Dear Finalist 8
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霧夜は病院に居た。病室は静かだ。外の喧騒がより静けさを生んでいる。霧夜は監視されていた。霧夜がこの病室で眠る患者を始末しないようと。手にしっかりと握っているのは、サバイバルナイフ。ぎらぎらと光っている。監視している女が未だ殺害を諦めようとしない霧夜に痺れを切らす。
「私はね、立場より友情を取らせて頂くの。だからね、貴方が百華を始末しようって言うのなら私は貴方をこの場で始末するか、貴方のデータを改竄して次期社長候補から引きずり下ろしてやるわ」
監視している女・瀬戸はジャケットの懐から拳銃を出し、霧夜に銃口を向けた。
「下ろせよ。僕にそういう物騒な物向けるなよ」
「恩ってものを知らないガキが大嫌いなの」
引き金に指が掛かる。
「…ま、瀬戸は少なくともここじゃ撃たないでしょ」
挑んでいるような、見透かしているような、どちらともとれる表情で霧夜は瀬戸を見た。
「そうね。貴方の脳みそと血反吐で百華の寝るところを汚したくないわ」
嘲笑する瀬戸。
「…」
「百華が可愛い可愛い義弟を殺さないでって言うなら、私は貴方から百華の可愛い可愛い義弟を守るつもりよ」
「偽善的な連帯感には恐れ入るよ」
霧夜は鼻で笑った。
「偽善的ねぇ」
瀬戸は「その通りよ」と言うかのように呟いた。
「でも、瀬戸がそう思ってても、前里は僕等を裏切ったじゃないか。前里は君じゃなくて、義弟を選んだだろう?」
「それでも構わないわ。百華が私に何かしてくれなくたっていいの。私が百華にそうしたいだけよ」
霧夜の瞳が冷たくなる。
「そうやって裏切り者を匿うから…」
前里だけが、裏切ったのではない。
「そんなに彼を、恨んでるの?」
「君は、実の妹を連れ去った奴を許せるってかい?」
霧夜の瞳に怒りの感情が伺える。紗智をどこかへ連れていった。そして紗智は、帰ってこなくなった。
「愚問ね」
「君の妹は、大丈夫なの」
「貴方に心配されるほど末期じゃないわ」
瀬戸は拳銃を懐にしまった。
「私は仕事があるから、先に失礼するわ」
「いいのかよ?僕を監視しなくて」
「…兄弟を想う気持ちは、変わらないでしょう?」
霧夜は双子の妹。自分は病弱な妹。前里は義理の弟。
「…何ソレ」
霧夜は無意識に茶色い髪に触れる。瀬戸はそれを見つめて口を開く。
「さぁ?それと、女装、似合いすぎてこわいわよ」
ただ自分は、瀬戸にデータの改竄をされたくないだけだ。そう呟いて霧夜はサバイバルナイフをケースに戻した。
***
瀬戸は青間総合病院から社内へ戻ると、モニター前のデスクに荷物を置き椅子に座った。幾つものモニターは全て砂嵐が映っているが、音はない。この部屋は次期社長候補を名乗っている霧夜に与えられた瀬戸専用のオフィスだ。瀬戸は引き出しを開け、懐にしまった拳銃を中にいれておく。そして四角形の板状のものを取り出した。裏返すと、それは写真立てであることがわかる。笑う少女の姿が映っていた。瀬戸司。妹だ。精神の病なのだが、本人はそれを知らない。妹といる時間は少なく、司自身、自分を姉と分かっているのかさえ疑わしかった。母親はこの会社に呑まれないよう実家に行ってもらい、父親は行方不明。写真を見て溜め息が出た。自分の失敗だった。妹が精神異常者になってしまったのは。新薬の開発の実験台は、瀬戸の失敗の罰として選ばれた。しかし瀬戸の優秀さから、瀬戸の妹にその罰は科せられた。その提案をした者の末路を毎日確認する。瀬戸は引き出しの中からリモコンを取り出し、適当なボタンを押す。モニターが色を取り戻す。映ったのは白い怪物。そしてその足元にあるゴミなのか、ヘドロなのか黒ずんだ物体の山だ。その山の中に蠢く白いものや、周りを飛び交う蝿もモニターから分かる。瀬戸の指す「提案した者」はあの黒ずんだゴミの山の一部なのかもしれない。満たされることはない空腹感に襲われている怪物。それを監視していればいいのだ。生物兵器の製造、飼育は危険なのだ。しかし生物兵器という前にこれは人間だった。
瀬戸は腕時計で時間を確認すると、引き出しから薄型ノートパソコンを取り出し、電源を入れた。自分にはやるべきことがある。
タイピングの音が広いオフィスに響き渡った。
