第23話 魔法少女は赤い糸で。(4)
流れることのない灰色の空に向けて人差し指を立て、私はそれを眺めながら長いため息を吐く。
「…お前の気持ちは十分伝わったよ、夏那。妹にこんなに慕われてたら、お姉ちゃんを辞めるなんて言えるわけないな」
「お姉ちゃん…」
私は目配せで自分の指先を見るよう夏那に促すと、夏那は私の手から垂れる糸を辿るように視線を移動しはじめる。
そして、それが自分の指先に繋がっていることに気付くと、小さく声を漏らした。
「糸が…私の指に繋がってる…?」
“運命の赤い糸”と呼ばれる伝説を、誰しも一度は耳にしたことがあることだろう。
赤い糸に関しては各地に様々な伝承が残っており、幸運をもたらすとされてるものや、災いから身を守るとされているものなどが挙げられる。
その中でも特に有名なのが“いつか結ばれる二人を結ぶ不可視の糸”だった。
不可視なのに赤い糸とはどういうことなのかとか、私のように糸の見える人間が過去にたくさん居たのだろうか…などと疑問なんていくらでも出てくる話ではあるが、それらの伝承を正しいとした場合、赤い糸には特別な何かがあるということになる。
「私たちはきっと、本当の家族になれる――いや、この瞬間になったんだろう…」
未だ憶測の域は出ていないが、糸の色が示しているのは双方の関係性であると私は推察していた。
私の調べたところでは、まったく接点がない他人は糸すら見えはせず、雨が黄色で芽衣が橙、それほど親交の深くない教師やクラスメイトは緑色、何度か見たことはあるが名前は知らないという程度であれば青色という具合だった。
だが、私の周囲にはただの一人として赤い糸を持つ人間は居なかった。
つまり、運命の赤い糸伝説然り、私と夏那が将来結ばれる――なんて百合の咲く話ではなく、私と夏那の関係が“血縁”と呼ぶに値するものになった、という意味だと私は解釈していた。
「お前が証明したんだ。私たちの間に血の繋がりにも負けない強い縁があることを」
“運命の赤い糸”の伝説のとおりに、何の関係もない他人同士が“いつか結ばれる二人”として赤い糸で結ばれるという状況。
それを論理的に説明するには、未来を観測点に置くほかない。
先日のトウガの一件で、縁は過去にも未来にも繋がり、時間すら超越するものだということは判っていたため、私としてもその点に不思議なことはなかった。
それを踏まえると、“未来から観測して将来結ばれる二人”が赤い糸の発生条件とするのならば、“将来的に血縁関係に等しいくらい親密になる他人同士”が条件だと言い換えることができる。
「えっ…?ええっ…!?」
私は上体をひねり、今度は自分から夏那の体を強く抱き締める。
「こうするのは初めてだから、なんかちょっと恥ずいな…」
夏那の真っ直ぐな思いに応えるために私に出来ることを考えた結果、これくらいしか思いつかなかった。
「…約束するよ。これからどんなことがあっても、私は生涯夏那の家族であり、夏那に相応しいお姉ちゃんであり続けるって」
――私たちが同じ時間を過ごしてきた五年という歳月で、私たちは互いの過去を知ろうとはしてこなかった。
だが、何もしてこなかったわけではない。
家族と呼ぶには程遠いものだったのかもしれないが、生活を共にしながら同じ時間を過ごし、今という時間を共に生きていたことは変えようのない事実だった。
それらの時間は決して無駄ではなく、記憶や経験と同じように確かに積み重ねられていた。
私たちの間で育まれ、少しずつだけれど積み重ねてきたものこそがこの赤い糸であり、私たち姉妹の間に血に劣ることの無い強い縁が生まれたと言える確かな証明とも言えるのではないだろうか。
「…うん!!!」
――互いの過去を知り、互いの気持ちを曝け出した今の私たちには、普通の家族が決して持つことの出来ないものが生まれている。
それを言葉にするのであれば、“血縁を超える絆”が相応しいと私は思う。
…
私は瓦礫の上に立ち、夏那を見下ろす。
「さて、と…。これからどうする、か…」
当初の目的である、夢の中で夏那を探すという目的は達成したといっていいのだが、そもそもの問題が解決したかどうかはまた別の話だった。
なぜなら、私がこの夢の世界に入ることを決意したのは、夏那が眠りながら何かに苦しんでいたからであり、“私に過去を知られてしまう”というのは、夏那を苦しめていた理由ではない。
