第19話 魔法少女は二律背反で。(3)
◆5月8日 午前5時5分◆
「――着いた」
大樹の根元まで辿りつくと、雹果はソワソワしながら不思議そうな表情を浮かべる。
「ここに…妖精が…」
『なるほど…。確かにこのどデカイ樹からは何かの力を感じるな…。だが、本当に“願いの妖精”などというものが存在するのか?』
ここの主も神様にそんなことを言われるとは思ってもいないだろう。
むしろ、能力だけみればむこうのほうが神っぽいのだが。
「どこ~…?フェアリータイプ~…?」
雹果ははやる気持ちを抑えられないと言わんばかりに、右往左往しながら周囲をうろついている。
「ちょっと落ち着けって…。今呼ぶから」
私は太い根を飛び移りながら、以前と同じ根元の隙間まで移動する。
「確かこの辺り…。居るんだろー?ノワー?」
暗がりを覗き込み、近所の友達の家にお邪魔するかのように、その奥に向かって声を掛ける。
『やあ、レム。久しぶり』
「うわっ!?」
応じないどころか無視される可能性もあると高を括っていたのだが、数秒どころかコンマ一秒単位でその呼び掛けの応答があったことに、私は驚きを隠せなかった。
「い、意外と返事が早いな…。もうちょっと雰囲気ってものが…」
『雰囲気?何の話だい?』
「まあいいや…。出てきてくれたなら…」
身振り手振りで二人に合図を送り、近くまで呼び寄せる。
…
「ノワ、ちょっと喋ってみて」
『おや?今日はお客さんが居るの?』
「…!?樹が…喋った…!?頭の中で…声が聞こえました…!本物…!不思議…!不思議です…!!」
雹果は語彙力を失ったように、思ったことをそのまま言葉にしながら、その瞳を子供のように輝かせていた。
『なるほど…。此奴が願いの妖精か…。しかし、声だけで姿が見えぬな…?』
雹果をわざわざこの場所に連れて来たのは、前に約束をしていたこともあったが、このためでもあった。
“縁を結ぶ力”が人ならざる者たちを視認する力を持っているのなら、そのきっかけさえあれば良い。
もともと“縁を結ぶ力”が強い雹果や宇城悠人であれば、私がこの空間に招き入れた時点で、ノワとの縁が出来上がると考えられる。
そして、私と雹果が共鳴し、能力を共有してしまうこの現象を利用することで、雨の力を借りずにノワと会話が出来るだろうと私なりに仮説を立てていた。
それは既に、私とノワが会話出来ていることからも証明されている。
『姿?それなら、ご要望にお応えして――』
「なっ…?」
周囲を浮遊していた光の粒子が収束し始めたかと思うと、それは眩い光を放ちながら、私の頭上に光の球体を作った。
やがてそれは、私の頭頂部に降り立った。
「うおっ…重い…」
『僕は願いの妖精ノワ!宜しく!』
「ま…まる…かわいい…これはまさしく…ポ、ポポポ…ポ○モン…!!」
「違うぞー…」
様子のおかしい雹果に呆れながらも、私は頭に乗っかっていたそれを持ち上げる。
『こんな感じでどうだい?雰囲気出てる?』
「…出てる。まったく、どこで覚えたんだよ…その口調…」
私は、まじまじとそれを観察する。
白い体に真ん丸二頭身で、その背には妖精の羽らしきものが備わった、ファンタジー感全開のゆるきゃら風のフォルム。
それは懐かしくも見慣れた、私の知るノワ本来の姿だった。
『それは…禁則事項…?』
――どこの未来人だ。
以前同様の姿で実体化出来ることに多少驚きはしたものの、得体の知れない存在であることは以前から変わっていない。
そのため、ノワに関しては細かいことを気にしないことにしている。
『…ひはいんはへほ?ははひへふへふ?』
その憎たらしくて良い感じの手触りの物体を、私は無意識に両端から引っ張っていた。
「おっとスマン…。手触りが懐かしくて、つい」
媚びているような憎たらしいフォルムと、餅のように伸びる体も相まって、私は当時からこの謎生物を引っ張ったりして遊んでいた。
触れた瞬間、当時の感触を思い出し、条件反射のように手が動いていた。
――これも職業病…?
「の、伸びる…だと…!?そ…それ、触らせて!!」
まるで子供が他人のおもちゃに目移りするように雹果は駄々をこねる。
その目は変質者や薬物依存患者のように、血走っていた。
…
『それじゃあ、気を取り直して…。キミたちの名前は?』
ひと通り雹果に弄ばれたあと、まるで冒険の始まりのような決まり文句でノワが問い掛ける。
「お、お初にお目に…かかる!私は八代雹果というもの…で、ござる!」
――なんで、武士口調…?
