第23話 魔法少女は赤い糸で。(3)
「ママの記憶を…?お姉ちゃんが…?どうゆう…こと…?」
夏那は理解に苦しむように、不思議そうな表情を浮かべる。
「夏那の話を聞いて、やっと理解した――というより、あのときこの場所で何が起こったのか、ようやく納得できる結論が出たってほうが正しいか…」
当時の私は知識も経験も乏しかったし、それほど頭の切れるほうでもなかった。
だから、最初は気にも留めていなかったと思う。
それから少し経ってから違和感に気付いていたものの、私はそのことに目を向けようとはしなかった。
もしもそれが間違いであると私が証明してしまったとき、きっとそれは自分の首を絞めることにもなるし、大切な人を苦しめる結末になるからと、私はあえてそのことから目を瞑ってきたのだ。
そして年月を経た今、私の知識と経験がパズルのピースを組み上げ、その隠された真実へと導いた。
これが必然だとするなら、今の私は認めるほかない――自らの過ちと罪を。
「これから少し難しい話をするけど、大切なことだから聞いてほしい」
夏那は戸惑う様子を見せながらも、心を落ち着けるように深呼吸し、頷いた。
「…う、うん」
…
「細かい説明は端折るけど、まずは私たちシャイニー・レムリィの敵がダイアクウマっていう連中で、あそこに立ってるでっかい熊さんもその一人」
夏那はまるで山を見上げるように、固まったままのエゾヒを見上げる。
「あの時は怖かったけど…こうして見ると、なんかちょっとカワイイ…?」
妹は先日の一件でエゾヒと再会しているものの、熊状態のエゾヒは見ていない。
そして都合の良いことに、幼い夏那は熊状態のエゾヒは見ているが、人間状態のエゾヒは見ていない。
故に、私は混乱を避けるために、あえてエゾヒという名を出すことを避けていた。
正直、エゾヒと戦ったあの日、妹が熊状態のエゾヒと遭遇していたら、とんでもなく厄介な事態になっていた気もするが、私は不幸中の幸いだったことにして考えるのをやめた。
「ダイアクウマの連中は戦いの前にアクウ結界という位相空間――つまり、見た目は同じだけど違う空間を作り、そこで私たちと戦っていた。その空間に巻き込まれた人たちは別次元に隔離され、魔法に適正のある人間しか元の世界との行き来が出来なくなる。あの時もそれは同じだった」
アクウ結界は、人を隔離して閉じ込め、その人の抱く“希望の力”を少しずつ搾取することを役割としている。
そして、ダイアクウマは街を襲撃する側――つまり、常に攻める側であり、相手の不意を突いて急襲できるという点に関しては有利だったが、アウェーの土地で戦闘をすることを強制される分、時間が経つほど不利な立場になるというデメリットを抱えていた。
そのため、短期決戦を相手に強いつつ、放っておいても“希望の力”を搾取できるという点で、アクウ結界の展開は理にかなっている仕組みだった。
「次に、この結界が破壊されると、分離した二つの空間は融合して一つに戻ることが判ってる。例えば位相空間で建物が破壊されていた場合、結界の破壊とともに、破壊された状態が現実世界に反映される。そんなことにならないよう、私たちシャイニー・レムリィが魔法を使って状態を保存――つまり、その外側に対結界を展開して現状を記録する。簡単に説明すると、設計図をバックアップしておいて、その時点の状態に復元できるようにする。そうすることで街への被害を最小限にしていた」
「へぇ~…。あっ…!そういえば、アニメでも壊れたものが一瞬で元通りになってた…!そういう仕組みだったんだ~…」
「まあ、それが同じ概念かどうかなんて私には判らないけどな…」
ダイアクウマがアクウ結界を使うのと同様に、私たちシャイニー・レムリィもまた、敵との戦闘に入る前に対結界と呼んでいる魔法を使用する。
本来の名前は“ツリィレ・イザ”で、発動した人間の周囲数キロメートルをスキャナーのように記録させ、建物などの無機物が破壊されても、その時点に最適化された状態へと簡単に戻すことができるようになる魔法だった。
だが、相手方も結界を使用するため、いつしか“ツリィレ・イザ”の略称なのか“対抗する結界”という意味なのか、対結界と呼ぶようになっていた。
「さて、と…。ここからが問題。アクウ結界の中でアイツが暴れて、私たちの作った対結界が破壊されてしまいました。さて、どうなるでしょう?」
「ええーっ!?イキナリすぎるよ!?う~ん…」
あの日、私たちが夏那を救出するまで、夏那は展開されたアクウ結界の中に取り残されていたことになる。
