Dear Finalist 6
***
未来が無意味になったとき、人はそれを、絶望と呼ぶのだろうか。
「美浦魁」
玄関を開けたのは美浦ではなかった。扉の隙間から現われたのは茶色のセミロングの髪を揺らして出て来た女性。
「…」
ナチュラルメイクの綺麗な女。美浦は自然と眉間に皺が寄る。
「いらっしゃい。貴方の友達なら、2階にいるわ」
見覚えのある女だ。父親の会社で見たことがある。
「すまない、前里」
そう、名前は確か、前里百華。
「…ッ」
苗字を呼べば、物凄い形相で睨まれた。しかし招き入れるように前里は玄関の扉を更に開いた。
「落ち込んでるから、あまり刺激しないでね」
「ああ」
美浦は玄関を上がってすぐの階段を登っていく。階段上がってすぐの部屋の前に立った。ドアに下げられていたネームプレートには「るきはの部屋」と書かれていた。ノックを二回。
「入るぞ」
返答は無い。
「入るぞ。いいな?」
美浦はまたノックをする。揺れてカタカタとネームプレートが音を立てる。
「どうぞ」
冷めた声がドアを隔てて聞こえる。ドアノブを握って捻る。冷たさが掌に残る。ベッドに座っている柊。カーテンは開かれていない。暗い。
「…調子は、どうだ?」
なんと声をかければいいのか美浦は迷った。
「…悪くは、ないよ」
ぼぅっと天井を見上げている。口だけが動いているようにも見える。普段の柊とは違って見えた。いつもなら笑っている。
「そうか。なら、いいんだ」
倉木に柊の話を聞いたが、柊は倉木よりもショックを受けているようだった。
「美浦は、大丈夫なのか」
訊いている、というよりただ形式的にそう言っているだけのように感じる。
「ああ。心配される程ではない」
「そう」
一度もこちらを見ようとせず、ただ天井の一点を凝視している。
「倉木もお前を心配していた」
柊は錆びたブリキの樵のようにぎこちない動きで頭だけ美浦の方に向けた。ギィ、ギィという音が立ちそうな、そんな動きで。
「…倉木か。アイツは、大丈夫そうか」
「大丈夫だ」
「苦しがってたから…。息が出来ないって…苦しがってたから…」
柊は独り言のように呟いた。
「柊が、アイツと一緒に居てよかったと思う」
「…何言って。俺が…倉木と居て、よかった…ずっと救急車の中で…励ましてくれた」
柊の瞳から涙が零れているのが美浦から見えた。瞬きと共に頬に雫が伝うのが確かに見えた。
「倉木はいつでも…すごいよ…」
美浦は何も返さず、柊の話が続くのを待った。意外だった。倉木の思っていたこともそうだが、柊も柊だ。
「羨ましい。俺も…あんな風に居られたらいいのに…誰のことでも心配できて…あいつは、綺麗だ…」
ぼろ、ぼろ、とジーンズに落ちる音が微かに聞こえる。
「あいつは、綺麗だ」
柊は弱味を見せない。
「柊、」
美浦は扉の端の前里の姿を認めた。
「今よ!」
部屋の扉が音を立てて開いた。前里の声が大きく部屋に響く。背後からベッドのスプリングが軋む音が微かに聞こえた。美浦は振り返ると同時に柊が突進してくるのが見えた。目を瞑って歯を食いしばる。
衝撃はこない。
「ごめ…なさ、い…」
嗚咽にまみれて、ほぼ聞き取れない言葉。
「ごめ、んなさ…」
目を開いた。視界が暗い彩りを取り戻す。柊の方を見れば、前里が壁に凭れかかっていて、その前に座り込んでいた。
「どういうことだ?」
前里の腹には棒状の物が刺さっている。見間違うことはない。それはナイフの柄だ。柊はぺたりと座り込んで、肩を震わせたまま何も言わない。
「柊?」
柊に近付いた。
「美浦」
柊の顔が美浦に向く。「虚無」を宿した瞳。
「何か言われたのか、この女に」
「倉木は、綺麗だ…」
呆然と柊は言った。倉木は手を汚していないから。言外の意味を汲み取ってしまう。
