桜の花は相変わらず
サクラーバラ科モモ亜科スモモ属の落葉樹。最もよく見る品種はソメイヨシノ。日本人の魂ともいわれるそれは多くの物語に重要な場面で使われるほど大切なものだ。
そして今は、僕がその重要な場面にいる。
目の前にふわりと女の子がおりてくる、桜の木の下におりてくる。見知った女の子がおりてくる。彼女は少し気まずそうに苦笑いしながらちらちらと、こちらの様子をうかがう。
そして、なにかを思いついたようでいつも通りの満面の笑みを浮かべてこう言った。
「おはよう」
「今は深夜二時だけど」
「えーっと……呪いに来ました」
「その割には明るいね」
「うーん、お迎えに来ました」
「まだ死ぬ予定はないよ」
「はあ、相変わらずだなー。本当にぶれないなー」
「まったく同意見だね。死んだのにぶれない人は君ぐらいだよ」
「そうかー死んでぶれない人は私だけか……って!死んだ人にあったのも私が初めてでしょうが」
本当に変わらない、ノリも容姿も死ぬ前と何も変わらない彼女の姿がー吉野薫の姿がそこにあった。茶髪のショートヘアにブレザー、背が低いところからはつらつとした声までまで全く変わらない。
胸が締め付けられる。
今にも泣いてしまいそうだ。
「あれれー、もしかして泣きそうなのかな?薫ちゃん、うれしーなー」
「泣いてないよ」
「なーんだつまんないの」
「よかったよかった。ちゃんと来れたようじゃな」
声のする方をむくと白髪に真っ赤な目をした、サクラの妖艶さと儚さを体現したような女性がいた。
その女性は薫の周りをくるくると回りながらじっくりと見てこう言った。
「思っていたよりも輪郭がくっきりとしておる。お主、相当に意志が強いようだな。無理を言って連れてきたかいがあった。余はうれしいぞ」
その女性は発言の通りとても満足げだった。
「やっぱり、長年生きていらっしゃる桜の精様は違いますね。特に言葉遣いは年季の入り方とか偉大さとかが違いますね」
「そうじゃろう、そうじゃろう」
「なにが『そうじゃろう、そうじゃろう』だよ。たかだか40歳のおばさん精霊が何言ってるんだか」
「お前さん、そういう乙女心がわからないから彼女ができないんじゃぞ。人がせっかく雰囲気を出すためにやっているのに」
「そうだそうだ。って、さっきのは演技なんですか!」
本当に忙しい二人だ。しかし、僕はそんな二人を無視して話を始める。
「わざわざ、感動の再開に水を差してまで現れたってことは何か言いたいことがあるんじゃないの?」
「ああ、そうそう。この子がいられるのは今日の夜7時までだから気をつけてね」
さっきまでの偉そうなしゃべり方から一転して桜の精は普通にしゃべり出した。
「えっ!そうなんですか。私はこのままずっといられるんじゃないんですか」
「ちょっと薫は黙っていようか。それよりもほかに条件は?」
「あとは、この桜が見えること」
「なるほど……わかった。じゃあ、明日の夜に会おう」
「ああ、夢のようなひと時を楽しんでくるといい」
僕は桜の精に「じゃあ」といってその場を後にした。
その帰り道はひたすらに薫が叫び続けた。例えば、「時間が短すぎる」といったクレームだったり、「あの桜の精の演技はなかなかだ」といった誉め言葉だったり、「あの信号機が新しいくなっている」というどうでもいいものまで好き放題に騒いでいた。
誰にも聞こえないから好き放題に叫び続けていた。
「これからどうするの?別行動にするかそれともうちに来る?」
「うーん、それがねえ。さっきから離れようとしているんだけどできないの」
「じゃあ、うち一択だ」
「わーい」
と言って、両手を挙げて飛び跳ねた後、薫は離れすぎない程度にスキップをしながら前をいった。
「そういえばさあ。あの桜が町内七不思議で月みたいに輝く桜って本当だったんだ」
そう言って丘の上に見下ろすようにして咲いている桜を指さした。さっきまで自分たちがその桜は花弁一枚一枚が鮮やかなピンク色に発光していた。
