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未完結短編集  作者: .六条河原おにびんびn
蒼穹の欠片 キャラ使い回し/恋愛要素強/青春?
19/86

何もない日々を君に捧げる


『続いてのニュースです・・・』


 普段と変わらない調子のニュース番組を毎日のように見る。目にしないのは土日の朝だけだった。ただいつもと違うのは平和なこの町を襲っている事件が読み上げられたこと。この町を襲った、不気味な殺人事件のニュース。


『物騒ね」


 食器を洗っていた母親の手が止まった。物騒なのはいつものことだ。毎日どこかで物騒な事件が起きて凄惨な事故が起きて、誰かが生まれては誰かが死ぬ。そのスポットがどこに当たったかという話で、物騒なのはいつだって変わらない。書類で何度も書いた漠然とした住所が偶々今日の餌食だった。それだけのこと。それだけのことだった。



「ワタル、お前大丈夫なのか?」



 朝食は家を出る時間がほぼ同じ父親と摂っていた。テレビに背を向ける席が定位置の天城(てんじょうワタルは、イチゴジャムの塗られたトーストを咥えながら身体を捩って画面に視線をやる。そこで初めて興味を持った。




「大丈夫でしょ」

 母親は少し心配そうだったが、天城は楽観的だった。宝くじを当てられるような強運は持っていなかったが、犯罪に巻き込まれるような凶運もまた持っていなかった。

「学校まで送っていった方がいいのかしら?」

天城に確認するよりも、天城の母親は天城の父親、彼女の夫に尋ねる。天城の父親は新聞紙を広げながらマグカップの中身を混ぜるように揺らした。視線を新聞紙に向けたまま口だけが動いた。

「何事もない限る。ワタル、母さんに送っていってもらえ」

自転車で40分の学校は大して苦ではなかった。電車を使う手もあるが、自転車で通うほうが、融通が利くために自転車で通学することがほとんどだった。

「心配しすぎじゃね?」



自分たちは絶対に関わりのないことだと思っていた。見ず知らずの他人が被害に遭っても、自分やその家族には全く関わりのないことだと。自分達は特別な身分でも地位でも何でもない。けれど、日常から外れたことが起きることなどない。この毎日から外れる。そんあ想像はなにひとつできなかった。



「でも、ワタルの学校の近くよ」 

 見慣れた町並みとスクロールしているテロップが液晶テレビの中に収まっている。

「大丈夫だって。今日は部活でミーティングもあるから帰り遅くなるかも」

トーストをたいらげ、湯気を上げているココアを飲み干す。朝食の定番ともいえる牛乳を天城は好まない。父親も朝食を摂り、支度を整えると家を出た。

 母親の車で登校したため、帰りは電車に乗ることが決定した。部活が終わる頃に迎えにきてもらうのも悪い気がした。天城は小銭が無いことに気付くと、校門の前に設置された自販機に向かった。






───何がいいかな…

 喉は渇いていない。特に飲みたいという物もない。手の中で千円札を弄びながら、端から端へと視線を流す。

「あ、てーんじょー」

 大きな声で名前を呼ばれ、天城は振り向いた。身長180cmを越える背が高く痩身の男が人懐っこい満面の笑みで手を振りながら走ってくる。

「お、おはようさん」

白江(しらえ)冷那(れな)だ。女子に多い名だが、施設で育った彼は唯一の家族の繋がりだといって気に入っているようだった。

「何してるの?お釣り出て来ないの?」 

 白江と出会ったのは小学校高学年からだった。幼い頃から背丈はあるくせ、気が弱く甘えたで女子にはよく可愛がられていた。男子からは常にいじめられてトイレの隅でめそめそ泣いていた。

