第20話 魔法少女は消えない傷で。(4)
◆4月17日 午後5時40分◆
時間にして三十秒ほどの間、向かい合った二人はともに微動だにすることはなく、ただただ闇と静寂に包まれた時だけが緩やかに流れていた。
「…」
目線を少しだけ動かし、一瞬だけ月光に照らされた芽衣の顔を確認する。
そして、私は目をゆっくりと閉じる。
「ふぅー…」
私は何の前触れもなく大きく深呼吸をしながら、臨戦態勢の構えを解く。
その様子を不可解に思ったのか、芽衣は片眉を僅かに動かし、怪訝そうな視線を私に向ける。
「何の真似…ですの?」
そう言い放った芽衣に、私はすぐさま異をとなえる。
「それはこっちのセリフ。嘘でもハッタリでも、本気でやらないと意味無いって教わらなかったのか?」
「嘘…とは…?」
芽衣は毅然とした態度で私を睨み返し、私の言葉に動揺した様子を見せてはいない。
しかし、それは恐らく本人がそう思っているだけなのだろう。
「…目が泳いでるし、呼吸も荒い。足も僅かに震えている。こういう状況に慣れていない証拠」
「そんなことは…っ!」
目、口、足と指差し点検するように指差したあと、私はゆっくりとした足取りで芽衣との距離を詰めはじめる。
すると、芽衣は少しだけたじろいだ様子を見せながらジリジリと後退する。
「チーほど勘や頭が働くわけでもないけどさ――」
尚も詰め寄るように、触れるか触れないかというところで接近し、ようやく足を止める。
そして、瞳の奥を覗き込むように顔を近づけたあと、その額を人差し指で小突く。
「そんな顔してれば、誰だって気付くわ」
雲間からの月明かりが芽衣の顔を俄かに照らし、その表情が浮かび上がる。
それは、迷い、戸惑い、焦燥しながらも平静を装おうとしているものの、それを包み隠すことが出来ないといった、苦悶という言葉を見事に表現したような表情だった。
それから再び数秒の沈黙が流れ、芽衣は大きく息を吐きながら呟く。
「はぁ…。やはり雨さんには敵いませんの…」
その言葉を引き金に、芽衣は緊張の糸が切れたかのように肩の力を抜いた。
緊張からなのか、歩くのも覚束ない様子でベンチに戻り、腰が砕けたかのようにそこへ腰掛ける。
そして私もまた、近くの遊具に腰掛ける。
「なんで虚勢なんて張ったんだ?私とやり合う気なんて、端から無かったんだろ?」
「それは…」
芽衣は考えるように目を閉じて俯き、たどたどしい様子で口を開いた。
「…もしも。もしも、雨さんが私のことを口外するようなことがあるようなら、私はこの手で雨さんの口止めをしなくてはいけませんの」
「それってつまり、芽衣の素性が知られるとマズイってこと?」
芽衣は無言で頷き返す。
「そんな状況に陥ったとき、自分にその覚悟があるのか。それを試しましたの…」
芽衣は自分の手を見つめ、その細くて小さな手をぎゅっと握り締めた。
「ですが、私にはその覚悟が足りないみた――」
「そんな覚悟なんて必要ない」
私は芽衣の言葉を遮るように相槌を入れ、そのまま芽衣の隣に陣取るように移動する。
「聞くけどさ?芽衣は自分に都合が悪い人は傷つけても良いって誰かに教わったのか?」
「いいえ…。それは絶対にありえませんの」
芽衣は少しだけ戸惑った様子を見せたものの、次の瞬間には私の顔をまっすぐ見つめ、強い口調でそう断言した。
「たとえ敵であっても、傷つけることを躊躇う…。それって、人の痛みを自分の痛みに置き換えて共感できるってことだろ?それは芽衣の良いところだと私は思う」
私は仰け反りながら、煌々と輝く月に手のひらをかざす。
「…人の記憶を覗き見る力があっても、その時の感情やその人の考えは零れ落ちて、ハッキリとは判らない。知っていても理解出来ないこととか分からないことも沢山あった。だから私は、知ってしまったこと全てから目を背けて、考えることもせず、共感するどころかそれらを遠ざけようとしてきた。だからこそ、誰かの痛みを受け入れ、それに共感するってことが簡単じゃないって私は知ってる」
隣に座る芽衣に向き直り、その頭を優しく撫でる。
「雨…さん…?」
「芽衣の見て聞いたものを全部知ってるわけじゃない。だけど、これだけは言える。あれほどの境遇に逢いながら、よく一人で…って。芽衣の経験してきたことを慰めたり褒めてあげられる人は居ないかもしれない…。けど、たまたま私だけはそれを知ってる。だからこれだけは言わせてほしい」
私はそのまま芽衣の頭を引き寄せ、自分の胸に押し付ける。
「よく一人で頑張ったな」
顔は見えなかったが、芽衣は数秒間沈黙していた。
