第22話 魔法少女は悪夢で。(3)
ある日の朝、口のない人形はいつもどおりぬいぐるみを抱きかかえながら、居間の中央に陣取っていた。
「おはよう」
「…」
口のない人形は当然のように、私の挨拶に返事ひとつ返さなかった。
今となってはそれが当たり前の光景になりつつはあったが、その時は少しだけ様相が違い、その反応はまるで私の声が届いていないかのようだった。
「これ、好きなの?」
「…」
私がそう話し掛けてもまるで反応せず、口のない人形は、その眼差しを熱心にテレビへと向けていた。
「ふ~ん…」
どうやら、私の声が届かないほどそのテレビアニメに夢中のようだったので、私は然りげ無く隣に座り、そのアニメを一緒に観ることにした。
…
『――来週も、またみてね!』
主人公の女の子がお決まりらしき言葉で締めると、余韻も冷めやらぬうちに実写映像が流れ始め、キラキラほのぼのとした女の子向けの空気が男の子向けの空気へと一転する。
すると、口のない人形の集中モードも時を同じくして切れたらしく、少しばかり呆けていた表情が、まるで夢の世界から現実世界に引き戻されたかのように引き締まる。
「ちょっと現実味に欠けるけど、結構面白かったな。というか、ソレはこれのキャラだったのか」
「――!?」
口のない人形の抱きかかえるキモカワ系ぬいぐるみを指差してそう言うと、ようやっと隣に座る私の存在に気付き、緊張したように肩を縮こまらせた。
以前のように露骨に逃げ出すようなことはしなかったものの、私との距離を開けるように数ミリずつ移動し、ある程度距離が出来たところですっくと立ち上がる。
そして、目にも留まらぬ速さという言葉の通り、私がまばたきをした次の瞬間には忽然と姿を消し、部屋を出て行く足音だけが残響していた。
「…って、はやっ!?」
私はやんわり拒絶されたことにひどく落ち込んだ――なんてことはなく、人知れずニンマリと笑みを浮かべた。
◇
「あの~…。聞きそびれていたんですけど、これってどこに向かってるんですか…?まさか、当てもなくただ歩いてるなんて言いませんよね…?」
「相変わらず心配性だな…。それに関しては問題ないから安心していい」
私は右手を正面に掲げると、ハーマイオニーに伸びる一本とは別のもう一本が、まるで私たちの行くべき場所を指し示すコンパスのように、進むべき方向へと伸びていた。
七不思議の一件以来、私の目には再び変化が起きていた。
一つは、雹果が近くに居た影響で視えていたものが、雹果が近くに居なくても視えるようになったこと。
そしてもう一つは、自分との“縁”というやつが細い糸のようなもので繋がっているように視えるようになったこと。
自分と縁のある人が遠くない距離に居る場合、その人が息を殺して隠れ潜んでいようが、ドッキリを仕掛けるため壁の向こうに居ようが、私には視覚的にそれを察知することが出来るようになった。
昨日、ハーマイオニーが隠れて話をしていたのを察知できたのも、この力によるものだった。
「これって、糸…ですか…?あれ…?一本は僕の指に繋がってる…?」
「もう一本は夏那に繋がっている。だから、これを辿っていけば夏那に会える」
「な、なるほど!それならすぐに見つかりそうですね!心配して損しましたよー」
その一言で、先ほどまでの不安な様子から一転して、その顔に明るさが戻った。
「無駄に状況の飲み込みが早いな…。この糸をなんとも思わ…――」
言い掛けた瞬間、私はあることが引っ掛かり、思わず足を止める。
「――って、ちょっと待て。お前にはこれが見えてるのか…?」
「へ…?え、ええ…。なんかうっすらと糸のようなものが…?」
私がこの糸を視認することができるようになったのは、雹果との縁がより強固になったことによる共鳴効果の副産物だろうと位置付けていた。
時期的に考えても合致しているし、理由は定かではないが理屈は通る。
だが、本来私にしか視認出来ないはずの縁の糸を、ハーマイオニーが視認できているという現状はそれを全面否定している。
なぜなら、雹果とハーマイオニーに接点は無く、仮に雹果との接点があったとしても、ハーマイオニーは一般人であり、私のように特殊な能力を得られるようなことはないはず。
「どういうことだ…?」
私にも変化が起きており、雹果のように周囲に影響を与えてしまっているのか、そもそもハーマイオニーにもそういった素質が元々あるのか、はたまた今という状況がそうさせているのか。
思考を巡らせるも、私の脳がその答えを導き出すことは叶わなかった。
「…まあいいや。とりあえず行き先はこれが示してくれる。先を急ごう」
そのことに関しては今という状況では重要ではないと考えを切り替え、私は歩みを再開する。
…
「私の考えが甘かった。すまん…」
私が平謝りしたのには理由がある。
なぜなら、コンパスが方角しか示さないように、糸は目的の方向は示しているものの、正しい道程までは教えてはくれないという初歩的なことを考慮していなかった。
