第20話 魔法少女は消えない傷で。(3)
◆4月17日 午後5時36分◆
暮れ沈んだ空は、夜を受け入れたように闇色に溶け、星々がその輝きを声高に主張をはじめていた。
近辺の建造物に灯りはなく、プラネタリウムのような見事な夜空が視界一杯に広がり、私たち二人はその変化に見惚れながら、暫し無言の時間を過ごしていた。
「雨さん…。先程の話、春希さんには…?」
その問いの返答に困りながら、私は頭を掻く。
「…言ってないよ。あの時のことはいつか謝ろうとは思ってる…。けど、今はまだ気恥ずかしいというかなんというか…ね…」
「それでしたら、なぜ私にその秘密を…?」
芽衣が不思議そうに首を傾げたのと同時に、私は腕を組みながら頭を整理しはじめる。
「…さっき“知るはずのないことを知ったことで相手を傷つけてしまうこともあった”って言っただろ?たぶん私は、本来知ってはいけないことを知ったんだと思う」
「…」
その瞬間、芽衣がビクリと肩を震わせたことを、私は視界の端で捉えていた。
「最初はただの夢だとばっかり思ってたけど、そこに出てきた人たちの会話や生活なんかは妙に現実味があって、私自身が本当にそこに居るみたいだった…。だから私には、そこで体験した全てがただの夢だとは思えなかったんだ」
一般的に夢の中といえば、身近なものから頭で想像したものまで満遍なく出てくるうえ、物理法則や時間の概念すらも超越した世界観で構築された、何でもありな世界である。
そして、登場人物である自分自身すらも謎の力によって思考を矯正され、それらの異変に疑問を持つ者は誰も自分を含めて誰も存在しない。
つまりは、言葉通り何が起きてもおかしくない。
だからこそ、私はそれが夢の中の出来事だと思っていた。
夢であっても、朧げにその一部を覚えていることくらいはあるし、夢なのか記憶なのかを明確に判断する手段は無い。
だが、その夢は明らかに他とは違い、目を覚ましたあとであっても、そこで起こった一連の出来事は私の体験として記憶されていた。
「あれが夢じゃないとしたら、あの光景や出来事は一体なんだったのか。そう考えたとき、私には一つだけ心当たりがあることに気付いた」
「心当たり…?」
夢の中で起こった出来事は、非現実的であると同時に現実的でもあった。
夢の中で見た、現実との幾つかの共通点。
そして、この事態を招いたであろう要因とその心当たり。
それらが重なったことが、この体験が夢ではないと考えるに至った経緯だった。
「エゾヒに吹き飛ばされて私が気絶していたとき、私を介抱してくれてたのは芽衣だった。だからきっとあの記憶は芽衣のもので、私は無意識にそれを覗き見てしまったんじゃないかって考えたわけ」
「あの時…」
もし私を介抱していたのが芽衣だとすれば、私は芽衣と触れ合っていた可能性が高い。
それはつまり、私が他人の記憶を読み取ってしまったという要因とその結果に合致する。
「そしたら色々納得しちゃったんだ。芽衣がチーに執着する理由も、私たちが魔法を使う姿を見て驚かない理由も、私がこの力を持っていることを知らなかった理由も、全部」
私はあの瞬間に覗いてしまった記憶を思い返しながら、空を見上げる。
「そういうことでしたの…」
隣に視線を向けると、諦めに近い表情を浮かべながら、芽衣は笑みを浮かべていた。
「雨さんは、私についてどこまでお知りになられたんですの?」
「おっと…。誤魔化されると思ってたけど、ここは否定しないんだな…?」
芽衣はゆっくりと頷く。
「先ほどのことで状況は理解しましたの。これは私の落ち度ですの。それに――」
「それに…?」
「嘘を吐くなら相手はしっかり見極めろと、厳しく躾けられていますの」
“躾け”というその言葉に違和感を覚えながらも、内心私は納得してしまい、私の口角は自然と吊り上った。
