【主題逸脱】ベクトル
※原文まま
【主題逸脱】ベクトル
数学は関係ありませんw
「どうしてあの子の家族は死んじゃったのに、オレの悪魔みたいな家族は死なないんだろう?」
・主題逸脱
・あとがき付き
*
クラスで女子が泣いていた。家族の誰かが死んじゃったんだって、噂で聞いた。
オレには家族がいない。本当のお母さんは「遊んだときに生まれちゃった子」なんだとオレに言った。あの頃はまだ意味が分からなかった。オレの祖母にあた る人が世間体が悪くなるとかなんだとかでオレを中絶しないで生ませたらしい。本当の母さんと本当の父さんはオレが原因で毎日のように喧嘩していることに気 付いたのはまだ施設に預けられる前。
殴られて蹴られて、食べる物なんてなくて。真夏の日も長いシャツに長ズボンで、おばあちゃんとお風呂に入ったときに自分が本当の母さんと本当の父さんに可愛がられていないことに気付いた。その後施設に預けられて、本当の母さんと父さんとその家族とも一切会えなかった。
この同じ空間にいる泣いているあの子とオレ。入れ替わればよかったのに。全然気にならない、生きているかも分からない本当の父さん、お母さんなら、死ん じゃったって大して悲しくない。ちゃんとした「お父さん」「お母さん」は死んじゃうのに、どうしてあの悪魔みたいな「お父さん」「お母さん」は生きていら れるのだろう。不条理だ。いや、悪魔だから生きていられるのだろう。
施設に預けられた後も友人も出来ず、小学校に入ってからはいじめられてばかりで、それが原因で転校した。けれど、そこでもいじめられて。一生人を恨んで、恐れて、妬んで生きていくのだと思っていた。
けれど、転校先の学校ではなんとかいじめから助けてくれる人が現れた。その人と中学校は学区の都合で別だったけれど、高校で再会できた。
「白江、ちょっといいか」
教室で泣いている女子をぼーっと見つめていると、教室の入り口でオレを呼ぶ声が聞こえた。それでオレは我に返る。
「あ、うん。いいよ」
部活の友人だ。渡島という。オレをいじめから助けてくれた人物がいなければきっと仲良くなっていない人。噂で聞いたことがあるけれど、なんでも、強盗に お父さんと弟を殺されて、本人も重傷を負い、兄は行方不明らしい。背景が濃すぎて、どうしてこんな平凡な自分と同じ高校にいるのか不思議だった。
屋上に誘われ、古いベンチにオレは躊躇無く座った。
「なぁに?」
「いや、もうそろそろ天城の誕生日だろ。サプライズでケーキでもぶつけようと思ってだな。用意は俺と城崎でやる。天城をやつの教室に連れてきてくれないか」
「あー、そうだね。うん。分かった」
渡島はどう思っているんだろう。父さんと弟を同時に亡くして、お兄ちゃんも行方不明で、自分自身も重傷負って。
「珍しいな、白江。いつもは顔文字飛ばして常時喜んだ顔してるくせによ」
いいやつなんだけど性格はひねくれていて、毒舌で嫌味ばっか言う。
視線を泳がせて、渡島の色素の薄い短髪が目に入った。
「・・・・・うーん、あのさ、マリーアントワネットはさ、一夜にして白髪になった・・・って言うけどさぁ・・・・」
オレはどう話を切り出していいか、切り出してもいいのか迷い、躊躇いつつ遠まわしに訊いてみた。これで渡島が特に引っかかるようなことを言わなければ、それはそれでいい。
「お前にしては気の利いた前振りだな」
口の端を吊り上げるように渡島は笑った。
「俺は生まれつき色素が薄いんだ。将来は禿げるかもな」
「・・・・・そっか」
「・・・・・・・・・調子が狂うな。いつもそうしていれば少しは大人っぽく見えるぞ」
渡島はオレより身長が十数センチ小さい。なぜならオレが186センチもあるから。嘘くさいけどモデルのスカウトが来たこともある。記憶の中の本当のお父 さんもそれくらい大きくて、よく殴られても生きていられたよなと思う。外見がそんなんだからよく成人に間違えられるけど、先輩からは「精神年齢低すぎ」と か「見た目は大人、素顔はクソガキ」って言われる。
「渡島は外見から淡白そうだよな・・・・」
「そうかよ」
渡島が鼻で笑った。そうしてから沈黙。
噂の件が本当なら、渡島は家族を同時に3人も失って、心身ともに傷を負って、それでも生きようと思ったのだろうか。オレは本当の母さんと父さんに愛され ていないと知ったとき、施設に入れられて孤独になったとき、生きたいと思わなかった。死のうとはしなかったけれど、生きなくてもいいと思った。
「渡島はさ、死のうとか思わなかったの」
今は生きていたい。お父さんもお母さんもいない生活。自由だ。
「お前がそこまで言うなんて、重症だな。・・・・・それとも死んで欲しいのか?」
冗談半分に渡島は笑う。
「そんなわけないだろ」
