Episode.Ⅰ ∑~最強の殺し屋~
20XX年代─────────
依然として膨れ上がる世界の人口……………。そのしわ寄せは、世界各国での小都市の解体や大都市への統合といった形で表れていた。
世界有数の人口と経済を誇る日本も、例外ではない。東名阪を代表するような大都市圏は近隣県を飲み込み、地図を書き換え、巨大都市へと発展した。それでもなお、偏在した人口とそれの生み出す経済の大きな蠢きを御しえなかった日本政府は、とりわけ偏りの大きい東京を、いくつかの行政区画への分割を決行。かくして、東京は東西南北の四都市に分割された。
そして時は21XX年。
東京都西側地区、西東京。
旧神奈川県北部、旧山梨県東端部、そして旧東京都の西側で構成される行政ブロック─────────。
とある街の、とある路地裏。
そこには、『闇の商店街』と呼ばれる、裏社会の住人たちの集う異界。
その中の一軒の銃器店─────────。
「ハードボイルドに依頼をこなす、狡猾なサイボーグハンター。様々な銃器を巧みに操り、次々と標的を仕留めていく最強の殺し屋。全身サイボーグで体内にも武器を仕込んでいる─────────か。………………この記事、ちょいと盛りすぎじゃないか?」
銃器店のオーナー、催馬楽修司は新聞の記事を眺めながら、ぼそっと呟いた。
「そうか?………………最強かどうかはともかく、間違ってはないと思うが」
「いやいや、お兄さん『ハードボイルド』の意味知ってる?」
「ああ。精神的・肉体的に強靭で恐怖や感情に流されない、だろ?元はゆで卵の茹で具合とかからきてるらしいいな」
「一応、意味も語源も知ってるのか………………。でも俺ね、君みたいに人間味全開で情に厚い殺し屋、会ったことねぇぞ?」
修司は新聞の紙面からこちらへ視線を外し、呆れかえった様子で言う。
「うっせ、黙ってろ」
半ばため息交じりに、俺は反論を口にした。そして、手元の拳銃のスライドの細部に目を凝らしながら、油をさしていく。
「つーかお前も好きよな、銃弄るの。身体の中にも武器はあんだろ?なにをそんな後生大事に拳銃なんか」
修司が口をへの字に曲げるのが、なんとなく分かる。
はてさて、これで一体何回目だろうか、彼からこの質問をされるのは。いい加減こっちもこのやり取りに飽きてきたころだ。
理由は至ってシンプル。なのに、何度言っても理解してくれない。単に忘れているだけなか、そのあたりは分からない。
「いろいろ面倒なんだって、何度も言わすな。それにな、ド派手にぶっ放すのが殺し屋じゃない。息を、殺気を殺し、影に紛れてターゲットの一瞬の隙を突く。それが殺し屋ってもんだ」
俺があの記事の内容を否定しなかったのは、あの内容が概ね正しいことだったからだ。体内─────────機械仕掛けのものだが─────────に武装は、あることには一応ある。
別に体内のそれを用いても目立った支障は無い。しかしながら、武装義体の技術自体がかなり厄介な代物であるため、制約は多いものだ。
例えば、俺は自身の右腕にちょっとしたギミックを秘めている。それらは腕部を構成する骨格をベースに、人口骨を変形。人工筋肉をコンパクトに畳んでとあるモノの形を成すのだが………………その変形の副産物として、人口骨格と人工筋肉を覆うシリコンとナノゲル人口皮膜で構成された人工皮膚がブチ破られる。元の腕の状態に戻すと、義腕の内部構造がむき出しで、人工皮膚がべろりとめくれ上がった、かなりグロッキーな状態になってしまう。
結果的に、面倒という結論に辿り着くわけだ。
それに─────────────
「自分の身体使いこなすのには何年とかかった。痛ぇし力の加減は利かない。その点、銃はどうだ。反動とか照準とか、細かいことは色々あるが、小一時間もすればまともに撃てるようになった。素直だから好きなんだよ」
「そういうもんなのかねぇ………………」
「そういうもんだ」
俺は憮然と言い返した。
そう、銃が好きなんだ。だからこうして愛着も沸くし、そうなると自然、メンテナンスにも手間暇かけるようにもなる。
ひとしきりメンテナンスを終えた拳銃を組み立てて、グリップを握る。
思えば厄介なものだった。