そして、その外側に私たちが構築した対結界は、経緯は定かではないが、魔蒔化したエゾヒとの交戦途中で破壊された。
つまり、意図していた順番とは違う順序で結界は消えていたということになる。
「ヒント1。対結界は時間が巻き戻るわけじゃない。たとえバックアップで修復したとしても、それまでに起こったことは事実として残る。つまり、対結界の本質は都合の良いように事象を置換する魔法」
「じしょう…?ちかん…?」
破壊されたものを元に戻すには、復元するか時間を戻すしかない。
仮に時間を戻すことが出来たとしても、それは時間というベクトルであり、部分的に戻すことは難しいだろう。
なぜなら、私たちの住む地球は常に動いているので、部分的に時間を戻すためには地球の中心座標を把握し、そこから自転速度を計算し、過去と未来における相対的な座標の差を割り出した上で座標補正をして――などという、途方も無い演算をしなければならない。
対して、復元する場合、元々の分子構造を正確に記憶し、砂粒を石に戻すには途方も無い労力を費やすことにはなるが、実現不可能というレベルではない。
魔法に関しては未だ未知数な部分ではあり、科学的に説明することは困難ではあるものの、私が今まで出会ってきた魔法と名のつくようなものは、考えようによっては近い未来に実現出来そうなものばかりで、この世の定理を覆すほどのものは無かった。
つまり、この“ツリィレ・イザ”という魔法に関しても、時間を戻すのではなく、復元に類するものであり、ただ事象のつじつま合わせをしているだけだと考えられる。
だが、そこに潜在的なバグが存在していることに、私は気付いていなかった。
「ヒント2。アクウ結界の中に閉じ込められていた人たちは、対結界が解除された時点でこの世界には居ない」
先日のトウガの一件でもあったが、現世との縁を断つことは、知覚もできなければ互いに触れることもままならない、言葉通り別次元の存在となることを意味している。
位相空間に閉じ込められている状態はまさにその状態であり、この世に存在していないのと同義であると言える。
「むー…難しすぎるよ、お姉ちゃん…」
夏那は不機嫌そうな表情を浮かべ、頭を抱えながら眉間に皺を寄せていた。
それが自然と出たものではなく、自分で作っているとしたら凄いものだと改めて感心しながらも、私は最後の一押しとなるヒントを出す。
「…仕方ない、大ヒント。もし、夏那の両親の仲が良好で、明日火の事件が起こらず、夏那があの両親と今も幸せに暮らしていた――つまり、何も起きていなかった場合、私はお前にとって何だ?」
「え…?それはたぶん…」
妹は何かに気付いて驚いたように目を見開いた。
「知ら…ない…ひと…」
そして、奥歯を噛むように嫌悪感をあらわにしながら、そう呟いた。
私はゆっくりと腕を上げ、夏那を指差す。
「そう…。それが答え。夏那の周囲の人たちは、夏那と接してきた記憶が無くなったことで、お前のことが誰なのかわからなくなったんだ」
アクウ結界も対結界も、元を正せばノワの作り出した原理であり、魔法少女側を勝たせる目的で作られたシャイニー・レムリィとダイアクウマの間には、“魔法少女が最後に必ず勝つ”という定理が成り立っていた。
だからこそ、結界を通常運用する上では“展開”と“解除”の順序が変わることなく、問題は起こらなかった。
だが、エゾヒとの戦いにおいてだけは、なぜかそれが崩れ、順序が変わってしまった。
「夏那と同じように、あの空間に閉じ込められていた人たちは皆、一時的にこの世界に存在しない状態だった。その状態で対結界の状態保存効果が発動し、その人たちはこの世に存在していなかったことになった。だから、夏那の周りの人間は夏那のことを“最初から存在していない存在”――つまり、“出会っていない”という記憶に置き換わり、夏那のことを忘れてしまった」
エゾヒの周囲に張られたアクウ結界によって位相空間に隔離されていた人々は、言うなれば現世に存在していない状態だった。
そんな状態で対結界が消滅し、その魔法の効果で記憶を都合のいいように書き換えられたらどうなるのか。
それは、夏那に起きた“周囲の人間が夏那のことを忘れてしまった”という、通常では起こり得ない不可解な出来事が全て説明していた。
それと同時に、誰が意図したことでもなく偶発的に起こってしまったその現象は、大きな真実を隠す結果となってしまった。
「…でも、それだけじゃない。今となっては本当のことを知る術はない。でも、このことはもう一つの可能性を示している」
私は大通りの中央に移動し、時の止まった世界をぐるりと見渡す。