「んー…何買おうか迷っちゃってさ。特に飲みたいものもないんだよな。白江、何か飲みたい物あるなら買ってやるぜ」

「わーい\(^-^)/。じゃあこれ!」

満面の笑みを浮かべて白江が指をケースの一点をさす。それは甘いもののほとんど牛乳に近い飲み物だった。

「なるほど、デカくなるわけね」

売り文句がカルシウムを強調している。

「牛乳は骨が太くなるだけだよ(V)o\o(V)。オレはこれの味が好きなの!」

「へいへい」

ボタンを押して、数秒後にガコン、と音がした。

「俺だって小学生までは牛乳毎日飲んでたんだからな。今じゃもう飽きたね」

じゃらじゃらと880円が釣り銭口に降る。天城は財布にしまった。

「てんじょーはこれくらいがかわいいサイズだよヽ(*´▽`*)ノ」

白江は天城の頭に手を置いた。

「お前がデカイんだよ!今いくつだよ」

すでにいじめられていた頃から天城より背が高かったし、いじめられっこよりも大きかった。それでも気が弱く、やり返したり言い返したりすることもなかったためいじめはやまなかった。

「じゅぅ…ろく…?」

「身長」

「ひゃくはちじゅうはってんなな」

ストローをパックにぶすぶす刺しながら白江が言った。小さなアルミの円形の部分に上手く刺せないようだ。

「長身っていいよなー」

隣で不器用にストローをぶすぶすと挿そうとしている白江を横目でみると溜め息をつく。

「オレは小さめの天城好きだよ(//≧3≦)b」

パックを奪って、ストローを刺してやる。

「お前に好かれても嬉しくないっつの」

天城の身長も平均よりはある。しかし長身の白江といるために数値よりも小さく見えてしまうのだった。常に人の脳天を眺め、空に近い生活はどんなものなのだろう。

「てんじょーひどい(;_;)」

「ははは。カップルか──…」

ふと救急車のサイレンの音が聞こえた。




「てんじょー?」

 母親が話題に挙げ、父親に助言を求めた、いつもと違う朝だったせいだ。

「今朝のニュース、見たか?」

 サイレンなど年中聞いている。救急車なら尚更だ。だが今日はどこか新鮮に感じた。

「見たよ」

「最近この辺りにでるっていう通り魔の」

「見たよ。被害者って隣町高校の生徒だったんでしょ」

被害者のことまでは知らなかったが、白江が朝のニュースを見ていたことは少し意外だった。いつもは虎が可愛らしくデザインされた教育アニメの話ばかりしているから。

「大変だよね。犯人、近くに住んでたりして」

まだその事件と関係したものだとは決まっていない。交通事故や急病の可能性だったあるのだ。しかし朝の家族とのやり取りがまだ頭の片隅に残り、胸の奥にもやもやとした重みがあった。

「ま、どうせ事故かなんかだろ」

「うん?」

「救急車なんて珍しくないってこと」

 白江は不思議そうな表情で天城を見つめた。

「そうなの?」

「え?」 

「なんでもない(^v^)」

 白江はずずずーと音を立ててパックを潰した。

「行こ(^o^)」

 校舎に埋め込まれた時計を指して白江は笑う。7時半。学校は8時40分から始まる。周りに生徒はいない。今日朝練のある部活は天城たちの部活しかないのだろう。

「遅刻すると渡島(わたしま)にどやされるな」

 天城たちは部室へ向かった。




「あ、2人ともおはよう」

部室の扉を開けると3年マネージャーの龍宮(たつみや)(つかさ)がいた。天城は彼女の声に心臓を刺激されて俯いてしまう。

「龍宮さんおはようございま〜す(//´▽`//)」

白江は黙ってしまった天城を一瞥し、龍宮に笑みを浮かべて挨拶をした。

「ちわーっす」

俯いて、龍宮を視界にいれないまま天城は小さく呟いた。彼女以外に返事はない。部室は静かだった。

「先輩等は来てないんすか?」

俯いたまま身体だけ龍宮の方に向けて天城は訊いた。にこりと笑って龍宮は口を開く。

「まだ来てないよ」

「渡島は(?_?)」

天城は部室を見回した。龍宮が1人だけ室内を掃除している。毎回龍宮より早く来ている渡島も見当たらない。

「渡島くんもまだね。でも城崎じょうざきくんは朝練も部活も出ないって」

「城崎何かあったの」

「それが分からないの。なんかメールも変だったし」

「城崎いないと1年がなー」

 城崎は天城と同い年で、物腰柔らかく外見からも穏和な印象を与えるせいか、1年によく懐かれていた。一方で少し粗雑な天城や冷淡な態度を示す渡島、1年よりも言動の幼い白江は慕われているとはいえなかった。

