第25話 魔法少女は夜明けで。(1)
◆5月13日 午後1時◆
私は、昨日訪れた大通りの一角からひょっこりと顔を覗かせる。
「…居た」
人が絶え間なく往来するその人混みに紛れるように、白いつば広の帽子を被った女性の姿があった。
実際にこの目で見たことはないので、まだ記憶に新しいと言っていいのかも判らないが、帽子や鞄などの特徴は、夏那の記憶していた姿と一致していた。
「あの帽子にあの格好…。間違いないな…」
どこか半信半疑であったことは認めるが、こうして見たこともないはずの人物が実在しているという現実を見せつけられてしまえば、ケートスの力を否応にも信じざるをえない。
その人物は小物を物色するように土産物屋を転々しながら移動している様子で、ターゲットの動向を確認し終えた私は再び物陰に姿を隠し、見失うことはないと解っていながらも、その挙動をつぶさに追い続ける。
「ん…?」
背中に違和感を感じて振り返ると、夏那はまるで身を隠すように私の背にぴったりくっついていた。
「夏那…?もしかして、緊張してるのか…?」
「そう…なのかな…?なんだか、自分でもよく判らないの…。なんかもやもやするというか…」
普段の快活な姿からは想像できないほど、今の夏那は緊張しているようで、まるで見てはいけないものを興味本位で見てしまうかのように、覗き込んでは隠れてを繰り返していた。
その様子はまるで、人見知りをする小さな子供のようであり、私はその仕草を微笑ましく感じながら眺める。
「別に今さら緊張する必要なんてないだろうに…。昨日だって普通に話してたじゃないか?」
「そう…なんだけど…」
まごついた様子で縮こまる妹を見て、私は大きくため息を吐き、姉として人肌脱いでやろうとその頭に触れる。
「…大丈夫。あの人の中にはまだ、お前が居る。昨日貰った飴玉…まだ持ってるだろ?」
夏那は不思議そうな表情を浮かべながら少々戸惑ったあと、鞄の中を漁り始める。
そして、ハンカチで大事そうに包まれていたそれを取り出した。
「…持ってる。けど、なんでまだ持ってるって判ったの…?」
「お前の姉さんだぞ?妹の考えることはなんでもお見通しだよ」
などと言ったものの、昨日今日でその飴玉を食べなかった理由など、状況を知っている人間であれば察することは容易かったことだろう。
受け取ったものがどんなものであれ、受け取った人間が相手に対して特別な感情を抱いていたのなら、それは特別な意味を持つ。
つまり、その飴玉が夏那にとって大事なものであることは明明白白だった。
「たとえそれがどこにでも売ってるような飴玉だったとしても、夏那にとっては大切な母親から貰ったものだからな?」
その飴玉は、本来であれば二度と受け取ることさえ叶わなかったはずの、母親から夏那への贈り物だった。
水族館の一件で夏那は過去の出来事を思い出し、夏那は母親に会いたいと考えたのだろう。
そして、ケートスは夏那の望みを叶え、母親がその場を訪れるように操作した。
「それって、夏那が昔から好きなやつだろ?子供が食べるような飴玉を精神安定剤なんて言って持ち歩いてるのは、きっと自分でも忘れている何かがあると、あの人自身が感じているからだと思う。だから、夏那のことを忘れていたとしても、きっと二人の過ごした時間や感情までは消えていない」
私は夏那の両頬を引っ張り上げる。
「お、おねぇひゃん…?」
「夏那。お前の笑顔はみんなを幸せに出来る。それを忘れないで」
両頬から手を離し、私は夏那の背後にすべりこむ回る。
そして、その小さな背中を突き放すように押した。
「うん…!ありがとう…お姉ちゃん…!私…行ってくる!!」
妹は私に手を振ると、人の流れに溶け込むように走り去っていった。
「…ああ。行ってらっしゃい」
その後ろ姿は、家を飛び出して走り去ってゆく、幼い夏那の姿に不思議と重なって見えた。
「あ…」
私は思わず手を伸ばすものの、その姿は人混みに紛れて消えた。
「…。私もやること済ませるか…」
私は抱いた感情を振り払うように踵を返し、もう一つの目的へと足を向ける。
◇
◆5月13日 午後2時10分◆
空は澄んだように青く、雲は波音に急かされるように足早に流れて行く。
「…遅いな」
無事に用事を済ませた私は、宿の近くの海岸線で海を眺めながら待ちぼうけを食わされていた。
スマホで時間を確認すると、待ち合わせの時間から10分ほど過ぎているというのに、未だその人影らしきものは見あたら無かった。
「…」
私はふと、夏那が走り去っていったその時、不安に襲われていたことを思い出した。
