かわいそうな子
月日が流れて僕が長野に来てから半年経っていた。
あっという間だった。
相変わらず、父とは連絡は取れなかった。
まだ、かすかに元の生活に戻れるんのではないかと思っていた。
周りの大人たちが「ママはお星様になったんだよ。」と言ってくれていたが、その言葉が元の生活が遠くなっていく気がして嫌だった。
長野の小さなコミュニティーでは〝あの家にはかわいそうな子がいる″と瞬く間に広まっていた。
僕は、町内何処に行っても同情の目で見られた。
大人たちは、みんな優しくていろいろな物を施してくれた。
食べ物や、当時オリックスにいたイチロー仕様のグローブや帽子など沢山貰った。
「今欲しいものは何?」
「うーん、あれかなー」
大体、こんなやり取りだった。
少し調子に乗りすぎていたかもしれない。
確かに、欲しい物はほとんど買ってもらった。
遠慮を知らない僕は、次第に周囲に敬遠されるようになっていった。
親がいないから、おばあちゃんだから、図々しい、しつけがなっていない、普通は遠慮するものだ。
そう陰口を叩かれていくようになった。
親切心のつもりか、頭のネジがはずれているのかわからないが「あの人がこんなこと言ってたよ。」と教えてくれる人まで現れた。
その度に心の中をグリグリと幼いながらに抉られた。
「僕は、普通じゃないんだ。」そう思った。
同時に、周りの大人たちが汚い生き物に感じて貰ったものが全て汚く感じて、何か悔しくて全部捨てた。
食べてしまった物は全部吐きだしてやろうとトイレに篭った。
すでに随分前に消化されてしまった物は出てくるはずもなく、ただただトイレで泣いた。
そんな日が何日か続いて、そのうちにご丁寧に電話を掛けてくる人まで現れた。
「おばあちゃんが、女でひとつで孫を育てるのは無理だと思う。そんな躾も教育も碌に出来ない劣悪な環境なら、施設に預けたほうかまその子の為だとおもいます。これは一種の虐待ですよ。」
そんな内容だったそうだ。
正義感のつもりだったのか知らないが、僕らの気持ちは考えてなかったんだと思う。
その日、祖母は僕を正座させて言った。
「もうすぐ、一年生になるね。もし、学校とか世間様にいじめられたらお母さんに言いな。お母さんが守ってあげるから。」
母に言われた言葉と一緒だった。
その言葉を聞いて、溜まってたものが全部こみ上げてきて僕は、泣いていた。
祖母もそれを見て一緒に泣いていた。
後にも先にも、祖母が泣いているのを見るのはこれが初めてだった。
二人して声を出して泣いた。
「あんたを、一人前にしてあげるからね。」
祖母は泣きながら僕に言ってくれた。
「うん。僕ね、頑張るよ。」
「よし、じゃあクリスマスだし美味しいもの食べに行こうか。何食べたい?」
「お子様ランチ!」
祖母と暮らし始めてから初めてのクリスマスだった。
幼稚園で、クリスマスの欲しいものをサンタさんに書く企画で、僕は「ママ」と書いていた。
でも、祖母とご飯を食べに行って幼いながらに、「もうわがままは言わない」そう決めた。