「どこまで知ってるか…だっけ…?実を言うと、この力は一瞬でも誰かに触れていれば結構な記憶を覗ける。強く残ってる記憶のページを前から捲ってくイメージ?触れていたのは10分間くらいの短い時間だったかもしれないけど、芽衣の過去を知るには十分過ぎる時間だった」
「…それはつまり、私の見聞きしたものほぼ全て…という意味ですの…?」
「…ああ」
断片的で不連続な記憶とはいえ、相当な量の記憶が私の中に流れ込み、その記憶は私が見聞きした体験として記憶に刻まれた。
それは、彼女の生い立ちを知るには十分どころか、彼女がひた隠しにしているものまで含まれており、一言で言えば必要以上の情報量だった。
「これは私が想定していたよりも、深刻な状況だということは理解しましたの…」
「――!?」
隣に座っていたはずの芽衣は、いつの間にかその姿を消していた。
次の瞬間、私はすぐさま気配を察知して、飛び退るようにベンチから距離を取り、体勢を崩しながらも振り返る。
「へぇ…なるほど…」
芽衣は物音を立てることもなく、私のすぐ背後に移動していた。
「こんなに早く察知されるとは思いませんでした…。流石ですの」
芽衣は先ほどまで座っていたベンチを軽々と飛び越えると、着地と同時に仁王立ちのように体勢で構える。
私はすぐにその行動の意味を理解する。
「…私を排除するつもりか?」
「必要とあらば…ですの」
目的のためであれば全て捨てることさえも厭わない。
そんな覚悟に満ちたような鋭い眼差しを向け、芽衣はぼそりと呟いた。
「よっ…と!」
反動をつけて地面から起き上がり、衣服についた砂埃を払い落とすと、芽衣の真正面へとゆっくり移動する。
そして、深呼吸をしてから腰を低く落とし、左手を前に突き出して構える。
「そんじゃ、お手並み拝見といこうか?」
◇
◆5月8日 午前5時30分◆
『――だよ』
「な…に…?そんな戯言を信じろとでも言うつもりか?」
その言葉に驚愕の表情を浮かべる狐の男子高校生とは対照的に、その頭上に鎮座する自称・普通の妖精はあっけらかんといった様子で寝そべっている。
『信じるも信じないも、それは実際に起こった事だよ?』
「しかし、それが事実だとすれば――いや、それ以前に誰がそんな真似を…。私どころか強力な縁を操る雹果の力を以てしても、そんなことは不可能だろう…。それこそ、この世の理すら書き換えるような力が無ければ…」
狐の男子高校生が考えるように顎に手を当てながら俯くと、連動するように頭上に乗ったそれが、落ちまいと踏ん張る。
「む…?」
そこでふと何か思い至ったのか、落ちそうになっていた頭上の存在を右手で鷲掴みにし、それを眼前まで持ってくる。
「…確か貴様は、“願いを叶えられる”と豪語していたな?よもや、貴様がそれをやったとでも言うまい?」
『もちろん、僕じゃないよー。誰がやったのかまでは言えないけどねー?』
狐の男子高校生は握った手に力を込め、嘲るように笑うそれを強く握りつぶそうとする。
するとそれは、液体で出来たボールやソフトボールのように変形し、伸び縮みを繰り返すに留まった。
『そんなことしても無駄だよ?痛くは無いんだけど、僕のカワイイ顔が台無しになるからできればやめて欲しいなー?まあでも、君の怒りが少しでも和らぐのなら止めはしないよ?』
「チッ…」
傍から見たら、ぬいぐるみのようなものと睨めっこしながら会話をしている男子高校生だったが、当人はそれを気にした様子も無く、顎に手を当てて、再び考え耽る。
「誰がやったのかは言えない…。つまり、それをやったのは貴様と同類か、同じ境遇にある人物…そういうことだな?」
『それは答えられないねー』
とぼける様子に怒りをぶつけるでもなく、それまでの態度から一転して狐の男子高校生は不敵な笑みを浮かべた。
「かはは…!つまり、肯定というわけだな。おおよそ貴様という存在の扱い方が判ってきたぞ?だがしかし、其奴が貴様と同類とするならば、人に仇なすでもなく、神と同等かそれ以上の力を有する存在だということになる…。よもや、そんな存在がこの街に隠れ潜んでいるなど――」
