朱の洋館 3
洋館の中はこざっぱりしていた。入ってすぐに左右に分かれる廊下と、正面には階段と廊下。階段の横の廊下の奥にある扉にはトイレを思わせる男女の標識が 描かれている。思っていた以上に内装は新しかった。外観からは想像がつかないくらいに。しかし天城たちにはそんなことを考えている余裕などなかった。自分 の身がとりあえず安全になったところで触手に連れていかれた友人のことが頭を支配する。
「何なんだよ、あれ」
渡島の落ち着きを取り戻した声。和泉はぜぇぜぇと息を切らしながら、瞳はいつもより潤っているようにみえる。
「白江君…」
大丈夫かしら、と続くのだろうか。龍宮は最後まで言わなかった。大丈夫な筈がないと誰もが思っているのだろうが、口にしないのだ。口にするべきではないと分かっているから。
「あの触手みたいのは?植物…?」
城崎が訊いた。渡島はさぁ?と首を傾げた。
「とりあえず、暫くは帰れないよな」
白江の生死を確認するだとか、触手に襲われてしまうだとか、様々な意味で。天城は俯いてそう言った。渡島は何の反応もせず、城崎が黙って頷いた。
「外には行かない方が、いいみたいだから必然的にここに居なきゃないけないね」
龍宮がそう言った。最年長の意見を仰ぐべきなのだろうか、天城は迷った。
「ここにいても仕方ない。先輩方のご命令の探索でもしますか」
嘲笑しながら渡島はそう言って左の廊下の方へ歩いていく。
「危なくない?」
城崎が渡島の背中に言った。
「ここが果たして、一番安全と言い切れるか?」
渡島が鼻で笑った。
「他所が安全だなんて保証ないだろ?」
険しい顔つきになった城崎が落ち着きながらも苛立ちを含んだ語調でそう言った。
「危険だという確証があるか?」
渡島は背を向けたままだ。城崎は唇を噛み締めて黙った。
「渡島」
「なんだ、天城」
黙って俯いた城崎を一瞥して天城も渡島を呼んだ。
「俺も行く。城崎の言ってることは間違ってない。でもここに留まってるワケにもいかない気がする」
「・・・・城崎、龍宮マネージャーと和泉を頼んで大丈夫か」
「ああ」
渡島の問いに城崎は強く頷いた。それを確認すると渡島と天城は左の廊下を歩いていった。
**
「和泉君、大丈夫?」
右手首を掴まれたショックが未だ消えない和泉は呆然と床を見つめている。
「右側の廊下、私、行こうか?」
龍宮が城崎に訊いた。
「一人で行動するのは良くないと思います。和泉君が落ち着いたら行きましょうか」
城崎は笑ってそう言った。心にもない笑顔は昔から得意だった。
「わかった」
龍宮も笑って返す。固い笑みだったが、城崎にはこの状態でもパニックにならず、相手を気遣える龍宮の気丈さがありがたかった。
「すみません、城崎先輩。もう大丈夫ですから」
和泉が大きく深呼吸をして口を開いた。肩が上下している。
「そう。落ち着いたところで悪いけど、そっちの廊下に行きたいんだ」
「分かりました」
右手首に赤くなった痕が見える。和泉は何を考えていたのだろう。白江のことだという確信があった。城崎は後輩の面倒を一番視ている。特に和泉は。和泉自 身が城崎を慕っていたからだ。和泉を近くで見てきた城崎には和泉が先輩の為に心を痛めていることがわかった。それに彼は白江に手を伸ばした。後悔している だろう。あと少しだったのに…と。そしてそれに苛まれているのだろう。
「行こうか」
城崎は和泉と龍宮に笑いかけた。龍宮も和泉も強い。大丈夫だと自身に言い聞かせながら、城崎は右側の廊下へと歩き出す。
誰も不思議に思わなかったが、精神的な余裕を持っている今、この洋館に電気が点いていることに気付いた。廊下は少し歩くとすぐに曲がり角にぶつかった。 ベージュの壁に水色のクレヨンでがたがたの線路が描いてある。年齢的に小さな子どもを思わせる描き方だと城崎は思った。線路の描いてある壁を伝って廊下を 進む。ドアがある。ドアにも線路が途切れることなく描いてある。ドアの色が暗い茶色の所為で水色のクレヨンが目立った。
「入ってみますか?」
城崎は龍宮に訊ねた。マネージャーとはいえ先輩の一人だ。蔑ろには出来ない。龍宮は頷いた。城崎は錆びた金色のノブに手を掛け、捻った。鍵はかかっていない。
ドアの先は暗闇だった。廊下の明かりが差し込んでぼんやり中が見える程度だ。そしてこの部屋からは音が聞こえる。物音ではない。音楽だ。
「オルゴール…?」
和泉が顔を顰めた。場にそぐわない平和呆けした音楽だが、それが違和感と恐怖感、緊張感を煽る。
「近くに電気点けるスイッチあるんじゃない?」
部屋に入りもせず開けたままのドアの前に突っ立っている城崎に龍宮が言った。言われた通り、入り口付近の壁に手探りで触れた。あった、と小さく呟き、スイッチを押す。
部屋の中が色を取り戻した。空色の壁紙と空柄の天井。環状の線路と山や川が描かれた絨毯。そして首を吊っている人形。対象年齢5歳くらいの着せ替え出来 る人形だ。柔らかい素材でできたソフトビニール製の顔に描かれた瞳に表情はない。天井から吊るされた紐で首を括られ、今は静止して絨毯をじっと見つめてい る。
「何でこんなことに…」
龍宮が消え入りそうな声で呟いた。人形が自然にこうはならない。
「一体誰が?」
城崎は警戒しながら室内に入った。窓が2つあるが、硝子は塗られたように真っ黒だ。時間は5時頃だというのに夜中のように感じられる。
「人形の自殺ってことかな」
龍宮の声が室内に響く。間の抜けた表情の人形はきっと首を吊っているだなんて思っていないだろう。
「出ましょうよ!嫌です。怖いです」
和泉が信じられないという表情で城崎と龍宮を見た。この部屋に対して言ったものというより、何かしらコメント出来る2人に向けたものだと思った。
「そうだね」
城崎は苦笑いを浮かべて部屋の電気を消すとドアを閉めた。また線路を辿るように歩き始めた。
「すみません。苦手なんです。すみません」
和泉の兄が自殺未遂をしたという話を噂で聞いたことがある。和泉自身の口から聞いたことはないし、城崎達が噂を耳にしていることなど知らないだろう。
「気持ち悪いよね。ごめんね」
「小さな子どもが住んでたんですかね」
「小さな子どもがあんなことすると思う?」
城崎の問に龍宮が訊き返した。天井から突き出たフックに引っ掛かった紐と吊るされた人形。
「やめましょう。その話は」
和泉が俯いて震えた声でそう言った。龍宮の小さく謝る声が聞こえる。また少し歩くと曲がり角だ。扉が3つある。城崎と和泉、龍宮はばらばらにドアを開くことにした。しかし、どれも鍵が掛かっている。