「柊…」
美浦は前里に目を移す。まだ生きている。急いで携帯電話を取り出す美浦。かける番号は決まっていた。
「やめて…、やめろ!美浦!」
豹変しだす柊。怒りの籠もった口調。
「この女は死ぬべきなんだ!」
怒鳴る柊。美浦は前里の横に座り込む。
「邪魔をするな、柊。このままお前を殺人者にする訳にはいかない」
「ふざけないで…美浦魁…!貴方に…生かされよう、なんて…思ってないわ!」
「お前を生かすつもりはないんだがな。俺の勝手だ」
挑発するように前里に上っ面の微笑を向ける。
「…っ」
何も言えないようで、歯を食いしばる前里。悔しそうだ。しかしその目は「死にたくない」と訴えかけているように見えた。
「美浦、みう」
「黙っていてくれないか」
「世話無いわね…あたしを助ける、より先に、逃げた方がいい…」
「黙ってないと早死にするぞ」
美浦はコールし続ける携帯電話を肩に挟んだ。
「何するつもりなの?」
「本当は抜かない方がいいらしいんだがな」
美浦が前里の腹に埋め込まれたままのナイフに触れると同時に前里が呟く。美浦は前里の視線の先を辿った。涙をぼろぼろと零し続ける柊の姿に辿り着いた。
「あたしには、ダメだったんだ…」
柄を抜く。悲鳴が聞こえた。傷口から更に血が流れて前里の服を染めた。額から脂汗が流れている。自分を刺した人間を見つめて何を思っているのか。
「美浦魁、あんたを殺さなければならないとあの子に言った…。それがあたしの使命なの…美浦魁と仲が良いのは、柊。そういう風に聞いていたから…だから近付いたわ。柊聖多に近付くのは本当に簡単だったわ」
「…温厚な人だったな。アンタはそれを利用したわけだ」
携帯電話のコールが止んだ。
「繋がらない」
「…天罰ね」
「美浦社長…あんたじゃ、なくて…」
呼ばれて振り向くが、青褪めた顔で睨まれる。
「一般の救急車を呼ぶぞ」
「いい…いらない…いらない。もういらない……間違いだった……間違いだったんだよ。父さんがあんなところに入社するから…どうして、あたしたちは…」
幼い表情だった。今までの表情は作られたものだったのか。
「魅、奈…斗…」
そんな言葉も、柊自身には届いていないのだ。
「魅奈斗…」
「あんたが死んだら、柊の罪が重くなるぞ」
携帯電話にボタンを押す。前里が何を言おうとも、救急車を呼ぶ。そう決めた。
「魅奈斗…」
焦点の合わない瞳。ただうわ言のように紡がれる声。どうしてそこまで、人にこだわれるんだろう。
***
「失礼します」
ノックもせず、綾瀬は真っ白く高級そうなドアを開いた。何の生物も存在しないような静けさ。シュー、シューと規則正しく聞こえる音が静けさを増している。
無表情で冷たく自分を茶化す風間という先輩は何も言わない。ただ人工呼吸器を取り付けられて、真っ白いベッドに寝かされているだけ。
「すごい病室ですね」
高級ホテルを思わせる病室だと綾瀬は思った。その場に合わない、愛想笑い。返事も無く、ただ規則正しい音が響くだけ。
「今日は学校、休みになっちゃいました」
返事は無いのは分かっていた。
「先輩、大丈夫ですか?」
返事は、無いんだ。綾瀬は抱えてきた薔薇の花束を挿すための花瓶を見つけながら呟いた。花瓶は風間の寝ているベッドの近くのテーブルの上に置いてあった。造型は美しく、値段も高そうだが、どこか寂しげに綾瀬には見えた。
「先輩、薔薇、嫌いでしたよね」
理由は知らないけれど、この先輩は薔薇が嫌いだと言っていたのを綾瀬は覚えている。
「でも、買っちゃいましたよ」
赤い薔薇だ。
「お見舞いに薔薇ってありなんですかね?」
返事はない。花屋の店員さんに訊いておけばよかった、と呟く綾瀬。病室入口付近にある水道で花瓶の中を洗い、水を入れる。