「や、めて…ください、の…。私は頑張ってなんかいませんの…」
吐息を押し殺すような声で芽衣は呟いた。
だが、口でそう言ってはいるものの、私を突き放したりするようなこともなかった。
「芽衣には目的があって、そのためにチーに近づいた。でも、私みたいに辛い事や事実から目を背けて、途中で諦めることだって出来たはずだろ?」
芽衣は首を小さく横に振る。
「…私は沢山の方々に助けられ、たまたま生かされた…それだけですの…。存在しているだけで迷惑を掛けてしまう私には、存在価値も無ければ生かされる理由も無い。それなのに――」
「違う」
私はその言葉をすぐに否定する。
「芽衣はチーにとって友達で、チーにとって存在価値のある存在だ。そんでもって、あの気難しい性格のチーと友達になれたのは芽衣の努力の結果。違うか?」
「…」
「自分を否定したい気持ちは私にもわかる。魔法少女なんてものに色んな人を巻き込んで、たくさん迷惑掛けたのは私だから」
辺り一帯に明かりの灯らない景色を遠く眺め、私はため息をつく。
「だからさ、こんな私を信じてほしいなんて図々しいことは言わない。私は芽衣の過去を知ったからといって軽蔑したりはしないし、もちろんそのことを誰かに言いふらしたりもしない。必要になったら、いつでも“口止め”ってやつをしてくれて構わない。だからせめて、チーの気持ちは裏切らないでくれないか?」
「春希…さん…」
芽衣は私の体をそっと突き放したかと思うとおもむろに立ち上がり、靴音を静かに響かせながら数歩先まで歩く。
「私は多くの人の想いを背負って、ここに居る…。偶然なのか必然なのかは定かではありませんが、私と雨さんを引き合わせたのは、あの方の考えなのかもしれません…」
そこで立ち止まると、背を向けながら月を一瞥する。
「自己紹介がまだでしたの」
軽やかに振り返り、芽衣はニコリと微笑んだ。
「…改めまして。私の名前は…レム。私は春希さんを助けるために、ここに来ましたの」
◇
◆4月7日 午後6時25分◆
「本当に大きな木だなー…」
少女の姿をした少年は、頭上一面に広がる木の葉の傘を見上げながら、感嘆の言葉を漏らす。
「これだけの木がこんなとこにあったなんて知らなかった…。というより、なんで気付かなかったんだ?もしかして、急に成長したとかかなー?う~ん…」
大樹の幹を撫でるように触りながら、少年は大樹から伸びる枝葉の先に触れる。
「見たことの無い星型の葉に、反射させると七色の光沢…。やっぱり新種――」
――コン。
そう呟いた刹那、少年は何かに気付いて突然振り返ったかと思うと、キョロキョロと周囲を見回す。
「音…?誰も居ないけど…今のは…?って、うわあ!?」
一歩引いた際、足元に張り巡らされた木の根に蹴躓いて体勢を崩し、空を仰ぎ見るようにその場に倒れこむ。
「いってててて…って…う~ん…?」
地面に転がった少年は、同じく地面に転がったそれを視界に捉え、それを摘み上げる。
そしてそれを高々と天空にかざし、マジマジといった様子で眺めはじめた。
「南国の果物みたいに赤いけど、果実じゃなさそう…ってことは種…?アボガドの種くらいはあるけど、見たことのない種類だな~…?それに少し弾力があって…温かい?」
その容姿も相まって、興味深々な子供が小さな玉を転がしているようにしか見えないものの、本人はいたって真面目に、舐め回すかの如くそれを観察していた。
少年は地面に転がりながら何かを考えていたかと思うと、突然上半身を起こす。
「あ…ああー…っ!?まさかこれって、この大きな木の…種!?ということはもしかして、新種!?」
そのまますっくと立ち上がったかと思うと、今度は目を瞑り、唸り声だけを上げながら暫しの間沈黙する。
「うん…!よし!そうしよう!」
何かを決断したような言葉を吐いた少年は、それを大切そうにポケットにしまい、意気揚々といった様子でその場を後にした。
…
少女の姿をした少年が立ち去ってから程なくして、どこからともなく声が聞こえた。
『さて、と…。これで下準備は整ったね…。あとはその時が来るのを待つだけ…』
その声は、含み笑いをするような口調で呟いた。
『今の僕が出来るのは希望の種を蒔くことだけ…。あとはキミがどんな答えを出すのか…』
そびえ立つ大樹は淡い光を放ち、ざわめく様な葉音を立てながら揺れ、少しずつ成長をはじめる。
『キミの繋いだ希望の灯が消えないことを、僕は今も願っているよ…。レム』
――メルティキス編・完――
メルティキス編はここまでです!
続編は構想が固まり次第、順次投稿していきます。