夏那が二度と私の前に姿を見せることはないかもしれないと、その時の私は頭の片隅で考えていた。
無論、大剣仮面が再び現れる心配をしたとかそういった意味合いではなく、それは現実に起き得る可能性のあることだった。
なぜなら、今の夏那であれば、ケートスの力を使って母親の記憶を元に戻すことも不可能ではないから。
「それがあの子の望みなら、私は…」
母親の記憶を取り戻し、私と出会う以前の生活に戻る。
きっとそれが正しい形ではあるし、夏那の母親の記憶を消した私が言えたことではないことも、重々承知している。
だが、私の口から出たその言葉は、私の本心とはまるで真逆だった。
「この世の異物…か…。大剣仮面の言ってたことも、あながち間違いじゃないのかもな…」
魔法少女という存在があったから、夏那の母親は記憶を失い、夏那は普通の生活を失った。
だとすれば、私たち魔法少女という存在は、この世に存在するだけで害を成す異物だと言われても、否定は出来ない。
「…」
待ち合わせの場所に来ない理由を確かめる方法は存在しているが、それを確かめるのが怖くて見ないようにしていた。
だが私は痺れを切らせたように、晴れ渡った青空に向かって右手を掲げる。
「あ…れ…?」
その瞬間、私の視界に映ったのは、“赤い糸”など存在していないただの指先だった。
「そ…んな…」
慌てて両の目を擦る。
「――お待たせ!お姉ちゃん!!」
私はその声に驚いて振り返る。
すると、そこには待ち人の姿があった。
「夏…那…?」
「あれ?どうしたの、お姉ちゃん?なんか怖い顔してるよ?」
空に向けられた手を再び確認すると、ゆらゆらと潮風に揺られる、指先から伸びる二本の赤い糸があった。
私はそれを確認すると、心底安堵しながら胸を撫で下ろした。
「…な、なんでもない。ちょっと疲れてるってだけ…。それより、そっちはどうだったんだ?」
「うん!昨日のお礼、ちゃんとしてきたよ!!」
夏那は屈託なく笑った。
その笑顔に反応するかのように、見慣れない髪留めが陽光に反射した。
「そっか…。あれ…?その髪留め…」
「昨日のお礼をしたいって言ったら、それならコレを貰ってくれって…。お礼参り…的な?」
破壊的な言語力に絶望しつつも、私は呆れながら聞き返す。
「お礼参りではないな…。でもどうしてそんなものを…?まさか、買ってもらったのか?」
夏那は首を横に振った。
「…ううん。お姉ちゃんの言ったとおりだった」
「…?」
「誰かにあげるつもりで用意したけど、誰にあげるのかを忘れちゃったんだって…。でも捨てられないから持ち歩いてるって言ってた。それで、きっとこれも何かの縁だからって…」
その髪飾りは、お世辞にも今の夏那に似合うとは言い難い、子供向けっぽいキャラクターを模したものだった。
だが、それが誰のために用意されたものなのかは一目瞭然だった。
なぜならそれは、幼い頃夏那がずっと抱きしめていたぬいぐるみと同じキモカワ系キャラクターの形を模していたものだったから。
「そっか…。良かったな」
「…うん!!」
夏那は目に涙を浮かべながら、笑ってそう答えた。
「もう時間もギリギリだし、急いで戻ろ――」
その瞬間、私の目の前は突然真っ白な景色に覆われた。
「あ…」
「だ…大丈夫!?お姉ちゃん!?」
なんとか意識は保てていたが、私の体は地面と平行になっていた。
「ははは…ちょっと躓いただけだって…。心配――」
起き上がろうと両手に力を入れる。
だが、私の左腕には上手く力が入らず、上体を起こすことは叶わなかった。
――これって…。
「すまん…。打ち所が悪くて左手が痺れてるみたいみたい…。ちょっと手を貸してくれると助かる」
「もー、しょうがないなー?お姉ちゃんはドジっ子さんだね♪」
妹の手を借りてなんとか起き上がり、何度か足踏みをしながら、腕を伸ばすストレッチを行う。
「ありがとう…。もう大丈夫そうだから、行こう」
「うん♪」
◇
◆5月13日 午後5時40分◆
「やっと着いた~…」
旅を終え、無事に家の前に到着すると、私たちはゾロゾロと車から降りる。
「んじゃあ、ちゃっちゃと荷物下ろしちゃってー」
「…了解」
私は車のトランクを開け、恐る恐る左手で荷物を持ち上げようとする。
すると、それを阻むように夏那が私の荷物を持ち上げた。
「ここは私に任せて?お姉ちゃん、疲れてるでしょ?」
「それなら、ぼ…私も手伝いますよ?よっと…」
私は二人が仲良く荷物を運ぶ様を見送りながら、ボーっと立ち尽くす。
「じゃあ、私はこの車返してくるから」
