第20話 魔法少女は消えない傷で。(1)
◆4月17日 午後4時55分◆
とある場所で人を待ちながら、日の沈み始めた夕暮れを私は見上げていた。
「ふぅ…」
待ちぼうけしながら、座りっぱなしで凝り固まった背中を伸ばすようにストレッチしていると、視界の片隅で何か動いたことを察知し、すかさずそちらへと意識を向ける。
「…お?来たか…?」
そこには、まるで小動物が警戒しながら顔を覗かせるかのように、周囲の様子を覗いながら進入してくる人影があった。
相手方もこちらの存在を視界に捉えたかと思うと、すぐに安堵した表情を浮かべた。
「あ…。雨さん…」
「芽衣、こっちこっち」
芽衣は尚も周囲に視線を泳がせながら、恐る恐るといった様子のまま私の元まで足を進める。
「わざわざこんなところに呼び出して悪いな?迷わなかったか?」
私たちは校舎前で一旦別れた後、とある施設の工事現場で落ち合う約束をしていた。
無論、住所や位置情報などはスマホに送ってはいたものの、それが役に立つかはどうかは別問題だった。
「この辺りの土地勘はあまりなくて…少し…。それに地図アプリも情報が古いみたいで…。人も歩いておらず、道を聞こうにも…」
「やっぱりな…。ま、そりゃそうだろう」
「…?」
「それはともかく、だ。知ってる人に誘われたからといって、女の子一人でこんなところに誘い出されちゃダメだぞ?今の世の中、誰に何されるか分かったもんじゃないからな?」
「いえ、ご心配は要りませんの。他の方であれば十分に警戒しますが、雨さんなら大丈夫…」
「だーかーらー、それが危ないって言ってるんだぞ?いいか?もしかしたら、私によく似た他人が、私に成りすまして芽衣を呼び出したかもしれない。そんでもって、もし芽衣に何かあったとしたらどうなる?」
普通に考えれば、私によく似た他人が私に成りすますなんてことは、そうそうありはしないだろう。
だが、魔法で他人に姿を変えたりなんてことが当たり前の私たち魔法少女からすると、それは十分に有り得ることだった。
「ど…どうなりますの…?」
「チーがすごく凹む。その挙句、全部自分のせいだと思い込んで、後生悔やみ続ける」
どうやら芽衣はすぐに理解してくれたらしく、大きく頷いた。
「それは…その通りですの…。気をつけますの…。ですが、私を叱るためだけにわざわざこのようなところへ…?」
「あー、いや…芽衣と二人だけで話したいことがあってな…」
「私と?」
わざわざ人気の無い場所を選んだのは、後ろめたいことがあるからではない。
別々に帰ったフリをしてまでチーを撒いたことも、チーに聞かれるとマズイだろうという私なりの配慮だった。
「こっちだ」
私は建物の正面入口に向かうでもなく、裏手へと歩みを進める。
裏手に回ってすぐに、屋外に備え付けられた緊急避難用の外階段が、上階に向かって伸びていた。
私は錆びた鉄の扉を開け、その階段を堂々と上り始める。
「ここは人が寄りつかない場所だし、何よりあの子が近寄らない場所。それにここなら証明になるかと思って」
「証明…?」
もちろん、勝手に入ることがマズイことは承知しているし、夜になれば光源も無い暗がりになるので気も引けた。
だが、この場所があの話をするうえで最も都合の良い場所であることは間違いなかった。
「まあ、とりま着いてきて」
…
「わぁ…!」
幾度となく折り返す階段をひたすら上り、ようやく屋上に到達する。
そこで真っ先に視界に入ってきたのは、夕焼けに染まった茜色の空だった。
「ここってさ、昔それなりに有名なデパートだったんだ。ゲームセンターとかアイスクリーム屋とかいろんな店が入っていて、そんでもって屋上はちょっとした遊園地みたいになっててさ。小さい頃はここに来る度にワクワクしたもんだよ」
私はだだっ広い屋上の端まで移動し、芽衣を手招きする。
「だけどさ――」
不思議そうな表情を浮かべながらも、芽衣は私に追従し、やがて隣に並び立つ。
そして、私がフェンス越しに眼下を見るよう促すと、芽衣は声を押し殺すように口を噤み、目を大きく見開いた。
「来る時は所々バリケードに遮られてて判らなかったと思うけど、この町は今もまだこういう状態なんだ」
眼下に広がる多数のビルや建物。
そのいずれもが、倒壊して瓦礫の山になっていたり、燃え落ちて黒焦げの柱が覗いていたりと、とてもじゃないが人が生活しているような状態ではなかった。
その状況を例えるのなら、嵐や地震といった災害の跡に近しい惨状だった。
「ここは五年前、エゾヒが魔蒔化した時に破壊された街。つまり、ここは私たちが守れなかった場所だ」
この建物を中心とした辺り一帯は、原因不明の大規模爆発事故が起こったとされている場所であり、その爆発事故の原因は、地底から漏れ出たガス爆発とも、地中に埋まった不発弾とも噂されている。
だが、国の研究機関が調査に動いている一方で、五年経過した今もその原因解明にまでは至っていない。
それもその筈だった。
この現象の原因がエゾヒであることを、私たち以外の人間は誰も知らないのだから。
