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未完結短編集  作者: .六条河原おにびんびn
Lifriend Louder 恋愛/現代ファンタジー(?)
80/86

Lifriend Louder 1

 ぎゃはは!と高い笑い声が聞こえた。下品な音だと思った。だが藤花はあまり気に留めることなく夜の繁華街を歩く。

「アンタ、ホント、顔だけはめっちゃイケてる」

 カップルだろうか。10代後半、20代前半くらいの男女。女の方は高校生くらいには見える。隣を並んで歩く男の頬を突いたりしてみてはまた下品な笑い声を上げて楽しそうだ。男はそうされていることを気にしている風もない。藤花はじろじろと見てしまったが2人には気付かれることなくすれ違う。女子高生が出歩いていていい時間ではないが地区が地区だけに珍しいことではない。居酒屋や飲食店が並ぶこの区域のすぐ隣は色町だ。本物ではないかもしれない。行き交う人々の中に紛れていく2人組が特に何か気に掛かるというほど妙なものではなかったが、男にはあの下品な笑い方をする女が見えていないように思えた。



 雨が降っている。まだ16時。けれど空はどんよりと灰色だ。茶髪のショートカットの髪を何度も撫で付ける。雨の日はセットが面倒だ。傘の中に籠る雨音は心地良いが何となく身体が重いような、怠いような感覚がある。ぎゃはは、ぎゃはは、という声が頭に響く。それは二日酔いであるだとか、気圧変動による頭痛を助長するものというよりも、藤花にとってはただただ不快で下品という類のものだ。悪天候の中でも、隠れた太陽のような明るいさと愉快さを帯びて藤花の不愉快さなど知る由もなく。ふとした興味が沸いて藤花は笑い声を追う。

「やった!やった!ホントにやったんだ!?マジウケるんですケド」

 金髪を両サイドで高い位置に結んだヘアスタイルと焼けた肌。藤花の世代ではなかったが、昔を辿る映像で見たことがある、絵に描いたようなギャルの格好であろう後ろ姿。人通りの少ない路地に蹲った青年と思しき人物に話し掛けている。下世話な内容だろうか。藤花は暫くギャルの後ろ姿を見つめる。まだ閉店時間には程遠い狭い居酒屋の並ぶ通りは雨天もありさらに暗い。晴天であってもビル群に遮られ大して明るくはない。夜は冬でも、高名な神社や祭事の時のように提灯が道を照らす。それがなくても夜は栄えた居酒屋の光りで十分だ。

「アンタ、マヂ最高ぢゃね」

 ぎゃはは、ぎゃはは、と笑って喜ぶギャルの口調はどこか陰湿さを帯び、そういう喋り方なのか、わざと相手を煽っているのか藤花には分からない。折った膝を抱えるように座り込む青年と思しき人物は項垂れたまま動かない。

「あ?」

 下品な笑い声が消えて、ギャルの顔が藤花が覗いている方へ向く。隠れようにも一瞬のことで藤花は身体を強張らせた。不自然にならないよう、青年と対峙するギャルの脇を通る。この時間にここを訪れる者は多くはないが、この居酒屋通りの務め人なら不思議ではない。藤花は固唾を飲みながらギャルの横を通り抜けた。顔は見ることが出来なかった。遠くで救急車が鳴っている。そしてパトカーの音。傘を叩く雨の音のずっと遠く。珍しいことではない。居酒屋通りを通り抜けたところで、あのギャルを振り返る。下品な声と脅迫的な立ち姿。ただの興味だ。和風な建築を模した居酒屋の軒下のはずだ。けれどそこには誰もいない。あそこにいるはずだ。隠れられるような場所は確かにあるようではあったが、態々隠れる必要性があるだろうか。確かに2人がいたが、この居酒屋通りには今、誰もいない。隠れてもいないだろう。何故か藤花の中ではそう言いきれた。ならばどこへ消えたのか。あの2人がいた場所をじっと見つめる。尻ポケットに入れた端末が突然軽快な音を立てたことにより吃驚して肩を震わせた。無料通信が謳い文句のアプリケ―ションの音。それを理解すればすぐに落ち着いた。



 途中で抜けてもいいから!と言われたのは昨日だった。代理出席した合同コンパは藤花には合わず、言われた通りに抜け出てきてしまった。友人の友人という面識のない人たちとはタイプが合いそうになく、そして相対する男性たちも苦手な部類に属していた。繁華街にある居酒屋が会場だったこともあり帰路は暫く明るい。だが繁華街周辺を抜けると人通りは多いものの、暗さも相俟ってどこか寂しげだ。乱立するオフィスビルも、商業施設も、小さな薬局、コンビニエンスストア、ファストフード店、不動産、クリーニング店。細々とした明かりはあるけれど、繁華街には及ばない。会話の隙間を縫うように、あるいは場を持たせるために飲んでいた酒類は藤花が平生でいられる許容を僅かに越えたのか、少し足元が覚束なくなっている。少し休憩したい、と最近知った繁華街の外にある河川敷へ踊るようにひらひらと駆け寄り、欄干に抱き留められるように身体を預けた。遠く向こう岸に光る街が綺麗だ。嘔吐の匂い、腐卵臭、ガスに匂い、饐えた人の匂いを感じずに都会を感じる。引っ越す前の都会へのイメージ。藤花はぼうっと暫くは煌めく街並みの影を見つめた。幽体離脱をしたように浮いたような感覚で帰ったら何をしようか、課題をしようか、などと考えながら帰ることも億劫になって藤花はここで寝てしまおうか、と机に寝る時のように腕を枕にした。瞼が落ちかけるところで、「やめて!」という女の声が聞こえた。空耳だろうか。物騒な声に藤花は目を覚ます。きょろきょろと辺りを見回すが、何か事件が起きている様子はやはりない。ぽちゃん、という質量のある物が水に落ちる音が響いて、咄嗟に目が暗い水面へ行く。大きな波紋が描かれ、藤花の立つ方まで波紋が広がった。そしてまた誰かが落ちていく。藤花は欄干から身を乗り出す。今まで気にもしていなかった、周りにいる人達もなんだなんだと騒ぎ出す。

