第22話 魔法少女は悪夢で。(5)
突然魔法少女姿に変身した私を前に、目の前で起きたことをすぐに理解するほうが難しいことを私は理解している。
しかし、魔法少女に関して教養があり、ましてそれを信じているのであれば話は別だろう。
「もしも~し…?」
しかしながら、あまりに唐突すぎる暴露だったせいか、妹は放心状態に陥り、私の声にまったく反応しなくなってしまった。
あまりに長く続く無反応に耐えかねた私は、状況を変えるべく口を開く。
「な…何を隠そう、お姉ちゃんは魔法少女なのでした~…。なんてねー…?といっても、これは――」
「まほう…しょうじょ…」
妹が条件反射のようにオウム返しで呟くと、正気を取り戻したように肩がピクリと動いた。
そして、眉をひそめながら私の周りをグルグルとまわりはじめ、衣装の隅から隅までを舐めるかのように観察してゆく。
「むー…」
「な…なに…?」
私はこの変身のことを、早着替えマジックだったと誤魔化すつもりでいた。
なぜなら、私が魔法少女であると妹が知った場合、妹もまた危険に晒される可能性があるためだった。
幹部の中でも最強の敵であるエゾヒを浄化し、ダイアクウマの幹部は全員倒したことにはなっているが、最強にして最後の敵であるツキノワは未だ健在である。
周囲の人間に探りを入れながらこちらの情報を収集している可能性もあるし、適当な動物から新たな幹部を用立てている可能性だってもちろんある。
そして、最悪のケースはエゾヒのときのようにツキノワ本人が街に現れ、関係のない人たちを巻き込んで破壊の限りを尽くしてしまうことであり、まだまだ予断を許さない状況であることは間違いない。
そんな状況下で私が魔法少女であると誰かに知られた場合、ダイアクウマに捕らえられてしまうことや、人質として利用されてしまう可能性だって考えられる。
その可能性を少しでも排除しておくべきなのは、改めて言うまでも無い。
だが、私はふとこう思った。
『そんなことになったら、私はどうなってしまうのだろうか』と。
「か…」
「…か?」
今まで会話の意志を示そうともしなかった妹が、初めて私の行動に対して言葉を返すように口を開いた。
それだけでも快挙ではあるのだが、その後の展開は私の予想を越えるものだった。
「かっこ…いい!」
その瞬間、私に送られていた妹の視線は、一瞬にして羨望の眼差しへと変化した。
「え…?カワイイじゃないのか…?」
「カワイイし…かっこいい…!!カワっこいい!!!」
今まで無言だったため露呈しなかったのだろうが、妹の語彙力の無さに関して私は酷く衝撃を受けた。
「カワっこいい…」
それはともかく、リスクを承知で魔法少女に変身した甲斐あってか、その効果がバツグンだったことは表情を見ただけでも明らかだった。
「あー…でもこれはマジックで…」
「お姉ちゃんは…魔法少女!!絶対無敵の魔法少女!!」
「そうなんだけど…って!お…お姉ちゃん…!?あ…そうか…私はお姉ちゃんか…。私が…お姉ちゃん…」
私は初めて“お姉ちゃん”と呼ばれたことで、嬉しいような恥ずかしいような複雑な気分になり、私らしくもなく、激しく動揺していた。
――今までも私は“お姉ちゃん”ではあった。
だが、それはただ役割を与えられただけであり、それを実感することも、そう呼ばれている自分を想像することすらもしてはいなかった。
それが現実となったことで、私は姉という自分と向き合うことになり、そしてその自覚が芽生えたのだと思う。
だから今この瞬間が、本当の意味で私に“夏那という妹”が出来、妹に“春希という姉”が出来た瞬間なのだろう。
「あの…さ…。私たち、姉妹になったわけだしさ…。これから夏那って呼んでいいか?」
「う…」
妹は少しだけ肩をすくめ、オロオロと戸惑うような素振りを見せた。
だが、以前までのように沈黙したり避けられたりすることは無く、私の顔を見上げながらこう言った。
「うん♪」
妹はコクリと頷き、そしてニッコリと笑い返した。
――私は先ほど抱いた疑問を再び考える。
この子がダイアクウマの手に渡り、酷いことをされたり、利用されたりするようなことがあったとき、私は冷静さを保っているのか、はたまた怒りを抑え込むことが出来ずに激昂してしまうのか。
そしてもし、何らかの形で妹が私の前に立ち塞がるようなことがあったとき、私はどうするのか。
きっと、今の私にその答えは出ない。
なにせ、私たち姉妹の時間は始まったばかりなのだから、そんなこと分かる筈もない。
だが、私たちが数年経って本当の姉妹のように笑いあったり、本気で喧嘩するようなことになったときには、きっとその答えが出るのだろうと私は思う。
◇
繁華街のように店舗がひしめき合い、薄暗闇の中にぼんやりと浮かぶ数々の店明かりが、祭りのような賑わいを想起させる幻想的な雰囲気を醸し出していた。