風間は同級生には見せない姿を後輩に見せた。少し変わった先輩だ。上下関係をあまり気にしない。中間テストや期末テストのときは勉強会まで開いてくれたこともあった。相談によくのってもらった。同級生には冷たい態度をみせているようなのは綾瀬も何となく分かっている。
「先輩って変な人っスよねぇ~」
キュっと音をたてて蛇口を閉める。蛇口も高級そうだ。切れがよく水漏れすらしない。
「本当、何考えてるか分からないですよ」
薔薇の束を何本かに分けて花瓶に挿していく。
「手首切ったんですってね」
返事は無い。分かっていても綾瀬の口は動き続けた。
「自殺願望者っスか?残念っスね。手首切っただけじゃ人間、死なないっスよ」
綾瀬は薔薇の花瓶をもとあったテーブルに置く。テーブルのイメージも、花瓶のイメージも大分変わる。
「小塚村って知ってます?」
返事は無い。
「療養にはいいんスよ。一度行ってみるといいっス」
小塚村は過去に精神を病んでしまった頃に祖母に連れられて行った場所だ。山に囲まれた田舎だ。綾瀬はテーブルの上に置いた薔薇を暫く見つめると、ベッド付近にあるパイプ椅子に座った。
「風間先輩」
真っ白い布団。真っ白い枕。真っ白い包帯。蒼白な肌。
「大変スよね。毎日、こんなところで寝るコトになるなんて」
呼吸器の音だけが綾瀬の言葉に反応するようだった。点滴に繋がった腕は包帯が巻いてあった。そういえば、と綾瀬はふと思い出す。
風間がこうなった日の帰り道、自分は美浦と会った。美浦は鍵束を持っていて、何に使うかは話せないと言っていた。まさかね、と苦笑いを浮かべた。しかし学校の友人から聞いた話によれば、第一発見者である倉木と柊の証言では風間の家は開いていたという。
「美浦先輩?美浦先輩なんスか?」
返事は無い。
***
大きな力はやがて小さい力を呑み込み、小さい者は結局大きい者に呑み込まれるしかない。もしかしたらそんな世界に絶望していたのかもしれない。もしかしたらそんな世界を変えたかったのかもしれない。正義の上を生きようとして、いつしかそれが出来なくなった。正義の上を生きる者が少なくなった。正義の上を生きることより、虚の上を生きるほうが楽になった。虚で手に入れた幸福は、それすら虚という。
もう後戻りできないところまで来てしまったのかもしれない。
救急車が到着して数分経ち、前里が柊家の前に停めてある救急車に乗せられるのを確認した。
2階へと上がって柊を呼ぶ。
「柊、来い」
愕然としている柊に声をかけたところで、何の反応も無いのは分かりきったこと。それでも呼んでしまうのは、美浦が苛立ちを隠せないで居るからだ。
何の躊躇いも無さそうに刺しておいて、この様だ。いや、本来は自分が刺されるべきだったのかもしれない。彼なりの、最大の選択だったのだろう。そう考えると胸が痛んだ。しかし全て放ったらかしてベッドにつくのも、永遠の眠りにつくのも、かえって楽だったのかもしれないと美浦は不謹慎なことを考えてしまった。
「い、いやだ…」
苛立った美浦は立ち上がって柊の腕を強引に掴んで立ち上がらせた。酷く怯えた表情をして、美浦の手を振り払った。
「柊、落ち着け。まだ死んではいない」
「ダメだ…行けない」
美浦は諦めたように柊を呼ぶのをやめた。これ以上言うのは正直、きついだろう。それは理解できた。
「俺は前里と行かなくてはならない。柊、お前も来い」
だけど、最後にもう一度だけ問おう。
「行けない!俺は、俺は、兄さんの家庭をぶち壊したんだ!」
兄の嫁は義弟のことが好きで、それでその義弟は実の兄の嫁を刺した。今後のこの兄弟のことを考えると、美浦でさえも頭を抱えたくなるくらいだ。
「それなら見届けろ。お前にはその責任がある」
