第21話 魔法少女は家族旅行で。(2)
◆5月12日 午前7時20分◆
夏那は飛び出すように車から降りたかと思うと、堤防まで一直線に走り、そこから身を乗り出して声を上げる。
「わ~!海だ!海だよ、お姉ちゃん!ハーマイオニーちゃん!」
「ま、待ってください!危ないですよ!?」
私はノソノソと車から降り、ひとりだけ出遅れながらも周辺を見渡す。
「へぇ~…」
堤防から見下ろす視界は一面が海で、白波は絶え間なく浜辺を打ち付け、吹き付ける強風はこれでもかと潮の香りを漂わせていた。
「ほぼ貸し切りだなー…って、そりゃまあそうか…」
時期的にオフピークな上にまだ早朝とあってか、人はまばらに歩いている程度しかおらず、海を見てテンションを上げている人間など、妹を除けばただの一人も居なかった。
「ハル、ナツ。間違っても泳ごうなんて考えるんじゃないぞー?」
「…子供じゃないんだからそれくらい判ってるって」
私の扱いに関して不満を抱きつつも、気持ちを抑えるように溜息をつきながら答える。
「私からすれば二人とも私の・こ・ど・も・よ?」
私はその言葉に少しだけむず痒いような違和感を覚えたものの、返す言葉が見当たらずに口を噤んだ。
「それに、あんたに言ったのはそういう意味じゃない」
「…?」
私が疑問を抱いていることを察してか、母が親指を立て、それを砂浜のある方角へと向ける。
「ま、手遅れみたいだけどねー」
誘導されるがままに視線を向けると、妹が靴を脱ぎ、素足で猛ダッシュし、今まさに海水に突っ込もうとしているところだった。
「冷たーっ!?きゃははは!!!」
妹の歓喜混じりの甲高い声が、数十メートル離れた私にも届いた。
「ああならないように止めて欲しかったんだけどね。ま、なったもんは仕方ない。私は先に車と荷物置いてくるから、ハルはあの子たち見てあげて」
「え…。ちょ…」
そう言い残すと、母はそそくさと運転席に戻り、車のエンジンを掛ける。
「あとで連絡するから、遊び終えたら自分たちの足で来なさい」
私は大きな溜息を吐きながら答える。
「はぁー…。らじゃー…」
…
母の運転する車を見送ったあと、私は砂浜へと足を運ぶ。
「か、夏那さん!?つ、冷たいですー!!この冷たさは割と拷問です!?」
「あははははー!それそれー!!」
夏那に水を掛けられてハーマイオニーが喚き散らしているものの、対する夏那は狂ったように笑いながら、その手を止めることはない。
私から見れば地獄絵図なのだが、どうやら純粋無垢な妹だけはハーマイオニーが楽しんでいるように見えているらしい。
「まったく…まだまだ子供だなー…。でも…」
私は砂浜への階段に座り込み、楽しそうにはしゃぐ妹の顔を遠目に眺める。
「よく笑うようになったもんだ」
◇
◆5月12日 午前7時52分◆
私たち三人は今夜泊まる旅館を目指しながら、海岸沿いを歩いていた。
「夏だったら三人一緒に泳げたのにねー?」
「そ、そうですねー…」
私の前を歩くハーマイオニーは、私をチラ見しながら夏那に相槌を打つ。
「あっ!?夏になったらまた皆で来よーよ!?ねっ?お姉ちゃん?」
「泳ぐ…海…水着…」
男の水着姿を女の私が想像するのもどうかと思うが、私はハーマイオニーの水着姿を真っ先に想像した。
育ち盛りということで誤魔化せるのか、はたまた男の娘バレして大惨事になるのかは判らないが、その行く末は大変に興味深い。
だが、それと同時に私には見過ごすことの出来ない気掛かりもあった。
「いいか、夏那?海は危険が多いから水着はダメだ。どこに何が居るか判らない」
「何それ~?お姉ちゃん、過保護過ぎだよ~?平気だよね、ハーマイオニーちゃん?」
「え…?」
すかさずハーマイオニーを突き刺すように睨みつけると、その意味を理解したのか、ばつが悪そうに頬を掻いた。
「そ…そうですね~…海はちょっと危険が多いかもしれませんの~…ははは…」
「ええ~!?そうかな~?う~ん…やっぱりクラゲとかは危ないか~…」
妹は少しだけ不機嫌な様子で腕を組む。
私はその隙にハーマイオニーの襟首を後ろから引っ張り、耳元で呟く。
「誘われても断れ。さもなくば…」
「わ、判ってますって!」
そもそも、危険な何かの筆頭である張本人が、私の目の届かないところで妹と交流していたどころか、こうして仲良さそうに行動を共にしているのだから、私が心配するのも無理はないと声を大にして言いたい。
これはハーマイオニーだからというわけではなく、夏那の姉として当然の主張である。
「あっ!?あれ、お母さんだ!!」
旅館の付近まで来ると、私たちを待ち侘びている様子で車の前でたばこを咥えている母が目に止まった。
