祖母
祖母に連れられ長野に来た僕は、その日は一睡もできなかった。
不安でいっぱいだった。
父と弟と離れ、母もいない。
もしかしたら、祖母についていけば長野に母がいるかもしれない。
特急の車内でそんな希望も持ってみたが、案の定、祖母の家には母はいなかった。
祖母は、元教師で同時は小型犬のブリーダーをしていた。
祖父は老人ホームに入っていたので、家にはと祖母と6匹の犬がいた。
主な収入は年金だった。
後で聞いた話であるが、母の事件の数ヶ月後に裁判があった。
当然、犯人は有罪。
ただし、母が外人であること、犯人が自主したこと、犯人が反省していること、母が、絞殺される前に抵抗したことを考慮して懲役7年と僕ら被害者家族に数百万円の支払いの判決だった。
父は、上告しなかった。
さらに、父はその数百万円を使い込み金遣いが荒くなったあげく祖母に仕送りをやめた。
結果、一人家族が増えた祖母の家計はとてもく苦しくなっていった。
それでも祖母は僕には弱音を吐かなかった。
週末になると、二駅離れた街に祖母と行くようになった。
祖母は質屋に行き、曾祖父に貰った指輪を質に出していた。
その帰りに必ず洋食屋で僕にお子様ランチを食べさせてくれた。
「おばあちゃんは、食べないの?」
「歳をとるとお腹が空かないのよ。」
祖母はいつもアイスコーヒーを僕の向かい側の席でニコニコしながら他には注文をせず飲んでいた。
僕は、不思議に思いながらもそれが当たり前になっていった。
次第に、祖母のことをお母さんと呼ぶようになり、祖母も実の息子の様に可愛がってくれた。
父とは連絡が取れなくなった。