小さい頃、両親とともに交通事故に巻き込まれたらしい俺は、全身に火傷と複雑骨折という大怪我を負った。
奇跡的な生還を遂げ救出された俺は、それまでの間に紆余曲折あったらしくて、脳と神経の一部以外を全て機械化する全身義体化手術を受けることになった。
成長に合わせて義体を新調しなくちゃいけなかったり、その度に全身幻肢痛に襲われ、指の一本すらロクに動かせない、ほぼ寝たきりの日々─────────。
よくその過程で死ななかったな、と人間の生命力に驚きを覚える。
「ああ、そういやお前、今日はお友達との集まりあるんじゃないのか?」
ぼんやりと過去に向いていた意識が、修司の声で現在に呼び戻される。そういえば、今日は仲間内で集まる約束があった。
「あぁ………………すっかり忘れてた。まあまだ時間はあるし」
約束の刻限は夜の十一時。今は午後六時くらいだから、まだまだ時間はある。
そうは言っても、早めに準備をしておいて損はない。そう長くはない人生だが、経験的にそう思うのだ。俺はいつでも出られるように荷物をまとめるべく、地下の自室へつま先を向けた。
その瞬間だ。
────────────ガチャ。
店の扉が開いた。
夕方六時と言えど、そろそろ夜の帳が広がりつつある時分。恐らく、また何処ぞのギャングかヤクザが冷やかしか買いものにきたんだろう。そうタカをくくっていた俺は、気にしないつもりだった。
だが、修司の反応は明らかにいつもと違った。店の主として、客を迎えるための言葉を発さない。訝しんで一瞥すると、彼は目を剥き、口を開き、まさに仰天を絵に描いたような表情で固まっていた。
俺は咄嗟に背後を見る。
そして、同様に瞠目する。
「こ………………子供………………?」
初夏という今の季節に合う、半袖Tシャツに短パン。背格好からして、恐らく十歳くらいであろう少年がそこに立っていた。
「あ、あの~………………シグマって人いますか?」
少年は恐る恐るといった様子で声を上げる。
俺は目を凝らして、その少年を無しから端まで観察した。
体の機械化や脳の電脳化の技術が進んだ現代。自らの容姿というものは、いくらでも変更が利くような世の中になってきている。そういったご時世なわけで、大人が自らの脳を機械化し、子供用の義体に入れて、あたかも子供のように振舞うこともあるという。所謂『見た目は子供、頭脳は大人』というやつだ。ちなみに、逆も然り。
そういうことを考慮したゆえの行動だった。だが、関節部の動き、表情の柔らかさ………………。全てを見ても、そこに居るのはただの生身の子供だ。
「あ、あなたがシグマさんですか?」
少年の声で意識を呼び戻され、視線をその子の顔に固定する。
「ああ、俺のことだ」
すると、少年は俺の傍に走り寄った。
「殺して欲しい人たちが居るんです!!お願いできますか?」
「「………………は?」」
俺と修司の声が見事にかぶる。
いやそりゃそうだろ。誰だってこんな場面、想像できるわけがない。こんなに幼い少年から、人を殺してください、なんて物騒な言葉が発されるなんてシチュエーション。
さすがの俺も耳を疑った。少しどころじゃない動揺のせいで、処理が追い付いていない。
ただふと思い出したのは、今まで相手にしてきた中で一番若かったのは二十七か八だったということだ。しかも結構最近。半年ちょいくらい前だったか?随分あっさりと最年少記録を更新してくれるな。
「おいおいボウズ、理解して言ってるのか?確かに俺は殺し屋だ。誰かを殺すのが俺の仕事だ。だがな、お前がそれを俺にさせるってことは、お前が間接的にその相手を殺すってことだ。自分が人殺しになるんだ。その意味、分かってんのか?」
一応、どういう覚悟があってそんな言葉を口にしたのかを確かめようと、その子供に脅しをかけてみる。少年は一瞬うろたえたが、しっかり下半身に力を入れ、俺を見上げた。
「覚悟してるよ………………」
その目には少しの葛藤と、それに勝る何かが見えた気がした。
まったく、見上げた根性なのかなんなのか。呆れて思わずため息を吐いた。
「お、おいシグマ。まさか受ける気か!?相手は仮にも子供だぞ!?」
そこへ、修司が待ったをかける。振り返ると焦りきった表情を浮かべた修司が、カウンターを乗り出していた。