そのため、感覚としては30分ほど歩かされている気分ではあるが、それでも未だに夏那に辿りつくことは無く、行き止まりに行き着いたり、遠回りさせられる羽目になっていた。
「僕もさっきは結構歩かされてましたから。あー、でもさっきよりも全然気が楽ですね。一人で歩いてたときは、それはもう怖くて怖くて…」
ハーマイオニーは拳を握り締め、それを見つめていた。
「どうして…」
「どうしてこんな私をそこまで信用できるのか」とハーマイオニーに問おうとして、私はその先を聞くことを躊躇った。
問い掛けようとしたことが悟られぬように、そっぽを向きながらチラリと視線を送ると、ハーマイオニーはそれに気付いて不思議そうな顔を返してきた。
「…?どうかしたんですか?」
「いや…。なんでもない…」
私は先ほどのやり取りを終えてから、ハーマイオニーに対して負い目を感じていた。
その理由は、ハーマイオニーがあたかも自分の意思で私に着いてくることを選択したかのように私が誘導したことだ。
自分の考えを告げた上で「一人でも行く」と私が強い意思を示せば、ハーマイオニーが自分の口から着いてくると言い出すことは予想出来る結果――というよりも、ほぼ必然と言える。
昨日、何の気なしに言った「妹を支えてほしい」という言葉を、私は結果的に都合良く利用した。
それはつまり、人の善意に漬け込んで相手を利用したことと同じであり、やっていることは詐欺師となんら変わりは無かった。
だが、そんな私を無条件で信用し、こうして笑顔でついてきてくれているハーマイオニーに対して、罪悪感で一杯になっていた。
「もし、お前が男じゃなかったら、私じゃなくてお前だったのかもしれないなって…」
「へ…?何がです…?って、なんでニヤニヤしてるんですか…?」
「こっちの話」
ハーマイオニーは人を疑うことを知らず、他人のために自ら体を張り、植物も好きでその知識もある。
もしかすると、私なんかよりもよっぽどシャイニー・レムに向いているのかもしれない。
しかしその場合、果たして魔法少女と呼べるのか――なんてところまで考えてもみたが、きっとノワにそれっぽいことを言われて押し切られた挙句、有耶無耶にされ、女装魔法少女として活躍することになるのだろう。
そんな状況を想像してしまったことで、思わず顔に出てしまったらしい。
「…それにしても、さっきの夏那さん、どうしてあんなに辛そうな顔をしてたんでしょうかね…?なにかあったようには見えなかったんですが…」
その問の答えになるかどうかは定かではないが、私には一つの仮説があった。
「そもそも、夢ってなんだか考えたことあるか?」
「えっと…なんでしょう…?妄想とか想像とか…ですか…?」
私は首を横に振る。
「夢は人の記憶。起きている間に見聞きしたことや過去の記憶がベースとなって、混ざり合い、再構築され、寝ている間に映像化されたものが夢。だから、この空間と時間は夏那の記憶から創られたものだと仮定できる」
「記憶…。それってつまり、ここは過去の光景ってことですか…?」
私は小さく頷く。
「もう一つ。夢は人の欲望が強く反映されているとも言われている。この光景は夏那が欲しているもの――そう仮定すると、ここは私と夏那が出会う前に夏那が暮らしていた時間であり、取り戻そうとしても取り戻せない、失くしてしまった光景とも考えられる」
「取り戻せない、失くしてしまった光景…?それって、さっき言ってた――」
「まあ、私は夢占いとかには詳しくないから憶測だけど」
私がそう言いかけるのとほぼ同時に、周囲の景色に変化が起きた。
「…糸がハッキリ見えるようになってきた。たぶん近い」
糸が見えるこの力に関しては未だ未検証な部分が多く、判っていること自体が少ないが、相手との距離によって透明度が変化するということまでは判っていた。
遠ければ薄く透明になり、近ければハッキリ鮮明になる。
ただ、その色が何を示しているのかは未だ判らなかった。
歩みを進めていると、周囲の風景はまるで舞台照明が暗転したかのように突然暗闇に包まれた。
「な、ななな、なんで…!?急に暗く…ってあれ…?ここは…?」
「やっと夢の境界に来たんだろう」
ハーマイオニーは私にしがみつくように体を寄せてくる。
中身が男とはいえ、本物となった金髪ロリ美少女に頼られるのは悪い気がしなかったため、私は無理に振り払うようなことはしなかった。
「水族館…?」
そこは、昨日私たちが訪れた水族館だった。
「…夢は記憶から出来たもの。それらは本来断片的なものだけど、夢を見ている人間はそれらが繋がって一つのストーリーのように感じている。ハチャメチャで支離滅裂な夢だと感じるのはそれが原因。まあ、ようするに、今私たちは夢の境目を越えて、次の夢に入ったってこと」
普通は移動に一時間掛かるような場所が、なぜか一瞬で移動したような夢を見ることは誰しもあるだろう。
その理由は、深い眠りと浅い眠りを繰り返しており、それを繰り返す度に違う夢を見ているからだと言われている。
つまり、本人の感覚としては切り替わった感覚は無いものの、それらは別々の夢ということになる。
