第22話 魔法少女は悪夢で。(2)
夏那と呼ばれた女の子は、我が家に来てから一言も喋ることがなかった。
四六時中母の後ろにべったりとくっつき、無表情で感情表現も希薄で、意思表示といえば僅かに頷くか首を横に振るか沈黙するかの三択だった。
母はお得意の観察眼と推察力で何を言いたいのかを見分けていたが、私から見ればその子が何を考えているのかはさっぱり判らなかった。
それからの私は、その子のことを口のない人形と心の中で呼称した。
「…」
両親が外出している間、口のない人形はいつも同じソファーの上に座ったまま、ただただテレビを観ながらボーっと過ごしていた。
今日という日もその例に漏れず、口のない人形はそうしていた。
言い換えると、私と口のない人形は同じ部屋に二人っきりという状況に陥っており、両者の間には、言い知れぬ緊張感が漂っていた。
「えっと…。それって…なんて名前のキャラクター?」
ひたすらに続くであろう緊張と沈黙に耐えかねた私は、意を決して会話を試みることにした。
「…」
すると、口のない人形は謎のキモカワ系キャラクターのぬいぐるみを必死そうに抱きしめながら立ち上がり、借りてきた猫のように音も立てること無く部屋の片隅に移動した。
結果をそのまま言葉にするなら、私は無言で拒否られたということになる。
だが、私の挙動をチラチラ窺うように視線を送っている様子から見て、完全に嫌われているというわけではなさそうだった。
例えるのなら、小動物が初めて見た相手にそうするように、興味はあるけど安全のためにとりあえず距離を置き、観察しているといった印象が近かった。
これ以上の発展は無いと踏んだ私は、自室へと帰還するために立ち上がり、部屋の外に出て扉をゆっくりと閉め終える。
そして、人知れず小さなため息をつく。
「…常識と壁は崩すためにある、か」
ファーストアプローチはものの見事な失敗に終わった。
だが、私は諦めが悪かった。
◇
「夢の…中…?またまたー、そんな漫画や小説じゃあるまいし…」
そう言って、ハーマイオニーは私の発言を笑い飛ばす。
その他人事な様子を見て、私の中でちょっとした悪戯心が芽生えたのは必然の流れだった。
「…嘘だと思うなら自分の胸に手を当ててみれば?その心当たりが掴めると思うぞ?」
「自分の胸に手を…?」
確証を体現した張本人が、その変化にまったく気付いていないご様子なので、私は少しばかりからかってみることにした。
そして、案の定というべきか、ハーマイオニーは私の言葉をそのまま鵜呑みにし、自分の胸に手を当てる。
「う~ん…。心当たりなんて何も…――ん?」
暫くすると何かの違和感を感じたのか、その顔は疑惑の表情を浮かべ、何やら不思議そうに自分の胸を何度も撫で下ろした。
「えっと~…?あ…れ…?」
まるで家の鍵を失くしたかのように、全身を隈無く触りはじめたかと思うと、今度は尻から腰を触り、肩、首筋、顔、そして最後に自分の髪の毛をおもむろに引っ張ったあとに数秒間沈黙する。
そして、最後の最後に、恐る恐るといった緊張した様子で自分の下腹部へと手を伸ばす。
「――!?」
「どう?心当たりは見つかった?」
大方の予想通りの反応に満足しながら、私はニヤリと笑った。
それとは対照的に、ハーマイオニーはまるで世界の終わりを見てきたかのように青ざめた顔をしながら、死んだ魚のような目で私の顔を覗き込む。
「大変です…花咲さん…。心当たりは見つかったんですが、大事なモノを失くしたみたいです…」
私は失くしたモノとやらの言及は行わず、今ここにある現実をそのまま伝える。
「良いじゃないか、失くしたままで?これで正真正銘の女の子だぞ?」
当人の悲観的な様子を他人事だと言わんばかりに、私はあっけらかんとした態度で言葉を返す。
「そ、そんなの無理です!?ていうか、なんで僕の体、女の子になってるんですかー!??」
それはまるで、絶叫マシンに乗っているかのような、悲鳴に似た叫び声だった。