「おいおい修司、俺は殺し屋だ。金が貰えるなら、子供だろうが誰だろうが依頼は受ける。ま、多少の選り好みはするがな」
修司は俺のことを人間味溢れる殺し屋だと言っている。だが、こっちにだってそれなりの覚悟や矜持がある。俺は卑しい殺人稼業だ。依頼というものは、断るべきものではない。
「で、いくら出せる?」
しかし肝心なのはそんなプライド云々よりも成功報酬だ。俺はその金で生活していかなきゃならないんだから、仕事の労力に見合う報酬を受け取らねば割に合わない。
「そ、それが………………」
少年はポケットの中をごそごそと探り、随分と申し訳なさそうに、手に握ったそれを差し出した。
「それが、今これだけしか持ってないんです………………」
少年の手に握られていたのはお札三枚────────────。
そう、立った札三枚。
正直な話、成功報酬の平均は数百万。もう少しデカい仕事ならその二十倍は欲しいところだ。而して少年の手に握られているのは三枚の紙幣。それも三枚とも千円札………………。
「おいおいチビ助………………てめぇ、舐めてんのか?三千円ってなんだ三千円って!!ガキの小遣いか!!」
あまりの出来事に、思わず少年に怒鳴り散らす。
「僕らみたいな子供にとってはとても高額なんです、三千円でも!!」
「知るか!!」
ひとしきり喚き散らした俺は、呆れてため息を吐いた。肝の据わった小僧だと、妙な期待を抱いたのが馬鹿らしく思えてくる。
「あのなぁ、リスクとリターンって知ってっか?殺しは死と隣り合わせだ。相手がどんな対策をしてるかも分からねぇ。リスクに見合った額じゃないと、依頼は受けられない」
俺はため息交じりに、冷たく言い放った。確かに、俺は殺し屋だ。依頼は受ける。それがこの身の上である以上は避けられない運命。だが、殺し屋は稼業だ。ボランティアではないんだから、子供のお遊びにもいい加減付き合っていられない。
「お願いします!姉ちゃんを助けてください!!」
「はぁ?助けろだぁ?」
「お願いします!!姉ちゃんはアンドロイドなんです!!それで─────────」
少年がその言葉を発した刹那、脳裏に小さな閃光が瞬くような感覚。
最初、この少年は、殺してくれ、と言った。そして今しがたは、姉を助けろ、と。殺しとその姉なる人物の救出は、どうやら同一直線状にあるらしい。
まだまだ引っかかる、というかこれが極めつけだ。アンドロイドの姉というフレーズを耳にしたとき、少年が何故ここに来たのかの予想が出来た。
「分かった、話だけでも聞いてやる」
俺は少年の言葉を遮った。ある程度悟りはしたが、事実確認というものはこういう裏方の世界に於いては重要なものだ。
「ありがとうございますッ!!」
少年は何度も頭を下げ、しまいには目尻に水滴すら浮かべていた。
俺と修司は店の中で、来訪者の少年ユウキの話を聞いた。
彼の家は元々貧乏で、両親は共に西東京の東側、八王子よりも都心寄りにある、比較的荒廃していないスラムから北東京の中心地辺りまで毎日働きに出ている。帰りの遅い両親の変わりに、幼いユウキの子守をしていたのが、誘拐されたユウキの姉、キョーコだ。
姉と言っても、彼女とユウキは実の姉弟ではない。
キョーコは近所の家に引き取られた女性型のアンドロイド。ユウキの両親がキョーコの引き取られた家庭と古い繋がりで、子守ができない自分たちの代わりを彼女に頼んだようだ。
女性型のアンドロイドとは往々にして、家事を目的としたハウスキーパーモデルである。そういった用途に女性型が多い理由としては、女は家で家事をするべし、という日本の旧時代的な固定観念の影響が少なからず、といった感じだろう。
可愛らしいメイドさんに出迎えてもらいたい、という願望も勿論あるだろうと、俺は邪推している。そういうニーズもあるためか、パッケージに同梱されている衣装がメイド服というものもあるくらいだ。しかもご丁寧なことに、所謂秋葉原系メイド服から、どこそこの国のこの時代の、と選べるくらいの徹底ぶり。需要があるなら供給してやるのも吝かではない、ということだろう。恐るべし、資本主義スピリッツ。