そして、近くにあった大きな瓦礫に腰掛ける。
「それは、あの事件でたくさんの犠牲者が出ていた可能性が高いってこと。だって、誰かが死んだことを他のだれもが覚えていなかったのなら、その人は死んだことにはならないから」
――明日火の事件で、犠牲者は出ていないと世間では報じられていた。
それもそのはずだ。
エゾヒの周囲に居た人間は軒並みアクウ結界に閉じ込められ、その後、その人という存在は全ての人間の記憶から忘れられてしまっていたのだから。
その結果、巻き込まれた人々は事件の犠牲者とは呼ばれず、ただの身元不明者として扱われることになっていたのだろう。
ただし、魔法に適正のある人しか行き来できないあの空間で、生きて抜け出せた人間が居たとすればの話だが。
…
夏那は混乱することも私に憤りを見せることもなく、ただただ真剣な眼差しで私を見つめていた。
私は気まずさを感じ、妹の顔から視線を逸らした。
「これは私たち魔法少女の責任であり…罪だ」
――魔法少女だからといって、絶対的な正義なんかじゃないし、まして罪が赦される特別な存在でもない。
仮に罪を赦され、咎めるものがこの世に居ないとしても、私は事実や責任から目を背けるようなことはしないと、魔法少女を辞めると決めたあの日から決めていた。
「謝って済むような話じゃないって判ってるけど……ごめん」
今の私には、謝るしか選択肢がなかった。
両親に忘れられ、友達に忘れられ、自分が自分であるという証明が出来る人間が世界に居なくなったという不条理な現実は、幼い子供だった夏那にとって相当にショックな出来事だったことは間違いないだろうし、到底受け入れられないことだったと思う。
しかし、それがどれだけ残酷なことなのかを頭では理解していても、実際にそんな状況になったことのない私には、その気持ちを完全に理解することは出来ない。
そしてなにより、私が同情や釈明をしたところで、それはなんの重みも持たない言葉にしかならない。
「“家族”になる資格が無いのは私のほうだったなんて…。笑えるな…ははは…」
私は夏那に聞こえないよう、小さくそう呟いた。
その直後、私の体は柔らかな温もりに包まれた。
「夏…那…?」
「…私、もう二度と、お姉ちゃんのこと“知らない人”だなんて言いたくないよ…?」
私は背中から夏那に抱擁され、体を強く抱き締められていた。
まるで私を逃がさんとするよう拘束するかのように、しっかりと。
「お姉ちゃん…。私はね、これで良かったんだって、ずっと思ってたんだよ?ママや友達はみんな私のことを忘れちゃったけど、私の命を救ってくれた二人が、今は私の家族なんだー…って。それって、すごいことだし、望んだって叶わないことなんだよ?」
私は首を横に振る。
「…違う、そうさせたのは私だ。夏那がうちに来てから感じていた幸せは全部ニセモノなんだ…。だから、私にはお前の家族どころか、姉を名乗る資格なんて――」
罵倒されようが殴られようが、私に文句を言う資格など無かった。
なぜなら、夏那のママを“母親失格”だのと否定し、自分のことを“姉”だの“本当の家族になりたい”だのと言っておきながら、蓋を開けてみれば妹をそんな境遇に追い込んだ元凶は自分だったのだから。
だが、私は人の感情を視ることは出来ても、知ることに関してはそれほど得意では無かった。
「ニセモノなんかじゃない!!私のお姉ちゃんはもうお姉ちゃんなのーーー!!!」
突如として私の耳を襲った高音は、十数秒の間、私に耳鳴りという症状をもたらした。
「…び…ビックリしたー…。いきなり耳元で叫ぶな――」
「さっきお姉ちゃん言ってたよね!?私の悲しそうな顔は見たくないし、笑っていてほしいって!?お姉ちゃんがお姉ちゃんじゃなくなったら、私は泣いちゃうし、もう笑えなくなっちゃうよ!!?」
凄まじい剣幕で喚き散らしながら、妹は私の体を一層強く抱締め上げた。
「私がお姉ちゃんに昔のことを知られたくなかったのは、お姉ちゃんが大大大好きだからだよ!?魔法少女だからとか、元凶だからとか、そんなの関係ない!!私がお姉ちゃんを大好きなことは、何年経ってもぜ~ったいに変わらないからっ!!!」
「夏那…」
私は夏那の拘束を解こうと、夏那の手に触れようとする。
そのとき、私は指先に起きていた変化にようやく気付いた。
「これって…?」
私と夏那の手を結んでいた蜘蛛糸のように細かった糸は太くなり、白色だったそれは見る見るうちに色味を帯び、最終的には血の色のように染まった赤い糸へと変化を遂げた。
「赤…だって…?」