「う〜ん、どっちかっていうとオレ達って舐められてる方だからさー(><)」

「城崎みたいに優しくても威厳のあるタイプじゃないからな」

先輩も後輩も来ない。部活が休みなら事前に部長からマネージャーである龍宮にも話がいくだろう。

「早乙女マネージャーは?」

龍宮をあからさまに疎むもう1人のマネージャーのことを訊くのは躊躇われた。派閥によりマネージャーごと二分された部だったがそれでも事務的な連絡くらいはあるはずだ。

「見てない」

「早乙女マネージャーがどうかしたの?」

 白江は「何言ってんの!?」といった風な表情で龍宮と天城とを交互にみた。

天城たちの部活の先輩は理不尽なことで怒ったり、娯楽のように理不尽なペナルティを与えるのが好きだった。いつからかそんな先輩たちに媚びて理不尽なペナルティや先輩からのいじめを免れようとするグループと不条理なペナルティは実行しないグループに分かれてしまった。天城たちは後者のグループだった。そうすると前者のグループは先輩たちに取り入ることが難しくなる。派閥の溝は深まったまま2年に上がってしまった。2年になってすぐにマネージャーが入った。それが龍宮マネージャーと早乙女マネージャーだった。この2人は性格も正反対でそう時間を要さずにこの部の内情を悟ったらしかった。早乙女マネージャーは先輩と媚びてくる後輩の面倒しか看てはくれなかったが、龍宮マネージャーは先輩には冷たく扱われても天城たちの面倒をよく看ていた。

「今部長にメール送ってみるね?」

「すみません」

「んじゃオレ、トイレ行ってくる〜」

龍宮が携帯電話を出し、白江は扉に向かうやいなや、部室の扉が開いた。

「おはようございます」

1年の和泉いずみだ。

「おはよ」

「和泉」

白江が和泉を呼んだ。返事はなかった。珍しいこともあるものだと思いながら天城は和泉をみた。

「…はい?」

返事は随分遅れてからやってきた。彼は礼儀正しく、正義感の強い後輩だと天城たちからは認識されていたため冷めたようなその態度は強い印象を与えた。

「大丈夫か?」

白江が話そうとする前に天城は和泉に訊ねた。

「え・・・・あぁ。すみません、ぼーっとしてました」

「そうか」

「今日朝練無いとか訊いてない?」

「はい。聞いていません」

やはりそうか、と天城たちは朝練の準備を進めた。

「あ、部長からメール来た。今日は、普通に朝練ある…って。それにしても遅いね」

「そういえば今日城崎休みだって(´▽`)」

「え、あ…そうなんですか?」

和泉の目がコンクリートの床を泳いだ。貧血のように蒼褪めた顔に天城は体調を気付かったが彼は乾いた苦笑で何事もないことを告げるだけだった。



活動時間になっても部員は集まらなかった。ショートホームルームが始まるぎりぎりまで待ったが、4人しか集まらないまま朝練は個人的なトレーニングの時間と化した。普段から遅刻しないように朝練は終わるものの、ゆっくりしている余裕はなく、教室に入ってすぐにチャイムが鳴った。天城は席に滑るように座ったがチャイムが鳴っても周りはうるさかった。遅刻扱いになってしまう時間になっても同じクラスである城崎の席はまだ空いていた。荷物も置かれていない。2年間同じクラスだったが彼が学校を休んだ記憶はなかった。

