第24話 魔法少女は星座で。(1)
『ここが……現実…?』
夏那とハーマイオニーは顔を見合わせたかと思うと、声をハモらせながらそう呟いた。
「私がここに来たきっかけは、夏那が眠りながらうなされていたから。そして、その異変を知らせてくれたのはハーマイオニーちゃんだった。その後、私とハーマイオニーちゃんは夏那の胸に出来た黒い穴に触れ、ほとんど同じ時間にこの夢に取り込まれることになった。それが私の認識していた事実」
「ぼ…私…ですの…?夏那さんがうなされていたって…そんな記憶は…」
「えっ…?じゃあ、このハーマイオニーちゃんはニセモノ…?」
妹は私の背にそそくさと回りこみ、覗き込むようにしながらハーマイオニーに疑りの視線を向ける。
「そ…そんなわけないじゃないですか!?どこからどう見ても――」
自分で言い掛けたその言葉が、男の自分を否定することに気付いたらしく、ハーマイオニーは涙ぐみながら呟く。
「――ハーマイオニーちゃんですのー…」
私は二人の間に立ち、二人を制止するように手のひらを向ける。
「まったく…。二人とも結論を急がないように。まあ、私のせいでもあるんだけど…。このハーマイオニーちゃんは本物。ぶっちゃけると、間違っていたのは私のほうだったんだ」
『間違い…?』
二人の疑問の声は、ステレオのように左右からまったく同時に上がった。
どれだけ仲が良いのだとツッコミを入れたくなったものの、私はその衝動を飲み込んで話を進める。
「…夏那は先に寝たから判らないかもしれないけど、ハーマイオニーちゃんは夏那とは別の部屋で寝てたんだ」
私がハーマイオニーに視線を送ると、何度も頷きながら肯定の意を表した。
「そうだ…!そうでした…!!夏那さんが寝静まったころに、別室に移動しました!!それで花咲さんと寝室を入れ替えました!!」
大前提として、ハーマイオニーと妹を一緒の部屋に寝かせることを、この私が許すわけがない。
妹がハーマイオニーと一緒の部屋で寝たがるであろうことは予想できていたため、一度同じ部屋で寝かせておき、頃合を見計らって私とハーマイオニーの寝床を交換するよう、温泉イベント同様に対応策を講じていた。
しかし、そうなると不可解な点が生まれる。
「えっ?えっ?なんでなんでー!?あっ…!?もしかして、私の寝相が悪かったとか、いびきがうるさかった…とか?」
「ええ~っと、それは――」
「体調が悪くて風邪かもしれないから、夏那にうつさないように部屋を変えてくれって頼まれたんだ。夏那のせいじゃない」
ここで「ハーマイオニーちゃんは実は男の子なのでしたー」なんて発表をして更なる混乱を招くわけにはいかなかったので、私は咄嗟に思いついた適当な言い訳をつける。
すると、ハーマイオニーは意外だと言いたげにな眼差しを私に向けていた。
「そっかー…。ごめんね、ハーマイオニーちゃん?気付いてあげられなくて…」
「まあそれはともかく、さっきのハーマイオニーちゃんの証言で全部ハッキリした」
不可解な点――それは私たちの寝ている部屋にハーマイオニーが居たことと、私がそれを不思議とも思わなかったこと。
あの夜、ハーマイオニーは別室で寝ていたということになるが、そうするとハーマイオニーは私と夏那が一緒に寝ていた部屋にこっそり侵入し、妹の異変に気付いて私を起こしたということになる。
ハーマイオニーは馬鹿ではないし、寝込みを襲う度胸や甲斐性があるわけでもない。
侵入していたとしても、私を起こしてしまったら侵入したことがバレてしまうため、安直に私を起こすなんてことはせず、別の手段を試みるだろう。
不可解なのはそこだけではなく、ハーマイオニーに叩き起こされたときの私は、その状況をまったく不思議とも思わず、疑問すら抱いていなかった――まるで、夢の中に居るときのように。
