くるみ割り人形 1
1話紛失。
導入:同級生で同じ学級委員である長宗我部に想いを寄せる浅井はある日、カレシ持ちの竹中に迫られるが、浅井はカレシ持ちの竹中のその行いを強く非難する。その会話を聞いていた竹中のカレシ・黒田は…
***
携帯電話を教室に置き忘れていたから、友人たちを近くのファストフードに残したまま学校に戻ってきた。
級長の長宗我部さんとすれ違う。人の好い笑みを浮かべて、オレに手を振ったので、オレもそれに倣った。
オレの教室の近くに突っ立ったままの男子生徒がちらりとオレを見て、少し睨まれる。後でシメるか、軽くそう考えてサンダルを見やると、1学年下を示す青の色。仲の良い奴等はサンダルを交換するのが暗黙のルール。「北条」と「本田」と書かれている名前欄。大して興味はないけれど。
教室からは、オレのカノジョと嫌われ者の男の級長がいた。
最近のカノジョの様子がおかしいのは分かっていた。もともとオレはそんなに恋愛感情的な意味では好かれていない。コクったのも、近寄るのも、デートに誘うのも、メールするのも全てオレから。カノジョが「オレの所有物」とタグされているのならそれでいい。そんな浅はかな考えがいつの間にか芽吹き始めている。「好きになってくれなくてもいいから、オレ以外のものにならないで」そんな感じだ。けれどオレはただカノジョを好きな1人の男をやるだけ。そうでもしていないと空しくて仕方がなかった。この人が好きだ、と自分を錯覚させているのだ。そしてカノジョも「わたしも好き」と人目も憚らずそう言う。
普段は静かだけれど、話せばよく喋り、芯が強い。ギャップにやられたんだと思う。
そして今も、掴み切れないカノジョのキャラに惹かれている。
カノジョに好かれていなくたって。
教室の扉には窓が付いている。曇りガラスではなく、内部がはっきり見えるガラスだ。
カノジョと級長が揉めているようだった。けれど聞こえてくる内容は揉め事などではなく、むしろ。
嫌な予感は当たるものだと思う。カノジョは最近、級長をよく見ていることを知っていた。それがただの興味であるのか、嘲笑の的にしているのか、また別の意味合いであるのかは察せなかったけれど。
冷たくすかしたツラの嫌われ者の級長には珍しい感情的な声。
カノジョを侮辱する言葉。混乱してくる。カノジョを軽蔑すればいいのか、それとも嫌われ者の級長に腹を立てればいいのか。
その場にいてもいいのか、それとも立ち去ればいいのか、それすらも分からない。
1日くらい携帯電話を放っておいてもさして問題はないだろう、そう結論づけて、友人たちの待つファストフード店に走っていった。
翌日、嫌われ者の級長とよく目が合うようになった。それから戸惑ったような表情をして目を逸らされる。カノジョは珍しく本を読んでいる。昨日の揉め事のように思えた件で、嫌われ者の級長を観察するのはやめにしたのだろうか。
嫌われ者の級長と同じ掃除の班の男子に当番を代わってもらい、オレが直接訊ねてみることにした。トイレ掃除だった。女子が3人の5人だ。職員会議で担当の先生は掃除には来ない。絶好の機会だった。
「男子トイレは、水掃除だってよ」
嘘の伝言。嫌われ者の級長は怪訝な表情を露わにした。
「昨日の掃除には出ていなかったからな・・・聞き逃したのかもしれんな」
あんた、資料作成かなんかしてたもんな。言葉を飲み込む。
「今日は伊達じゃないのか」
「バイトが忙しいんだってよ」
嘘だけど。腕を組んでいる嫌われ者の級長にオレは掃除用具入れからデッキブラシ2本とホースを出す。
「ところでさ、あんた、花粉症なの?目、赤いけど」
目敏いな、オレ。そうやって話題をどうやって持っていこうか、どう展開していこうか考える。
「え・・・・いや・・・これは・・・・」
あまり関わったことがないこいつは驚くほど感情豊かだ。動揺している。
「気のせいだったりしてな。いや、マジで赤いけど」
「・・・・何なんだ、君たちカップルは・・・」
明らか不機嫌な表情で、こいつはぼそりと言った。
「え?どういうこと?」
昨日のことだろうか。オレは知らないフリをする。
「・・・・何でもない」
嫌われ者の級長にデッキブラシを1本渡すと、そのままオレに背を向ける。
「何かしたの?オレのカノジョに」
オレのカノジョを罵った言葉が頭の中で響いている。
「よくもそんな恥ずかしいことが言えるな。惚気はよそでやってくれ。ボクにしても仕方がないだろう」
「・・・・・例えば・・・・そうだな。喧嘩した、とか?」
「喧嘩・・・・そうか。そうかもしれないな」
「なんでさ」
「理解できないな。カップルというのは」
お得意の冷ややかな笑みを向ければいいものを、酷く哀れんだ目を向けてきた嫌われ者の級長。
「あいつ、最近お前のことばっか見てたんだけど」
分かりやすいタイプなのだろう、嫌われ者の級長はオレをすばやく一瞥した。
「ば、莫迦な話だ、な。おおかた嘲笑でもしているんだろう。第一、竹中さんは黒田、君のことが大好きみたいじゃないか・・・・」
語気が段々と弱くなっていく。
「疎いよね、あんた」
オレはこいつとの話をどう展開していきたいのか、自分でも分からない。ただカノジョの真意が知りたい。そしてこの嫌われ者の級長の真意も知りたい、
「本当にそう思ってるわけ」
勉強の話とか以外、もうこいつと話すことはないだろう。まずモテるだろうが本人に「恋愛」に対する願望がないように思える。
「んな・・・何を言うんだ」
肩をびくりと震わせ、嫌われ者の級長は頭を振る。
「いや。ただもうあいつはオレのこと、冷めてるよ」
「そんなことはない!」
変なやつだ。
「君は変なやつだな、黒田。それはボクに言うことではないだろう。他に然るべき友人がいるだろうに」
同じことを思っていたのか。
「別れようと思うんだ。あいつのこと、頼むな」
こいつのどこがいいんだろう。女の気持ちになったつもりで、改めてこの男を見つめる。顔立ちは確かに綺麗だと思う。髪も清潔そうで痛んでいない。学ランにフケもない。手も綺麗だし、肌も綺麗。口から出てくるのが毒でなければ確かにモテる要素はたくさんある。男っぽい人が好き、という女でなければ恋愛感情的な意味で好かれるだろう。性格を除けば。
「気味が悪い。それに、ボクの意思は無視なのか」
「・・・・・ああ」
「ふん。資料作成時に手を止めるくらいには黒田を好いているようだが」
「なんだそりゃ」
「大体、竹中さんには嫌いと言われたからな」
ふと気付くと嫌われ者の級長はオレの手からホースを奪い取り、蛇口に装着させていた。
「え?お前、コクったの?」
「まさか」
コックを捻られるとホースは小さく踊った。タイルに広がっていく水。クレンザーが振るわれていく。
黙って嫌われ者の級長はデッキブラシでタイルを磨いていく。
「そっか」
オレも黙ってクレンザーを振るってタイルを磨く。
嘘が下手だよな。慰めてもらうためにこいつのところに来たわけじゃないのに。
もともとオレが撒いた種なのに。ただの汚い独占欲に応えてもらってるだけなのに。
「ま、手放す覚悟はできてるからさ」
本当に否定してほしかった言葉は、水がタイルを叩きつける音に掻き消された。