キョーコもその例に漏れず、若い女性や少女の容姿のハウスキーパー型である。ゆえに家事洗濯は堪能であり、子守りもそつなくこなした。面倒見の良いキョーコを、ユウキは実の姉のように慕い、キョーコもまた、ユウキを本当の弟のように可愛がったという。
そして年月が経ち、ユウキは十一歳。彼女と出会って八年になる。キョーコの誕生日のプレゼントを買うべく、こつこつ貯金して貯めた三千円を片手に、ユウキは彼女と買い物に出掛けた。そして、道中に黒いスーツを着た謎の集団にキョーコが攫われて今に至る。
「なるほど………………」
ブラックコーヒーの入ったマグカップに口をつけると、修司はため息交じりに呟いた。
「女性型のアンドロイドはニーズは高いけど生産量が男性型に比べて少ない。加えて男性型よりも高価だからな………………攫われることはよくあることだ」
俺は聞いた話の内容と自分の予測を結び付けて、脳内を整理した。もっとも、女性型が攫われるのには値段以上に大きいものがあるのだが。
「攫われたあとは、どうなんの?」
ユウキは恐る恐る口を開いた。
「簡単だ、売り飛ばされる」
「え?」
淡白な返答に、ユウキは肩透かしをくらったような顔をした。ちょうどいいと思い、俺は説明を続ける。
「さっき女性型は攫われやすいって言ったろ?なんでか分かるか?」
ユウキにそう問いかけると、困り果てたような表情を浮かべた。次第に目線が下がり、ウンウンと低く唸りながら思考に耽る。
「今さっきレアモノだからだって、自分で言ったろうが。その質問は意地が悪いぜ、シグマ」
修司がカウンターに頬杖をつきながら非難を飛ばす。まあ、確かにそうだな。
「すまん、ユウキ。結論から言うと、女性型のアンドロイドの中には、生身の女性の身体機能をほぼそのまま備えてるものもあるんだ」
俺がユウキの瞳を見据えてそう言うと、ユウキはぽかんとした表情を浮かべる。
「つまりは………………その、アレだ。アレ………………」
しかし、そのことを説明しようにも、どうも憚られる。
というのも、女性型のアンドロイドの一部機種は、実際に生身の男性と性的交渉が可能なのだ。しかし、家事を目的としてのハウスキーパー型には本来無いはずのオプション。勿論、カスタム次第ではそういった機能を取りつけることもできる。妊娠や子育てこそできないが、世の汚れた男性諸兄はそこまで求めてはいない。
とまれ、十一歳の少年に対しては、少々言いにくいことだ。
「つまり、そういうヤラシイことができちゃうってわけ」
どもる俺を見かねたのか、修司が俺の言わんとしていたことを、意味ありげなニヤニヤとともに口に出す。その瞬間、ユウキの顔は茹であがったように真っ赤に染まり、俺は落胆のため息を吐く。
「あのなぁ、お前………………もうちょい言い方ってのがあんだろうが」
「おめーみたいに純情かまして言い淀んでるよりかはイカしてると思うぜ、ハードボイルドな殺し屋さん?」
コイツあとで覚えてやがれ………………。
心の中で呪詛を吐きながら修司を半眼で睨む。
「すまん、そういうことだ。………………察してくれ」
「う、うん。分かった………………」
どうしてキョーコが攫われたかの論題は、誰に彼女が攫われたのか、という話へ自然と推移した。
「さっき黒いスーツを着た連中が、って言ったよな?」
修司の問いかけに、ユウキは無言の頷きでもって返事をした。
「恐らく………………というか十中八九、闇ブローカーとか違法ディーラーとかの息のかかった連中だな」
顎に手を当てながら思考する。
確かに近年、貴重なパーツを窃盗・強奪する盗人や、彼らの得たものを横流ししてもらい、非正規ルートで売買する違法な仲介人が増加している。以前、そういった連中と仕事で係わったことがあったが、まあロクな連中ではない。
「そうすると、何処かのオークション会場で競りにかけられるはずだ」
「そこが狙い目だな………………修司、お前のツテで場所と時間を調べられるか?」
修司は視線を上へ外しながら、頭の中でそろばんを弾く。
「ん~………………できなくはないけど、時間はかかるぜ?」
「なるべく早く頼む。これを逃したら、その後を追うのは骨が折れる」
「あいよ。いくつか心当たりを当たってみるわ」
そう言い残して、修司は奥の部屋へと姿を消した。
