Lifriend Flower 2
地下から上がると日光が佐伯の着ているサテンのワンピースを照らした。花柄はホテルで見た時よりも鮮やかな色味をしている。隣で歩幅を合せる榛名は暫く佐伯のワンピースに目を眇め、それから俯いた。
「ここでお別れかな」
榛名が流れのままに進もうとした方角は佐伯の行く方角とは違っていた。榛名が立ち止まり振り返る。日光が眩しいのか、腕を目元に翳しながら。
「悪かったっス、色々と」
佐伯がホテル代を全額出したことだろうか。だが榛名は大きくはないソファで寝、クッキーをくれた。
「何謝ってんの!じゃあね、またどこかで会ったら!忘れないでよね、なっちゃん」
ぶっきらぼうな顔面に微妙に困った笑みを浮かべる榛名。その眩さ佐伯も目を眇める。サテンが反射する日光よりも。背を向け去っていく大きな影が小さくなっていく。向日葵のような陽気さはないが鮮やかではないが気丈な花。無骨で強面な美丈夫。佐伯は佐伯の進む道を歩き出す。覚えのないサテンの黒地に花柄のワンピースが視界の端ではためく。佐伯の住んでいるアパート近くの商店街の外れにある花屋へと足が向く。帰省本能に身を委ね、思考停止しているといつの間にかここに寄っていた。何を探していたわけでもない。夢にしては鮮明だった、茶金髪の男が脳裏にちらついた。そう認識しているだけなのかも知れない。派手さはない目鼻立ち、冴えないとまではいかないが端整でもない。鼻梁は通っているが高くはない。唇は形がよく薄い。ただ涼しげな目元が彼の地味さを醸していた。初対面な気がするが間近で見たような記憶も少しずつ現れはじめている。そしてまたいずれ会うのだろう。花屋の中に並ぶショーケースを指でなぞりながらフリルを巻いたような花を探す。珍しい形ではなかった。むしろ種類としてはありふれているような気さえした。
「カーネーション」
ピンク色に透けた赤い花。色は違うが、佐伯の脳裏に残ったままの真っ白い部屋に咲いていた白い花と同じ形。小ぶりながら装飾的な外見をしている。何かお探しですか。店員が佐伯に声を掛け、佐伯は首を振って店を出る。あの夢の中の男によく似た花。小ぶりで控えめ、地味な印象だがどこか主張の強い。赤にばかり馴染みがあるせいか気付かなかった、白のカーネーション。誰かに伝えたい、佐伯はそう思った。この花の名前、あの花の種類。けれど誰に。宛ても分からない衝動。言える相手など限られている。あの犬だ。だが実在していない誰かが思考を絡め取っていく。
誰なの。真っ白い部屋を覗く視点が脳裏に広がる。覗かれていることに気付いているらしい、茶金髪の男が佐伯へ微笑みかけている。入っておいで、と言わんばかりの。行かない、行かない。佐伯の視点であるのに、佐伯は自分が首を振ったのだと分かった。微笑みが僅かに揺らいで茶金髪の男は切なく眉を下げた。質素であどけない男は妙に落ち着いた雰囲気で艶を帯びている。
誰なの。同じ問いは何度目か。男は教えるどころか喋ろうともしない。
誰、誰、誰。浮かぶ疑問と連動するように雫が佐伯の頬を伝いはじめ、速度を増していく。昨夜は雨で、今朝は晴れていた。季節の変わり目の不安定な空。日光はあるが、佐伯の頬を雨粒が滴っていく。
真っ白い世界。緑と茶金髪以外は白だけ。影も境界も照りつけ柔く落ちている。女性にしては背が高い佐伯と同じくらいの目線でその男は佐伯を見つめる。白のカーネーションが佐伯と茶金髪の男を祝福するように両脇に咲き誇り、花道を作っている。土のない真っ白な床から生えている。佐伯の踝まで届くほど水浸しになっているのも変わらない。同じ夢ではないが同じ場所。
誰なの。応えてはくれない。分かっていても訊かずにはいられない。知らない男のはずだが、全く知らないという気にはならなかった。よくある特徴のない顔立ちだからか。茶金髪の男は目を伏せ、ゆっくりと首を振る。だめだよ。男は口を開かなかった。しかし佐伯の脳はその4文字を認識した。
ダメって何が?誰なの?ここで何してるの?ここはどこ?どれから答えてほしいのかも分からないまま問わずにはいられない。すぐに消えてしまうから。佐伯は気持ちが急いた。
待って、行かないで、傍に居て。男の前髪が揺れる。顰められたカオは痛みに耐えているようにも思えた。佐伯の意に反して佐伯は手を伸ばす。触れられるのか、という疑問が浮かぶと同時に男の背後の大きな窓から差し込む光が強くなり、網膜を焼き尽くす。
髪を撫でるような音で目を覚ます。ベッドの上。カーテンの狭間から漏れる光は活気がない。
「誰なの」
夢の中の男はもういない。冷めた現実に先に戻っていくようだった。だがいない。夢の中で控えめに笑うだけ。また会いたい、そう思った。
外に出る支度をして佐伯は花屋へと向かう。カットオフデニムに紅色に近いくすんだ赤のカットソー。雨天だがヒールサンダルを選んだ。




