第21話 魔法少女は家族旅行で。(4)
◆5月12日 午前11時20分◆
「露天風呂…?」
ハーマイオニーは隣に座る私に、訝しげな表情を向ける。
「恐らく、避けては通れない強制イベントになる。前回のこともあるし、どう考えたって夏那はお前と一緒に入りたがるだろう」
「前回…?あー…木之崎さんのお宅に泊まったときですねー…。前はのぼせて倒れちゃったから、皆さんには迷惑掛けちゃったみたいですし…。だけど、正直なところあんまり覚えていないんですよねー…」
私はその日の出来事をフラッシュバックの如くふと思い出し、一際大きなため息をつく。
「…そのまま永遠に忘れているといい」
あの日の出来事は、数多ある私の黒歴史の中でも上位にランクインするほど屈辱的な事件だったと言って過言ではない。
しかし、永遠に忘れ去りたい過去の一つとしながらも、こうして強く脳裏に刻まれてしまっているという現実は、真の不条理と言えるかもしれない。
「ともかく、さすがに男だと知られるのはマズいし、何よりお前を女湯に連れて行くなんて私には出来ない。犯罪に加担したくはないし」
「それは…そうですねー…」
大浴場での出来事は、芽衣の協力があったからやり過ごすことが出来たようなものだったが、今回は協力を求めることの出来る人間は居ない。
まして、公衆浴場の女湯に男を堂々と連れ込むなんて、常識どころか非常識の度すら越えてしまう。
故に、それだけはなんとしても避けなければいけなかった。
「最悪の事態を回避するために、来るべき事態に備えておく必要はある。だが、今回はうちの母親の目もあるから下手なことは出来ない。私が変な動きをすれば目立ってしまうし、勘繰られる可能性も高くなる。だから、今回はお前自身の力で乗り切ってもらう」
私がここでこの話を切り出したのは、その事態が訪れてからでは遅いし、他の二人の目が無い今こそが段取りを決める絶好の機会だったから。
「僕が…自分で…?僕は一体何をすれば…?」
「露天風呂の話が出たら体調が悪いとか適当な理由をつけてなんとか誤魔化す。出来る限り自然に、だ。それ以外に方法は無い。その間に私は夏那を露天風呂に誘って部屋から連れ出し、温泉イベントを終わらせる。これで完璧」
「意外と簡単そうですね…。無理難題を押し付けられるのかと思ってました…。だけど、そんなに上手くいきますかねー…?」
三下の会話みたいな反応をしながら、ハーマイオニーは頬に人差し指を当てながら首を傾げる。
その仕草は女子のそれと遜色無いほど危険なものになっており、私は思わず苦笑いを含みながら視線を逸らす。
「上手くいかなければ、お前の尊厳というやつは木っ端微塵に砕かれることになる。それどころか、運が悪ければ塀の中で暮らすことになるから」
「…!?せ、誠心誠意勤めさせてもらいます!」
まるで軍人のようにハッキリとした良い返事が返ってきた。
「どっちに…?」
多少誇張して煽ってみたが、その効果はあったようで、ハーマイオニーの瞳には成し遂げようとする意思が感じられた。
「まあいいや…。私たちはもう一蓮托生だから、最大限のフォローはするつもり」
バレたらバレたで知らぬ存ぜぬを貫くつもりではあったが、恐らく母がそれを許してはくれないだろう。
発端が私の吐いた嘘だと知られでもすれば、降り掛かった火の粉は、あっという間に私自身に燃え広がることだろう。
つまり、ここでバレたら危機的状況に陥るという点では、私もハーマイオニーも一緒だった。
「ありがとうございます…」
ハーマイオニーは私の言葉で少しだけ安心したのか、胸を抑えながら一呼吸入れる。
すると、落ち着かない様子で周囲に視線を泳がせはじめた。
「それにしても、夏那さん遅いですね…。大丈夫でしょうか…?さっきはすごく体調悪そうでしたけど…?」
「大丈夫。あれは一時的なものだから」
「一時的な…もの…?もしかして、何かの病気なんですか?」
前屈みになって眼前に迫る幼女姿の男の娘というシチュが、私が思っていた以上に破壊力が高く、私は再び視線を逸らし、冷静を必死に装いながら答える。
「た…たぶん、昔のことを思い出したんだと思う…。あの子は心に深い傷を負っているから」
「トラウマ…ってやつですか…?一体どんな…?」
私は首を横に振る。
「…それは私の口からは言えない。言いふらすようなことじゃないし、それを思い出させること自体が夏那を苦しめることになる」
そうは言ったものの、本人すらもトラウマの原因を覚えていないので、きっと聞きだすこと自体不可能だろう。
言ってみれば、怖い夢を見た時と同じで、何があったのかを覚えていないが、その瞬間に感じた恐怖だけは記憶に残っているのだと考えられる。
「だから、あの子のことはそっとして――」
私は自分の発した言葉に驚き、そしてその真意にようやく気付かされることになった。
――そうか…。同じだったのか…。
「それはそう…ですね。配慮が足りませんでした…ごめんなさい」
「わ、私に謝っても意味ない…。だけど、もし似たようなことがあったとき、あの子を支えてくれたら姉としては助かる」
私は言い忘れていたことをそこに付け加える。
「あ。支えるって言っても、さっきみたいなのは禁止。妹には触れるな」
「相変わらず言ってることが無茶苦茶ですねー…。ぷっ…ふふ…」
ハーマイオニーはポカンとした表情を浮かべたかと思うと、吹き出すように笑った。
「何…?いきなり…?笑うところじゃないでしょ?」
「いや、なんかそういうところ五月さんに似てるな~って思って」
「私があーちゃんと…?」
