別世界の主人公が目の前にいるんだが 1
最悪だ。アカツキはデッキブラシを握り締める。
今からほんの少し前まで、アカツキは掃除をしていたはずだ。その証拠が今アカツキの手の中にあるデッキブラシ。しかし鮮やかなグリーンの毛先が擦るタイルの床はない。それどころかここは外だ。緑が生い茂り、青く晴れた空。遠くには薄い色の山々。辺りを見回してから、目の前に突き出された剣先に目を戻す。我ながら悠長だと、薄い金属が光ってから思った。だが現実味がなかったのだから、仕方がない。
「…!(名を名乗れと言っている)」
逆光しているが何となく分かる相手の表情。イケメン、アカツキの知る言葉の中ではイケメンという表現で間違いない男が剣を向けている。
「アカ…アカツキ…月島、アカツキ…」
剣が鳴る。ジャキン、と威嚇するような音だった。アカツキは尻餅をついたまま後退する。何故こうなったのか。それは、突然だった。トイレ掃除で水浸しになったタイルの床で滑り転倒したことだけを覚えている。汚れた古い天井が見えたのは覚えているけれど、その後のことが思い出せない。とすればここは、死後の世界なのか。当たりどころが悪かったなら、あり得ない話ではない。
「…(どこの者だ?)」
「ど、どこの者って…に、日本…?」
切っ先が首の皮膚に当たった。日本語を喋っているのだから、日本という回答は規模が大きすぎたのかも知れない。
「っひ…」
汗ばんだ手で、デッキブラシを強く握り締める。
「…(妙な衣装、妙な頭髪、妙な武器。真っ当な男ではないな?)」
指摘され、アカツキは己の姿と目の前の危険な男を比べる。アカツキは今時の高校ではあまり人気のない学ランに頭髪検査に引っ掛からないほどの無造作の髪、そして唯一のここに共に来たデッキブラシ。だがこれは武器ではない。対して危険な男は光を浴びて網膜を突き刺すほど眩しい鎧と、前からみればアカツキの見慣れたよくある髪型たが、その後ろで揺れる長い毛。そして首に当たっている剣先。
「ま、真っ当じゃないって、どっちがですか…」
ぼそぼそと言った。喉が動くと剣の感触が生々しく伝わる。
「…(問答無用!)」
剣先が離れた。男の腕が引かれた一瞬、アカツキは防衛本能でデッキブラシを前へ出す。
「…!?(何っ!?)」
「へ」
デッキブラシの柄が男の剣を受け止めている。身体が勝手に動いた。迫合いを軽やかに躱し、地面を蹴る。デッキブラシを振りかぶった。男の整った顔が歪んだ。アカツキは振り下ろす。男は寸前で後ろへ身を引いた。デッキブラシの先端が地を叩く。反動は大きかったが腕は勝手に軽々と衝撃を受け止め、男の顔面を突く。ホクロもシミもない白い肌に赤い一線。大きく目を見開いた男。だがアカツキも驚いていた。
「…(退散する!だが次に会ったときは覚悟するがいい!)」
男は手を口に持っていった。ピュイ、と笛の音がした。どこからともなくやってくる白馬。テレビで見たことのある、黒ずんでいたり黄ばんでいる白馬とは違う絵に描いたような白さの馬。アカツキは男が白馬に乗り去っていく様を見つめた。ここにいるのはまずいのか。姿が妙だと言われた。アカツキがいつの間にかいた場所はどうやら道らしい。デッキブラシを振り下ろして出来た窪みと小さな石ころ。草の生えていない土が剥き出して、轍もある。またあの男に会うことを恐れ、反対方向にとぼとぼと歩いた。信用出来るものはこのデッキブラシしかないようだった。
村が見え始める。絵本のような家々が並ぶ。第一村人がアカツキを見た。アカツキは頭を軽く下げた。だが何も返されず奇異の目を向けられる。腹が減ってしまった。アカツキは溜息を吐く。どうせ早く帰れるから、と今日は昼飯をあたり食べていなかった。まさかこんなことになるとは考えもせず。腹が鳴る。誤魔化すように腹部を撫でてもう一度溜息を吐く。
「お兄さん!」
間近からの声で顔を上げた。
「お腹減ってるの?うちで食っていきなよ!美味しいから!」
アカツキと同世代くらいの、赤茶の髪をした女の子だった。少し強気そうな目元と八重歯。にこっと笑う。