「嘘ッ」

 酔いが一気に醒めてどうするか、どうしようか、どうすればいいかと脳が働き始めるが、まだアルコールが邪魔をしている。端末を鞄に入れていたのを思い出し、どこに掛けていいのかも分からずあたふたと指が脳についていかない。誰か、おそらく人が落ちて、沈んだまま浮かんでこない。水泳の経験はない。だが焦りに押され、欄干へ足を掛ける。ハイヒールのヒールと底の狭間に欄干の一部がはまり、上手く越えられない。跳び越えようと考えたところで藤花は肩を掴まれ、欄干から引き剥がされる。一瞬だけ藤花の頭の中にふわりとある景色が蘇る。

「ちょっと待っててね」

 振り向いて見えた顔は、大学の友人だ。背の高く、痩身の男が笑う。細面の中にある細い目がさらに細まる。なんで?という問いが脳内を占める。何者かが池に落ちたことも忘れた。藤花が脳内でほんの一瞬広がった懐かしい景色に囚われている間にぼちゃん、という勢いのある音と水飛沫を立てて、藤花の友人の男が池にダイブした。後頭部が見え、すいすいと泳いで行ってしまう。藤花の後ろには野次馬が群れをなしている。すでに夜も更けているが都会なだけあり人が多い。友人の男の姿が夜に濁った水面へ消える。

「ハラテンくん!」

 友人の愛称を叫ぶ。頑なに苗字や名前で呼ばれることを嫌い、誰にでも愛称で呼ばせている。水面に泡がいくつか上がり、直後見知った男が水面から現れる。顔を大きく拭って、友人の男・七原転てんは藤花ににかりと笑いかけた。醜悪とまではいかないまでも冴えないが愛嬌のある顔がくしゃりと歪む。大丈夫か、救急車呼ぶか、よくやった兄ちゃん、などと声が七原にかけられる。肩を組むようにコンクリートの岸に上げられる全身ずぶ濡れの青年。

「藤花ちゃん、もう遅いから帰った方がいいよ」

 七原の肌理きめ細やかな皮膚に水が滴り落ちていく。藤花の周りの女子たちも羨んでいた。青年を支えながら柵を越える。

「また大学で、ね?」

 七原の顔が水によって光っている。藤花は七原に支えられている青年を一度見遣ってから頷いた。






 この日も雨だった。藤花は鳥居の前に立っていた。昨夜七原の顔を見た途端に浮かんだ光景。よく知っている風景。神社だった。狐の像が2体並んでいることだけはよく覚えている。都会に憧れはしたけれど、藤花自身憧れの都会の近くには住んでいた。

 ぎゃはは、ぎゃはは。あの笑い声がした。空耳ではない。声を頼りに後を追う。誘われているのかもしれないという疑問が藤花の中で湧いたのは何の変哲もない、よくある鳥居を潜ってから。記憶の中では地面が剥きだしただったが今では石畳で道が敷かれ、脇は玉砂利で埋められている。狐の像はそのままだ。社まで伸びる石畳の両端に置かれているが、藤花から見て左の狐の像は崩れている。これもそのまま。ぎゃはは、ぎゃはは。鳥居を潜ると声は大きくなる。昔を知っている狐の像に睨まれている気分になり、狐の像から顔を背けた。雨により霞む視界をパノラマのように見渡す。幻覚でもなくはっきりと輪郭を捉えられる男女の姿。すでに流行が廃れたルーズソックス。スカートが短い分、露出の多い褐色の脚。金髪の高い位置でのツインテール。ぎゃはは、と笑っている。

「サイッテー!ぎゃはは!アンタまぢでサイコーだゎ」

 挑発的な喋り方。鳥居を潜ってすぐではあったが、帰ろうかと藤花は足を止めた。雨宿りなのか手水舎の軒下でよろよろと青年が立ち上がって、柱に手をついている。ぎゃはは、と笑う“ギャル”は明らかに体調が悪そうな青年を見てずっと笑い続け、刺々しいが、刺々しいという自覚もなさそうな言葉を浴びせている。青年は柱を頼りに立ち上がって顔を上げる。藤花と目が合った。傘を叩く雨の音と汚らしい笑い声。聴覚だけが働いていて、視覚と嗅覚は一時停止したような。藤花と目を合わせたまま動きを止めた青年に“ギャル”も笑いを止める。遠目だが“ギャル”が藤花を振り返り、それから手水舎の軒の外へ傘も差さず歩き出す。青年は“ギャル”の後ろ姿を見つめながら柱伝いに座り込んでしまう。体調が悪いのか。藤花の視界から消えた“ギャル”を探せばすでに姿がない。視界から消えたのだ。消えたわけではないはずだ。この神社へ来て懐かしむつもりが、そういうわけにもいかないようで、何しろ藤花の記憶の通りではなくなっている。次第に強くなっていく雨を音で感じる。ここはすでに知っている場所ではなくなっていた。小さい頃はよくここで遊んだのに。ひとつの思い出が消えたような切なさを覚え、すぐに帰ろうと思ったが視界の端で青年が倒れていくのをスローモーションのように捉えてしまった。

 

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