「お?やっとご一行の到着――といっても、まだ八時前、か。あんたたちにしては意外と早かったわね?」
「…あんなに冷たい海でそんなに長く遊んでられないっての」
とは言ったものの、私は海に入ることを断固として拒否し、海水の一滴すら触れてはいないので、水がどれほど冷たかったなどは知らない。
だが、私は臆面もなく、さも遊んできたかのように答える。
「結構冷たかったー!でも楽しかったよ-!」
「はあー…若さってすごいのねー…。感心だわー。生命の神秘ね」
「なんか安いな…生命の神秘…」
「んで?チェックインまで時間ありそうだけど、あんたたちこれからの予定は?やりたいことあるんでしょ?」
真っ先に視線を送られたのだが、私は首を横に振る。
「えっ…?まさか、言い出しっぺがノープラン?てっきり、何か目的があるんだとばかり…」
母の言うとおり、この旅に目的があることに間違いはなかった。
だが、ここでそれを言い出すことは出来ないので、私は口篭る。
「…まあいいわ。そっちの二人は?何かしたいこと?」
「あっ!ハイハイッ!!私、お店回りたい!お土産屋さん!!」
妹が真っ先に手を挙げると、それに続くようにハーマイオニーもオドオドと手を挙げる。
「ぼ…私はこの近くにある水族館に行ってみたい…ですの…。こんな機会滅多にないですし…」
「水族館!?じゃあ、私もそれ行きたい!」
妹は手のひらを返すように、すぐさまハーマイオニーの提案に相乗りする。
「水族館…?植物園じゃなくていいのか?」
突然連れて来られただけの境遇だというのに、なぜ水族館がここにあることを知っているのかが気に掛かったものの、ハーマイオニーが植物マニアだと思っていた私にとっては、植物園を提案しなかったことのほうがそれを上回る疑問だった。
「ぼ…私だって、水棲生物に興味はありますよ?それに珊瑚とか海草だって展示されているかもですし。そもそも、植物は海に住んでいた微生物が突然変異を繰り返して…」
結局のところ、その興味は植物由来のものだった。
しかし、その説で言うと地球上の全ての生物は海から生まれていることになり、全ての生物に興味があるということになるのだが、そんなことは野暮だと思ったので口に出すようなことはしなかった。
「決まったみたいね。とりあえず腹ごしらえ。その後は時間もたっぷりあるし、水族館回ったあと土産物屋回る。それで良い?」
「賛成ー!」
◇
◆5月12日 午前10時35分◆
「あ!?タコ!それにあっちはマグロだ!?」
私たちは回転寿司屋で流れてくる寿司を物色している――というわけではなく、水槽の中で生き生きと動き回る魚たちを見ていた。
「やっぱり、日ごろからお世話になってる名前には目が行くなー…」
サンマたちは水中を泳ぎながらキラキラと反射していて、食卓に並ぶそれとはまったく別物のように美しく見えた。
とはいえ、食事を済ませたあとでもなければ、それらは食べ物にしか見えなかったと断言できる。
「お母さんも来れれば良かったのにねー?」
「そうだなー…。まあ、自業自得だから仕方ない」
私たちの保護者であるはずの母は、食い過ぎたという大人らしからぬ理由でこの場には居なかった。
「とはいえ、上手くいかないもんだな…」
私は自分の考えが甘かったことを痛感しながらも、今だけは本来の目的を忘れ、今という状況を楽しむことにしていた。
なにせ、キーパーソンである人間がこの場に居ないのでは目的も何もないのだから。
「しかし…これはこれで中々面白いもんだな…」
壁に設置されているディスプレイを眺めながら、私はそこに表示されている文字を読む。
「へぇー…。タイは成長過程でオスにもメスにもなるのか…。どっかの誰かさんみたいだなー…」
「雌雄同体っていうんですよ。植物だとちょっと呼び方が違うんですけど――って!?その誰かってもしかしてぼ…私のことです!?」
「いや、お前しか居ないだろ。あ、でもお前の場合はこっちか」
岩に成りすますように同化しているオコゼを眺めながら、私はそう呟く。
「僕は別に擬態したくてしてるわけじゃないんですけど…。というか、誰のせいでこうなったのか覚えてます…?」
「ハーマイオニーちゃん!こっちこっち!見てみて~!チンアナゴだって!おもしろ~い!」
妹が来るように主張するので、呼ばれるがままに小さな水槽の前まで移動する。
そこには、水流に揺られるように複数の白くてひょろ長いものが砂の中から顔を覗かせていた。
「なんかかわいいですねー。海草みたいで癒されます」
それらは私たちを観察するようにこちらを見ていた。