「部屋に居なかったはずのハーマイオニーちゃんが夏那の異変に気付けるわけもない。だとしたら、私の見たものはなんだったのか…。それはこう考えれば説明できる。あれは全部私の夢で、夏那がうなされているという状況も、夢の中に入るなんてくだりも全部私の見ていた夢だったって」
脳は無意識下で、現実に起こったことか夢で起こっていたことなのかを区別して記憶しているという。
もしそうでなかったら、現実世界は夢と空想が入り混じり、何が本当で何が間違いなのかが判らない虚構に満ちた世界となっていたことだろう。
しかし、脳のセーフティー機能も万能ではなく、寝ぼけていたり、眠りが浅い場合に脳が正常に機能せず、現実と夢を混同してしまうことがある。
朝起こされ、起きよう起きようと思ってなんとか起きたと思っていたら、実は二度寝していて目が覚めたら布団の中だった――なんて経験はないだろうか。
恐らく、それと同じ現象が私に起こり、私は一時的に夢と現実を区別することが出来なかったのだと考えられる。
「そのことはハーマイオニーちゃんが持っているもので証明できる」
「ぼ…私が持ってるもの…?」
ハーマイオニーは私たちがどういう経緯でこの世界に入ったのかを覚えていなかった――私から見ればそうかもしれないが、見方を変えると、その記憶は私の中にしかなかったとも言えた。
それが現実なのか夢なのかをハッキリさせるには、いずれかの根拠を否定する証拠が必要だった。
「…時計。持ってるんだろ?そうじゃなきゃ、時間や景色が同じように繰り返すこの世界で『何時間も歩いた』なんて把握は難しい」
「と…けい…?ああ…!これのことです?」
ハーマイオニーは思い出したようにポケットからそれを取り出し、それを私に差し出す。
「なるほど、懐中時計か…。てか、ちっさー…」
「うちの家系に代々伝わるもので、特注品らしいです」
握りこぶしに収まるほど小さく、それでいて彫刻のように細かな造詣が施された高級そうな銀時計は、米粒よりも小さな歯車を回しながら細い秒針を静かに、だが確実に進めていた。
「でも、その時計と花咲さんの夢にどんな関係が…?」
「時計…というよりも、重要なのは時間。今もこの時計の針はちゃんと一秒ずつ進んでいる。もし、私がさっき言ったことが本当に起こった事実なのだとしたら、私たちはほぼ同時に夢の世界に来たことになる。だから、ここに来た時間に大きな差は生まれないはず。だけど実際には、私はここに来てから数分しか歩いていないのに、ハーマイオニーちゃんは何時間も歩き続けたように体感している。時計を確認しながらの情報であれば間違いはない」
「なるほど…。だから、花咲さんが見たもののほうが夢だった、と…」
「そういうこと。そのことに気付いたお陰で、私は同じようなことがこの世界にも起こっているということに気付いた」
「同じようなこと…?」
「ここにいる人間たちは時を繰り返し、触れようとしてもすり抜ける。だが、地面は触れることができるし、投げた石は戻ってきたりはしない。なんでだと思う?」
「なんで…と言われても…?何ででしょう…?そういえば不思議ですね…」
「人間はニセモノで、地面はホンモノ…?」
意外にも妹の発言が的を得ていたので、私は頷く。
「そう。実は片方だけを見れば不思議なことはない。現実世界で石を投げたらそれは戻ってきたりする?」
夏那とハーマイオニーは無言で首を横に振る。
「ようするに、地面はもとからここに実在しているものだった。この時計はここに実在しているからこそ、こうして戻ったり止まったりすることなく動いているし、触れることもできる。その性質は私たちやさっき投げた石と同じ。そう考えると、地面や私たちは同じもの――つまり実在しているもの。逆に、触れられない他の人間や風景などが異質なものであり、実在していないものと区別できる」
――パチン!