私が小さく頷くと、母は通りすがりに耳打ちをする。
「ねぇ、ハル。やっぱり、あの二人って彼氏彼女なの?」
私は内心動揺しながら、言葉を返す。
「ど…どういう意味でしょう?」
「あのハーマイオニーって子、男の子でしょう?それにすごく仲が良いみたいだし、そうかなーって思うのは当然でしょう?」
「男だって気付いてたのか…」
「一対一でお話したら大体判っちゃうんだよねー?これが?」
温泉イベントの際、母とハーマイオニーを一緒の部屋に残してしまったことを、私は酷く後悔した。
「…いろいろあって、夏那はハーマイオニーちゃんが男の子だって知らない。だから、今のところ二人は仲の良い友達。あと、そのことについては触れないであげて」
ハーマイオニーが実は高校生で、しかも私がそういう設定にした張本人などとこの人に知られでもしたら、間違いなく面倒なことになる。
そのため、私は自らの保身のために嘘を貫く。
「そうなの?でも、それはそれでなんだか面白そうねー…。娘の将来の旦那様が女装少年とかちょっと面白くない?」
そんな私の思惑を裏切るように、母はその状況を楽しんでいるように笑った。
「…面白くない」
言葉ではそう言いつつも、私は少しだけ母の言葉に納得してしまった。
「荷物運び終わったよー…って、二人で何話してるのー…?」
「こっちの話よー。そんじゃ、車返してくるわー」
母はそそくさと車に乗り込みエンジンをかけた。
「あ!?待って待ってお母さん!!今日のご飯は何がいい!?」
「適当にヨロシクー」
それだけ言い残すと、母の乗った車は通りの先へと走り出し、すぐに見えなくなった。
「もうー…せっかくなのにー…。あ、そうだ!ハーマイオニーちゃんもうちで食べてかない?」
「あ、いえ。そこまでご迷惑かけるわけにはいかないので、今日は帰ります」
「そっかー…残念…。それじゃあ、また今度遊ぼうね?」
「今回の旅行、色々ありましたけど、本当に楽しかったです。ありがとうございました」
ハーマイオニーは律儀に一礼すると、そのまま背を向けて帰路に着いた。
「じゃーねー!ハーマイオニーちゃーん!!」
「…」
私と夏那は遠ざかってゆくハーマイオニーの背に手を振り、それを見送った。
◇
◆5月13日 午後6時15分◆
「荷物ありがとねー。そんでもって、二人ともお疲れー。流石にお腹が空いて――」
居間の扉を開けて母が帰宅すると、私たち二人はそれを並んで出迎えた。
「――ってなに?二人ともどうしたの?」
「これ」
私は包装された小包を母親に手渡した。
「えっ…?何よ、いきなり?何コレ?」
「いいから開けて」
母親は困惑しながらもそれを開けた。
「マグカップ…?」
私は頷く。
「いつも使ってるやつはコーヒーで真っ黒だったし。新しいのが必要かなって」
「くれるの…?私に…?あっ!もしかして、勝手に抜け出したことの謝罪?」
私は首を大きく横に振る。
「じゃーん!私からはコレ!!といっても、お父さんとお母さんとお姉ちゃんの三人分だけど!!これで皆お揃いだよ♪はい!!」
夏那は母に小さな紙包みを二つ分手渡し、私に残り一つを手渡した。
「ナツまで…?二人揃ってどういう風の吹き回しなの…?意味わかんないわよ…?」
私はその発言に心底驚き、それが冗談だと思って聞き返す。
「え…。まさか、本当に気付いてないの…?」
「気付く…?何を…?」
自覚の無さが露呈したことで流石の私も呆れてしまい、大きくため息を吐いた。
「今までは私があんなだったから、ちゃんとこういうことが出来なかったから、今回は今までの分を取り戻そうと思って旅行を企画したの。血は繋がっていなかったとしても、私たちはただの保護者だなんて思ってないってことを改めて知ってもらうために」
――時間は戻らない。
だが、過去の時間は今という時間で補うことが出来る。
私はそれを知っている。
そして、私たち家族は後悔するにはまだ遅くない。
「今の私たちから返せるものはこれくらいしかないけど…」
「ちょっと過ぎちゃったけど、母の日のプレゼントだよ?お母さん♪」
「…」
母は数秒間硬直したあと、無言で私たち二人を抱きしめた。
――私たちは、母から“家族”という関係を貰った。
それはマグカップ一つで返せるほどではない、私にとっては大きすぎる貰い物だ。
だから私は、これから少しずつ返していこうと思う。
どれだけ時間がかかって、それがどんな形になるかは今の私には分からない。
だけどきっと、将来振り返ったときに“幸せな時間”と呼べるものであれば、それで良いのだと私は思う。