だとすれば、夏那が苦しんでいた理由は別にあるということになる。
「まずは事情聴取、か…。ちょっと聞くけど、夏那はこの夢が悪い夢だったと思うか?」
夏那は首を大きく横に振り、否定の意を表した。
「ううん。ママにも会えたし、お姉ちゃんとこんなにたくさん話せた…。私は嬉しかったよ?」
「そう…」
その言葉を素直に嬉しく思いつつも、私は目下の原因について考え始めた。
夢の中で苦しむ原因――それは悪い夢を見ることくらいしかない。
悪い夢といっても、悲しいことを繰り返す夢だったり、怖い経験をする夢だったり、緊張するような状況に追い込まれる夢だったりと様々であるし、人それぞれでもある。
私がこの夢に介入したことによって、結果的に悪夢ではなくなったというのは救いだが、それは夏那の苦しみを取り除いたことにはならない。
「…ん?ママ…?なるほど…ママか…」
私がここに来てから見てきた夢は、それぞれがある繋がりを持っていた。
そこに何かしらの糸口があると睨んだ私は、それを夏那に問うことにする。
「前に住んでいた家の前で、夏那はママを見ていたよな?あの時、夏那は何を考えてた?」
私がここに来て夏那を最初に見かけたタイミングでは、夏那はこちらの存在に気付いていなかった。
つまり、この夢の中で苦しんでいた理由に一番近い感情だった可能性は高い。
何より、あの時見た夏那の表情は、大好きだった相手に送るようなものではなかった。
「それはえ~っと…。ママに会えて嬉しいな~…って」
「…は?嬉しい…だって…?」
その回答は私の予想から180度異なる回答だったため、私は数秒間の沈黙を余儀なくされた。
そして私はこれまでのことを思い返し、やがて自分が大きな勘違いをしていたことに気付いてしまった。
「いやいやいや…待てよ、待て待て、私…。もしかして、あの表情…そんなオチ…なのか…?」
夏那の言葉が正しいのであれば、あの時の夏那の表情が悲しい表情に見えたけで、紛れもなく嬉しい表情をしていたということになる。
だが、それも不思議はない。
何せ、私たちの存在に気付いていなかったのであれば表情を偽る必要もない。
それだけではなく、そもそも私がここに来たのは現実世界の夏那が苦しんでいる様子を見たからに他ならない。
もし、あの表情が良い夢を見て喜んでいる表情だったとするなら、最初から全てが私の勘違いということになる。
まるで飛行機が墜落するかの如く、急転直下の勢いで私は落胆する。
それを余所目に、妹は何か腑に落ちないと言いたげに片眉を曲げながら首を傾げていた。
「…ところで、お姉ちゃん。『この夢』とか『悪い夢』ってどういうこと…?」
「え…?」
そこでようやく、私は自分の失態に気付いたのだった。
「あ…。あーっ!?マズったー!?」
悪夢でもないかぎり、夢の中では大抵のことが自分の考えたとおりになる。
それ故、世の中には夢の中にずっと居続けたいなんて考える人もごまんと居るのだろう。
だが、そんなご都合主義は許さないと言わんばかりに、夢の中で夢だと自覚したその時点で大抵の場合は目を醒ましてしまう。
それは、この夢に関しても例外ではない可能性は十分にあった。
そのため、私は夏那が自分の夢であることを気付かせないよう、夢に関する言葉や、置かれている状況が不自然であることは口に出さず、細心の注意を払ってきたつもりだった。
だが、如何せん詰めが甘かったと言わざるを得ない。
「あっ…!?そうかー…!もしかして、今までのって全部私の夢ってこと…!?」
夏那は思い立ったかのように周囲を見渡し、止まったままの世界を興味津々といった様子で走り回る。
「そっかー…そうだよねー…。これが夢なんだー…」
夢である以上、現実で目を醒ましてしまえば、ここで起きたことを覚えている可能性は限りなく少ない。
そうなれば、妹が何に悩み、苦しんでいたのかを思い出せなくなるし、ここで起こったことすらも私は忘れてしまうことになる。
だからこそ、夢の中で全てを解決し、妹の悩みの種を取り除く必要があった。
「ん…?待てよ…?そもそも悩んでなかったのなら、このまま夢から醒めても問題ないんじゃ…?」
しかし、本人が夢であると自覚してしまった以上すでに後の祭りであるし、悩みの種を取り除くという大義名分すらも失った今、結果的に私は妹の夢に突然現れたお邪魔虫に他ならなかった。