私が指を鳴らし、乾いた音が鳴り響くと、空中に一対の鏡が突如として現れた。
「か…鏡が空中に…!?ななな、なんで…!?」
動揺するハーマイオニーに、小さくため息を吐きつつツッコミを入れる。
「その体に比べたら、別に今さら驚くことじゃないだろ…」
「あー…それもそうですねー…」
「…?」
苦笑いを浮かべるハーマイオニーを、夏那は不思議そうに見つめていた。
「二人ともこれを覗いてみて。何が見える?」
私が腕を横に振ると、鏡は二人の目前へと移動する。
「何がって…。それはもちろんぼ…私の顔が…」
「それ以外」
「それ以外…?って、他にはなにも…?あっ…!?」
ハーマイオニーが驚いているのとは対照的に、夏那は目を細めながら鏡を注視する。
「真っ暗で判り辛いけど、後ろに映ってるのって海かなー…?これって、昨日の海岸…?」
「そう。それこそがここが現実世界だっていうもう一つの根拠。その鏡は本来あるべき光景を映し出してる。つまり、ここは現実世界で、私たちが見ている光景は幻」
私がつば広帽子の女性の顔を知るために覗いた鏡には、女性の顔はおろか、姿など一切映っていなかった。
その代わりに、今この鏡に映し出されているような夜空と海岸が映し出されていた。
それまでの私はここが夢の中だと思っていたので、その風景を見ても何を意味しているのかを理解することは出来なかった。
だが、今という状況を当てはめて考えた場合に、その時の鏡はただ本当の光景を映し出していたのだという理解に至った。
「あの~…率直な疑問なんですけど…。ここが現実だとしたら、人の幻影が見えたり、ぼ…私がこんなことになってるのは…なぜですの…?幻では説明がつかない気が…」
自身の胸元を指差しながら、ハーマイオニーは首を捻る。
「そう。それこそがこの世界の謎を解く鍵であり、この世界の真理でもある」
「え~っと…。ますます言ってる意味が判らないんですけど…?」
ハーマイオニーの疑問符だらけの表情は無視し、私は夏那に向き直る。
「夏那。水族館のフードコートで出会った女の人が言ってたこと、覚えてるか?」
「え…?う~んと…大体?」
私は小さく頷く。
「あの女の人はこう言っていた。『今という時間を夢だと思って楽しめば良い』って。夏那はこの言葉をどう感じとった?」
「…」
夏那は押し黙るように俯くと、大きく頷きながら口を開いた。
「そう…だねー…。今がとっても楽しいし、それを壊したくないとも思ってた。でも、もともと私には無かったものだから、それ以上を欲しがるのは欲張りさんかなって…。だから、あの言葉で今を夢だと思って全力で楽しもうかなーって思った…のかな?」
夏那は私とハーマイオニーの手をとると、その感触を確かめるように強く握った。
私はそれに答えるように強く頷く。
「恐らく、そのときからもう異変は始まっていた。夏那は現実世界を“夢”だと思うようになった。そして現実と夢が混ざり合い、その境界線があやふやになった結果、現実に夢が混ざるという今の状況が生まれた」
「夢と…現実が…?」
夢と現実の判断ができなくなれば、現実世界は夢と空想が入り混じった虚構に満ちた世界になる。
私たちが置かれている状況は、まさにその状態だと言えるだろう。
夏那が“現実世界が夢である”と考えたことで、現実世界は夢としての性質を持つようになり、今のような“実在するものと実在しないものが混在する世界”という状況が生まれたと考えられる。
「なるほど…。状況はなんとなく判ったんですが、ぼ…私たちはこれからどうすれば…?」
「状況から見ても、この世界の発生に夏那が関係しているのは間違いない。でも、一つだけ疑問が残ってる。それは、夏那にその力を与えるきっかけとなったのは何だったのかということ」
この道を歩きながら、夏那にハーマイオニーのことを考えるよう話題を振ったのは、夏那に想像したことを現実化する力が本当にあるのかどうかを確かめるためだった。
私に刺さったフォーク同様、夏那の考えたことが現実に反映されるというのであれば、ハーマイオニーをこちらから招き寄せることも可能ではないのかと私は考えた。
実験の結果、夏那とハーマイオニーの話をした直後、ハーマイオニーは私たちの前に突然姿を現した。
だが、それは私にしてみれば予想はしていたものの、信じられない結果になったとも言えた。
なぜなら、私たち二人はハーマイオニーに繋がっている糸とは逆方向に歩いていたので、歩いているだけでは絶対に会えるはずがなかったから。
「夏那。ちょっといいか」
「…?」
私は夏那に耳打ちする。
「――…をイメージしながら――…みたいな感じで。出来る?」
「え~っと…?う…うん…。なんか恥ずかしそうだけど、やってみる」
夏那は私たちの手を離すと、軽々としたステップで距離を置いた。
「花咲さん…。夏那さんに何をさせる気ですか?」
不安そうなハーマイオニーに向けて、私は不敵な笑みを浮かべながら答える。
「魚釣り…?まあ、見てのお楽しみ」