値であったなどと、私が否定できるわけもなかった。
「…ノワ。一応だけど、私からも礼を言っておく。ありがとう」
『どういたしまして~』
私が礼を言っても不思議がらないのはノワだけなんだなと、変な優越感を覚えつつも、私は気を取り直して本題に入る。
「それはさておき…。お前にはまだ聞かないといけない大事なことがある…それはケートスの力について」
ここに至るまでに目にしてきた、ケートスの力による奇跡のような数々の出来事。
それらは一見すれば、奇跡のように見えるものかもしれない。
だが、それらの事象を奇跡と呼ぶのには事実からかけ離れており、その力は間違いなく世の理を捻じ曲げる危険なものなのだと、私は既に気付いていた。
「ケートスには人の望みを叶える力がある。それも、過去の因果を書き換えて、今を変える力が」