「シグマ、オークションで売れちゃった後はどうなるの?」
ユウキが怯えたようにして尋ねる。
「落札されたら、その場で落札主に引き渡し。そこまでの記録は、何かしらのデータバンクに残るはずだ。ブローカーからの招待状とかは、全て秘匿コードの施されてるとはいえ、電子メールが主流だからな。………………ただ、それから落札主が買ったものを何処へ運ぶかは分からん。その後、何をするのかもな。まあ、ロクな扱いはされないだろうよ」
「そんな………………!」
ユウキは、その小さな右手を力いっぱい握りしめる。今にもそれをテーブルに叩きつけんばかりの表情だ。
「そう焦るな。時間と場所の特定は修司がやってくれる。俺らはその間に、準備を整えるぞ」
そう言って、俺はユウキの隣に立ち、立つように促す。
「助けて、くれるの………………?」
「ああ」
「でもどうして。三千円じゃ全然足りないって………………」
泣き出しそうに声を震わせながら、ユウキは恐る恐る尋ねる。
「はぁ………………さっき言ったろ?選り好みはする、って。単なる気まぐれだ」
俺はユウキの背中を叩き、地下室へと促した。自室へ続く階段を下りながら、彼に話しかける。
「一応お前も連れて行く。ただ、連れて行く以上はそれ相応の危険が伴う。それくらい、お前にも分かるよな?」
俺がそう言うと、ユウキは小さく頷く。
階段を降り切ると、一枚の扉。押し開くと、中には俺が間借りしている部屋が広がっていた。
微かに、オイルと火薬の匂いがする。嗅ぎ慣れた匂いだった。
「そんなわけで、俺や修司も、お前を絶対に守ってやれる保証はない。だから────────」
俺はそう言いながら、引出しに入っていた『あるもの』を取り出した。そして、それをユウキに渡す。
「自分の身くらい、自分で守れ」
ユウキの手のひらに乗せられたものは、全長十五センチほどの、小型の拳銃だった。
修司の得た情報によると、この日に開催されるアンドロイド関連のオークションは数件あったが、ユウキがキョーコの型番を諳んじていたことが幸いした。
こういった類の闇オークションは、商品情報の裏を取るために、シリアルナンバーなどの情報をカタログにして流す、という仕組みだ。カタログの検索エンジンにキョーコの型番を入れてみると、見事一件に絞られた。
場所は南東京の川崎。旧神奈川県の港湾地区だ。
自室でユウキに手渡したのは護身用の銃で、大まかな操作の説明と撃ち方のレクチャーも、短時間だがしておいた。恐らく、あの商店街の陰湿な雰囲気の中を一人で歩けるくらいに胆の据わったあいつなら、自分の身が危険にさらされてもなんとか出来るだろう。そう、バイクを走らせながら思う。ミラーを覗くと、後ろにはユウキを乗せた修司の車が、ぴったりと付いてきていた。
高速を下りて一般道を突き進むと、五月の風に乗って潮の香りが運ばれてきた。
脳のデータ領域内に保存したポイントとナビを同期させて、情報を義眼に映し出す。この辺りは倉庫などが乱立しており、道が少々入り組んでいるから、道を間違えないように注意を払う。
バイクを目的地から少し離れた埠頭に停車させて、そこから徒歩で会場へ向かう。
上手く監視カメラの死角に潜り込みながら、倉庫街をひた走る。
「ねえ、なんで監視カメラに映っちゃダメなの?殺し屋だから?」
ユウキから質問されるが、一瞬返答にまごつく。
「それももちろんあるんだが………………この辺りは日本のヤクザとか、海外の犯罪シンジケートやマフィアなんかの拠点だったり、貸倉庫だったりするんだ。設置されてる監視カメラは、公共施設のものじゃなくて、そういった連中の私物だったりするんだよ。うっかり映ると、いろいろ面倒なことになる」
まあ、普通子供はそんなこと知らねぇわな。というか大抵の人間はそんな事知らないか………………。
自分とかけ離れた世界にいるのだな、とガラにもなく感傷的になったのはさておき。上手く目的の倉庫の敷地内へと進入した俺たちは、一旦二手に分かれることにした。
「二人は上から覗いててくれ。中には俺が行く」
「俺たちゃ見張り?」
「そういうこと。ヤバそうならすぐ呼べ。上手いこと騒ぎを起こす」
二人は小さく頷いた。
