第22話 魔法少女は悪夢で。(1)
夏が終わりを迎え、過ごしやすい秋が訪れようというある日曜日のことだった。
所用で出掛けていた母は帰宅するなり、リビングで読書をしていた私にこう言った。
「ハル。今日は話がある」
いつも通りの口調で母がそう言うと、部屋の外に向けて誰かを招くような動作をし、小さな女の子を部屋へと招き入れた。
「あ…」
私はその子の顔に見覚えがあった。
「この子は夏那。理由は後で話すけど、今日からこの子がお前の妹だ。お姉さんとして面倒見てやって欲しい」
私に“妹という家族”が出来た瞬間だった。
◇
◆5月13日 午前??時??分◆
瞼を開けると、私は路上に倒れていた。
何が起こったのか理解出来ないまま起き上がり、周囲を見渡す。
「ここは…どこ…?」
そこはまったく見覚えの無い場所だった。
ただ、とりわけ不思議な空間というわけではなく、狭い道路があり、民家が立ち並んだ閑静な住宅街の一角である、ということが一目で判るくらい普通の場所だった。
「ん…?これ…なんで…?」
ふと気が付くと、私はなぜか魔法少女に変身していた。
しかし、よくよく細部まで観察してみると、それは映画撮影の一件で着ていたものに酷似しており、シャイニー・レムの正装ではなかった。
魔法少女には変身しないと約束したばかりであったが、私の意志でそうなったわけでも、本物に変身したわけでもないので、これはノーカンだということにし、とりあえず自分を納得させる。
「空も明るいし…服装も勝手に変わった。ということはまあ、大体お察しって感じか…」
先日の一件で雹果の意識に入ってしまったとき、似たようなことが起きたことを私は思い出した。
ファンタジー世界や未来ならいざしらず、人一人が一瞬にして別の場所に飛ばされるというのは、この現実世界において普通ではない現象である。
それに加えて、深夜の0時だった時間を否定するように空は昼間のように陽光で照らされ、衣服が勝手に映画撮影のときの衣装に変わるなんてことが、現実世界で起きるはずはない。
つまり、現実には考えられないことが現実で実際に起こったか、私の意識だけが現実ではない場所に居るのか、あるいは私がただ幻覚を見せられているのかのいずれかだろう。
だが、それらの非現実的な可能性に考えが至ってもなお、私は落ち着いていた。
なぜなら、こうなることは私の経験に基づいた観点から言えば、予想通りの範疇だったから。
「知らない場所で、今どこに居るのかもよく判らない。地図も無ければスマホも無い。おまけに戻る方法も判らない。かといって、こんな場所で当ても無く歩き回るのは危険。となると、この手掛かりを頼りにするしかないな」
私は右の手のひらを真正面に広げる。
すると、私の指先から伸びた2本の半透明の糸が同じ方角に向かって伸びていた。
「やっぱり、ここでも有効…。たぶん一つはハーマイオニーだとして、もう一つはやっぱり…。まあ同じ方向だし、とりあえず辿ってみるか」
私は人知れず雹果に感謝しながら、2本の糸を手繰るように歩き始めた。
…
「近いな…。このあたりに居るとは思うんだけど…」
時間感覚が定かではないが、10分から15分ほど歩いただろうか。
代わり映えしない住宅街が視界を流れていくばかりで、本当に進んでいるのかと疑心暗鬼になる時もあったが、半透明だった糸が次第に色味を帯び、はっきりと色が識別出来るまでになっていたことで、着実に近付いていることだけは確信していた。
「…お?」
進行方向を向いていた糸がその方向を反れ、住宅街の一角へと方向を変えた。
その糸の向かう先には、物陰に隠れながら遠くの様子をコソコソ窺っている人影があった。
私はその人影に背後から近づき、今度は堂々と話し掛けることにした。
「おい、君」
「ひぃ!?べ、別に怪しい者じゃないんです!これは仕方なく…って、あれ…?いま僕、話しかけられた…?」
その人物は恐る恐るといった様子で振り返る。
「は…花咲さん…ですか…?ほ、ホンモノ…?」
「本物に決まってるだろ。あ、いや…でもここにいる私が実体でない可能性もあるのか…。自意識としては私のつもりだけど、本物っていう言葉の定義からすると何も無い状況でそれを証明することは難しいか」
私が腕を組んで悩んでいると、ハーマイオニーは半べそをかきながら飛びつくように抱きついてきた。
「よ、よかった~!!とりあえず本物の花咲さんっぽい~!!」
「…今の会話に私を特定する要素あるか…?お前の中で私の定義はどうなってるんだ…?それと――」
――ゴス!