教室の前の扉が開いた。暗い表情をした担任の教師の顔と、腕にある菊の花が目を引いた。長細い花瓶の中で揺れている。騒がしかった教室が一瞬で凍りつく。

「せんせ・・・・?」

何も言わない先生は、菊の花を机の上に置いた。視線が誰も座っていない席に集まる。城崎の場所だった。

 悲しいお知らせがあります。先生はぽつりと呟いた。

「今朝、城崎が亡くなったと連絡ありました」

後頭部を強く殴られたような衝撃が天城を襲った。聞き違いだ。そう信じたかった。周りの音がどこか遠くに感じる。

「最近ニュースにもなっている連続通り魔殺人事件の犠牲者になりました」

朝に聞いた救急車のサイレンの音が蘇る。あの時だろうか。あの白江と連続通り魔殺人事件の話をしていた時のことだろうか。自分達が呑気に過ごしていた時に城崎は殺されたというのか。それとも。クラスメイトよりも親しくしていた友人だった。それだけに実感が湧かない。

「城崎…」

城崎の姿は脳裏に張り付いたまま、離れようとはしない。

「すぐに全校集会が始まるから、準備しろ」

先生の声が大きく感じた。全校集会で体育館に集まってみれば、2つ隣のクラスの列にいた白江を天城は蒼白になりながら見ていたが、彼は気付く様子もなく檀上を熱心に見上げていた。

校長の話は、本校の生徒が事件に巻き込まれ死亡したこと、隣街の教諭が事件に巻き込まれたこと、今日は原則部活は無しで早帰りになる、ということだった。


「てんじょ〜」

教室に戻る途中の廊下で、白江が天城を呼び止めた。

「なんだよ」

「…城崎のことなんだけど…」

「待ってくれ…まだ全然、実感なくて」

天城は口にしてから膝から力が抜ける感じがあった。白江の腕を掴み体勢を保った。そのまま青白い顔を捉える。白江はぐしゃりと眉間に皺を寄せ、真っ黒い大きな瞳は水膜を張っていた。

「てんじょ…」

「ごめんな…ちょっと頭が追い付いてねぇや…」

「うん。あのね、今日、渡島は休みだって」

今はまだ城崎について何も言うことができず、白江の腕を軽く叩いて挨拶すると教室に戻った。





予定よりも何時間も早いホームルームでは今後の日程について告げられるとすぐに下校するように言われた。教壇に立つ先生の落ち込みようが、城崎の死を強く天城に刻んでいった。

玄関で上履きから下履きに替えようと腰を曲げたとき、聞き慣れた声に呼び止められる。いつもならば心臓を握られるような心地がするのに今日はただのひとつの声に過ぎなかった。

「龍宮先輩…どうしました?」

龍宮は天城の目を見るとすぐに目を逸らした。

「城崎君、ちゃんと連絡くれたんだよ?朝、メールで…」

「…はい」

 まだ膝が震えている感じがあった。白江から休んでいると聞かされた冷めた同級生のことが気になり天城は家に寄ることにした。あの事件はもう身近なものなのだ。

「どうしてこんなことに…」

「俺は渡島のトコ寄るんですけど何か用事ありますか」

「気を付けてって伝えて…天城君もだよ…?」 

龍宮の眉間に皺が寄る。

「分かりました、伝えておきます」

草臥れたスニーカーに履き替え、龍宮に背を向けた。




渡島という友人についていくつか噂があった。彼が中学生になる少し前に両親が離婚した。兄と弟が父親につき、渡島自身は母親と暮らしている。その2年後に弁護士だった父が、弟ともに殺されてしまった。たまたま会いにきていた渡島も巻き込まれ、腹に大きな縫い跡があるのだとか。兄がいたはずだが蒸発しただとか。その母親は今では社長で生き残った息子を放っておいているだとか。そのうちどれだ事実で、どれが事実無根の噂であるのか天城は分からなかった。

 彼の家は立派な造りの新築一戸建てだった。インターホンを鳴らすと入ってくるように言われ門を通ると玄関が開いた。

「学校はどうしたんだ?」

 その顔立ちは狐に似ていた。切れの長い吊り目に淡い色の短髪で、常に気難しそうに眉根を寄せているが、薄い唇は時折わずかに持ち上がる。白江から休んでいると聞いていたが思っていたよりも体調は良さそうだった。家の中に通され、渡島の部屋に入る。