修司、そしてユウキと別れた俺は、倉庫の外周を大きく回り、気配を殺し、裏口から会場への潜入した。
何人か見張り番らしき黒スーツの男が巡回していたが、全て首筋への手刀、チョークスリーパーなどで無力化。不動産データバンクから引っ張り出してきた倉庫内の見取り図を頼りに、足音を殺しながら進んでいく。
またしても巡回の黒服二人に遭遇。頭部と鳩尾への一撃で沈黙させて、辺りを見回す。暗視モードへ切り替えた義眼に、人影は映っていない。サーモにも異常はなし。ひとまずはクリアだろう。
音を立てないように、男二人の守っていた扉を押し開ける。
室内制圧の要領でベレッタ拳銃を突き出しながら部屋に入ると、視界に飛び込んできたのは二十数人の女性。部屋の外周をぐるりと走るソファに座った彼女らは、みな一様に病院の検査着のような薄手の服装をしていた。
俺の持つ拳銃を見て、彼女たちは小さく悲鳴を上げる。
「おっと、悪い」
俺は拳銃をホルスターに仕舞った。そして軟禁された女性らの………………否、女性型アンドロイドたちの容貌を観察する。それらは見事に、修司の入手したカタログにあるデータと一致した。
どうやら、ビンゴらしい。
「助けに来た。出口までは案内してやれないが、道は教える。それで………………」
シグマはそこでハタと気が付く。
修司の店にいるとき、参考にユウキの携帯端末に入っていたキョーコの写真を見せてもらった。丸い可愛らしい瞳と、栗色のミドルロングの髪。
ここにいる誰とも、記憶にある彼女の容貌が一致しない。
「参ったな、こりゃ」
シグマは思わずひとりごちた。
「修司、会場だ。こっちにはいなかった」
耳に装着された通信デバイスのボタンに指をあてて、修司との通信を繋ぐ。勿論、秘匿コードで処理された暗号回線。
『会場?ちょっと前始まったばっかだぞ。あんなべっぴんさんをこんなに早いうちに………………あ』
「いたか!?」
『ああ、なんてこった。今出てきた。キョーコちゃんの競売が始まったぞ!』
「裏口に回ってこの場所まで来い!あとは俺がやる!!」
叫びながら部屋を出て、会場へと向かう。
少々マズい事になった………………。競りというものは案外早く決着がつく。それまでに俺の足が間に合うかどうか………………。
人工筋肉が捻じり切れんばかりに、コンクリートの床を強く踏みしめて駆ける。前方にはまたもや黒スーツ。今度は四人。
一人目、疾走の勢いを活かして頭部へ飛び膝蹴り。
二人目、打ち出される拳を回避して顎下へ掌底。
三人目、抜き放った拳銃を持つ手を蹴り上げ、すぐさま足を畳んで蹴り飛ばす。
四人目、蹴り飛ばされた男諸共吹き飛ぶ。
鎮圧完了。
「二十五万!!」
「三十万出すぞ!!」
「三十二万!!」
「三十三、いや四だ!!」
会場に近づくにつれて、擬似聴覚神経を伝って会場内からの蛮声が聞こえてくる。中には、彼女の容姿や身体を値踏みするような声も。
「なかなか美人じゃねぇか」
「いい体してやがる。ハウスキーパー型か?」
「カタログ見てみろよ!あれ、どうやらデキるらしいぞ」
「とんだエロ家政婦だな!!ッハハハハハハ!!!」
まったく、ロクでもねぇ連中だな………………。
こんな会話を聞くのは、本当に寒気がする。もちろん皮膚は生身の人間のものじゃない。シリコンと人口皮膜の造り物だ。鳥肌が立つわけでもないが、脳にきっと、そういう感覚が刻み込まれているのだろう。
「落札された方はどうぞステージへ。この場でお渡しいたします」
「オラ、とっとと歩け!!」
「商品が偉そうに!」
そんな会話に気を取られているうちに、落札されてしまったらしい。
義眼に仕込まれたサーモグラフィーで熱源の位置を確認する。ステージを起点として、扇状に傾斜をかけて広がるように、熱源が広がっている。床付近と天井当たりのものは、きっとスポットライトだろう。
ステージの上には三人。売り物を移動させるやつと、このオークションの司会者だろう。そしてその影に接近する、男性と思しき影がさらに三つ。
義眼の暗視機能を切ってステージと舞台裏を仕切る暗幕に手を伸ばす。
ぶ厚めの布を乱暴に捲り上げ、コートの懐へ伸ばした手を閃かせる。
───────────ズドン!ズドン!