我ながら酷いことを言っていると思った。精神的に追いやられている人間にそこまでする必要はないと思っていたけれど。
「何があったか、話せ」
ふらふらと歩きだす柊を支えて階段を下りる美浦。
「え…?」
これが本当に柊か、と問いたくなるほど頼りない姿。
「前里は俺を殺すためにお前を使ったと言った」
「美浦…君も………君だって。あるだろ、話すことが…君は何なんだ?ど…うして義姉さんが。君を狙うんだ?どうして…?」
柊は裏切られたような表情をしていた。もしかしたらそう見えたのは美浦だけなのかもしれない。
「そうだな。話しておく必要があるようだ」
柊と美浦は救急車に乗り込んだ。
一度同乗することを拒まれたのに、「美浦」と名乗るだけで快く同乗を許可されたのが柊には怪訝に思えて眉根に皺を寄せた。
「君は、何者なんだ…」
重苦しく柊が口を開いた。
「…今まで黙っていたが、俺は」
柊の調子が少しずつでも戻っていく様子がみてとれ美浦は安心した。2人と前里の乗る荷台に救急隊員が乗り込んでくる。
「…?」
美浦のその救急隊員がアイコンタクトするのを柊は見た。そしてその救急隊員は美浦をみて頷いた。美浦は溜め息をついて、口を開いた。
「社長なんだ」
「美浦」
「なんだ」
「俺はお前を信じてる。でもその言葉は、信じるほうが難しい」
言いづらそうに紡がれる言葉。救急車がサイレンを鳴らして発進した。
「俺の父親が経営している会社だ。宗教染みてるんだがな。法律も常識も無い会社だ。規模も大きい。この前に閉鎖された神野動物園を買収したのも俺の父親の会社だ。それと、小塚村という村も、俺の父親の会社が統治している。そして父親が俺に社長を継がせた。俺の年齢など関係無しにな。常識も法律も、あの会社にはない。全て権力でどうにかされる。あの会社には学園まであるんだ。俺たちが通ってるだろう?」
そんな権力があったら、争いが起きるだろう。もしかしたらそれがこれか。
「それで?」
話を促す柊。落ち着いているように見えるが、柊がそう装っているだけなのかもしれない。美浦は柊の震えている膝と肩をみた。
「父親は、俺に全ての権力を、俺に渡した」
美浦はポケットから御守を取り出し、柊に見せた。
「それは?」
「柊部長、お前にだけ話す」
柊は顔を顰めた。部長といきなり呼ばれたからだろうか。挑発するように美浦は口の端を吊り上げた。
「この御守の中には、鍵が入っている。会社の地下にある倉庫の鍵だ。俺の父親はそこに何かを置いてきたと言った。多分、書物か、データの入ったパソコン。そのあたりだと思う」
さらに美浦は鞄から鍵束を取り出した。
「この中に、この御守の中に入っている鍵と同じ…倉庫の合鍵がある」
沢山の鍵がついている。錆びているものや、真新しいのか光沢を帯びているものもある。金色、銅色、銀色の3色しかないが、造形がどれも似ている。
「美浦は、どうするつもりなんだ?」
「俺は、どうする気もない。俺の父親は、行方不明になった」
「どうして君は狙われてるんだ?」
「俺の父親のやり方が許せないからだ。社長就任する気はないんだがな」
「…君はまだ15歳なんだ。どうしてそんな危ない目に遭わなきゃならない」
美浦は俯いた。
「すまない。本当に、すまなく思っている」
柊を裏切ってしまった気がする。柊が部長で、自分が副部長。柊はいつだって部員のことを考えてくれていた。生徒会の仕事があって部長の補佐などできないも同然だった。マネージャーがいるわけでもない。
友人か義姉か。そこで柊を追い詰めてしまっただろう。柊の家庭を壊してしまったのだ。
「ありがとう、柊。俺を生かしてくれて」
柊が自分を生かしてくれた以上、やはり片付けるべきことがあるようだ。