「ま、座れよ」

 渡島はベッドに座り、天城が何か言うまでは黙っていた。天城もそれを察し、重苦しく口を開く。

「城崎が死んだって、聞いた?」

 彼の眉間に皺が寄った。何か口を開くまでその目から視線を放せなかった。悪い冗談だと思われるかもしれない。悪い冗談なら天城にとってもずっとよいものだった。

「いつ」

「今朝」

 天城の一挙一動を渡島は見つめ、小さく呟いた。

「…そうか」

 半ば信じられなかった。昨日まで一緒にいた友人が死んだ。渡島はいとも簡単にそれを理解した。

「もう知ってるかもしれないけど、学校の近くの地域で連続通り魔事件が多くなってる…」

 静寂が恐ろしくなった。天城は捲し立てた。だが言葉が続かず、また静かになる。溜息が聞こえた。表情には出ていないが、それがひとつの彼の感情の表し方のようだった。

「朝やってたな」

 普段から冷めた声がいつもより上擦って聞こえた。

「龍宮先輩が、気を付けろって」

「龍宮マネージャーも気を付けてもらいたいものだが」

 そう言って天城に目配せする。予想外の反応で、天城は「そうだな」と同意した。

「…わざわざありがとうな。帰りも危ないだろ、追い返すみたいだがすぐ帰れ」

 いつもの渡島と違った。いつもの蔑んだような、人を小ばかにしたような、生意気そうな態度が一切伺えない。

 渡島は携帯電話のボタンに指を走らせ、耳に当てた。車の運転を頼んでいるようだ。付き人だろうか。渡島の家が一般家庭らしくないのを天城は知っていた。礼を言って、渡島をぼんやりと見つめた。肝の据わった態度は天城の耳にした噂の信憑性を高めていった。

それから30分程で、渡島の携帯電話が震えた。テーブルの上に置いたせいで、表面に振動が伝わり静かな部屋には大きく聞こえた。

「迎えがきた」

渡島の静かな声に頷いて立ち上がった。漆黒の高級車に乗せられる。天城を乗せたあと、渡島も乗り込んだ。車内も静かで、天城も渡島もお互い別の方向を向いて車窓を眺めた。帰りは電車で帰ると思っていた。白江に飲み物を奢る必要もなかったのだ。いつもとは違う帰り道だった。


「城崎は、俺のいとこだった」

 渡島はぽつりと言った。何気ないことのように。

「は?」

「まさかお前から聞くとは思わなかった」

 天城は肘をつきながら反対の車窓を眺めている渡島を振り返る。運転手が到着を告げた。渡島が車のドアを開ける。

「わざわざありがとうな。気を付けろよ」

 天城は車から降りて、車内で座ったままの渡島の後頭部を見つめた。車のドアが閉まる。小さなっていく漆黒の高級車を消えるまで見つめる。その間に、救急車のサイレンが遠くで聞こえた。耳に張り付いた幻聴かもしれない。



 ブロック塀とブロック塀の狭間を通り抜けて、家に入った。


「ただいま」

「あら、おかえりなさい。早かったわね」

玄関で靴を脱ぎ、玄関から伸びる廊下をすぐに曲がるとリビングだ。母親が台所にいた。天城は適当な返事をすると自室に向かった。制服を脱ぎ私服に着替えるとベッドにダイブし、身体を反転させて天井の模様を見つめる。携帯電話のメールの履歴を見る。一昨日城崎とメールしていた。事務的なメールを何度も読み返す。