狐の男子高校生はそう呟いたあと、声を失ったかのように長い沈黙に入った。
そして、その眉間に深い皺を作りながら小さな声を漏らし、細い目を大きく見開いた。
「…」
ひと呼吸置き、眼鏡の位置を整える。
そして、踵を返すように背を向け、来た道を戻るように歩みを進める。
『どこに行くんだい?』
「情報が足りない。憶測で物事を語るのは性に合わんし、貴様がそれを答えられないのであればこれ以上ここに居る理由も無い。貴様の正体は未だ謎ではあるが、この場は出直すとする」
先人に倣うように自称・普通の妖精を掴んでいた手を離し、それを空中へと放り投げる。
だが、当人は何事もなかったかのように体勢を整え、すぐさまフワフワと空中を漂い始める。
『その口ぶりだと、もう一度会いに来てくれるってことだね?でも、残念だなー。久しぶりにもっとおしゃべりしたかったのにー』
数歩進むと、狐の男子高校生はピタリと足を止める。
「おっと…」
『あれれ?気が変わった?』
「…貴様に同調するわけではない。彼女についての話が途中だった」
振り返るでもなく、背中を向けたまま会話を続ける。
「彼女が何故にあれほどの傷を負ってまで、事実を隠蔽しようとしたのか。正直、それは私の与り知るところではない。だが、あのような状態で魔法少女とやらの力を行使し、消耗し続ければ、近いうちに限界を迎えることになる」
無重力下のようにフワフワと浮いていた自称・普通の妖精は、軌道修正をしながら近くの枝に着地する。
「恐らく彼女は、代償とやらの影響で不自由になった肉体を霊的な力で補いながら生活している。つまりは、大半の力を無意識下でそちらに充て、なんとか繋ぎ止めている状態だということだ。そしてそれが原因で自らの成長すらも抑制され、結果あのような姿のまま成長を止めている。だが、それは言い換えれば、既に限界が差し迫っていることに他ならない。当然、貴様はそのことを理解しているはずだ」
『…』
自称・普通の妖精は先ほどまでと同様に沈黙し、その問いに答える素振りすら見せることはなかった。
「ここにきても黙りか…。それならば、話はここで終わりだ。芯のない言葉を語る相手と無意味な時間を過ごすつもりはない」
止めていた足を再び進めようと一歩踏み出すも、再び思い出したように足を止める。
「最後に…これだけは言わせてもらおう。彼女があのような状態になっていることに貴様が無関係だと言うのならば、薬を与え続け、その薬に依存するようにしたのはどこの誰なのだ?貴様は自分自身が人にとって毒であるということを自覚したほうがいい」
『…待って!』
そのまま立ち去ろうとした背中を引き留めるかのように、自称・普通の妖精は今までに無い上擦った声を上げる。
「…戯言であれば聞く耳は無い」
『…僕だって色々と手は尽くしている。だけど、全ての物事が僕の憶測を超えて変化し続けている。今の僕はここを離れることは出来なくなったし、レムの行動に干渉できるほどの力も残されてはいない。だから、今の僕にはもう選択の自由が無い…』
「故に、こんなところに引き篭もってコソコソ隠れながら傍観することしか出来ない、と…。貴様はそう言いたいのか?」
『違う…。僕は僕の出来ることをしているんだ。あの子たちがそうしてきたように』
その言葉を耳にすると、狐の男子高校生は大きく息を吐き、強張った肩から力を抜いた。
「ふぅ…ようやく貴様の真意というやつが垣間見えたぞ…。役割か…なるほどな…。貴様にとってはこの私もその手段の一つでしかない、というわけか…。かははは…!」
狐の男子高校生は高笑いを上げながら、再びその姿を狐へと変化させる。
そして、最後まで振り返ることも無く告げる。
「貴様に手のひらがあるかどうかは知らんが、ただ手のひらで踊らされるのも気に食わん。故に我は飼い狐として、主が唯一の人間の友達を失うことにならぬよう、その役を果たすことにする」