契り千切る 4
親友との出会いは、20を大分過ぎたくらいだっただろうか。何度か顔を合わせては、他の者に接するのとは違い、僕とは雑談なども交わした。あまり表情は豊かでなかったけれど、僕には笑顔を見せたし、愚痴を零すこともあれば、楽しそうなことを話すこともあった。人嫌いだと思っていたから、僕にはそれが意外で。秀吉様のことを嬉々として語った。父親を慕う息子のようで、僕にはそれが微笑ましく思えた。けれど当時はまだ、友人とか親友とかいう概念は疎かったから、僕と親友は同性間の恋人のような噂がたったこともあった。現代風にいっても、まだその親友と僕は、「親友」というほどでもなかった。きっと、僕とが話しやすかったのだと思う。年が近いのもあったのかもしれない。
僕が彼を、個人としてきちんと認識したのは、数年後の茶会だった。秀吉様が開催してくださった茶会。僕の身体は病に侵されていた。現代ではもう治療ができてるらしいのだけれど、当時は忌み嫌われていた。出席を断れるはずもなく、僕は重々しい空気を感じたまま、出席したのだった。誰もが嫌だったと思う。僕自身もそう思う。けれど秀吉様が立てた茶を飲まないだと出来ようか?いや、出来ない。けれど。けれど、空気はただただ刺々しく僕に突き刺さって。飲むべきか、飲まないべきか。時間が止まった。秀吉様が気にしてしまうではないか。粗相はできない。じわじわと変な汗が滲んでいたと思う。意を決して口をつけた。惨めな想いに眼球の裏が締め付けるように熱くなってきて、何か込み上げてくる。顔を知っている人たちばかりだった。それが尚更苦しく、悔しく、恥ずかしかった。みなはどのように対応するだろう?どんな表情をするのだろう。すまない。申し訳ない。心臓を掴れるような感覚と、頭とは逆に身体は冷めていく。
そんな時に、湯呑みが手から離れていった。顔を上げると、相変わらず表情のない顔で、彼が僕を見下ろしていた。
―――秀吉様、失礼します
立ち上がったことを深く詫びて、その場で一気に、飲み干してしまう。
―――喉が渇き申しました。我慢できませぬゆえ
秀吉様は特に怒った様子はなかったが驚いた表情をしていた。けれど僕は、彼にこんな真似をさせてしまわなければならなかったこの身を恨んだ。
症状が顕著になってくると、今でいう友人と呼べる人たちは離れていってしまった。そしてこの茶会。ここまで動揺したことは、戦さの場であってもなかったような気がする。茶会が終わり、屋敷に戻ろうとする途中で、彼がいた。いつも彼が僕に話しかけるような調子で、茶会にきていた人たちの誰かの愚痴をこぼした。口数は少なく、毒ばかり吐くと噂で聞いていたから、よく喋る彼が僕に見せる特別な様子に、ぽろりと涙が落ちた。
―――泣いているのか
慌てたり、戸惑う様子もなく、彼はそう聞いた。冷たそうな印象を受ける、あまり男らしくない顔立ちだったと記憶している。
何故、私が口を付けた茶を飲んだのだ
半ば口調は彼を責めているかのようだった。僕の病気は、当時は感染病だとされていたから。そして忌み嫌われていたから。もし彼に感染してしまったら、彼も僕を責め、誹るのかと思うと恐ろしくなって。
―――喉が渇いたと言ったであろう。それ以外にあるのか。
笑うとき以外、彼の口調は怒りも憂いも慰めも、同じなのか。
そんな言い分で納得できない。
貴方に感染したらと思うと私は・・・
―――茶会とは回された茶を飲むものだろう。決まりを守らないヤツは嫌いなのだ。
彼の善意だったのか否か。それは推し測れなかったけど、僕は彼に、救われた。彼を信じようと思った。
―――大谷殿は豪気な人物だと聞いたし、俺もそう思っていたんだがな。卑屈にならないで、俺には正直に接してもらいたいものだ。
それから僕たちは、様々な戦場で共に戦った。目が見えなくなっても、歩けなくなっても。僕が腹を切るまで。
目覚めると、枕が濡れていた。目が乾いたように沁みる。ニワトリの鳴き声が聞こえる。遮光ではないカーテンのため、朝日でカーテンが輝いている。
顔すら思い出せない親友だった人物を少しだが思い出した。声もなんとなくだが、思い出してきている。ただ問題は、今見つけるべき相手は、自分の知っている人物ではないということ。男か女か、人間なのか、生まれているのか。それすら分からない。
布団の上で目を擦りながら、寝ていた部屋を見る。はっきりと部屋が、自分の手が、布団が目に映る。そして自分が生きていた時代にはそぐわない工業製品。そうだ、まだあまりきちんとした自覚はないけれど、僕は生まれ変わったのか。顔を触る。物心つく前からある傷跡は消えないままだけれど、夢の中の段々崩れてきてしまった皮膚とは違う。
僕が一体何者で、何のためにまた生まれ変わってしまったのか。そんなことはどうでもいい。ただ1つ、親友に会うこと。確実ではない親友の存在が、僕が生まれ変わってしまったことの言い訳。僕が僕として生まれず、僕が大谷吉継として生まれてしまった言い訳。
「大谷様、起きてるんですか」
島殿がそう言いながら襖を開けた。この部屋は襖で仕切られた4畳の和室だ。肉体的にはまだ成長期もきていないため狭くはない。
「はい。今起きました」
島殿は世間的には養父である。夢に出てきた親友の家臣だ。まだきちんと「友」として親友を認識するよりも前に島殿とは何度か会っていた。島殿とは会えば軽く挨拶をする程度だったが、親友は僕と会うと何かしら話したがった。その場に島殿がいることもあった。
「島殿。三成の夢を見ました」
今はもう剃ってしまったが、随分長く伸ばしていたヒゲが生えていた顎を島殿は撫でた。
「どうでした?夢の中の殿は」
「思っていた以上に、愛想がありませんでした。なんとなくですが、少しずつ思い出してきたような気がします」
島殿は口の端を吊り上げるようにして笑う。
「殿は大谷様のこと、気に入っておいででしたよ。友と呼べる人たちがあまりいらっしゃらなかったようで。左近も嬉しく思っております」
人の好き嫌いが多い。彼はそういう人だった。不正を嫌い、正直な者を好いた。そんな彼が、暫くは悪人のイメージで通っていたと文献で知った。なんとなく観ていた歴史ドラマでも彼の噛ませ犬的な立場、小物感を出す演出があった。そのせいか最初から最後まで観ることができた作品は少ない。創り話であろうとも、許せなかったのだ。そして彼にそんな印象がついてしまう前に助力することが出来なかった自分が不甲斐なく思う。
「左近めは、仕事に出掛けますゆえ、お留守番頼みます」
苦いことも言うけれど、なんだかんだで島殿は彼を信用し、一度は命を投げ打った。そんな島殿に、彼を悪とした世の中はつらかっただろうな。
「分かりました」
島殿は僕の返事を聞くとまたニッと笑って襖を閉める。それから、玄関の戸が閉まる音がした。