 プルルルルー


 1階の固定電話が鳴っている。


 プルルルルー


 母親が出るだろう。


 プルルルルー


 天城は目を瞑った。


 プルルルルー


 電話が嫌いだった。電話の呼び出す音が不気味に思えて仕方ない。電話越しの相手の表情が読み取れないのも苦手な理由のひとつだった。


 プルルー・・・


 一定の間隔で鳴っていた電話の音が止む。母親が出たのか、相手が諦めたのか。しつこい業者の勧誘か機械音声のアンケートだろう。光を閉ざした視界の中でそう考えた。



「ワタル!」


「ワタル!」

母親の声が大きく聞こえた。喧しい足音が近付いている。目を開けると、部屋に母親が飛び込んできた。

「前川さんが亡くなったって・・・・」

前川は隣のクラスの女子だ。去年同じクラスだったことを除けばまったく接点がないが母親は彼女の母親と高校の同級生だったと聞いている。

「前川が…?」

「帰り道に、後ろから刺されたってっ…」

交通事故でも、急病でもない。殺人事件だった。母親は城崎の死を知らないようだった。何度か家にきたことがある。城崎の品の良さを母親は評価していた。言う必要はないだろう。自身の口から言いたくなかった。

「明日は学校あるの?」

「多分あると思う。無いって話はなかったから」

「休んだ方がいいんじゃない?」

「家にいるよりは安心だよ、学校の方が。心配なのは母さんだよ」

母親はまだ強張った顔をしていたが台所に戻っていった。天城はもう一度目を瞑った。


 ヴヴヴヴヴヴ・・・・


 携帯電話が震える。


 ヴヴヴヴヴヴヴヴ・・・・


 メールかと思ったが電話のようだ。


 サブディスプレイには「和泉」の文字が浮かんでいた。電話もその相手も珍しかった。

「はい?もしもし…」

『天城先輩…あの、聞きました?1年の男子が亡くなりました』

 天城は眉を顰めた。

「2年の女子じゃなくて?」

『え…?1年の、山瀬ですよ?』

 1年の山瀬。部活の後輩だ。背が低めでおとなしい性格で天城はあまり関わりがない後輩だ。その姿は覚えている。

「…マジかよ…俺の学年の女子もさっき亡くなったって…」

『城崎先輩に続いて…そんな…』

「とりあえず、今は自分の身を守れ」

 朝から体調が悪そうだった。さらにこの事件は彼に大きな打撃を与えたことだろう。

『天城先輩・・・・・っ』

 鼻を啜るような音が聞こえた。

「どうした?大丈夫か?」

『すみません!朝は黙ってたんですけど…城崎先輩のことで…っ』

「なんだよ」

『城崎先輩が亡くなるって、俺、分かってたんです…』

は?お前何言ってんの?という言葉が出かけた。しかし驚きで声にならなかった、

『知らないアドレスからメールが来て…』

「…知らないアドレスから…」

天城は無意識に復唱した。

『城崎先輩の殺人予告でした』

身体がびくりと跳ねた。そうなってから言葉の意味を理解した。寒気がする。チェーンメールは何度か受け取ったことがあるが、実際に脅迫染みた文面が現実に起こったことなどなかった。

「それ、誰かに言ったのか?」

『まだ、天城先輩にしか…。だって、信じられなくて!…俺…っ!俺がっ…』

電話越しの嗚咽に胸が痛くなる。確かに誰がそんなメールを信じるだろう。自身に置き換えてみても信じないだろう。

「それ、まだ取ってあるんだろうな?」

『っはい…』

 噛み締めるような返事が鼻を啜る音の後に聞こえた。

「それ、消すなよ」

『はい…っ。あの、先輩』

「なんだ?」

『…いいえ。では』 

 天城はそこで電話を切った。なぜ和泉だけに。疑問が残った。和泉と城崎は仲が良かった。部活の先輩と後輩という関係だけに留まらず、勉強や進路、家庭の相談を持ちかけたりもしているようだった。親しいから…。そうと仮定するとなぜ親しいことを知っているのだろう。そして和泉のメールアドレスも。メールアドレスから読み取れる機種も訊いておくべきだったと思った。