オレがそう言うと、渡島は真面目な表情に変わる。珍しい。いつも人をバカにしたような笑みばかり浮かべているから。
「別に話したいワケじゃないけど、誰も訊いてこないのは少し薄気味悪かった」
渡島がそう言って、話を続ける。
「・・・・・母親はまだ生きてるからな」
「・・・・・母親のために生きるって言ってもさ、結局は自分のためなんだけどよ。フラッシュバックすれば、なんで生きてるんだろうっと思う」
渡島にも、母さんいるのか。
「もともと離婚しててな。俺は母親についた。あの時はたまたま、父さんのところに遊びに行ってたんだ」
空は曇天だ。渡島みたい。渡島ってひねくれてて、曇天のときの灰色が色素の薄い髪に似合うんだよ。
「父さんは弁護士でさ。まぁ、離婚っていうのは、母さんが社長で家族の面倒とか看られないからなんだけど」
社長と弁護士の子なのか、渡島って。
「いつの間にか、どこかの人の恨みかなんか買ったみたいで」
声音はいつも同じだった。
「インターフォン鳴って、父さんが休みでさ、玄関の扉開けたらすぐだよ。俺はリビングで弟といた。犯人の顔はもうほとんど覚えてないけどさ。一回目を覚ましたら、家は火の海」
渡島の話も、言い方もあまりにも現実離れしていて、けれどオレもニュースで見たことがある。
「起きたら病院。父さんも弟も、もうその時には死んでて、2階にいた筈の兄さんの行方も分からなくてさ。最初に容疑がかかってた。その次は、俺。ひどいよな、メディアって」
いつものように、口の端を吊り上げるように渡島は笑いながら言う。
「ま、すぐに犯人は捕まったけどな。離婚っていってもさ、生きてれば会えるだろ?母さん、泣き崩れてさ。俺自身すごい悲しかったし、包丁・・・俺を刺したの包丁なんだけど・・・、暫く握れなかったし、見れなかった」
オレは俯いた。
やっぱりそうだ。悪魔みたいなオレの父さんは生きてるくせに、渡島の父さんは殺されちゃったじゃないか。
「正義のために生きる、とか父さんは言ってたけど、死んじまったじゃねぇかよ。弟まで巻き込んでよ・・・」
渡島は搾り出すような声でそう言った。オレの眉間には自然に皺が寄った。
「ただ全うな弁護してただけなのによ・・・・っ。逆恨みされて殺されちまうんじゃやってられねぇよ」
渡島の口調は少し乱れたけれど、どうにか保っているように感じられた。それが渡島のプライド。
「いくら交通ルールを守ってもさ、相手が自分にぶつけてきて死んじゃうことってあるよね。どうして正しい方が勝てないんだろう?何が正しいのか、分からないからなのかな・・・・・」
ちゃんと学校に通った。いじめられても。いじめられて、いじめられて、何度も泣いて。それでも学校に行くことが正しいと思っていたから。いじめられても。泣いても。それがオレの「正しい」こと。周りとは違っていても。
「なんで俺みたいのが生き残って、二三貴が・・・・弟が、死んだんだろうと、たまに思うことがある」
渡島の自嘲的な、いつもの笑み。いつもの。取り乱すことも無く。
「誰が死んだからなんでとかないと思うよ。少なくともオレは渡島に会えてよかったと思ってる。生きててよかったって思ってる」
そうは言っても、オレも同じことを疑問に思っている。悪魔みたいな「お父さん」「おかあさん」は生きていられるくせに、どうしてクラスのあの子の家族の誰かも、渡島のお父さんも弟も死んじゃうんだろう。愚かに、醜く、狡猾に生きていた方が楽できる不条理な社会だ。
「そうか・・・・・」
「・・・・憎い?」
きっと渡島はオレが「お父さん」や「お母さん」を憎んでいるより、もっと恨みは深いんじゃないかと思う。比べられるものじゃないのは分かっていたけれど。
渡島はオレの問いの意味をすぐに理解しなかった。
「さぁ、分からないな。感情に名前をつけようがない。ただ、悔しい。それだけは明らかだ」
「オレは・・・・憎いよ。父さんも母さんも」
渡島がオレを凝視した。オレはいつも渡島がするみたいに笑った。卑怯だ、と小さく呟いて渡島はオレから視線を外す。
「そうか」
「うん。ま、殺したりはしないけどね。殺したいと思うことは何度もあったけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・俺も、だ」
さっきは分からないって言ったくせに、分かってるじゃんよ。
「でもまだ、自分とヤツを憎むしか、今はやりようがない。だから死なれたら困るんだ。ヤツに」
聞いた最初は意味が分からなかった。どうして「憎い」ヤツに死なれたら困るのだろう?
「話、聞いてくれてありがとうな。少し、楽になった気がする」
いつも気付かなかったよ。いつも見下したように、蔑むように笑っているから。
オレは今、幸せだ。
憎むっていう感情を理解しきれていないオレは、幸せだ。