「え…」
「さっき米も炊けたんだ。今日はじゅわっと肉汁滴る臭み吹っ飛んだ金剛豚の甘辛香草焼きだよ!」
少女の説明を聞いてまた腹が減る。だが…金があるだろうか。
「ねぇ、ここのお金って、これで合ってる?」
アカツキは期待半分で学ランに入れた小銭入れから500円玉を取り出す。服装が違う程度で刃物を向けられるのだ。通貨だって違う可能性がある。そもそも金銭という概念すらあるのか。物々交換だろうか。デッキブラシを握る。売れるとしたらこれしかない。
「お兄さん!」
少女は大声を上げて周りを見回してから指を唇に立てる。アカツキにとっては黙れ、静かにしろという合図たが、ここでも同じ意味なのか。
「こんなもの大っぴらに出したら、危ないだろうが!」
少女がそう言って、アカツキは首を傾げる。
「そ、そうなの…オレ、ここ初めて来たから…」
少女は変な顔をした。だが先ほど男に向けられたものよりも柔らかい。
「よく分かんないけど、訳あり?うちの飯が美味いって言いふらしてくれりゃ、タダにしてやるよ」
「いやいや、それはマズいって…」
気付けば少女はアカツキの手を引き、アカツキもそのまま店内に案内されてしまっている。店はがらんとしている。アカツキも、シャッター商店街にある食事処で見たことがある。アカツキのいた場所とここの雰囲気があまりに違い、その記憶は夢なのではないかという疑念すら浮かんできているけれど。
「兄ちゃん何者?」
カウンターの奥に回った少女が準備をしながら訊いた。客は誰もいない。不人気なのだろうか。今日2度目の質問。やはりよほど奇抜に見えるのだろうか。
「それがオレにも分からなくて…」
「え?」
少女は、ガスコンロに酷似した突起がいくつも出ている場所に、マッチ棒と思しき物に火を付けて、フライパン代わりらしい小さな鉄板を乗せる。
「あたしはクロナ。お兄さん名前は?」
クロナと名乗る少女は大きな葉で大きな肉塊を巻きながら言った。
「アカツキ…」
「アカツキだね、よろしく」
クロナは笑った。強気な目元が綻ぶと、アカツキは胸がふわりとした。
「ここは、レストラン?」
「レストランって、そんな洒落たものじゃないよ。あんた変わってるね」
クロナは大きな葉で巻かれた物を鉄板に乗せる。ジュワッという音が胃に響く。
「変わってるっていうか…」
「まぁ、気にす…」
クロナが火加減を見てながらそう言った瞬間、地響きが鳴る。クロナがはっとして火を吹き消した。
「地震!?」
アカツキはきょろきょろと辺りを見回す。クロナは何も答えず外へ出て行った。アカツキも後を追う。だがすぐに物陰に隠れた。
「…(妙な者が彷徨いている。君も気を付けたほうがいい)」
白く眩い馬とその隣にいる鎧姿。クロナは何か話を聞いていた。そして鎧の音の他にもう1人。その者がアカツキの方を向こうとしてアカツキは咄嗟に隠れた。村は閑散としている。クロナ以外に人が見当たらないのだ。アカツキはクロナの店に戻った。あの鎧姿の男とはもう二度と会いたくなかった。デッキブラシを握る。不思議と安心した。まだ新しい学校の備品たったもの。家は、学校は、どうなっているだろう。心配させているか。大事になっているかも知れない。ここにいるということを伝えられないのはこれほど歯痒かったのだろうか。漂う薬味の効いた料理の香り。腹が鳴って、情けなくなった。外が騒がしい。腹の音かも知れない。だが、言い争うような声と先ほど聞いた地響き。アカツキはデッキブラシ片手に外に出てしまう。クロナが心配だった。あの鎧姿の男はクロナと親しそうではあったが、見ず知らずの自分に躊躇いなく剣を向けた。
「アカツキ!」
外に出てしまったアカツキをクロナが呼んでしまう。緊迫した空気だけを身体は感じた。鎧姿の男が誰かと対峙している。鎧姿の男の剣の先には、軽装の大剣を構えた筋肉質な青年。クロナの声が合図だったかのように止まっていた時間が動く。瞬間、手の中のデッキブラシが突然アカツキの腕を引いた。ぶつかり合いそうになる2人の間に割って入った。大剣と剣を受け止めたデッキブラシ。これはただの木製のはずだ。