 ヴゥーとまた携帯電話が鳴る。電話だ。サブディスプレイには渡島一貴とある。

「渡島…?どうしたんだ?」

『さっき別れたばかりで悪いな』

「いや、構わないけど・・・・どうした?」

『チェーンメールが来た』

 ぐっと心臓が迫り上がる感じがした。

「なんだよ」

『趣味の悪いことをする連中がいるものだ…』

「話が見えないんだけど?」

『殺人予告だ。ただ実在する人間の名前が使われている』

 天城は一瞬呼吸をするのを忘れた。

「それ、和泉にも来たって…名前が城崎なんだ」

『…俺に来たのは、和泉だ』

 渡島は躊躇いがちに言った。携帯電話を持つ手が震える。犯人は通り魔ではない。

「どこから送信されたんだよ…っ!」

『知らないアドレスだ。個人情報が漏れているかもしれない』

「…渡島…」

 知らないアドレスでも、おそらく近い人間だ。交友関係を把握できるような。城崎が死亡したことに便乗した悪戯なのか。

『なんだ』

「頼む…絶対に外へ出ないでくれ。和泉にもそう連絡する」

『分かった』

 天城は大きく溜息をついた。また携帯電話が鳴った。アドレス登録のされていないアドレスがサブディスプレイをスクロールする。



タツミヤ ツカサ ヲ アシタ コロシタイト オモイマス


後頭部を強く殴られた感覚に陥る。ディスプレイをまた見つめ、読み返す。自然に指が動いた。冷静に考えている余裕などなかった。すぐに返信する。



 学校 ニ 今カラ 来テ


荒々しく名を呼ぶ母親に内心悪いと思いながらも、それを無視し、玄関を壊すような勢いで飛び出した。





「どうして!」

暗闇の中で声が聞こえた。この声の主を知っている。

「龍宮先輩…」

聞き覚えが無いはずが無い。自身が淡い恋心を寄せている相手なのだから。

「龍宮先輩!」

 暗闇の中で天城は叫んだ。

「天城君!天城君!こっちに来ちゃだめ!」

 龍宮の忠告を無視して声のする方へ急いだ。そこは、自分の教室だった。

「龍宮…先輩…?」

 頭を撃たれたように華奢な身体が横に大きく揺れた。首筋が一瞬だけ光ったのは見ていた。目の前で彼女はゆっくりと崩れ落ちていく。龍宮はもう濃い影に包まれていた。天城には何が起きたのか分からなかった。薄暗い照明ひとつない空間で、小柄な体が倒れていた。駆け寄って抱き起す。掌がべったりと、水とは違う感触を伴って濡れていた。彼女の奥にいる人物を睨みつけた。窓から差し込む光を背に受けている人物。逆光していて顔を見ることは出来なかったがそれが誰だかすぐに分かってしまった。

「どうして…なんでだよ…」

天城は独り言のように呟いた。後頭部に鈍痛を感じて、視界が揺らいだ。

「た…つみ…や…せん…」






「てんじょ」

 背中が冷たい。ひんやりすると思えば、スラックスだけを穿いて、ワイシャツは脱がされている。両腕を左右に拘束され、脚も開いたまま固定されている。

「よかった!死んでなかった!」

心配そうに顔を覗き込む彼は白江だった。

「は…?」

「てんじょ〜、生きてた」

「…白江、これはどういうことなんだ?」

 月と星の光が窓から差し込み、白江の顔の凹凸を浮き上がらせる。

「全部、てんじょ〜に喜んで欲しかったから」

 白江は悲しそうに微笑んだ。彼とは小学校高学年から一緒に中学校高校と共に歩んできた。純粋で無垢で、幼く健気で、素直で。様々な面を見てきたはずだった。だがこんな表情は初めて見る。自分の本心を誤魔化すような愛想笑いは。

