第21話 魔法少女は家族旅行で。(5)
◆5月12日 午後6時40分◆
「あっ!?これおいしー!?」
「あ!本当ですね!こっちの煮付けも味付けが絶妙です♪」
刺身や鍋、郷土料理といったものがテーブル一杯に並べられた豪勢な食事を前に舌鼓を打つ面々。
「…コレうまー」
例に漏れず、私は一つ一つの料理をじっくり味わいながら箸を進め、至福の時間を満喫していた。
「いやー…酒が進むわー!仕事のこと考えなくて良いって、最っ高!」
まるで飲み屋にでも来たノリの母は、予め用意されていた数本の瓶ビールをみるみるうちに空にしてゆく。
「…仕事のことは考えなくて良いけど、明日のことはちゃんと考えて。帰りがあるんだから」
「えぇー?堅いなぁ、ハ・ル・は?ちょっと寝れば酒なんてどこかに抜けてくもんよー?」
「もう酔ってるな、これは…。大体、それはあんたが捕まえるほうの言い分だろうに…」
現役警察官がパトカーに乗って飲酒運転なんてガチで笑えないので、そこらへんはちゃんとしてもらいたい、と私は心の底から思っていた。
しかし、私はその意思に反するように、仕方なくグラスにビールを注ぐ。
「そうは言いつつ、注いでくれるのねー?ハル優しいー♪」
「まあ、今日は特別ってことで」
「とく…べつ…?なにかあったかしら…?」
母は赤み掛かった顔を横に傾ける。
――やっぱり、未だに自覚がないんだな…。
「夏那さん…すごい食欲ですね…」
「なんだかお腹空いちゃって…てへへー…」
見ると、夏那の前に置かれていた大量の食事は、ものの数分で半分以上無くなっていた。
「水族館では突然倒れたからちょっと心配しましたけど、これだけ食欲があれば大丈夫そうですね?」
――カチャン…。
その直後、二人の会話を遮るように、渇いた音が鳴り響いた。
「…なに…その話」
母が持っていた箸をテーブルに置き、真面目なトーンでそう言った。
すると、二人が和気藹々と歓談していた空気は一変し、張り詰めるような緊張が訪れた。
「えっ…?え~っと、そんなに心配いらないよ?倒れたっていっても、大したことじゃな――」
母は無言で立ち上がったかと思うと、妹の隣に座り、夏那の額に手を当てた。
「どこかぶつけたりしなかった?頭打ったりとか?」
「だ、大丈夫だよお母さん。ちょっと鯨さんに驚いただけだからー?」
「…さすがに過保護過ぎるだろ」
私は妹に使われたフリを引用しながらも、何事も無かったかのように淡々と料理を口に運ぶ。
「…保護者なんだから当たり前でしょ」
これまでの落ち着き払った声とは明らかに違う、静かに叱るような口調で母は呟いた。
声の大きさに動きに驚いたというわけでもないのに、私を含めた三人がまるで叱られたかのように黙りこくった。
その空気を悟ってか、母は顔を上げ、引きつった笑いを浮かべた。
「あ…御免なさい…私ちょっと酔ってるみたい…。食事を済ませちゃいましょう?」
「う…うん…」
「…」
まるで通夜のような空気の中、夕食の時間は刻々と流れていった。
◇
◆5月12日 午後9時◆
「あんたって、ほんっと読書好きねー?せっかく旅行に来たって言うのに」
母は壁に寄りかかりながら、気付け薬代わりの缶コーヒーをすする。
「本は友達。つまり私は今、本と遊んでいる。だから問題無い」
私も同じく壁にもたれかかりながら、こんなこともあろうかと持参していた本を読んでいた。
「本が友達って…。屁理屈が極まるとこうなっちゃうのねー…。お母さん悲しいわー」
「人を変人みたく言わないでほしい」
私は一見普段どおりに聞こえるそのやりとりに違和感を覚えていた。
だが、その答えをすぐに知ることになった。
「ねえ…。ナツが倒れたこと、なんで私に黙ってたの?」
今までの会話は余談で、これからが本題なのだと私はすぐに察した。
なぜなら、ここまでに何気なく交わされていた会話は、私にとっては普通と呼べるものではなかったから。
「…なんで怒ってるの?」
「話を逸らさない。私は怒ってないし、話をはぐらかそうとするのはハルの悪い癖よ?」
私は本に目を通しているため、母の顔すら見ていない。
だが、その口調から“怒っていない”という言葉が嘘であることを感じ取っていた。
怒っていてもこういう態度をとってしまうところは不思議と自分に似ているな、などとまったく関係ないことを考えながら私は答える。
