くるみ割り人形 2
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長宗我部さんはとにかくモテる。見た目もそうなのだけれど、それよりも性格がいい。
この前の放課後のことがあってから、私は浅井くんに視線をやるのをやめた。我に返ると無意識に目で追っている、ということを避けるために好きでもない読書。「くるみ割り人形の旅第5巻」。本棚に眠ったままだったつまらなそうな本。呑気なタイトルとは裏腹にシニカルだ。
今度は職員会議のパンフレットの改訂版だとか主任が言い出して、私たちはまた残ることになった。なんでも私たちのクラスの担任の先生は主任に恩があるらしい。
私と浅井くんの物理的ではない間で流れる空気を長宗我部さんが知る由もない。
私は平生を装っていたし、浅井くんは都合の悪いことはほいほい忘れるタイプなのか渋い顔を見せることはなかった。
今回は電動ステープラーが2台用意されているため、私がページを並べていき、長宗我部さんと浅井くんが電動ステープラーで閉じていく。部数は倍の50部。全学年全クラスの担任と、今回は副担任の分も含まれているらしい。担任を持っていない教師の分まで作れと言われたら流石に不平不満も言っただろう。
「浅井くん随分丁寧だね。A型?」
長宗我部さんが私が並べた紙束をとんとんと何度も整える浅井くんに訊ねた。
「・・・・科学的根拠もない血液型差別だな。O型」
ほんのり顔が赤くなっているのを見ると胸がぎゅっとなった。
「O型は大雑把って言うけどね!竹中さんは?」
「長宗我部さんは?」
私は答えることもなく訊き返す。浅井くん、代わりに訊いてあげるから、血液型の相性占いでもしてれば?と吐き捨てたくなるのを堪える。
「B型」
「ふん、通りで相性が悪い」
隣にいたら絶対に浅井くんを小突いていた。
「え?相性悪いかな」
長宗我部さんは笑う。
浅井くんは水泳部。長宗我部さんはダンス部。私は服飾部。みんな部活を休んで、ベランダ越しに見えるサッカー部やラグビー部の様子を見たりしながら作業を続ける。空は深い紺色。時間は6時半。
50部全て終わるころには7時半回っていた。それを職員室に持っていくと先生からは、戸締りよろしく、と言われまた雑用を押し付けられた。
浅井くんは室内プールに用があるようだったし、長宗我部さんも部室に用がある、と3人が3人で別々の方に向かった。1人で暗い校内を回るのは少し怖かった。
ほとんどの特別教室がある裏校舎がよく見える。熱心な部活動に定評のある吹奏楽部の活動場所である音楽室には電気が点いていた。
暗い校内だったが、学校の近くの商店や大通りの照明を借りて少しは明るい。それが救いだ。早く終わらせたいな、と思うと足の動きが速くなる。
1つ1つ教室の窓の鍵、カーテン、電気を調べていき、再び職員室に戻る。先生の明るそうな笑みを向けられ愚痴を溢すのを忘れた。職員室を出て溜息を溢してから暗い玄関の自分の下駄箱を探す途中で
叫び声がした。
空耳だと思ったけれど、気になって仕方ない。声のした方へ私はまた走った。
玄関は2階の表校舎と裏校舎を繋ぐ廊下にある。声のしたほうは裏校舎だ。
声のした方は上の階。けれど3階か4階か分からない。
「浅井くん!!」
私は声の主を呼んだ。
「浅井くん!!」
顔を真っ赤にして俯く姿。
泣いて縋り付く姿。
冷ややかに笑う姿。
愚痴を背に凛としている姿。
「浅井くんなんでしょ!?どこ?」
返事が欲しい。
この前みたいな拒絶じゃなくて。
「浅井くん!!」
3階と4階は人通りが少なく、いつもどこか寂しい雰囲気がある。叫べばきっと聞こえる。
「竹中さん!!」
浅井くんの声が返ってくる。今私がいるところからあまり離れていないようだ。
声の方向を頼りに向かった先は理科実験室。小さな電気が点いている。どうやら教卓部の電気だ。
見知らない着崩した制服の3人組。いや、正確には4人いる。班用の床に固定された大きな机と机の間に1人と、黒板の前に3人が固まっている。
「竹中さん・・・・・」
両腕を2人組に左右で捕まり、膝立ちになっているのは、私が捜していた浅井くんだ。口元を覆ってしまうくらいに、ボロボロになっている。
「よぉ」
浅井くんの目の前に立っていたガラの悪そうなのが振り返って私のほうを見た。
「なんだお前、女に助け求めたのか」
右目が腫れ上がって、左頬も腫れ上がって、鼻血も流れて。唇の端も切れているようだった。
「やめて!」
長宗我部さんの声がする。机と机の間でこれまたガラの悪そうなのに床に押さえ込まれている。しかも上半身はブラウスは脱ぎ捨てられて、ブラジャーだけだ。
浅井くんは室内プールに行って、長宗我部さんは部室に行ったのではなかったのか。
「何・・・して・・・・・」
「くるみ割り人形の旅 第5巻」の主人公・5代目くるみ割り人形は友人が殺される様を前にしたとき、勝手に身体が動いたそうだ。そんなわけあるか、と内心疑問が残ったままだったけれど、今なら分かる。
