別れ
父が警察署に迎えに来た。
家に帰ったら母はいなかった。
父は、しばらく混乱していて落ち着きがなかったのを覚えている。
タイムマシーンを作るとか、家の中で沢山写真を撮ってママが写るとか言っていた。
僕は、よくわからなったが何か大変なことが起きているような気がしていた。
ここから先、僕は母の葬式まであまり記憶がない。
この日から、葬式まではかなり日が空いた。
母の遺体が、司法解剖で数日帰ってこなかったのと、フィリピンの母の親族が宗教上の理由で火葬はしたくないと揉めた為だ。
結局、火葬で落ち着いたが葬式までは二週間程掛かったと思う。
葬式の日、僕はなにをやっているかもわからず、会場の外で弟と蟻を潰していた。
母がいない環境の変化のもどかしさを小さいものに当たっていた。
葬儀の翌日、祖母と父が長く部屋に籠もって会話をしていた。
時々声が荒げる度に僕は、襖越しに聞き耳を立てていた。
話の内容はわからなかったが、凄く冷酷な話をしていたのがなんとなくわかった。
その日、僕は祖母と一緒に市役所に行った。
市役所の職員が出して来た紙には、母の名前に大きくばってんが書いてあった。
それを見て凄く怖くなり、母が亡くなってから初めて泣いたと思う。
市役所を祖母と出て、家に帰らずそのまま上野駅に向かった。
長野行きの特急あずさのホームで祖母に聞いたら長野に行くと言っていた。
僕は、そのまま長野の祖母の家にひきとられることになった。
弟は、乳児院に預けられてそのまま児童福祉施設に行くことになった。
父は、僕ら兄弟を育てるのが困難とし、事実上の育児放棄をした。
こうして僕ら家族はバラバラになってしまった。