第22話 魔法少女は悪夢で。(4)
私に“妹”という存在が出来てから、およそ一ヶ月が経過した。
一つの家に寄せ集められただけの私たちは、“姉妹”と呼ぶには程遠い関係のまま日々を送っていた。
そんなある日、悶々とした状況に終止符を打つべく、私は自ら行動を起こすことにした。
「見せたいものがあるんだけど」
「…」
口のない人形は一瞬だけこちらに視線を向けたものの、眉を少し曲げただけで返答は無かった。
私はもう慣れたと言わんばかりに、お構いなく話を続ける。
「見て驚くな…――といっても、まったく驚かないのも寂しいから、少しだけ驚いてほしい」
予防線を入れつつ、シャイニーパクトを取り出して正面に掲げる。
口のない人形は少しだけ興味を示すように反応し、不思議そうにそれを見つめ続けた。
私は相手が術中にはまったことを確信し、いつものやつをはじめる。
シャイニーパクトに軽く触れると、それは暖かな光を帯びはじめ、やがてその光は私の体を包み込むほどに強く発光し始める。
「…!?」
口のない人形は少しだけよろけたように後ずさりした。
そのため、表情にこそ出ていなかったが、多少なりとも驚いているであろうことは私でも察しがついた。
「光輝く、希望の花!」
その掛け声とともに、私の服は虹色の輝きを放ちながら、さながら舞台演出で早着替えしたかのように、瞬時にしてピンク色の衣装へと変わった。
「――シャイニー・レム!からの~…未来に届け、生命の光!シャイニー・レムリィ!!」
恒例の決めポーズを一人バージョンで行い、ドヤ顔で〆る。
「あ…」
変身した私の姿を目の当たりにした途端、口のない人形は幻でも見たかのように目を丸くしながら、大事そうに抱えていたぬいぐるみを床に落とした。
私が口のない人形に見せた変身は、マジックのような仕込みでも、舞台の早着替えでもなく、実際にシャイニー・レムに変身するプロセスそのものだった。
魔法少女とは無関係である人間の前で変身すること自体が初めてだったし、私たちシャイニー・レムリィも正体を明かすのはタブーと言い聞かされていたため、それがやってはいけないことであるということも重々承知していた。
にもかかわらず、私がそこまでのリスクを犯してまでこんなことをしたのは何故か。
「しゃいにー…れむ…」
妹という存在に興味や関心が無かったわけではないし、相手もそう思っていることを薄々感じてはいた。
しかし、私は姉という存在がどうあるべきなのかを知らないし、その立場を決定付けるきっかけさえ知識として持ち合わせてはいなかった。
故に私は“私に出来る私なりの方法”でその問題を解決することにした。
つまり私は、私のことを信じてもらうために、まずは私自身が私の妹を信じてみることにしたのだった。
◇
大海エリアを駆け足で戻り、屋外にあるフードコートへの扉を勢い良く開ける。
テニスコート二つ分ほどあるフードコートには所狭しと並べられたテーブルがあり、その隙間を縫うように歩く人影が私の視界を阻んでいた。
「花咲さん!」
ピョンピョンと跳び跳ねながら、ハーマイオニーは必死に一方向を指差す。
その方向に視線を向けると、日陰に設置されたベンチに腰掛ける夏那の姿が目に入った。
「…」
その姿を捉えた瞬間、私は思わず足を止めた。
なぜなら、殻にこもるように身を縮こまらせ、全てを拒絶するかのようなその姿は、私たちが出会って間もない頃の夏那を彷彿とさせるものがあり、その光景に既視感を覚えたからだった。
「どうしたんですか?早く行きま――」
妹に駆け寄ろうとするハーマイオニーの手首を掴んで引っ張り返し、制止するように引き止める。
「…待って。あれは違う。昨日の夏那」
先ほど見た夏那は普段の私服姿だったが、そこに居る夏那は昨日着ていた余所行きの服装に身を包んでいた。
夢の中であるため服装が変わらないとも言い切れはしないが、夢の境界を越えた私たちの服装が変わらなかったこともあったため、夏那のほうもコロコロ変わるとは考え辛かった。
私は人ならざる影の間を縫うように歩きながら夏那との距離を縮め、ある程度近づいたところで近くにあった柱に身を隠し、周囲に視線を巡らせる。
「あの~…どうして隠れてるんですか…?」
ハーマイオニーは周辺の人影に視線を泳がせながら、至極真っ当な疑問を呈する。
「…諸般の事情」
ハーマイオニーは小さなため息をつくと、それ以上何も言わずに私と同じように柱の影に姿を隠した。
「もう一人の夏那さんは…見当たりませんねー…。たぶん、そんなに時間は経ってないから近くに居るとはおもうんですけど…」
握り拳を見つめるような素振りを見せたかと思うと、ハーマイオニーは思い出したように声を上げた。