「そうだよ」
「わたしはこんな状態にならなきゃ気づかなかったよ」
「まあ、普通はそういうもんだよ」
「他の桜もあんな感じなの?」
「あの桜だけが特別なんだ」
「精霊パワーなのかな」
「かもしれない。まあ、昔から特別なことは昔から知っていたから「あなたにしか見えてないよ」ってお母さんが教えてくれた時もそんなには驚かなかったよ」
「へえ、普通そういうのって気味悪がらない。よそでは言っちゃいけませんとか言いそうだけど」
「親子三代続けてだからね。いい機会だから教えてあげないとって思ったんじゃないかな」
「なんと!すごい家系。わたし、君のことなら知らないことがないと思ってたけど意外と探せばあるもんだね」
「だね」と相槌を打って、そのまま一緒に並んで道を歩いた。そして、ほどなくしてからうちについた。
「よし、ついたな。お父さんに見つかると面倒だからさっと…」
違和感を感じてあたりを見まわした。
いない、ついさっきまで横にいたのに薫がいない。一瞬、戻って探そうと思ったが桜の精の言葉が足を止めさせた。
(そうか。ここだと桜が見えないのか)
ちょうど、建物が邪魔になって桜が見えなかった。
僕は急いで家の鍵を開けてすぐに自分の部屋に入った。この部屋なら丘の桜が見える。すると…
「ああ、もうびっくりした―!急に何言っても反応しなくなるのやめてほしいんですけど、不安になるんですけど」
「しょうがないよ。僕にはどうしようもないことだ」
「そうだけど……そうだけど!」
薫は拳を震わせながら悔しそうに言った。
「まあ、明日は君が行きたいところに行こう。じゃあ、おやすみ」
「あっ、はい。おやすみ」
次の日
「もう、寝るの早すぎ!もっとさあ、ベットで私がいたずらしたりでドキドキするっていうのが普通でしょ」
「はいはい、悪かったです悪かったです。反省してまーす」
「全然反省してないじゃない!」
彼女は朝から元気みたいだ。というか、寝てないんじゃないだろうか。なんか、机のあたりを物色してたみたいだし。
「でっ、学校をさぼっていくわけだけど…どこに行く?」
「なんで学校をさぼるの?」
「なんでって…学校終わってからだとあっという間に時間がきちゃうだろ」
「それもそうか」
どうやら納得してもらえたようだ。
「じゃあじゃあ、まずは丘の上の公園に行こうよ」
「まあ、いいけど」
ということでやってきたのがスタート地点である桜の木がある公園だった。
さすがに、桜の精も夜7時ではなく朝7時に来るとは予想していなかったようで桜の木から怪訝そうにこちらの様子を伺っている。
「そういえばなんでここに来たの?」
ふと、疑問を口にしてみた。
「だって、いちいち聞くよりも見渡したほうが早いんだもん」
なるほど、馬鹿と神様は高いところが好きというのはまんざら嘘ではないみたいだ。使い方として正しいかは知らないけど。
「あっ、あそこ行ってみたい」
「できるだけ、行きたいところはたくさん選んでおいてよ。行ったり来たりするのが大変なんだから」
「はーい」と言いながらあちこち見ていた。たぶん、あの様子だと何も聞いていないだろう。
それからしばらくして「よしっ」と薫はつぶやいて丘を下り始めた。
「ちょっと、まずはどこに行くか教えてよ」
「そうだった。まずは腹ごしらえしましょう」
そこから、近くのパン屋で朝食をとってからはあっという間に時間が過ぎていった。雑貨店から、クレープ店まであっちこっち歩いて回った。もちろん、薫は食べられないけれど代わりに満喫した。
「でっ、ここに来たんだ」
「そう、自分のお墓」
「不謹慎じゃない?」
「別に、自分のお墓だし本人が了承してるから問題ないんじゃない?」
確かにそれはそうかもしれないけど。
そう思う僕を無視してあちこちを散策し始めた。
「案外きれいだね」
「そりゃあ、まだ半年も経ってないからね」
「それもそうか…」
悲しそうな顔をしながらそうつぶやいた。