だが、その声は女の子らしい甲高い声になっているように聞こえた。
「そうだな…。雌雄同体だから成長して女の子になったとか?」
「あーなるほど、雌雄同体だから僕は女の子に…――ってなりませんよ!?僕は魚じゃありませんからっ!?」
私にノリツッコミを返せるくらいは元気であることを確認したものの、これ以上混乱させると手がつけられない気がしたので、私は置かれている状況の説明を仕方なく再開する。
「――とまあ、今のは冗談。本当のところは夏那がハーマイオニーのことを本当の女の子だと思い込んでるからだろう」
「夏那さんの…思い込み…??なんでそれが僕が女の子になった理由に…?」
「さっき言っただろ?ここは夏那の夢の中だって。もし、ここがそうだと仮定した場合、夏那はこの世界の神様であり創造主ってことになる。だとすれば、お前が男であるという事実を知らない夏那は、夢の中であるこの世界のハーマイオニーを女の子だと定義するだろう。たぶん、それと同じ理屈で私もこんな姿になってるんだと思う」
心当たりは幾つか考えられるが、私が魔法少女姿になっている理由は、家で変身ポーズを見られたことや、先日の映画撮影でこの衣装を着ていたことが強く影響していると考えられる。
そして、当然妹はハーマイオニーのことを“普通の小学生の女の子”だと認識している。
ハーマイオニーを女の子であると認識しており、私の魔法少女姿を強く印象付けて記憶している人物が
この世界を構築しているとするならば、この状況を創ったのが夏那である可能性は非常に高い。
無論、ここが夢の世界でもなんでもない別空間であり、第三者の関与によって私たちがあれやこれや弄られて踊らされている、という可能性も未だ否定は出来ないが、もしそんな不届き者が居るとしたのなら後生消えることのない黒歴史を私直々にその身に刻んでやると断言しよう。
「な、なるほど~…って!それじゃあここに居る間はずっと、僕は女の子のままってことですか!?」
「たぶん。まあ、ここから抜け出せなければ永遠に女の子のままだろうけど」
私の一言でハーマイオニーは脱力し、膝から崩れ落ちた。
「終わったー…。僕の男としての尊厳は…今、完全に失われてしまいました…」
「尊厳って…あのなぁ…」
――ポヨン。
そう言い掛けた瞬間、あることが妙に引っ掛かり、私はそれを確認するためにすぐさま行動を起こす。
うな垂れるハーマイオニーの両肩を掴んで上体を上げ、その胸部を何の躊躇もなく鷲掴みにする。
「んなゃあ!?」
ハーマイオニーは奇声を上げながら私の手を勢い良く振り払うと、顔を赤らめながら両手で胸を隠すように庇った。
その反応はまるで本物の女の子のようであり、さらに付け加えるなら見た目においても紛れもなく美少女だった。
「な、ななな、なにしてるんですか花咲さん!?」
自分の両手に残った感触を理解することができず、私は手のひらを見つめ続ける。
顔を赤らめながら混乱しているハーマイオニーなどお構いなしに、私は事実を確認するように自分の胸元に触れる。
「…どうやら、今、女としての私の尊厳がお前によって木っ端微塵に砕かれたっぽいのだが…一体どうしてくれよう…?」
「ひぃっ…!?な、なんか口調がおかしいし、目が怖いです…よ?」
ハーマイオニーの胸部にはカモフラージュのためにパットが入っていたとはいえ、現物となったソレが私の手のひらに感じさせた質量感は、私のものを優に超えていると断言できるほどの大物へと変化していた。
夢の中とはいえ、ハーマイオニーが私のサイズを超えていたことに関しては異論を唱えざるをえない。
だがそれ以上に、女である私が男であるハーマイオニーに敗北を喫したというその事実が、言いようの無い虚しさとなって私の中に込み上げてきた。
「そう…だ…」
私はふと、あることを思い立ち、フラフラとした足取りでハーマイオニーに近寄る。
「な、何する気です…?」
「…大丈夫。怖がることはない。男として消えない屈辱を味わわせてやろう――なーんて思ってないから大丈夫」