「…別に。言う必要がないと思ったから」
実際のところ、私はそれほどのことではないと思っていた。
それは姉という立場から見た主観であって、母親としての立場や考え方とは違うものなのだろう。
「それを決めるのはあなたじゃないでしょ。子供が倒れたってのに、そんな大事なことを母親に黙っておく理由なんてある?それにあの子は――」
そう言いかけて、母は口篭った。
「いや…なんでもない…」
母は私が知る必要はないと思い、その先を語らなかったのだろう。
だが、私はその言葉の先を知っている。
「“幸せ”って、結局何だと思う?」
「何…?いきなり…?哲学…?」
「知ることよりも、知らないことのほうが本人にとって幸せなときもある。でも、あのとき知っていたならと後悔することもある。結局どっちが本当の幸せなのかなって」
私が黙っていたのは、姉でも母でもなく、妹の立場や考え方を尊重したからだった。
私の経験上、妹は誰かに心配や迷惑を掛けることを良しとはしていない。
妹にだって私や母とはまた違った考え方があるのだろうと考え、私からは行動を起こさず、妹の意思を尊重した――というより、尊重することを試みた。
「言わなかったのは悪いとは思ってる。だけど、夏那がそれを言おうとしないのなら、私の口からは言えない」
母は考えるように目を閉じると、大きくうなずいた。
「なるほどね…。ハルの言いたい事は理解した。本も良いけどほどほどにね。早く寝なさいよ?」
そう言って、母は笑みを浮かべながら私に背を向けた。
「…そういえば、聞きたいことがあったんだけど」
私はこの際だからと、今まで気になっていたことを聞いてしまおうと思った。
「何よ?突然あらたまって?」
「私たちの母親じゃないのに、どうしてそんなに真剣になれるの?」
前々から疑問だったことをそのまま言葉にした。
そこに深い意味は無かった。
「そっかー…。そうよねー…」
「…?」
母はそう呟くと、一瞬だけ顔を歪ませた後、部屋の入り口に向かって歩き出した。
「ちょっと風に当たって来るわ。あんたたちは先に寝てていいから」
その直後、私は自分の発言を悔いることになった。
なぜならその言葉は、私が絶対に口にしてはいけないことだと気付いたから。
◇
◆5月13日 午前0時5分◆
「――起きて!起きて下さい、花咲さん!」
「う~ん…?なに…?朝…?」
私は目を擦りながら、声のしたほうを向く。
「違います!違うんです!大変、大変なんですー!」
そう言いながら、ハーマイオニーは私を掛け布団ごと揺すっていた。
「へんたい…?まさか私の寝込みを襲いにきたとか…?」
「変態じゃなくて大変…というか、ご、誤解ですー!じょ…状況的にはそう見えるかもしれないけど!」
寝起き様にひとイジリつつも、私は寝ぼけ眼のまま上体を起こす。
スマホの時計を確認すると、時刻はちょうど0時を過ぎた頃で、まだまだ夜は始まったばかりという頃合だった。
「じゃあ何だよ一体…。こんな時間に…」
「夏那ちゃんの様子がおかしいんです!なんか唸り声が聞こえたから起きたんですけど、なんだかすごく苦しそうにしていて…」
「苦しそう…?悪い夢でも見てる…とか?」
「それだけだったらこんなに慌ててないですって!?」
私は渋々立ち上がり、妹の傍まで移動して暫し様子をみる。
「確かに…。苦しみ方が尋常じゃないな…」
妹は顔や額に汗を浮かべ、呼吸も荒く、掛け布団を引き千切らんばかりに引っ張り、奥歯を噛み締め、それはさながら拷問に耐えているように見えた。
「熱は少しありそうだけど…」
額に手を当て、熱を確かめるもそれほど酷くはなかった。
観察していると、私はある異変に気付いた。
「胸…?」
妹は胸元を掻き毟るかのように、胸元に爪を立てているように苦しんでいるように見えた。
そのため、私はすぐに浴衣をはだけさせて、胸部を確認する。
「なんだこれ…?穴…?」
そもそも、それを穴と表現することが正しいのかどうかすらも怪しいが、事実として妹の胸部には直径2センチほどの穴のようなものがあった。
当然見たことは無いが、形容するのであればブラックホールという表現が近く、黒い煙のようなものが渦を巻いて穴のようになっていた。
私はすぐに状況を察して眼鏡を掛けると、それは私の視界から忽然と消え、見えなくなった。
「ふむ…。わけが判らん」