「俺に…?」

「てんじょ〜、オレに幸せくれたから、これからの幸せも生活も全部あげる」

 この状況でいきなりそんなプロポーズのようなことを言われても何ひとつ納得などできなかった。

「暴力振るわれて、本当のお母さんにもお父さんにも捨てられたオレを、てんじょ〜はお父さんみたいに、お兄ちゃんみたいに助けてくれた。だからオレ、いいんだ」

白江の月光に照らされた顔は飛沫で汚れていた。天城はいつものくせで白江のそれを拭こうとしたが、手が動かない。

「じょうざきも、いずみも、たつみや先輩も…わたしまも…」

 途端、白江は鼻を啜る。ふっといきなり息を吐き出し、また吸い込んだ。

「白江…?」

 白江は泣いていた。

「白江がやったのか…?全部…?」

 おそるおそる天城は聞いた。語尾は殆ど声にならなかった。

「うん、オレがやったの」

 きっとこれはなにか裏がある。天城はそう思って苦しい笑みを浮かべた。

「何言ってるんだよ…お前にそんなことできるわけないだろ…」

 この目の前の男が人一倍優しくて気が小さいことを知っている。

「出来る。てんじょ〜のためなら出来る…!でも…!!」

 天城の顔を覗き込みながら話す白江の涙が天城の頬に滴った。

「うそ…」

 嘘だ。白江がここまでするはずがない。きっと渡島がおかしな演技でも指導したんだろう。そうだ。そうに決まっている。

「いじめられてたオレをてんじょ〜は守ってくれた。じょうざきもわたしまも、いずみもたつみや先輩も好きだけど、でも、てんじょ〜はもっと大切で」

 月光に照らされ、それはぎらりと光った。

「白江……」

 包丁だ。下着一枚身に着けていない胸に先端が押し付けられる。声にならない痛みが走った。

「てんじょ〜、殺したくないよ!てんじょ〜…」

 ぎりぎりと拘束されたままの拳を握り締めた。歯を食いしばって、痛みに耐えた。手首を縛る物が肌を擦って痛んだ。

頭は真っ白になって、関係の無いことがいくつも浮かんでは消えていく。

「たつみや先輩の死体と埋めてあげるね」




白江が何を言っているのかを聞く余裕は無かった。


―――城崎もこんな風に死んでいったんだろうか。




温厚で、いつも笑みを浮かべていた友人が、意識の遠くで天城に微笑みかけて消えた。頬に白江の涙を乾かすように冷たい風が吹いた。カーテンがなびいて、月光が差し込む。




―――ねぇ明日は、何しようか?



「もうちょっとサプライズしたかったんだけど、気付かれちゃってさ」

 冷たい鉄の異物が皮膚の奥へ、奥へ減り込んでいく。掴まれて、引っ張り出されていく。




―――何するも、かにするもないって。




「明日わたしまが見つかると思うけど」

とても熱いのに、生温かいものが広がって冷たくなっていく。心臓のあたりが圧迫された感覚に、呼吸ができなくなった。




―――じゃあ明日から…





「見せられなくて、ごめんね」

 ぽと、ぽと、と不規則に水滴が落ちてくる。




―――ごめんな。








「これで終わりだよ、何もない毎日は…」

 腹の中にある知らない感覚を引っ張り出される。幼いくせに大きな手に何か乗っていた。名前もすぐに出てこない臓器だということだけは分かった。





、、、―――………





+++++++++


「最近暇だな〜」

 青い空の下の屋上で確かに俺はそう言った。

「平和が一番だよ、てんじょ〜はヤダ?」

 平和ボケしている。どいつもこいつも。普通が一番いいと思っている。保守的に。変化を恐れず。進化を求めてるくせに。

「明日もまた何もない一日だな…何か起きないかな、何でもいいから、何か、いつもと違うこと」

そんな風に日々言っていられるのが、一番よかったのに。繰り返す日々に意味を見出せなくなっていた。それが普通だったから。騒がしかった台風、どこかの国の戦争と英雄、小さな頃にあった大地震、クラスの生き残りをかけたインフルエンザ。

 何でもいい。高みで見物してられるような、自分は日常に身を置いて、他の奴等の慌てふためく姿を見ながら日常を噛み締められるなら。誰かの物語を間近で、当事者のつもりで見ていられたら。



「じゃぁさ、オレがてんじょ〜にあげる





 オレの平和な日々を」



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