しかし、実際のところはシトシトと降り続ける霧雨の影響か、人の行き交う姿はほとんど見当たらず、どちらかというと閑散としていると表現するほうが正しかった。
私はそんな場所に、世界から取り残されたかのようにポツンと突っ立っていた。
「まだ何も起きてないってことは、あの日の前ってことだろうけど…」
自分の置かれている状況をある程度認識した後、まずは周囲に視線を泳がせ、見当たる範囲に日付や時間を指し示すようなものがないかを探す。
しかし、一つ目の疑問を特定するようなものはなかった。
「なんでここなんだ…?」
ここがいつ頃の情景なのかを特定することはひとまず置いておき、もう一つの疑問について考えはじめる。
だが、そのヒントは私の記憶の中にあった。
「そういえば…。私たちが初めて出会ったのもここだったか…」
この街が炎に包まれた日、私はエゾヒの下敷きになりそうだった女の子を救出した。
その女の子こそが夏那であり、何の因果か、その女の子は妹として我が家に迎えられた。
つまり、この明日火という街で起こった災害に夏那が巻き込まれていた以上、この場所と何かしらの関係があることは既に事実として存在している。
「…ってことは、夏那はこの近くに住んでたってことなのか…?まあ、そう仮定したとしてどうしてこのタイミングなんだ…?」
夏那がこの近くに住んでいたのだとしたら、あの事故に巻き込まれて家を離れることになり、我が家にやってきたと考えれば辻褄は合う。
だが、どうして今というこのタイミングで夏那の夢にこの場所が現われたのかが未だ残る疑問だった。
記憶というものは、何かしら別の記憶と結びつけられて記憶される。
要約すると、音や動作、視界に入った物や温度など、それらが組合わさることで記憶は構築され、それらの刺激がより強く、そして重なれば重なるほど印象深い記憶となる。
例えば、文字を覚える時は、その形を視覚によって抽象化し、読み上げることで音として認識し、さらに書くという動作を加えることで刺激を与え、より覚えやすくなる。
旅行に行った際、どこに行って何をしたのかを明確に覚えていることが多いのは、はじめて見るものなど記憶を印象づける刺激が多いからであり、逆に昨日の食事などを忘れてしまいがちなのは、日常的に同じことを繰り返しているせいで記憶を印象づける刺激が少ないからである。
「さっきの夢とこの場所に何かしらの関係があるとしたら、一体なにが…」
夢は“記憶”から出来ており、別々の夢が繋がっている。
それでは、そもそもなぜ夢は繋がるのか。
その理由は、時間軸や場所が違っているとしても、そこに居合わせた人数が同じだったり、場所や人物が似ているというだけで共通点となり、その共通点によって想起される過去の記憶を接着剤として夢同士は補完され、一つのストーリーのように勝手に繋がってしまう。
これは、一つのきっかけから関連している記憶を掘り下げ、深く眠っている記憶を引き出すという退行催眠療法と性質がよく似ている。
これはあくまで私の見解ではあるが、夢と夢の前後関係には少なからず共通点が存在している。
つまり、水族館で起こった出来事と、今私の居るこの夢には何かしらの関連性があると私は考えていた。
「まあ、こうしてても答えは出ないだろうし…。とりま、アイツから拾って――」
時間が経てば経つほど面倒臭くなりそうだったので、とりあえずハーマイオニーが近くに居るであろうことを糸で確認し、私は踵を返すように糸の示す方向へと足を向ける。
――ピチャ…。
するとその直後、雨音とは違う水音のようなもの耳に入り、それが妙に気になって振り返る。
「…?」
その音の発生源は、私が振り返った際にちょうどすれ違った女の子から聞こえたものだった。
それを見た私は目を見開き、驚きのあまり声を失った。
その女の子は雨が降っているのに傘もさしていないどころか、靴も履かずに靴下を濡らし、びしょ濡れになりながら歩いていた。
ただ、私が驚いたのはそれが理由ではない。
白いワンピースを着た女の子の背中は、模様とは違った異様な赤いシミを作り、庇っているように押さえる右手の先からは血のようなものが滴っていた。
だが、周囲の人間は誰一人としてその女の子の異常さに気付いた様子はなく、手を差し伸べたり心配するような人間は一人として居なかった。
只ならぬものを察した私は、その小さな肩に触れようとする。
「――!」
しかし、その手は女の子の体をすり抜け、空を掴むことしか許さなかった。
「ここは夢の中で、これは記憶…。それはわかってる…。わかってるけど…」
目の前でさまようように歩く女の子の姿を見て、何も出来ない自分を歯痒く感じ、私は奥歯を強く噛みながら、自分の拳を強く握り締めた。
――パシャッ!!