「アカツキ!」
クロナがもう一度呼ぶ。
「なんだぁ…?」
「…(ここで何をしている!)」
一度に2人の視線を受けたが2人が武器を下ろすまでデッキブラシを下げられない。
「ここ、村ですよね…?そんな危ない物、振り回さないほうがいいんじゃ…」
軽装の大剣男は舌打ちして先に武器を下ろした。アカツキの知る中ではDQNという部類に属しそうな外見だったが話は分かるのかも知れない。
「…(貴様はここで何をしている)」
「何をしてるって…仲裁?」
大剣がアカツキを珍妙なものを見たと言わんばかりな眼差しで見る。
「独り言か?何か見えてんの?」
大剣男は少し青褪めている。
「え…この人、何か言ってるじゃないですか…」
「…(不要なことを)」
鎧姿の男も剣を下ろした。
「勇者様!お怪我はありませんか?」
「ゆ…」
クロナの言葉が信じられず訊き返そうとしたが、クロナに押し退けられた。
「…(今日は引く)」
クロナに勇者様と呼ばれた鎧姿の男は白馬に跨る。
「今日は引く。またここに来れば、大軍勢でお前たちを攻める」
勇者様と呼ばれた男と共に来たらしい布でぐるぐると巻かれた者がそう言った。何故勇者様サマが言ったことをもう一度言うのか。大事なことは二度言うということか。
「こんなチンケな村、とっとと捨てろっつーの!」
軽装の大剣男は言い捨てる。
「…」
「娘、邪魔したな」
勇者サマが言ったことをまたその脇の男はクロナへ言って、馬に乗る。方向を変えると馬の脇腹を蹴って、走り去っていく。だがまだ胡散臭い軽装の大剣持ちはここにいる。
「ンで?」
「ンで?」
大剣持ちはアカツキを見ている。
「お前は何だって訊いてんだよ」
大剣持ちは渋い表情をしている。クロナはアカツキの腕を掴む。
「オレ…?オレは…なんていうか…旅人…?」
「へぇ、旅人ねぇ…?そんな聖剣ぶら下げて?」
大剣持ちは鼻で笑ってアカツキのデッキブラシを舐めるように眺める。
「帰ってよ!」
クロナはアカツキの前に出て、大剣持ちに噛み付く。大剣持ちはおいおい、と肩を竦めた。
「今日はそーゆーのじゃねぇから」
大剣持ちはクロナに麻袋を差し出す。
「大殿から。来年には色々生るってよ」
アカツキは2人のやり取りを聞きながら首を傾げる。どういう関係なのだろう。敵対しているのではないのか。
「大殿って何?」
アカツキが問えば、クロナと大剣持ちは一瞬にしてアカツキを見た。
「何。どうなってんの?」
「アカツキ?…もしかして、記憶喪失なの…?」
「え?」
クロナは心配そうで、大剣持ちはマジかぁ、と口を開けている。
「大殿ってのはオレの殿。このチンケな村も大殿が管理してんだけど、みんなバカ勇者のところ行っちまってよ…」
「バカ勇者って何さ!あたしは絶対あんたのところなんて行かない!」
クロナが噛み付く。話になりそうにない。
「勇者サマっていうのがいるんですか…」
「そうなの!とっても民想いのいい人で、いつかきっと魔王を倒してくれるんだら!」
「ばっきゃろー!大殿があんなもやし小僧に倒されるかよ!」
2人の喧嘩が始まる。
「えーっと、あなたの大殿が魔王様?」
「あん?そうだけど」
「えーっと、じゃああのユウシャサマとかいう人の敵?」
「ちょっと、アカツキ…」
「何だお前、興味あんのか?」
クロナが目を見開いている。アカツキは勇者と呼ばれる大層な人間に剣を向けられた。傾く方向はすでに決まっている。
「会わせてください、大殿に」
大剣持ちの名はゼラというらしかった。ゼラニウムが本名らしいが花の名前だから気に入らないのだという。
「あたしは絶対認めない!」
お守りは嫌だからとゼラに無理矢理連れて来られたクロナがむくれる。城内に木霊した。
「おいおいクロナ~、いい加減認めろよ~。オレたちの支援なしであそこには住めねぇんだって」
何となくではあるがゼラはクロナが好きなのだな、とアカツキは思った。
「騒がしいな、ゼラ」