私とあーちゃんに似通っている要素など一つもないと自分では思っているのだが、周囲から見れば私たちは似ている部分があるらしい。
それはきっと、見た目とかではなく内面的な性格や、行動を指して言われているのだろう。
だが、それを聞いてもなお、私には心当たりとなる要因は思い当たらなかった。
「そういえば聞きそびれていたんですが、花咲さんと五月さんってどういう関係なんです?」
「どういう関係って言われても…。ご近所さんで、小学校はずっと一緒のクラスで…。まあようするに、幼馴染で腐れ縁ってところ…?まあ実際、親しくなったのは小学校の高学年になってからだけど」
「小学校はずっと一緒のクラス…。へ~…――」
その直後、ハーマイオニーはまるで機械がフリーズしたように固まった。
「――って、えっ…?同じクラス…?どういうこと…?一つ下じゃ…?」
「あ…」
私は今まで触れないようにしてきた話題を、うっかり口走ってしまったことに気付き、少しだけ後悔する。
だが、この際どうでもいいかと諦め、話を続けることを決める。
「…大怪我で一年間学校に通えない時期があった。それだけの話。誰にも言ってないから、一応口外禁止で」
目前を自由に泳ぎ回る魚たちに視線を取られながら、ふと隣に視線を移すと、ハーマイオニーは目を点にしながら私の顔をじっと見つめていた。
「な…なに…?」
「び…びっくりしすぎて言葉が…。花咲さんって、結構大変な思いをしていたんですね…」
「そういう同情はいらない」
そういった哀れみの視線は嫌というほど味わってきたが、ドラマの名台詞にあるように、同情されるくらいならそれに見合った金銭をくれたほうが私としては都合が良い。
「年齢的には同い年ってこと…ですよね?だから、先輩の僕に馴れ馴れしくて上からな態度を――」
私はすかさずその脳天にチョップを入れる。
「痛ぁ…!?いきなりなんで!?」
「断言しておく。年上だろうがなんだろうが、私は同じ態度をとっていただろう」
ハーマイオニーが初対面の私にとった行動は、消えることのない罪として私に記憶されている。
つまり、私がハーマイオニーに対して攻撃的行動を起こすのは、ラッキースケベ体質から来ているものであり、先輩後輩などとは一切関係のない、自己防衛の一環であると言える。
「でも、なんで僕にその秘密を…?」
私は少し考えた後、自分の目を指差しながらドヤ顔で言い放つ。
「自慢じゃないけど、人を見る目はあるつもり。私の目に見えて、私が信じたことこそが本物の真実だと、私は定義している」
◇
◆5月12日 午後4時30分◆
露天風呂をひとしきり堪能し終え、客室に戻る道中だった。
「ん…?」
私はとあるものが目に留まり、思わず足を止める。
「お姉ちゃん?どうしたの?」
「…ちょっと忘れ物。湯冷めすると体に悪いから、先に戻ってて」
「うん?わかったー」
妹が通路の奥へと姿を消したのを確認すると、私は戻るでもなくその反対側の通路へと足を向け、糸を手繰るように歩みを進める。
休憩スペースに辿り着くと、自販機とソファーの陰に縮こまっている人影を視認する。
それは大方の予想通り、ハーマイオニーだった。
「――君は一体何がしたいんだ…?」
私が声を掛けようとした瞬間にハーマイオニーが声を上げたため、私は躊躇するように足を止め、物陰に隠れて聞き耳を立てる。
「も…もうその手には乗らないよ!真面目に聞いてるんだから、ちゃんと答えて――」
誰かと電話しているように聞き取れるが、なにやら口論しているようにしか聞こえなかった。
「って、あれ…?ん~…?もしも~し?聞いてますか~?」
ハーマイオニーは唐突にその場で立ち上がる。
「あ…」
私が「これはマズい」と思った矢先、何気なく振り向いたハーマイオニーの視線が、物陰に隠れていた私の視線と交差した。
「…っ!?は、花咲さん!?なな、なんでここに!?」
私は観念し、現場に誘き出された犯人の如く、ゆっくりと姿を晒す。
「えっと…ちょっと通りかかった。それより今、誰かと喋ってなかった?」
ハーマイオニーは虚を突かれたように、素っ頓狂な声を上げた。
「へっ!?あっ…そ、そう!電話!友達から…かな~…?」
私はその様子を不自然に感じたため、その言葉の真否を確認するために眼鏡を外す。
「…やっぱり。正直に答えたほうが身のためだぞ?」
魔法少女の力を取り戻したせいもあってか、ネガミ・エールの効果が再発し、感情の胞子が再び視えるようになった私にとって、嘘は何の意味も成さなかった。
「待って待って!う、うう嘘じゃないって!!あ、いや…まあその、友達ってのは違うかもだけど…!チョップは待ってぇ!!」
ほぼ無意識に振り上げた手刀に怯えるように、ハーマイオニーは頭を庇っている。
「友達じゃない…?まさか、雨…?」
ハーマイオニーと交遊関係のありそうな人物は、私の知る限り夏那と雨、そして芽衣の三人だけだった。
夏那とは今別れたばかりなので、人目を忍んで電話するために出てきたのであれば時間的に噛み合わない。
芽衣との関係性を考えれば、口論するようなことは皆無。
ハーマイオニーと雨の関係はクラスメイトや友達というよりも舎弟というほうがしっくりくるので、"友達とは違う”という本人の証言にも合致している。
そのため、雨という言葉が真っ先に思い浮かんだ。
無論、それは私の知る範囲の話であり、私の知らない誰かである可能性が一番高いのは言うまでもないが。
「そ…それは禁則事項ですー!」
そう言いながら、ハーマイオニーは脱兎のごとく逃げだした。
「あれは確実に何か隠してるな…」