ようするに、妹の言ったとおりのデリカシーの無い姉であることが証明された形になったと言える。
「はぁ~…。まあ、今の私が出来るのはこの糸がそのままであるように祈ることくらいだなー…」
私は疲労感と脱力感を感じながらも、“現実でもこの赤い糸が家族の証として結ばれているように”などと祈りつつ、ゆっくり目を閉じた。
…
「お姉ちゃん?どうしたの?」
夏那の声が耳元で聞こえ、私は閉じていた瞼を大きく開く。
「あ…れ…?」
妹が心配そうな顔で私の顔を覗き込む姿が真っ先に目に入った。
私は一瞬戸惑いながらも、周囲に視線を泳がせる。
「何も…変わってない…?」
感覚的には十数秒ほどの時間が経過していた。
そして実際も、私や周囲の状況にも目立った変化はみられず、私は依然として過去の明日火に立っていた。
「どういうことだ…?」
ここで夏那が夢だと自覚したのであれば、現実の夏那が目を醒まし、それと同時に私も夢から醒めると考えていた。
だが、この夢はそれでも醒めなかった。
「急に目を閉じるからどうしたのかと思――」
私は正面に立つ妹の両頬を、何も言わずに引っ張った。
「いひゃひゃひゃひゃ!?なにしゅりゅにょー!?」
「う~む…。やっぱりダメか…」
頬を引っ張っていた両手を離すと、夏那は不機嫌そうに私を睨み付けながら当然のクレームを入れる。
「もー!いきなりヒドイよーお姉ちゃん!!どゆことー!?」
「悪い悪い。でも、お陰でなんとなく見えてきた」
「…?」
夏那は夢を夢だと自覚しようが、痛みを与えられようが目を醒ますことはなかった。
そして、私やハーマイオニーは夢に取り込まれた――自分たちの夢ではなく、夏那の夢に。
つまり、現状をありのまま整理すると、触れてしまった周囲の人間は夢に取り込まれ、夢の主ですら夢から抜け出す方法はない。
「…ここは普通の夢じゃない。もしかすると、夏那に悪夢を見せようとしている誰かが居るかもしれない」
「悪…夢…?誰か…?」
怖い思いをした後やホラー映画を観た後、独りであることが不安になったり、暗がりを歩くことが出来なくなったりする人も多いと聞く。
恐怖体験によって“こうなったらどうしよう”と考えることで不安になり、猜疑心に追い込まれることによって精神が乱れ、恐怖心は少しずつ膨れ上がり、それがさらなる恐怖を想像する引き金となり、連鎖的に悪い出来事を想像してしまう。
それが恐怖におけるロジックと言えるが、悪夢のロジックというやつはそれよりも一層タチが悪い。
なぜなら、夢の中では大抵のことが自分の考えたとおりになるため、悪い想像すらも思いどおりになってしまう。
つまり、それらの恐怖は現実に近いものとして再現されることを意味している。
「もしも、“誰か”が夢の中に夏那を閉じ込め、悪夢を見せようとしていたとしたなら、この夢が“悪い夢じゃない”と夏那が思っている今の状況は、その“誰か”にとっては望んだ結果ではない。だとすれば、きっと何かしら動きを見せるはず…」
一度たりとも“誰か”という存在は姿を見せてはいないし、その目的すらも定かではない。
そもそも“誰か”という相手が本当に存在するのか、それとも私の杞憂なのかすらも未だ判らない。
だが、私が介入したことによって状況は確実に変化し、夏那が見ていた悪夢の連鎖は私の行動によって断ち切られた――つまり、相手にしてみれば私に邪魔をされた形と言える。
もしも夏那に悪夢を見せることが“誰か”にとって必要なことなのであれば、“誰か”にしてみれば状況を打破するために動かざるをえない。
「やっぱり、状況的に見て夢が操作されていると考えるのが妥当だろう…。もし、見せる夢を操作されているとしたら…」
「お、お姉ちゃん!?」
私が相手の次の一手を考え始めた直後、夏那は後退りしながら叫び声を上げ、私の足元を指し示した。
それに誘導されるよう視線を下に向けると、そこには先ほどまでは存在しなかった直径50センチほどの赤い水たまりのようなものが広がっていた。
その状況に驚き、慌てて一歩下がると、赤い点は大小の点を重ねながら一本の破線を描いた。
「――!?」
何が起きているのかをすぐに理解することは出来なかった。
なぜなら、それを作っている原因が私の左手であり、視界に映ったのは、自分の左手の甲に深々とフォークが刺さっているという有り得ない光景だったから。