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人の気配を感じている。2階の自室の窓から玄関の外を見下ろす。誰もいない。倉木は溜め息をついて、膝を抱くように椅子に座った。椅子の上部を回転させ、ベッドを見る。布団が乱れている。ここで蹲って美浦に弱音を吐きまくったことを思い出し、恥ずかしくなる。そして風間の姿とシャワー室の光景がフラッシュバックする。膝を抱く腕の力が強くなった。息が出来なくなるという錯覚に陥り、焦って息を吸おうとする。椅子から転落する。背中を床にぶつけて呻く。藻掻くように手を暴れさせて、ベッドの縁を掴む。その感覚に一瞬懐かしさを感じ、既視感を覚えた。倉木は暫くその懐かしさは何だったのか考え込んだが何も思い出さず、分からない。
ヴヴ・・・・ヴヴ・・・・
机の上に置いた携帯電話が振動しているのに気付く。倉木は立ち上がって机の上の携帯電話を掴んだ。「メール着信」と風間の名前が表示されている。目を見開いてもう一度名前を見た。「風間」だ。この苗字の人をいまのところは一人しか知らない。そしてその人はメールなど送れる状態でない。
倉木はメールを開いた。メールのアイコンにクリップのアイコンがついていて、ファイルが添付されていることに気付く。
『風間朱鴇の愉快な仲間たち諸君、さぁ、仲間殺しの美浦君に制裁を加えようではないか』
添付ファイルは動画だった。画質が悪く、ところどころモザイク染みている。動画に映っているのは風間の家だった。撮影者は風間以外の誰かのようで、画面にぽつんと一人風間が映っている。風間は屈んで、足元から何か拾ったが、画質が悪くなり何を拾っているかは判断できない。風間は拾ったものを撮影者に投げた。カラン、と投げられたものが床に落ちる音がした。
倉木は固唾を呑む。
画面が風間を追う。風間は逃げる。何の声も発さず。画面はリビングからキッチン、キッチンから風呂場へと移動する。風呂場ではもう逃げ場が無かった。
「僕も、殺すの?」
風間が訊いた。怯えも、恐怖もない声で。返事はなく、撮影者は風間に近付いた。風間の動きが止まって、崩れ落ちる。風呂場のタイル壁に背中をぶつけ、そのまま上半身を凭れさせ座り込む。
倉木は口元を無意識に押さえてしまう。
撮影者の左腕が映る。何かを動かない風間に振り下ろした。今度は画質が保たれたままで、それが包丁だと判断できた。躊躇いなく何度も包丁が風間の無防備な身体に振り下ろされる。次に撮影者はバスタブの蛇口を捻る。湯が出る方と水が出る方、両方を。シャワーも使い、タブの中に入れておく。そして撮影者は風間の右腕を掴んだ。手首にまた包丁が振り下ろされる。画質が悪くなり画面に少しモザイクがかかるが、モザイクが赤系の色をしているのを見て、倉木は眉を顰めた。
画面全体をモザイクが覆い、場面が変わる。動画の要領が足らなかったのか、一端切ったらしい。画面にバケツが映る。ラベルの剥がされたボトルの中身をバケツに注ぐ。そしてもうひとつボトルを出して、中身を注いだ。混ぜてはいけないといわれる洗剤かと倉木は思った。また画面全体をモザイクが覆う。動画が終わった。6分間の出来事だった。現実感を覚えなかった。
倉木は見てはいけないものを見たかのような表情をしていた。自分が見たあの光景の過程は、こうだったのか。しかし、どうして撮影者は態々この動画を撮ったりしたのだろう。窓の外を見る。もう暗い。明日、美浦に訊こう。倉木の瞳には怒りと軽蔑が滾っていた。
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前里は目が覚めた。腹部に未だ違和感があるが、大したことではない。前里にはそれより、義弟がどうなったかの方が問題であった。自分を刺したことで、警察に自首でもしたのではないかという不安が過ぎった。義弟自身は会社とは直接関わっていないから逮捕または補導される可能性だってあるのではないかという不安。