『妖精とはいえ、礼儀がなっているようで安心したぞ。我が名は八代稲荷神。トウガと呼ぶがいい』
――こっちはどうして上から目線?そして、ちょっと厨二っぽい。
「それ…違う。この子はガーくん」
『勝手に何を言って…』
『ヒョウカちゃんに狐のガーくんだね!二人とも宜しく!』
名前入力を間違えたけど、融通が利かずに後戻りできない昔のテレビゲームのように、ノワはそのまま話を進める。
『それで?今日はどんな用事だい?』
「それは――」
「私と友達になってください!!」
私が答えるよりも先に、雹果は大きな声を上げる。
そして、まるで結婚かお付き合いを申し込むかののようにその手を差し出す。
『え~と、それは構わないけど?あ、でも僕はここから動けないし、一緒に遊んだりは出来ないよ?』
「寂しいけど…我慢する!ここに通います!!」
遠距離恋愛でも始める気なのかと思うほどのその熱量に、私はドン引く。
『まあ、近いうちにもっと仲良くなれると思うから、それまでの辛抱だね』
「近いうちに…仲良くなれる…?」
その言葉の意味を考える間もなく、話は着々と進行してゆく。
『ということで、ヒョウカちゃんの用事は済んだみたいだねー。ガーくんはどんな用事?』
『まったく、馴れ馴れしい妖精だな…。まあ、こちらの用事は後で構わないさ』
宇城悠人がノワに用事があることは聞いていなかったが、神と妖精の話など私には理解出来ないだろうと思い、特に気にしないことにした。
『となるとー、そっちの本題かな?』
三人の視線は私に集まる。
「…判ってるなら話が早い。ちゃんと説明してもらうから」
◇
◆5月7日 午後4時35分◆
ソファーに座り、ノートパソコンに向かって黙々と書類のデータを入力をしていると、棚を整理している天草雪白が口を開く。
「…それにしても、貴方がパソコンに強くて本当に助かりました。私はそういった機械を使う作業が苦手ですので」
彼女が何気なく発した聞きなれない単語に、私は自分の耳を疑い、手を止めて顔を上げる。
「苦手…?助かり…まし…た?」
――なるほど、確かにこれは釈然としない…。
「なぜ、人の顔を見てニヤけているのですか…?」
背を向けていた当の本人は、私の顔を見るなり不審者を見るような目で私を睨み返す。
「あ…いえ…なんでもありません」
私の中の天草雪白は、容姿端麗、才色兼備で優等生然としていた。
それ故に、現役高校生である彼女が、機械音痴などという近年稀に見る弱点を持っていたということが私としては意外でならなかった。
だが、考えてもみればそれは私の偏見であり、見栄っ張りで機械音痴で年上の先輩に好意を抱く女子高生なんていうのは、どこにでも居る普通の存在であると気付き、私は少し可笑しくなってしまった。
「それにしても、どうしてこんな時期に部屋の整理を?」
私は何気なく、気になっていたことを聞く。
「…ぅ」
すると天草雪白は、腹部に軽い衝撃を受けたような小さな唸り声を上げた。
どうやら私の何気ない一言は、傷口に塩を塗るような行為だったらしい。
「お恥ずかしい話ですが、私の生徒会長としての任期はとうに過ぎているのです…。この部屋も本来なら昨年度中に片付けておかなければいけなかったのですが――」
天草雪白は視線を部屋中に泳がせる。
それにつられる様に周囲を見回すと、今や私たちの周囲はダンボールやら書類やらが所狭しと並んでいる惨状に変わり果て、足の踏み場もない状態になっていた。
「…なるほど。行事やら何やらで目の前の仕事を片付けてはいたものの、こっちの片付けには手が回らず。しかも、自分一人で全部やると言った手前、後には引けない状況になっているけど、苦手なパソコンの作業ばかりでまったく進んでいない…と」
「察しが良いのも、ここまでくると才能ですね…」
ここに留まったことを心の底から後悔したのは、今から10分ほど前のことだった。
私がこの部屋を訪れたときの書類の山は氷山の一角に過ぎなかったらしく、別室に積み上げられたこれらを見せられたときの私は、その頂の高さを知り愕然とした。
「それにしても、よくパソコン初心者がこれだけの量を一日でこなせるなんて思ってましたね」
「宇城先輩は難なくこなしていましたし、きっと簡単な作業なのだろうと思っていたのですが…。考えが甘かったようです」
――神様のほうがパソコン詳しいってどういうことだよ。現代人。
私は密かなツッコミを入れながら、生徒会長席を眺める。
「ま…こうなることも織り込み済みだったってわけね…」
恐らく、宇城悠人はこうなることを知っていて私にあんなことを言ったのだろう。
普通に考えれば、生徒会の仕事を一人で回すことなど出来はしない。
人一人の体で出来る事はたかが知れているし、これまでどうやって立ち回っていたのか聞きたいところでもある。
だが、そんな状況を影ながら支えていたのは、宇城悠人だった――というより、この惨状を見る限り天草雪白のほうが影武者だったと考えるほうが納得がいった。