後退りするハーマイオニーに構うことなく、ゆっくりゆっくりと歩を進めて壁に追い込む。
「あ゛ー!?花咲さんが正気を失ってるっぽいー!?誰か助けてー!?」
誰のせいでもないと判ってはいても、不条理に対して怒りが生まれるのは世の常であり、真理でもある。
つまり、行き場を失った私の怒りが、当然の如くハーマイオニーへと向けられるのは、もはや自然の摂理とも言える。
そんなことを考えながら、私は自分の行動を肯定する。
「と、とと、とにかく今は落ち着きましょう!ねっ?ねっ!?」
「私はとても落ち着いている。だから、そこから動くな」
壁に追い込まれて脅えるハーマイオニーを尻目に、私は数センチ目前まで距離を詰める。
「やめ…――へっ?」
次の瞬間、私は何も言わずにその隣に並び立ち、自身の頭頂部に平手を乗せる。
そして、その事実を確認して私は思わずガッツポーズをする。
「よしっ…!やっぱり私のほうが3センチくらい大きい!ははは!勝った!!」
私の手は、ハーマイオニーの頭頂部よりも3センチほど高い場所に位置していた。
「あれ…?確かに、花咲さんのほうがちょっと大きい?ほとんど同じ身長だったはずなのに、なんで…?」
「姉の存在は偉大ということだよ、ハーマイオニーくん」
そう言いながら、私は胸を張りながらハーマイオニーの肩を強めに叩く。
実際のところ、ハーマイオニーが女の子になっているのであれば、私も同様に現実世界とは違う体になっている可能性は高かった。
夏那はハーマイオニーを小学生だと思い込んでいることに加え、私には“姉という威厳補正”が掛かっている。
そのため、これだけ顕著に身長差が出たのだと考えればまったく不思議は無い。
「ははは…身長で負けたのはちょっと悔しいですけど、とりあえず花咲さんが普通に戻ってくれて安心しました…。てっきり、花咲さんが壊れてしまったんじゃないかって――」
私は条件反射的に、この旅で四度目となるチョップを脳天にお見舞いする。
「――夢の中だから痛くないって、嘘ですねー…」
「…おっと、こんなところで油を売ってる暇じゃなかった」
同世代との身長勝負で初勝利を飾ったことで少々取り乱したものの、勝利の余韻もそこそこに、私はここに来た目的を再度認識する。
「そうですねー…。このままの姿は嫌ですし、こんなわけのわからない場所に長居するのはもっと嫌です…。早くここを出ましょう?」
私は首を大きく横に振る。
「ここから出るのは勿論だけど、私にはまだやるべきことがある」
私は先ほどの女の子が走り去った方向に向けて踵を返し、スタスタと歩き始める。
「えっ…?ままま、待ってください!?どこに行く気なんですか!?」
「早くここから出たいなら自分で出口を探すといい。私はあの子を…――夏那を探さなくちゃいけない」
「探すって…。そんなこと言っても、ここって夢の中なんですよね…?それなら、さっきの夏那さんも幻って可能性だってあるんじゃ…?さっきも消えちゃったし…。それに探すにしたって、手掛かり一つ無いこんな状況で人を探すなんて、さすがに無理があるんじゃ…?」
ハーマイオニーはどこか抜けている雰囲気はあるが、少なくとも馬鹿ではないと私は思っている。
その認識どおり、ハーマイオニーの発言は的を得ている。
先ほどの夏那が幻だったという可能性も否定は出来ないし、ここから出ることを最優先にするという選択も、置かれた状況を鑑みれば当然だろう。
きっと普段の私であれば、同じことを考え、行動していたことだろう。
だが、今の私は、目の前で起きた受け入れ難い事実を、到底受け入れることが出来なかった。
「ハーマイオニーは見たことあるか…?夏那のあんな顔?」
私は振り返り、困惑するハーマイオニーにそう問い掛けると、ハーマイオニーはすぐに首を横に振った。
「いえ…。夏那さんは笑ったり驚いたり、いつも表情豊かな人ですけど、苦しそうだったり、辛そうな顔をする夏那さんを見たのは今日が初めてです…」
私は同意するように小さく頷く。