考えても判らない。
だからこそ私はすぐに理解した。
これが普通の病気などではないということを。
「夏那ちゃんはどうなんですか!?きゅ、救急車呼んだほうが良い!?」
まるで産気付いた奥さんを心配する旦那のような言い回しでハーマイオニーが詰め寄ってきたが、それを手刀で沈黙させる。
「いったぁ…!?いきなり!?」
「ちょっと黙ってて。考えてるから」
こんな状況にも関わらず、私は至って落ち着いていた。
寝起きだからという理由も否定はできないが、取り乱しているハーマイオニーには任せておけないし、この現象が目視出来ない事象である以上、病院に担ぎ込んでも解決はしないのだろう。
つまり、私が落ち着かなければ事態が好転することがないことは自明の理だった。
「何か要因があるはずだけど、見た感じ何も無い…」
私は今出来ることを総動員して、情報の収集に当たる。
まずは外的要因の線を考え、原因となりそうなもの、それ以外の変化、部屋の隅々まであらゆる痕跡を調べて回る。
だが、目立った収穫は得られなかった。
「病気や食中毒でもなく、ここで起こったことじゃないとすると…」
恐らく、私たちがこの旅館に辿り着くまでに起こった事の中にヒントが隠されている。
私はそう睨んだ。
「…仕方ない。ハーマイオニーちゃん。ちょっと」
「な…なんですか?僕に手伝えることなら何でもするよ!?」
「そう。なら、ココ。触ってみてくれる?」
そう言って妹の胸にある穴を指差す。
「へっ…?夏那ちゃんのむ…胸をですか…!?な、何かの罠…!?」
「いいから。私が許す」
この現象が何なのかを特定するには、あまりに情報が少なかった。
妹の様子を見る限りでは病気のようにも見えるが、そうでないかもしれない。
これ自体も一時的なものかもしれないし、そもそも苦しんでいることとまったく関連性がないことだってあり得る。
だが、少なくとも私にはその異変が視えている。
それならば、それに接触することで人に対して影響を与えるものなのか、それが人から人に伝染するものなのかなど、少ないながらも情報が得られるのではと考えた。
無論、何が起こるか判らない以上、妹の状況が好転するかもしれないし、伝染するようなものであれば最悪私たちもその影響を受けることになる。
その可能性も考慮して、私はハーマイオニーを実験台にすることにした。
「前みたいに後で怒るとか無しだからね…?」
「わかってる」
ハーマイオニーが恐る恐る黒い穴に触れた瞬間、期せずして事態は動いた。
「ぁ…」
――バタッ!
まるで感電して意識を失ったかのように、ハーマイオニーはその場に倒れ込んだ。
「なっ…?お、おい!?大丈夫か…!?」
ハーマイオニーを慌てて抱き起こし、その頬を何度叩いても、口を半開きにしたまま反応が無かった。
「これ、結構ヤバいやつなのか…?」
覚悟はしていたし、想定もしていたのだが、その可能性は低いと高を括っていた。
だが、私が考えていたよりも事態は深刻なものだったのだと、私はそのときようやく理解した。
「呪いとか、そっち系…?だとしたら雹果に聞けば判るかもしれない…」
ハーマイオニーの犠牲のおかげで、それが人にとって危険なものであり、触れると意識を奪われる可能性がある、ということまで判った。
しかし、それが判ったところで私には手の打ちようが無かった。
だが、呪いに類するものであれば、雹果なら何かしらの対応方法を知っている可能性がある。
そう思い立ち、私はスマホを取ろうと自分の枕元に手を伸ばす。
そこで私はふとその異変に気がつく。
「これって…?」
気が付くと、私の指先から伸びた二本の糸が、妹の胸に吸い込まれるように伸びていた。
「二本とも…?ということは…まさか…?」
その瞬間、私は一つの可能性に考え至った。
「なるほど…そっち系かー…。苦手なんだよなー…体は疲れないけど、心労がなー…」
私は、過去に数度経験したそれらの出来事を思い浮かべる。
それらいずれの経験も、私にとってはとても過酷であったという記憶が鮮明に刻まれていた。
「…まあ、四の五の言ってられないか」
私はぼやくことを止め、大きく息を吸って呼吸を整える。
そして、意を決し、ハーマイオニーの意識を奪ったそれに手を伸ばす。
「ぅうっ…!?」
指先が触れたその瞬間、目の前が白くなり、私の意識は遠退いた。