その宇城悠人が文字通り姿を消した今、影武者だった彼女は本物の生徒会長となった。
それによって露呈した書類の山の正体は、宇城悠人が彼女にひた隠しにし、これまで知らず知らずのうちに貯めてきたであろう、孤独という名の負債。
「織り込み済み?一体何の話ですか?」
「こっちの話です。とりあえず、入力が必要なものを時系列順に持ってきてください。その方が早く終わります」
――遅れは取り戻せる。
――一人では無理でも、誰かが助けの手を差し伸べれば出来ることがある。
――私はそれを知っている。
◇
◆5月3日 午前2時24分◆
「準備は良いか?」
「はい」
雹果は落ち着いた様子で返事をする。
「まずは目を閉じる。そして、頭の中で君が夢で見たという大国主を思い浮かべてみろ。心を落ち着かせてリラックスしながら、だ」
「…」
明らかにリラックスしている様子ではない雹果を見兼ねて、宇城悠人はその両肩を軽く叩く。
「あまり堅くなるな。深呼吸して、心を落ち着ける。あとは暫くの間そうしているんだ」
「…わかった」
雹果が頷き、呼吸が静かになったことを確認すると、宇城悠人は部屋の壁に寄りかかるようにして距離をとった。
私はそれを好機とばかりに小声で話しかける。
「良いのか?放って置いて?」
「…ああ。雹果が夢で見たという大国主の情報がどれほどかも判らぬ以上、奥深くに眠っている記憶を最大限引き出すことでしか成功の道はない。故に、外からの情報を遮断し、感覚を研ぎ澄ませることで、大国主との縁をより鮮明にイメージさせる。これはそういうものだ」
「なるほど。催眠療法みたいなものか…」
雹果に視線を向けると、まるで寝ているかのような静かな呼吸で佇んでいる。
「打ち付けな申し入れだが、君たちに二つほど頼みがある」
「頼み…?というか、そっちだって十分唐突だな」
「つか私たちも…?それに二つって?」
同じようにして壁に寄りかかる雨が問い返すと、宇城悠人は私たちに向き直り、深々と頭を下げた。
「この一件が終わったら、雪白のことを宜しく頼む。彼女は誰かに助けを求めたりはしない。全部自分で背負い込んでしまう。故に、彼女が困っている時は手を差し伸べてやってほしい」
私が雨と芽衣に視線を向けると、二人は互いの顔を見合わせたあとに笑う。
「わかりましたの!」
「おっけー。まあ、そういうのは誰かさんのお蔭で慣れてるからね?」
私は二人が言わんとしていることを察し、少し自分が恥ずかしくなる。
「…もうひとつは?」
宇城悠人は私たちに背を向け、雹果に視線を送る。
「きっと君が導き出したこの選択は一つの代償を支払うことになる。だが、君たちは自分を責めたりする必要は無い。だから気負ったりはしないでほしい」
それを聞いて、私は真っ先に声を上げる。
「代償…だって…!?そんなの聞いてない!一体誰が何を…」
「恐らく、雹果はそのことに気付いている。大国主と最も近い存在だからな」
「…!?まさか、それって――」
私は確かに最悪の選択を回避した。
だが、それは最良であって最善では無い。
私はその可能性があると知りながらも、そんなことはないだろうと都合良く考えていた。
私が問い返そうとした瞬間、その場の空気が変わったのを肌で感じ取った。
「何だ…今の…?」
「わからないですの…。何かが…」
どうやら私だけでなく、二人も同じ感覚を感じたようだった。
「繋がったな。あとは…」
宇城悠人がそう呟いた刹那、私の視界は光の中に飲み込まれた。
…
「あ…れ…?」
眩しさのあまりに閉じた目を開けると、その視界に入ってきたのは、先ほどまでの暗い生徒会室とは真逆の、陽光降り注ぐ山々や木々に囲まれたのどかな平原だった。
「どこだ…ここ…?」
『来ましたか』
私が混乱していると、どこかから女性の声が聞こえた。
声が聞こえた方向に慌てて振り返ると、岩場に腰掛ける白い和服のようなものを纏った一人の女性が居た。
「あれは…雹果なのか?でも…」
違和感を感じつつも、一歩足を踏み出そうとしたそのとき、もうひとつの別の声が聞こえた。
「お待たせしました」
私は慌ててそちらに視線を送る。
「…!」
驚いたことに、そこには雹果と同じ容姿をした人物がもう一人存在していた。
「雹果が…二人…!?」
私は目の前で起きていることを理解するため、心を落ち着かせるように大きく深呼吸する。
――一旦落ち着け、私。そして考えろ、私…。
「確か、雹果から何かを感じたあと、目の前が真っ白になって、気付いたらここに…。そういえばあの時、“繋がった”って…」
その言葉を思い出したとき、私はこの現象に似たことが先ほど自分の身に起こっていたことを思い出した。
「もし、変身した時と同じ状況だとすると、これは共鳴…?とすると、ここは雹果の意識…?私はそれに巻き込まれてるってこと…?」
私は同じ容姿をした二人に視線を移し、ひとつの結論に辿り着く。
「…ってことは、まさかあれが大国主…?」