対面から背の高い男がやってきた。柔らかな笑みを浮かべている。鉄面皮のような勇者とは正反対の柔らかな雰囲気をまとっていた。ゼラが突然アカツキの頭を掴んで、下げさせる。真横のゼラも頭を下げていた。
「おお、客人か?もてなそう」
まさか、とアカツキはわずかに上目遣いで朗らかな男を見た。30代後半ほどの柔和な顔付きで、バスローブのような着物のような物を身に付けている。ゼラの対応からするとこの人が魔王、らしかった。
「大殿…!この者は記憶喪失らしく…つい連れて来てしまいました。クロナは成り行きで…」
「なんと、そうであったか。大変だったな。私のことは分かるだろうか」
柔和な男は膝を曲げアカツキの下げたままの顔を覗き込む。アカツキは首を振った。
「そうか。私はスズノハだ。よろしく頼む」
厚い掌がアカツキの頭に乗った。安心感のある体温と感触。ふと目の奥が沁みる。
「アカツキです…ツキシマ…アカツキ…」
「…アカツキ・ツキシマ?そなたは王族か」
アカツキは、え?と顔を上げる。
「名前が2つある人は王族なの」
クロナが説明した。
「え!オレのいたところの人は、みんな苗字と名前っていうのがあって…」
「記憶喪失じゃなくて、なんかもっとやべぇやつなんじゃねーの、こいつ…」
クロナとゼラが顔を顰める。
「そんなに王族がいたら、大変だな。よく来てくれた。ゆっくりしていくといい」
スズノハはそう言って去っていく。アカツキはその大きな背を見つめる。
「アカツキ!オレはお前が王族だなんて信じねーからな!」
ゼラはスズノハの後を追い、城の奥へ駆けて行った。
「どうするの?」
クロナは試すような目をアカツキに向ける。アカツキは何も考えていなかった。
「行くしか…ないよね」
「あたし、帰るからね!あんたなんてもう知らない!魔王に与するなんて…!」
クロナは声を荒げた。事情はまだ飲み込めていないがクロナはスズノハやゼラを毛嫌いしているようだ。
「クロナ」
_離れていくクロナを呼び止めるとクロナは振り向くこともないまま促す。
「何さ!」
「その…色々とありがとう。1人で不安だったから助かった」
クロナは何も言わなかった。そしてまた歩き始めてしまう。また会えるだろうか。もう会えないかもしれない。いや、会う気になればきっと会えるだろう。
「あの娘はどうした」
ご馳走を並べられたテーブルに座ったスズノハがアカツキに訊ねた。ゼラが遅かったじゃねーかと容赦なく背を叩く手を止めた。
「帰りました」
スズノハはそうか、と言ったがわずかに難しい表情をしていた。ゼラがアカツキとスズノハを交互に見遣る。
「それがどうかしたんですか?」
スズノハの反応が気に掛かりアカツキは問う。だがスズノハはいいや、と首を振る。そして並べられた料理を勧める。だがやはり気に掛かる。
「ゼラ?」
「最近野盗が出んだよ。勇者サマが囲ってる殿サマが野盗取り締まらないから大殿の領地にまで来やがんだ」
ゼラは呆れた!とばかりに枝豆と人参、ジャガイモが入った白くとろみのあるスープを木製スプーンで口に運んだ。
「野盗…」
「勇者サマがあそこにいたのも多分それだぜ。お志だけはご立派だけど、それなら手前の殿サマどうにかしろって思うよな」
愚痴を零しながらゼラはスープに厚切りの炙られた肉を入れた。香辛料の匂いがする。
「ゼラはなんであそこに?」
「野菜の種採れたからな。あそこ、人、クロナしかいなかったろ?」
「…うん」
「みんな逃げちまったんだよ。勇者サマのとこにな。でも勇者サマのとこは土地も肥えてねーし、どうなるんだかな。支援は受けないらしいから、とりあえずの作物は自分でな…」
ゼラはナイフを使わず肉にかぶりつく。アカツキも白いスープを啜った。シチューに酷似している。小学校と中学校の給食よりも美味しい。
「野盗のことが心配だから見回りに行ったのだと素直に言えばいいだろう」
スズノハは小皿に大きな赤い物を乗せ、細かく切り分けている。それはトマトによく似ている。ナイフ捌きは上品だ。
「大殿~」
「恥ずしがることではないだろう」
【打ち切り】