「あっ…!そうだ!さっきの糸で居場所が判るんじゃないですか?」
私は図星を指されたように、一瞬だけ心臓が跳ね上がる。
「あー…っと、それのことだけど…。実を言うと、さっきまで私たちが追っていたのは夏那とは違う別の誰かの糸だったことが判明したんだよねー…。あはははは…」
私はわざと誤魔化すように笑い飛ばすものの、案の定ハーマイオニーがそれを見逃すことはなかった。
「えっと…それってつまり、僕たちは全然違う方向に向かって歩いていたってことですか…?」
私は図星を指されて戸惑ったものの、迷った挙句に頷き返す。
「スマン。そういうわけで、たぶんこっちが夏那の糸」
眼前に手をかざすと、ハーマイオニーは細かいものを見るように目を細める。
「糸って何も…――って、まさかコレ!?細!?クモの糸じゃないですか!?なんでこんなに細いんですか?」
先ほど改めて確認した際、私の指先からは三本の糸が出ていることが判明した。
だが、そのうちの一本は非常に細く、色も薄かったために見落としており、もう一本のほうを夏那のものだと私は勘違いしていたのだった。
それは二つの可能性を示唆していた。
一つは、他の誰かがここに居るかもしれないということ。
そしてもう一つは、夏那が私を拒絶しているかもしれないということ。
「たぶん、夏那は私たち――というより、私に会いたくないんだと思う」
「夏那さんが…?花咲さんを…?二人はあんなに仲良しじゃないですか?それなのになんで…?」
“縁の糸”の色は相手との関係性を示しており、太さは興味や好感の度合いを示していることが、事前の検証で明らかになっている。
相手から好感を持たれていれば太くなり、細ければ興味を持たれていない、という具合になっているらしく、その証拠に私と芽衣に繋がっていた糸は尋常じゃなく、糸どころかまるでうどんのように太かった。
「それはまだ判らない。まあ、何かしらの理由があるとは思うけど…」
相手からの好感度が一目で判るという性質を持つこの能力は、意中の相手と偶然を装って曲がり角でぶつかったり、相手の好感度を把握したり、ギャルゲーの主人公であれば至れり尽くせりな能力だったことだろう。
だが、今の私はギャルゲーの主人公でもないし、正直な話、冗談を言っているほどの余裕はなかった。
なぜなら、相手からの興味や関心が薄れることで糸が細くなっていき、やがて見えなくなると仮定した場合、今現在、夏那が私に抱いている興味や好感は限りなく薄れていることを意味している。
確証と呼ぶには根拠が少なすぎるが、夏那が私に会うことを望んでいないどころか、拒絶されている可能性は高い。
それはつまり、私が姿を晒すことは逆効果であり、むこうから姿を隠してしまう危険性があるということだった。
暫く様子を窺っていると、噴水の裏側から足早に夏那に近づく一人の女性の姿が目に留まった。
「あれは…?」
細くすらっとした印象で、清楚で気品のある立ち振る舞いから、貴婦人という言葉が似合いそうな成人女性だった。
だが、つば広の帽子を目深に被っていたため、その顔まで確認することは出来なかった。
『あの…お顔が優れないようですけど、大丈夫ですか?』
つば広帽子の女性が穏やかな声で夏那に話し掛けると、夏那は作り笑いを浮かべながら顔を上げる。
『あ…あの…え~っと…大丈夫で――』
するとその瞬間、夏那の笑顔は一瞬で消え、まるで信じられないものを見たかのように固まった。
『お隣、よろしいですか?』
『…はい』
夏那が慌てた様子でベンチの端まで寄ると、つば広帽子の女性はその隣に腰掛ける。
そしてすぐさま持っていたハンドバッグを膝に乗せて、その中身を漁り始めた。
『…正直な子って、どうしても顔に出ちゃうんですよね。私は大丈夫じゃないって』
つば広帽子の女性が口元が緩み、少しだけ笑ったように見えた。
『はい。どうぞ』
夏那の手の甲に優しく触れ、手のひらを上に向けたかと思うと、その手に何かを乗せた。
『これって…』
『私が普段から服用している精神安定剤です』
つば広帽子の女性はニッコリ微笑んだ。
『精神安定剤…。あ…ありがとう…ございます…』
だが、まるでばつが悪いとでも言いたげに夏那は俯き、その女性と視線を合わせようとしなかった。
「精神安定剤…って、ま…まさかあれを飲んだせいで夏那さんはあんなことに…!?」
「植物バカってだけじゃなく、お前の目も節穴なのか?ジョークに決まってるだろ…。よく見てみろ」
ハーマイオニーは目を細め、それを確認するように目を凝らす。
「あれって…飴玉…ですか?へ~…花咲さん、良く見えましたねー…」
「まあ、見慣れてるし」