私が無力さを痛感しているその束の間に、躓いたのか力尽きたのか定かではないが、女の子は地面に倒れこんだ。
「…!?おい!?だいじょう――」
倒れこんだ女の子を抱き起こそうとするも、私の手がその女の子に触れることが絶対に叶わないことを思い出し、私は手を止める。
「くそっ…!」
差し伸べるように伸ばした手を拳に変え、それを力任せに地面に叩きつける。
それとほぼ同時に、大気が揺れるような震動とともに、街全体に響き渡るほどの爆音が背後から鳴り響いた。
「ぅ…!?な…なん…だ…!?」
咄嗟に両耳を塞ぎ、音のした方向へと慌てて視線を移す。
すると、空を覆っていた雨雲は円を描くように切り抜かれ、そのちょうど真下である大通りの中央には、今まで存在しなかったはずの、ビルほどはあるであろう黒い巨塊が忽然と姿を現していた。
「あれ…は…」
巨大な隕石でも落下したのかと思ったのも束の間に、その塊は蠢くように動きだす。
『グワアァァーーー!!!!』
耳を貫くようなけたたましい咆哮を上げ、ソレはゆっくりと立ち上がった。
「…!?こ…これって…まさか…!?」
その光景は、私の脳裏に深々と刻まれた、あの日の映像に酷似していた――というより、私の記憶に残るあの日の光景とまったく同じだった。
「魔蒔化したエゾヒ…。ということは、ここは9月3日の明日火…」
『ま…』
微かに聞こえた声に気付いて振り返ると、女の子はエゾヒの現れた方向へと必死に手を伸ばしていた。
「えっ…?」
私はその瞬間、全ての状況を悟った。
女の子の口元に顔を寄せ、その声に耳を澄ませる。
『だれ…か…ママを…たすけ…て…』
誰にでもなく訴え掛けようとする切実な想いを聞いたその直後、小さすぎるその手は力を失ったように地面に落ち、その女の子は気絶するように瞼を閉じた。
「夏那…」
ここに至るまでに、夏那の身に何が起きていたのか。
それを考える間もなく、再び世界は塵となって暗転した。
…
『やめて…!この子には手を出さないで!!』
その叫び声に起こされるような形で、私の意識は覚醒した。
「ビックリした…。いきなりなんなんだ…?」
再び周囲を確認すると、今度は室内のようで、一般家庭でよく見られるリビングのような場所だった。
そこには私以外にまだ若く見える男女のほかに、一人の女の子が居た。
だが、その状況は一般家庭と呼ぶには相違のある状況だと、私はすぐに察した。
『黙れ』
男性が低い声で呟くと女性に詰め寄り、女性の腹部を容赦なく蹴り飛ばした。
『うっ!?』
「なっ!?」
女性は呻き声を上げながら、その衝撃によって壁に強く体を打ち付けた。
そして、ずり落ちるように座る形になると、その頭部からは一筋の血が伝い流れ、フローリングに小さな血だまりを作った。
『ママっ!!』
私が動き出すよりも早く、女の子は女性に駆け寄ってその安否を確認しようとする。
だが、男性はその体を引き剥がすように女の子の髪の毛を掴みあげる。
『…うるさい。ガキは黙ってろ』
そして、まるで物でも扱うかのように真横へ放り投げた。
『…っ!?夏――あぐ…!!』
声をすら上げることを許さないかのように、男性が女性の喉元を掴み、強引に立たせる。
『黙れって言っただろ?誰のお陰で生きていられると思ってるんだ?大体、あのガキだってまったく繋がりもないのにここに置いてやってるんだぞ?』
『わかって…ます…。でも、あの…子だけ…は…』
「――ダメ!!!」
息の詰まるような惨劇とも呼べるその光景は、発せられた一声とともに、まるで映像を一時停止するかのよう静止した。
無論、私にそんな奇妙な力は無いし、その声は私から発せられたものでもない。
「なるほど…。つまり、この先に待ってる真実が、私を遠ざけようとした理由ってことで良いんだな…?」
私は声のした方に振り返る。
すると、そこには小さな女の子の姿でも余所行きの服装でもなく、日頃から見慣れた服に身を包み、私を静かに睨みつける人影があった。
「夏那」