前里も社員である前に一人の女性だった。企業秘密よりも可愛い義弟を選んだのだ。後悔も怒りも無かったが、不安と空しさだけが残る。脅してまで任務を遂行させるのなら、自分の手を汚せば良かったのかもしれない。義理の姉である自分が美浦を殺すことは、ただ殺すだけより、義弟を傷付けることなんて容易に推測できたのに。それでも、「殺さない」選択肢は自分には無かった。主は自分が義弟にただならぬ想いを寄せているのを知っていた。それで主は義弟の命と、任務の遂行を秤にかけさせた。どうすれば良かったのだろう。この現状が一番良かったのだろうか。何があっても今後は義弟を最優先しようと思った。妹分の瀬戸巴を裏切る容を選ぶしかないとしても。
全部投げ出したかった。こんな生活は。薬を作る仕事。機械を作る仕事。家具を作る仕事。車を作る仕事。裏では人体実験までをも行い生物兵器を製造している。そしてその実験になるのは戸籍を持たない小塚村の住民。詳しくは聞いていないけれど、会社の支配下にある山に囲まれた村。副社長息子の階堂という男が小塚村を束ねているようだが、主はこの男を酷く憎んでいる。妹をどうにかしたとかされたとか。瀬戸巴は彼の父親・階堂に実妹を実験台にされたのをこの目で見た。
23の自分にはあまりに重い仕事だということに気付いたのは最近だ。
小塚村のような田舎で住むのもいい。美浦社長の権力の及ばない所で、だけれど。
今までの収入なら、外国へ飛ぶのもいいかもしれない。どこか…この国ではないどこか…そこで平和に暮らしたい。銃を持つ必要もなく、誰かに脅かされることもない。義弟を泣かすこともなく、傷付けることもない。夫と別れて、それでどこか遠いところで静かに暮らそう。今まで働きづめだった。この国をめぐる旅に出るのもいい。収入は母親に仕送るつもりだった。その母親も、つい2年前に死んだ。消えた父親に嘆き。
前里は空ろな瞳で天井を見上げた。天井には網目状の溝が走っている。迷路のようだ。少し視線をずらすと、写真立てが入った。家族4人で写っている数少ない写真が入っている。ずっとここで寝ていられたらいいのに。新しい悲しみも、悔しさも、寂しさも要らないから。眦に涙が溜まる。
優秀な弟が優秀な高校に合格した。テレビにも良く出る、有名で優秀な学校だった。平凡な高校に通っていた前里には自慢の弟だった。両親も喜んでいた。優秀な弟だけに愛情が注がれたわけでもなく、普通な家庭だと思う。家族で笑い合ったり、喧嘩をしたり。優秀な高校。それが全てではなかった。弟は姉想いで、家族想いで。近所にある祖父母の墓にはほぼ毎日通っていた。3つ年が離れている弟。姉を慕っていてくれた。
そんな弟が無惨な肉塊となって帰ってきた。忘れる筈もない、雪の日だった。高校のテストがあると、勉強に励んでいた弟のためにマフラーを編んだマフラーを巻いて弟は学校へ行った。雪の日だから電車も込んでいるだろう。駅で降りたあと、歩くのなら制服が濡れてしまうだろう。いつもどおり帰ってくると思っていた母親は、湯を沸かして温かい食べ物を用意して待っていた。それなのに。
弟は電車に轢かれ、死んだ。ホームに転落した女性を助けて、死んだのだ。
赤と灰、白と黒、ベージュと黄。たくさんの色を纏った肉の塊を目にした。千切れたぼろぼろの布みたいな弟の腹、脚、腕。
自殺しようとしたという、女性を罵り、墓石に頭が減り込むほど謝らせた。
家庭が一変した。ぼーっとしている母親。泥酔して帰ってくる父親。学業を断念した前里。
甘い言葉で騙された。復讐の機会をくれてやると。弟を殺させた女を監視してくれると言ったのは副社長の階堂という男だった。女を小塚村に送り監視する。その代わりに、憎しみをくれと言い出した。意味が分からなかったけれど、働けという意味なのは分かった。10年近く勤めていた会社を辞めた父親と共に、美浦社長の会社に入ったのを鮮明に覚えている。
誰がこの写真立てを置いたのだろう。過去を振り返ってしまうと進めなくなるから避けていた。戻らない現実に胸が痛み、どうにも出来ない苦しさが襲う。それでもどこか救いを感じる。
弟が死ぬ結果に至らせた女への恨みひとつで今まで生きてきた。そうでしか生きられない、悲しい人間であることに気付いた時、もう自分は戻れない道を歩んでいた。
前里は写真を見つめていた。柊魅奈斗と出会えたことは、彼女の廃れて疲れた心を変えていた。柊魅奈斗と出会ったことで、前里の復讐心はどうでもよくなっていた。恨みだけで生きることに疲れていた。
容姿こそは似ても似つかないが、声や、性格、雰囲気、背格好が最期の姿と酷似していた。
彼に生かされた。だから彼で終わっても、別にそれでも、構わない。