やっぱり反対するべきだったと思った。彼女が底抜けに明るくてバカだったとしてもこの事実がこの現実がわからないはずがなかった。
「なんで、あんたがここにいるんだ」
「別に、故人をしのぶのに資格はいらないと思うけど」
僕は彼女の弟である幹人に言った。
「そうだったな。あんたは最低なやつだってことを忘れてたよ」
「別に僕のことを何と言おうが自由だけど、せめて今日ここではやめないか」
少なくとも、墓前では…いや、彼女の眼の前ではこれ以上の話はやめてほしかった。
だから、俺は目を見開いて弟を凝視している彼女にも弟にも何も言わずにその場を後にした。
「逃げるなよ」
「逃げてなんかいないし、その件は君の両親も許してくれたじゃないか」
「そんなのうわべだけに決まってるじゃないか。あんたがあの日、姉ちゃんを急がせなければ少なくともこんなことにはならなかった。あと一秒でもゆっくり来させていればこんなことには…」
「じゃあ、僕は行くよ」
その言葉の続きは聞かなくてもわっかっていた。今まで何回も反芻してきた言葉だ、いまさら言われなくてもわかっている。
「まだ、話は終わってないぞ“人殺し”」
パンッ
つかみかかってきた彼を彼女がはたいた。
「なんで…死んだはずじゃ」
彼の視線が明らかに自分ではなく彼女に向いていた。
どういう理由でかはわからないが彼にも視認できて触れるようになったらしい。
「さすがに言っていいことと悪いことがあるでしょうが!」
「でも、実際呼び出されなかったらこんなことにはならなかったじゃないか」
「そんなの、誰にも分らないことでしょ。何もしてない人を“人殺し”なんて呼んでいいわけがない」
「じゃあ、誰のせいにすればいいのさ」
「誰のせいでもない、単純に私が不注意で道路に飛び出しただけ。それ以上でも、それ以下でもない。行こ!」
そういって、泣き崩れる弟にわき目もふらずに速足で歩く彼女を追いかけていった。
そしてしばらくしてから「ねえ、何で反論しないの?」と聞かれた。だから、「反論できなかっただけ」と答えた。すると彼女は「意味がわからない!」と叫んでさっきよりも速く歩いた。そこから、次の目的地まではそう時間はかからなかった。
次は、新しくできたカフェだった。
彼女が飲めるかはわからなかったけど雰囲気を出すためにコーヒーを二つ頼んだ。
「よかった。ちょうど桜が見える席が開いてた」
「………」
「まだむくれてるの?いい加減、機嫌を直しなよ」
少し黙ってから、口を開いた。
「ああいうことはよく言われるの?」
「しょっちゅうあるよ」
「じゃあ、幹人が言ってたことも?」
「僕のせいでってこと?」
「そう」と彼女は短く答えた。
「そりゃあ、もちろん。君と仲良かった人全員から言われたよ。そうでもない人もうわさしてるのは知ってたよ」
「辛くなかったの?」
「もちろんつらいよ。でも、僕自身もそうじゃないかって思っていたからやっぱりなって感想しかなかったよ」
「ごめんなさい」
「なんで君が謝るのさ」
「だって…私のー」
彼女が言いかけた言葉を遮ってこう反論した。
「自分のせいなんておこがましいにもほどがある」
「なっ!」
「だってそうだろ。可能性なんて言い始めたらきりがない。その日に会う約束したこと?それとも、君がいつもと違う曲がり角から道に飛び出したこと?そもそも、僕らが出会ったこと?もっと戻るなら生まれてきたこと?生命が誕生したこと?地球が誕生したこと?」
「わかった、わかったから!二度とそんなこと言いません」
「よろしい」
「それにしても、どういう思考回路してたらそんな考えにいたるの?」
「自己嫌悪のスパイラルに陥ればここにいたるよ」
満面の笑みで答えた。
「前から気がついてたけどやっぱり残念な人だよね」
彼女は頭痛がしているかのようにこめかみを押さえた。
「冗談だよ。ちゃんと、教えてくれた人がいたんだよ。黙って桜の木の根元で聞いてくれる人がね」
「なるほど、さすが数十年も生きてると考え方が全然違うもんだね」