「…正直に言うと、私もあんな夏那を今まで見たことがなかった。私たちが一緒に暮らすようになった五年間で、ただの一度も。だからこそ、あれが本物だったかどうかなんて私には判らないし、私がこの目で確かめるまで、それを信じることは出来ない」
私が夏那を見たのは一瞬だった。
私がハーマイオニーを見分けることが出来たように、話し掛けたり接触することで意思や記憶を確認することも出来るだろう。
しかし、今の段階では夏那を本物だと証明する根拠はまったく無く、本物とも偽者とも断言できないというのが実状だった。
だが、それとは別に、私には別の行動理由が存在していた。
「…だけど、これだけは言える。現実世界の夏那が苦しんでいるのを私はこの目で見ている。私が夏那を探す理由はそれだけで十分。そして、本物かどうかはそのとき確かめればいい」
詰まるところ、あの夏那が本物だろうと偽者だろうと関係はなかった。
なぜなら、今、この瞬間も夏那が苦しんでいるという事実があり、私はそれをなんとかするためにここにいる。
つまり、夏那を探して助けるという最終目標は、いずれにしても変わることはなかった。
「花咲さんはやっぱり凄いですね…。芯が通っているというか、折ってもただじゃ曲がらないというか。まるでタンポポみたいです」
私は一瞬だけ理解が追いつかず、眉間にシワを寄せる。
「…それは見た目が根暗な私に対してイジりと取れば良いのか?」
「ち、違います!?純粋に褒めてるんですよ!?タンポポはどんなに踏まれても折れないし、根っこもしっかり根付く強い植物なんですから!」
私は頭をポリポリと掻きながら、ハーマイオニーに背を向ける。
「…まったく。相変わらず例えが特殊で分かりづらい。どこかの誰かさんみたいだ…」
緩んだ顔を見られたくないから背を向けたとか、照れ隠しなどではないことを注釈しておく。
「とりま、さっきの言葉は訂正させて。巻き込んで悪かったと思ってる。ごめん」
「へ…?は…花咲さんが僕に…謝った…?どこか頭を打ったんですか!?それとも…偽者!?」
あらぬ疑いを掛けられてるが、謝っている側が手を上げるのもどうかと思い、私はぐっと堪える。
「…違う。私は妹をこのまま放っておけない。だから、これ以上私に付き合う必要はないって言ってる。ここから先は何が起こるか判らないし、危険なこともあるかもしれない。幸い私からはお前がどこにいるのか判るから探せるし、ここに留まってたほうがよっぽど安全だと私は考えてる。だから――」
ひと月前の事件で、一般人であるハーマイオニーをエゾヒとの危険な戦いに巻き込んでしまったことに加え、今のような事態に巻き込んでいることさえ、私の軽率な行動によるところが大きいのは言い逃れできない事実である。
巻き込んだ張本人が言うのも都合の良い話だが、ハーマイオニーをこれ以上危険なことに巻き込んでしまうことは、私の本意ではなかった。
「何を言うかと思ったら、そんなことですか…」
ハーマイオニーは小走りで私の正面に回り込んだかと思うと、その小さな体で行き先を塞ぐように胸を張った。
「こんなところに一人置いていかれるなんて、僕は絶対に嫌です。それに何より、花咲さんが言ったんですよ?妹さんを支えてほしいって。まあ、僕なんかが力になるかは判らないですけど…」
私の目に狂いはなかったことを改めて確認し、私は安堵の息を吐きながら小さく呟く。
「やっぱり、チョロニーだったか…」
私は歩みを再開し、ハーマイオニーの横を通り過ぎる。
「え…?何か言いました?」
ハーマイオニーはチョロい――それは言い換えると、“人を信じることを疑わない”ということ。
それは今の私とは正反対の人間と言えるのだろう。
ハーマイオニーを連れて行くことは私の本意では無いが、ハーマイオニー本人が危険を承知の上で自ら望むのであれば問題は無い。
「…何ボサッとしてる?ちゃんと着いてこないと置いてくよ?」
「ええっ!?ま、待って!?お、置いて行かないで!?」