「あの日もこんな夕焼けに似た赤色に染まっていた。ここら周辺一帯が火の海と悲鳴に包まれた光景が、今でも私の記憶に焼きついてる」
「雨さん…」
「不幸中の幸いだけど、あの出来事で人が亡くなったって話は聞いてない。だけど、住む場所や生活を奪われた人が大勢いることは事実なんだよ」
ノワが裏で人々の記憶を消したのか、エゾヒたちの仕業によるものなのかは判らないが、あれだけの巨体で破壊の限りを尽くしていたというにも関わらず、事故に巻き込まれて救助された人間や、現場に居合わせた全ての人間が不思議とエゾヒのことを綺麗さっぱり忘れていた。
だが、それ故に未だ危険が残る場所として、この一帯は一般人の立ち入りが制限され、数年もの間、放置される結果となっている。
「この建物だけは倒壊を免れていた。けど、最近やっと復旧計画が始動し始めたらしい。だから、ここが完成すれば、あの日以来この辺りで再建された最初の建築物になる。だから、私やチーにとっては罪の十字架みたいなものになるんだろうな」
「罪の…十字架…。だから、春希さんはここに現れない…と…。でも、どうしてこの光景を私に…?」
「芽衣には知っておいて欲しかったんだ。私やチーが抱えているものを。たぶん、一番迷惑掛けてるだろうし、今後も一番迷惑掛けそうだから」
「そんなことは…」
「…あ。勘違いしないように一応言っておくけど、共感してもらいたいとか、哀れんで欲しいとか、そういう意味じゃないんだ。私もチーもそんなこと望んでない。ただ――」
「ただ…?」
「力は失ったかもしれないし、私の考えすぎってこともある。けど、私たちと関わっているとこういうことに巻き込まれるかもしれないってのは否定できない。だから、一応聞いておこうと思って。その覚悟があるのかどうかを?」
私が言い終えるか終えないかというタイミングで、芽衣は大きく息を吸う。
「もちろん、私は…」
そして、私はそれに反応するように、すぐさまその言葉を制止する。
「いいよ、その先は。聞くだけ野暮だってのは分かってた。芽衣がそういう人間だから、チーが一緒に居ることを認めたんだと思うし、何よりその覚悟があるからここに居るんだろ?」
「覚悟…?」
私は近くのベンチまで移動して、そこに座るよう芽衣を誘導する。
対して私はフェンスに寄りかかり、空を仰ぐ。
「…ここまでは世間話みたいなもの。こっからが本題だ」
私は芽衣と視線を交わすことなく、語りかけるように話を続ける。
「結構様変わりしちゃってるけど、芽衣はここからの景色に見覚えは無かったか?」
「ここからの景色…ですの…?いえ…ここに来てからは日も浅いので…」
芽衣は周囲に視線を泳がせたあと、首を傾げながら考え込む様子を見せる。
「勘違いかとも思ったけど、ここに来て確信したよ。あの時私が見たのは間違いなくここからの景色だったって」
「あの時…見た…?それに、どうして私がここに来ていると…?」
「黙ってて悪かったけど、実は見えちゃったんだよ」
茜色に輝く空に右手を差し出す。
「芽衣の記憶」
◇
◆5月8日 午前5時20分◆
『さて…と』
少女たちが立ち去ったのを横目で確認してから、銀の毛並みを持つ狐はのっそりと起き上がる。
そして、それは瞬く間に男子高校生の姿へと変化を遂げる。
「これで邪魔者は居なくなった。ここからはお互い腹を割って話そうではないか?流れ星の妖精」
『八代稲荷神…だったかな?神であるキミが普通の妖精である僕に何の用事だい?』
自称・普通の妖精は空中を漂いながら、表情ひとつ変えずにそう問いかける。
「普通だと…?土地神という役割を与えられているわけではないが、我はこの辺りに長らく居着いている。しかし、彼女に誘導されてここに案内されるまで、貴様はおろか、この場所の存在すら認識することは叶わなかった。縁を操る力を持つこの私が、だ」
男子高校生はその鋭い吊り目で自称・普通の妖精に睨みつける。
『神に褒められるのは光栄だけど、僕にそれほど大きな力は無いよ?』
「とぼけるか…。聞くところによると、貴様があの子に魔法少女とやらの力を与えたそうではないか」
『ああ。彼女たちがそう願ったからね』
「つまり、貴様は彼女たちの願いを叶えた…というのか?もしそれが事実だとすれば…」
男子高校生は言葉を詰まらせ、数秒間を言葉の整理に費やした。
「貴様は一体何者だ?何の目的でここに居る?無論、妖精だの人々を幸せにするだのといった御託は不要だ」
刑事が容疑者を問い詰めるような口ぶりではあったが、その口調は至って冷静といった様子だった。
『それは今の僕には答えられない』
その発言に違和感を覚えたのか、男子高校生は一瞬だけ眉をヒクつかせる。
「今の僕には…か。なるほど…。先ほどの会話やその口ぶりから察するに、今の貴様は何かしらの制約に縛られている。違うか?」
『おー。さっすが神さまだ!理解が早くて助かるよー』
「…わかった。それならば質問を変える。貴様の最も大事とするものは何だ?」
『面白い質問だ。そうだね…』
数秒の沈黙の後、自称・普通の妖精は答える。
『人の可能性…かな?』