私の講義が終わった頃を見計らったかのように、背後から三人分の人影が現れた。
『ナニコレ、すごっ!?きれー!?おっきー!?』
『なんだか、本当の深海に居るみたいですねー…』
「か、夏那さん!?それに僕がもう一人!?」
「見慣れた」という表現が正しいかどうかは判らないが、その三人分の人影は昨日の私たちとまったく同じ格好をしていた。
あからさまに慌てふためくハーマイオニーを落ち着かせるように、私はその肩を軽く叩く。
「落ち着け。これは昨日の記憶。夢は脳が記憶を整理をする過程で見るとも言われている。つまり、新しい記憶ほど強く鮮明になる。丸一日同じ時間を過ごしていた私たちは夢の中に登場する確率が高い」
「な、なるほど…。夏那さんの記憶の中の僕たち…ってことですね…。ビックリしたー…」
『確かにな…。まあ深海になんて行ったことないけど。パンフ情報だと、ここにはサメも居るらしいぞ?』
『サメ!?シャーク!?見たい見たい!!』
そうしている間にも、三人の水族館トークは着々と進行していく。
私はその様子を眺めながらこう思った。
「やっぱり目立ってるじゃないか…」
私たち三人は、どうみても小学生が水族館に遊びに来てはしゃいでるようにしか見えなかった。
「でも、自分で自分を見るって、不思議な気分ですねー…。こうして見ると、僕ってまんま女の子じゃないですか…」
「今さら自分の秘めたる素養に気付いたのか。でもまあ、今は更に磨きが掛かって本物の女子だけど」
「それを言わないでくださいー…」
ハーマイオニーは再び膝から崩れ落ちた。
『あー…。あれはたぶん餌用の魚ですね。自然界では大きい魚が小さい魚を食べるのは普通ですし、水族館の魚といっても食べるものが変わるわけではないんでしょう。きっとここもそういった自然に近い環境を再現するために…』
もう一人のハーマイオニーがそう言って上方を指差す。
「そういえば、確かこの後…」
私はその時の出来事を思い出し、咄嗟に夏那へと駆け寄り、その隣に並び立つ。
「あの時、夏那は何を見て――」
そして、夏那の向けている視線の先へと視線を移す。
『小さい魚が…大きい魚に…』
夏那がそう呟いて、水槽を見上げる。
すると、あの瞬間に起こった出来事を、私はしっかりとこの目に焼き付けることになった。
「――!?」
…
『ご、ごめんね…?す、少し休めば治ると思うから、向こうで休んでるね…?』
昨日の夏那は私の知るシナリオ通りに、この場を去っていった。
「この時は本当にびっくりしました…。まさか、夏那さんが腰を抜かすなんて思ってませんでしたから…って、何考え込んでるんですか?」
「一応聞いとくけど、今のアレ。何に見えた?」
「えっ?あの魚ですか?サメ…ですよね?」
私はその答えを聞き、改めて自分の前で起きたことを整理し始める。
確かにあの瞬間、妹の目の前を横切ったのはサメだった。
だが、妹を襲ったソレは断じてサメなどと呼べるようなものではなかった。
サメの背後から現れたソレは、サメよりも少し大きいクジラのような形をし、まるで金で出来たような光沢を放っていた。
さらに信じられないことに、ソレは水槽のガラスをすり抜けたかと思うと、捕食するかのように大きく口を開き、私の隣に居た夏那の全身を一口で飲み込んだ。
そして次の瞬間、それは水が弾け飛ぶかのように液状化し、まるでスポンジが水を吸収するかの如く、夏那の中へと吸い込まれていった。
それが、私の目撃した一部始終だった。
――アレは一体なんだったんだ…?
仮称・金クジラの姿形は、食事の時に夏那が言っていた“鯨”という言葉と一致している。
それだけではなく、夏那はあの瞬間、驚いて体勢を崩すような動作をした。
つまり、夏那は金クジラが見えていた可能性が高い。
そして、ハーマイオニーには何も見えていなかったようだが、私にはソレがハッキリと見えたという事実がある。
ネガミ・エールで視える感情の胞子や、雹果の目が見せる霊体のいずれかに近い性質を持っている存在であると仮定すれば自然なことだが、ハーマイオニーには見えず、夏那に見えていたという状況に対して納得のいく説明が思い付かない。
「う~む…」
「あの~…考えてるところ悪いんですけど、とりあえずあの夏那さんは本物じゃないから追っかけなくて良いってことで合ってます…?」
「二本目の糸は別の方向に向かってるし、間違いは無いと――」
自分の手から伸びる糸を確認すると、確かに今まで私が見ていた一本は入り口とは別方向に向かっていた。
「でも、さっき夏那さんっぽい人が昨日の夏那さんの後を追っていきましたけど…?」
「なん…だって…?」
私は再び自分の指先を確認し、それぞれの糸が指し示す方向を確認する。
その瞬間、ようやく私は自分があることを見落としていたことに気がついた。
「これは…どういうことだ…?」
だが、その状況をすぐに理解することは出来なかったため、私は来た道へと踵を返し、走りながら状況を整理することにした。
「ああっ!?ちょ、ちょっと待ってください!?だから、置いてかないでー!?」