どうやら、誰のことかわかったようだ。満足そうな顔からみて間違いない。
「さて、もう行こうか」
「もうそんな時間?」
「もう6時だよ」
「ほんとだ。薄暗くなってる」
「今から戻っても40分はかかるからね」
彼女がチラッと時計を見てからこう聞いてきた。
「ちょっと待って、時間てなにで見たの?」
「なにって時計だけど」
「それ?」
と、僕の指さして聞いた。もちろん、時計はこれしか持っていない。だから、「これ」と答えた。
「最近、時計の時間いじった?」
「いや触ってないけど」
「それ、私が20分ずらしてあるんだけど」
「えっ?」
いやな予感がした。
この時計は電波時計じゃない。唯一の利点は調整さえすればずれが一切ないことだけだ。
「スッ、スマホ見て」
「そうだな。もしかしたらちゃんと合わせているかもしれないかー」
きれいに20分ずれていた。
「とっ、とりあえずダッシュだ。走れば半分の時間で行けるはずだから」
「そうだね。まだ、だいじょうぶだよ」
「なんでこうハプニングしか起こさないかな」
「しょうがないじゃん。ネタ晴らしする前に死ぬなんて思ってないんだから」
「それはそうだけど。ああもう、今はとにかく走れー!」
そこからは無我夢中で走った。なにか途中でしゃべった気がしたけどそんなことも忘れるぐらいに走った。
「はぁはぁ……なんとか…間に合った…」
「ギリギリじゃな」
桜の精がケタケタと笑いながらこっちにやってきた。
「もうツッコむ余裕もない」
それ以上に息を整えるのに必死だった。
少ししてから横でへたり込んでいた彼女は立ち上がってこう言った。
「じゃあ、もう行かないと」
時計を見ると35分を長身がさしていた。もう時間だ。
彼女はいつも通りの笑顔を見せる。
「いってらっしゃい」
とできるだけ元気よく言った。
「言っとくけどすぐに追いかけてきたら許さないから」
なんだそんなことか。
「そこは大丈夫、ちゃんとここを満喫してから行くよ」
「ならよし」
今日一番の笑顔で話しかけてくる。
そんな彼女に今度は僕から質問をした。
「忘れ物は?」
「ないよ」
「じゃあ、思い残したことは?」
「いっぱいあるけど、今は満足しているから」
「なら大丈夫かな」
「あっ!そうだ、いい残したことならあった」
「君の引き出しの2段目に貴重品隠すためのスペースあるでしょ」
「うん」
僕の机は少し特殊で貴重品を隠すためのスペースが存在している。
「あそこにプレゼントがあるの、遅くなったけど誕生日プレゼント。大事に使ってね。じゃあ、いってきまーす」
そして彼女は光の泡となって消えた。
「いってらっしゃい……」
最後まで自由だったな。
「ありがとう」
「あんな別れ方でよかったの?」
さっきまで、気を使って隠れていたのだろう。桜の精が幹の後ろからひょこっとあらわれた。
「いいんだ、あれがいつも通りだったから…」
「ほんとに素直じゃないのね。ちゃんとあの子の前で泣けばよかったのに」
桜の精の口調がいつもの感じになっていた。
「そんなことできるわけないじゃないか。せっかく満足してるのに後ろ髪を引っ張るわけにはいかないだろ」
「それもそうか…なら今日も一晩中泣いていけばいいわ」
「めずらしい、いつもはすぐに帰れってうるさいのに」
「数少ない友人と桜を好きでいてくれた人だからそれぐらいのサービスはするわ」
「ありがとう…本当にありがとう」
次の日、いつも通りの朝が来た。ギリギリの時間に起きて慌てて支度をして家を出る。 いつも通り過ぎて昨日が夢みたいだ。ただ、一つだけいつもと違うことがある。
銀色のネックレスが胸元で揺れている、僕と彼女が好きな桜の花をかたどったそれを。彼女がくれた遅めの誕生日プレゼントを持って、僕の心に根を張って咲き続ける彼女とともに彼女が見れなかった景色を見るために生きていく。
本当は気恥ずかしくて言えなかった「ありがとう」をいつか言うために。