夏那に手渡された数個の包みは、見慣れたパッケージで包装されている飴玉だった。
私がすぐにそれが飴玉だと判ったのは、特徴的な青と赤の包装だったからというだけではなく、家に常備されるほど妹が好んで食しているものだったからだ。
「それより、僕の扱いどんどん酷くなってる気がするんですけど…?」
「それは被害妄想だから気にするな。それにしても…」
私は疑念を抱きながら、二人のやりとりの監視を続ける。
『その顔…。何か悩み事があるんですよね…?私で良ければ聞かせて貰えませんか?』
夏那は戸惑った様子で沈黙したあと、たっぷり時間を掛けてから重い口を開く。
『今が…すごく、幸せすぎるんです…』
『幸せ…すぎる…?それはそれは…若いのに複雑な悩みをお持ちですね…?』
妹の素っ頓狂な答えにも、つば広帽子の女性は一切笑うことなく耳を傾ける。
『さっき、ちょっとだけ辛かったときの事を思い出したんです…。それから少し考えてたら良く判らなくなって…今ここに居る私って何なんだろうって…』
夏那は少しだけ顔を上げ、雲ひとつない空を仰ぐように遠くを見つめる。
『お姉ちゃんもお母さんも私には優しいし、学校の友達も、最近知り合った友達もみんな私に優しく接してくれる…。だから、今は幸せでいっぱいだけど…それなのに…本当にここが私の居場所なのかなーって思う気持ちもどこかにあって…。本当は夢でも見ていて、目を覚ましたらあの時のままなんじゃないかなー…なんて考えちゃったんです…』
「夏那…」
私の目は、膝の上で組まれた夏那の手が震えていることを見逃さなかった。
それと同時に、私は思い知ることになった。
妹である夏那が内に抱えているものが何なのかを、姉である私が知らないという事実を。
『…そうですか。そう思っているのだとしたら、あなたは今という時間が本当に大切だと思っているのですね』
『えっ…?』
右に倣うように空を見つめ、つば広帽子の女性も天を仰ぐ。
『幸せの中に居続けると、人はそれが本当に幸せなのかと疑い、やがて縛られていると感じ、自分にとっての幸せが何なのかを見つめ直します。つまり、人は辛かったり苦しかった事を経験することで自分の幸せを見つけることが出来る。あなたはそれを経験したことで自分にとっての本当の幸せを知りました。だからこそ、今という時間を大切にしたい。そういうことではありませんか?』
『えっと…』
夏那は考え込むように再び俯き、言葉に詰まって沈黙する。
『…ごめんなさい。少し話が難しすぎましたね。私が言いたかったのは、そうですね…。簡単に言ってしまえば、いっそのこと今という時間を夢だと思って楽しめば良いのでは、ということです』
『夢…ですか…?』
『夢は自由ですし、目覚めなければそれは現実。目覚めてからのことは後で考えれば良いし、自分のやりたいことをやればいい。辛い事があるかもしれないから何もしないなんて、勿体無いと思いませんか?』
『勿体無い…』
言葉の意味がまったく伝わらなかったことを感じ取ってか、つば広帽子の女性は首を傾げながら言葉を捻り出す。
『これも難しいですよね…。たとえば、この水族館にあなたの見たことのない魚は居ませんでしたか?』
夏那は考え込むように目を閉じると、すぐさまあの珍妙な生物の名を挙げた。
『見たことのない…魚…。あ…!?チンアナゴ!!』
『ふふ…そうですね。あれも不思議といえば不思議ですね。この世界には未だに発見されていない生物や、人が足を踏み入れたことのない場所だってまだまだ存在しています。海や地中、それに宇宙だってその一つです。空に見える一つ一つの星々にも私たちと同じように時間があり、過去や未来がある。その過程で人類のような知的生命体が生まれることも考えられますし、既に宇宙人として存在していて私たちを観察している…なんてこともあるかもしれません。そう考えてみると、世界は謎だらけなうえ、不思議なことや面白いことがたくさん眠っている。せっかくこの世界に生まれたのだったら、楽しまなければ損だとは思いませんか?』
夏那は顔を上げたかと思うと、そのままの勢いで立ち上がり、クルリと回って深々と一礼する。
『…確かにそうですね。辛かったときのことを考えて悩んでるより、大切な今を楽しまなきゃ損かもって思えてきました。ありがとうございます!』
夏那は先ほどまでの様子とは打って変わり、普段どおりの笑顔を浮かべた。
『ふふ…そうですか…。顔色が少し良くなって安心しました。少しでもお役に立てたのなら、私としても嬉しい限りです。さて――』
つば広帽子の女性が、ゆっくりとした動作で腰を上げる。
『お悩み相談もここまでですね』
それだけ告げると軽く会釈をし、背を向けた。
『あ…!?ま、待ってください!!』