「やめろよ!」
私は叫んだ。
5代目くるみ割り人形はかく語りき――
「かわいいかわいい6代目よ、小指と人差し指で中2本を締め付けなさい。親指は中にいれず、人差し指と中指に添えなさい」
浅井くんの目の前に立つ男に向かっていく。
「打撃の瞬間に小指をさらに締めなさい」
「おそらく相手は右手でくるはずです。1発目は左手から出しましょう」
「竹中さん!」
5代目くるみ割り人形、私は喧嘩慣れしていないのです。左手は無理でしょう。
「手首から拳の先まで、一直線になさい」
―――6代目よ、貴方も多きなれば、守りたいものができるでしょう―――
ふと浅井くんが脳裏を過ぎる。
「さぁ、行くのです!打撃する直前まで力はお抜きなさい。そして、顎、鼻、みぞおちいずれかを狙いなさい」
「考えてはダメです。足の軸をずらしてはなりません。腰の捻りを使いなさい」
私に向かってくる男の動きがどうも遅く感じる。
予想のとおり、相手は右腕を伸ばしてきた。私は左腕を出し、すれすれでかわせた。痛痒い程度の左手の拳が相手の顔にぶつかる。
「今です。右腕の用意を」
浅井くん。私は目を瞑った。下手したら、殺されるかもしれない。もっと屈辱的な目に遭うかもしれない。
目を瞑った。5代目くるみ割り人形の言葉を思い返す。相手が2撃目出す直前に、右手で。振り抜け。
嫌な衝撃が右手首を駆ける。相手の重心が傾いたのか、目を開けるとよろけている。
「てめっ!」
浅井くんを捕らえていた1人が怒鳴った。肩がびくっと跳ねた。
ダメだったよ、5代目くるみ割り人形。私は6代目くるみ割り人形にはなれなかった。
右手首の感覚がない。もう抵抗は出来ない。
「このアマぁ!」
私が殴った男が、起き上がった。
「竹中さん!!!!」
浅井くん、ごめんね。2人の男が私に向かってきた。そいつら越しに浅井くんを見る。
注射針が皮膚に減り込む瞬間から目を背けるのと同じような理由で私はまた目を瞑る。
私を襲うであろう痛みはいつになっても無い。
鈍い音と、「いってぇ」。よく知る声が上がる。
小さな明かりしか点いていなかった理科実験室が明るくなった。
「先生!」
私に甘い言葉を吐く声。私に覆いかぶさっている。
どたどたと変な形の棒を持った男性教諭や医務室の先生、用務員が数人理科実験室に入ってきた。ガラの悪そうな輩はいとも簡単に捕まっていく。
医務室の先生がほぼ半裸状態長宗我部さんに白衣をかけている。
「遅れちゃったなー」
あちゃーと言いたそうにするカレに私はしがみつく。嗅ぎ慣れた匂いが鼻を突き抜ける。
「黒田・・・・」
浅井くんが呆然と私とカレを見た。
「・・・・・すまない。彼女を巻き込んでしまったな」
浅井くんがすまなそうに肩を落とす。学ランのボタンが外れ、中のワイシャツのボタン上3つが外れかけているか、外れている。
「んなぼろぼろの顔して言うなよ」
カレは笑った。
「どうして、ここに・・・?っていうか、なんで?」
「ああー。また携帯電話忘れちまったんだよ。それで担任に理科実験室に電気点いてるみたいだから様子みてこいって言われたの。使ってないなら電気消してこいってさ」
「じゃぁ、なんで先生?」
「室内がよく見えたからさ。ただごとじゃねぇかもって思ったわけ」
「ま、無事そうでよかった」
カレはそう言ってから、腫れ上がった浅井くんの顔や、白衣を着せられているがほぼ半裸状態で泣いている長宗我部さんを見て、少し苦そうな顔をした。
私は安心したからか、右手首の痛みに気付く。ずき、ずき、と鼓動のようだ。そして熱い。
私たちの話は後日聞くから帰りなさい、と後からやってきた担任の先生にそう言われ、ガラの悪そうな輩と先生たちを残し理科実験室から出された。
泣いている長宗我部さんが居た堪れなくて、そして浅井くんの処置のために私たちは医務室に寄る。
「竹中さん」
カレに乱暴に消毒綿を当てられている浅井くんが私を呼んだ。私は長宗我部さんに、先生のデスクの上にあったココアを作っているところだった。お湯を入れてコップを小さく揺らす。長宗我部さんは小さくお礼を言う。
私は浅井くんのもとへ近寄った。
「その・・・・・なんだ・・・・」
右目が腫れ上がって、切れ長の瞳は細い。
「だから・・・・その・・・・」
切れた唇を浅井くんは噛む。
「ありがとう」
そんな5文字を言うのに、この人は表情をころころ変える。
暫く間を置く。何をしただろう。5代目くるみ割り人形が頭から離れなかった。
「私は別に、何もしてないけどね」
医務室にある小さな冷蔵庫から保冷剤をだして右手首に当てた。
「痛めたのか」
「あ、うん。捻挫かも」
カレの処置は荒い。浅井くんの表情が歪んでいる。
【完】
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※「くるみ割り人形の旅第5巻」は作品中の架空の作品です。