「どさくさに紛れて抱きつくな」
私は伝家の宝刀を抜き、その脳天にお見舞いする。
「痛ぁ…!?ああ…!でも、なんだかこの痛みが妙に懐かしい!?」
脳天にチョップを喰らわせたというのに、今のハーマイオニーにそれは逆効果のようだった。
「…突然何かに目覚めるなよ。そして、いい加減に手を離せ」
「む、無理です!?僕一人ぼっちで寂しかったんです!?何時間歩いても知ってる人は見当たらないし、みんな僕のこと無視して通り過ぎちゃうし!この手を離したらまた一人ぼっちになっちゃうんじゃないかって心配なんです~!」
ハーマイオニーは透き通るような青い瞳にうっすらと涙を浮かべながら、より一層腰周りを締め付ける。
「まったく…泣くなよ、みっともない…」
だが、私には泣きたくなる気持ちが理解できなくもなかった。
「まあ、アレを見てたらそうなるか…」
ここに至るまでに、私は何人もの人間たちとすれ違っている。
しかし、それらは人の形をした何かと表現するほうが近かった。
私が話し掛けても答えることはないし、触れようとしてもすり抜け、それでいながらゲームに登場するNPCのようにまるで生きているかのように生活をしていた。
私だけが見えていない可能性もあると考え、それらを少しばかり観察していたところ、あることに気が付いた。
結論から言えば、それらはずっと同じ行動を繰り返すだけのものだった。
録画された映像をループ再生しているかのように、何度も何度も同じ人間が同じ人間に朝の挨拶を交わすという光景は、異質であることを裏付けるとともに、私には非常に気味悪く感じられた。
恐らく、私と似たような感情をハーマイオニーも抱いていたのだろう。
「…心細かったのはなんとなく理解できる。だが、それとこれとは話は別。いい加減に離れないと――」
私はふと違和感を感じ、ハーマイオニーの前髪を掴んで引っ張り上げる。
そして、その泣きべそにまみれた顔を覗き込む。
「…ちょっと待て。お前、一体誰だ?」
「へ…?ど、どういう意味ですか?僕の顔忘れちゃったんですか?それとも、また何かのジョーダンとか?ははは、相変わらずジョーダンきついな~」
おどけるハーマイオニーに対して、私は一際鋭い眼光で睨み付ける。
「ええっ…!?う、嘘ですよねっ!?本当に僕のこと疑ってるんですかっ!?」
「疑っているというより、信じたくないと言った方が正しいかもしれない…」
私は複雑な心境を言葉にすることを躊躇い、戸惑う。
『いってきまーす!』
すると突然、少女の声が耳に入り、私はそれに気を取られてハーマイオニーとのやり取りを中断する。
「ん…?今の声…?」
「ああ!?そ、そうだった!?アレ!アレ見てください!やっと見つけたんです!!」
そう言ってハーマイオニーが指差した方向には、立派な一戸建ての家があった。
そこから出てきた人影は、黄色い帽子にランドセルを背負った、まだ小学三年生か四年くらいの女の子であり、先程の声の主であると窺えた。
だが、私の位置からはその顔を拝むことは出来なかった。
『待って!これ!忘れ物!』
そう言いながら、女性が玄関から顔を覗かせた。
『あ!?そうだった!!ありがとう!ママ!』
『気をつけてね?あんまり走ると危ないわよ?』
『うん!わかってるってー!いってきまーす!』
その女の子は路地を曲がり、勢いよく走り去っていった。
「今のは…?コソコソ隠れてると思ったら、まさかそっちの趣味があったのか?そんな格好してるのに?」
「ち、違います!?誤解です!?というか、格好は関係無いし、そっちの子じゃないです!!」
「そっちじゃない…?」
ハーマイオニーは少女が出てきた家のもっと奥を主張するように指差す。
そこには、立ち尽くすようにその様子を見つめる人影があった。
「…夏…那?」
それは夏那だった。
しかし、その夏那は今にも泣きだしそうな表情をしながら、先程の親子らしき二人が出てきた扉をただただ無言で見つめていた。
私は夏那のそんな表情を見たのは初めてだった。
「あれって、やっぱり夏那さんですよね…――って、あれ?」
ハーマイオニーが指差した次の瞬間、そこにあった夏那の姿は忽然と消えていた。
「き…消えた!?なんで…!?」
私の顔を窺うように眺めた後、ハーマイオニーはより一層私の腰にしがみつくように抱きついてきた。
「なるほど…。大方理解した」
「へっ…?どういう意味ですか?」
私は状況を整理し、一つの結論を得た。
「ここは夏那の夢の中だ」