それを慌てて引き止めるように、夏那は裏声になりながらも大声を上げた。
『あ、あの…。最後に一つだけ聞かせてくれませんか…?どうしてこれを私に…?』
夏那は握り締めていた飴玉を見せながらそう言った。
『そう…ですね…』
つば広帽子の女性は少しだけ考えるように帽子を目深に被りなおし、夏那に振り返った。
『…不思議とあなたのことが気になってしまった。そう言ったら信じてもらえますか?』
それだけ言い残すと、つば広帽子の女性は軽く手を振り、私たちが入ってきた扉の対角線上にある扉へと進みだした。
『あ…』
夏那は何か言いたそうにしながら、その背中を無言で見送った。
「親切で優しい人でしたね…。僕たちと別れている間に夏那さんはあの人と会っていたから、何事もなかったように元気だったんですかねー…?」
納得したと言いたげに何度も頷くハーマイオニーを余所目に、私は腕を組みながら今の出来事を反芻するように思い返していた。
「う~ん…」
「どうしたんです?」
数秒ほど考え込んだ結果、必要に駆られた私はすかさず立ち上がる。
「ちょっと気になることがあるから、夏那の監視は任せた」
「ええっ!?ちょっとって…!?花咲さん!?」
ハーマイオニーが私を呼び止める声を完全に無視し、私は立ち去った女性の後を追った。
…
つば広帽子の女性を追って、後方3メートル近くまで接近したものの、女性は今まさにフードコートから出ようとしているところまで到達していた。
ここが夏那の夢である以上、夏那の知らないことが夢に現れることはないため、女性が立ち去ってしまえば知り得ることのない記憶となり、夢の中に現れることは絶対にあり得ず、再び夢に現れるかどうかも運次第になってくる。
つまり、この機会を逃せば、その顔を捉えるチャンスは限りなく無いに等しいことを私は理解していた。
――このままじゃ間に合わない…!
そう悟ったとき、私は咄嗟に思いついたことを実践してみた。
「ミラ・フォーム!」
その掛け声とともに、私の前方に突如としてリングが現れ、私の姿はリングに飲み込まれた。
そして、速度はそのままにミラ・フォームへの変身を終え、出現した二つの鏡のうち一枚を、自分の加速度を乗せた蹴りで思いっきり蹴り飛ばす。
「――からの、シャイニー・ライトー!!」
シャイニー・ライトによる勢いも加えられた鏡は、弾丸を超えるが如き速度で空を裂き、女性の体をすり抜け、その真正面の壁に打ち付けられた。
と同時に、空中できりもみ回転する私は、残されたもう一枚の鏡を手に取り、それを覗き込む。
「っ…!?」
鏡はもう一方の鏡が映し出す光景をリモート中継のように映し、通りすがって行く女性の顔を見事に映し出していた。
その直後、女性の姿は鏡からフレームアウトして消え、それとほぼ同時に、私の体は無防備なまま地面へと打ち付けられた。
「あぐっ!?」
そして、結果的に私は大の字で青空を見上げることになっていた。
「いったたたー…。夢でも痛いって言ってたけど…本当だったのかー…。暫くぶり…この感覚…」
私は強打した腰をさすりながら、上体を起こす。
「見間違えってことはないよな…?だとしたらなんで…」
夏那はつば広帽子の女性に出会ってから、少しばかり様子がおかしかった。
具体的に言うのなら、女性の顔を見た瞬間からだ。
それはつまり、つば広帽子の女性が夏那に何らかの影響を与えた可能性は非常に高く、それが今という状況に繋がるヒントになると私は考え、その顔を拝もうとここまでのことをした。
だが、私が目にしたものはヒントどころか、状況をさらにややこしくする結果となった。
しかし、私の考えが纏まるのを待たないと言わんばかりに、舞台が切り替わるかのように青空と日の光は一瞬にして消えた。
慌てて立ち上がろうとも時既に遅く、風景は塵と化すように色を失い、まるで世界が崩壊の時を迎えたかのように粒子へと分解され、周囲の光景は一瞬にして暗闇に包まれた。
「…マズった。まさか、ここで次の夢に入るとは…」
私は自分の頭をポリポリと掻きながら、ハーマイオニーと再会したときに再び大泣きされることを想像する。
そして「それは面倒だなー」などと考え至りながらも、とりあえず頭の片隅に置いておくことにした。
それから数秒と待たずして世界は再構築され、私はとある場所に立っていた。
「ここは…」
私はその光景を知っていた。
五年前に災害が起こり、今なお人が住めない封鎖された土地であり、今は存在することのない風景。
「どうして、明日火…?それに…」
私が周囲を見渡しても、建物が倒壊していることもなければ、火の海に包まれていることもない。
そこは、エゾヒによる災害が起こる前の隣町だった。