「この場合観察しているのはどっちなんだろうなー…」
私もまた、その不思議な光景に見惚れる様に、その光景をボーっと眺める。
「チンアナゴか…。名前に負けないくらい不思議な奴らだ…」
そんな何気ないやりとりを繰り返しながら、私たち三人は水族館を回っていった。
…
パンフレットを流し見しながら順路を進んでいると、唐突に現れたそれに目を奪われる。
「大海エリア、か…。なるほど…」
大海エリアと呼ばれる場所に到着すると、そこはまるで別世界のように、今までとは違った雰囲気を醸し出していた。
「ナニコレ、すごっ!?きれー!?おっきー!?」
闇に包まれた世界に、青い光が差し込んでいるような室内。
その暗闇の中に浮かぶ映画館スクリーンのように巨大な青い壁は、本物の海底をそのまま切り取った絵画のように見えた。
その幅は数十メートルにも及び、まさしく大パノラマという言葉に相応しいもので、この水族館の目玉と言われているものだった。
「なんだか、本当の深海に居るみたいですねー…」
「確かにな…。まあ深海になんて行ったことないけど。パンフ情報だと、ここにはサメも居るらしいぞ?」
「サメ!?シャーク!?見たい見たい!!」
水槽の前まで近寄って確認すると、見当たるだけでも数十種以上の魚たちが一つの水槽に集められていた。
そして、それらは群れを成して悠々と泳ぐものもあれば、水草の陰に紛れるように隠れているものや、水槽に張り付いていたりと、それぞれが自由気ままに生息していた。
その中でもひときわ人目を惹いているのは、巨大な水槽を旋回している巨大ザメの存在だろう。
「本物のサメだー…。おっきいー…」
「大きいのも小さいのもいますねー。あのサメに食べられたりしないんですかねー…?」
猫を夢中にさせる猫じゃらしの如く、人の目を無意識レベルで惹きつけており、ここにいるどの人間もその堂々たる姿に視線が釘付けになっていた。
「中は透明なガラスで仕切られてるから、捕食関係にある魚は一緒に入っていない。だから食べられたりはしません。ご安心ください」
まるで解説員のような口ぶりで私は呟く。
「へぇ~…。お姉ちゃん物知りだねー?」
「それほどでもない」
ちょうど背中に位置しているディスプレイから得たばかりの知識をドヤ顔で語ったが、私の面目のためにそれは言わないことにした。
「あれ…?でも、上のほうから小さな魚が…」
そう言って、妹は上方にある水面を指差す。
まるで空から降り注ぐスターダストのような幻想的な輝きを放ちながら、小さな魚たちが現れた。
「あー…。あれはたぶん餌用の魚ですね。自然界では大きい魚が小さい魚を食べるのは普通ですし、水族館の魚といっても食べるものが変わるわけではないんでしょう。きっとここもそういった自然に近い環境を再現するために…」
「小さい魚が…大きい魚に…」
妹がそう呟いた次の瞬間、視界を遮るように巨大な影が私たち三人の前を通り過ぎる。
そして、小さな輝きを放っていた小魚たちは、私たちの目の前から忽然と姿を消した。
「うわぁっ…ビックリしたー…」
――トスン。
突然の出来事に私は驚き、身構えた。
だが、私は腰を抜かしたわけではない。
気がつくと、私の隣で腰を抜かしたように、夏那はその場に座り込んでいた。
「夏那…?」
だが、私が声を掛けても返答は無く、夏那は呆然とした表情のまま水槽を見つめ、硬直していた。
まるで、何かに怯えるように。
「お…おい…?どうした…?」
数秒もすると正気を取り戻したのか、目をパチクリさせながら夏那はこちらを向いた。
「へっ…?あ…はは…なんか、ビックリしちゃったー…へへへー…恥ずかしーな…」
「大丈夫ですか…?」
「あ…ありがとう、ハーマイオニーちゃん。だいじょ――」
ハーマイオニーが夏那に手を差し出し、その体を引っ張り起こそうとすると、夏那は足元が覚束ず、そのままハーマイオニーに体を預ける形になった。
「わわわ…!?本当に大丈夫です…!?」
「ご、ごめんね…?す、少し休めば治ると思うから、向こうで休んでるね…?」
夏那はフラフラとした足取りで近場の休憩スペースを探し当てると、そちらに向かって歩き始めた。
「ぼ…私も一緒に行きましょうか…?」
「ううん…。大丈夫…一人で行けるよ…」
夏那はそう言い残しながら、物陰に消えていった。
ハーマイオニーは慌てながらも心配そうな表情を浮かべながら振り返り、私の顔を窺う。
「夏那さん、どうしたんでしょうか…?何か様子がおかしかったような…?」
「…ちょっと来て」
私はすかさずハーマイオニーの手首を引く。
「来てって…?あっ…!?い、今のは事故!事故ですから怒らないで!?」