引き金を引き絞ると、強烈なキックが立て続けに二発。乾いた不気味な音を伴って伝わる。
銃口から放たれた弾丸は螺旋を描き、キョーコの両脇を固める男の頭蓋を直撃する。真っ赤な血液の花弁が飛び散り、黒服二人を地面へ臥せさせる。
そして直後、会場内に狂乱と、恐怖とがぶちまけられた。ギャラリーたちは逃げまどい、我先にと出口へ走る。
「何者だ!!」
誰何の声を上げるのは、でっぷりと下腹を出した中年の男性。恐らく、キョーコの落札主だろう。
俺はハットのつばを下げて左目を隠し、男に相対する。
「………………殺し屋さ」
俺の返答に、男は瞠目する。
そして彼の両脇に詰めていたボディガード二人が前に出て、俺と対峙。
右側の短髪の男が間合いを詰める。右、左と飛来する拳を回避し、顔面に掌底。
続いて左側にいた角刈りの男が、間髪入れずに距離を縮めてくる。右手には何処から取り出したのか、大ぶりの刃のナイフが握られていた。俺は迷わず、右手を半身になって右手を伸ばす。
男は迷わず、俺の右手に刃を突き立てようと、こちらも半身になって右腕を伸ばす。前方へ距離を詰めるために、右足が浮き、左足で地面を蹴る。
刹那、俺は左足を鞭のように振って男の右足にぶつけた。
足払いをかけられて体を崩した男の右腕に左拳を叩きつけてナイフを落とし、右の拳を鳩尾めがけて打ち出す。
ボディガード二人を沈黙させて、俺は床でうずくまるキョーコの傍へ歩み寄る。そして深緑のロングコートを彼女の肩にかける。
「あの………………」
「大丈夫だ。俺はあんたを助けに来た」
何かを言わんとしたキョーコの台詞を遮り、ここへ赴いた理由を告げた。恐怖と困惑で彩られた瞳が、少しばかり見開かれる。
「賊をひっ捕らえろ!!」
背後で怒声が飛ぶ。振り返ってみると司会者と思しき男が、こちらを指差している。そしてその背後には、厳つい真っ黒なサングラスをした、ごつい体格のアンドロイド三体。俗に“ガードロイド”と呼ばれる、警備用の大型アンドロイドだ。
「また面倒なものを………………」
俺が立ち上がると、ガードロイドはその巨体からは少しかけ離れた、滑らかでスピーディーな動きで間合いを詰めてきた。胸倉か頭部を鷲摑みにしたいのか、巨大な掌を突き出してくる。
俺はそれをひらりと躱し、手に持っていたベレッタ拳銃を左手に持ち、開いた右手を太腿の外側のホルスターへ伸ばした。
ベレッタのグリップよりも一回りほど大きなそれを強く握りしめ、抜き放って照準する。
一体目はストレートに機関部を狙い撃ち。ハンマーか何かでぶっ叩かれるような強烈なリコイルの衝撃を受け流し、照準を変える。
二体目は、巨体から繰り出される強烈なパンチを合気道の要領でいなし、制御回路の集合体である脳を狙い発砲。三体目は右膝を狙い、動けなくなったところで頭部を撃ち抜く。
こうして瞬殺されたガードロイドの銃創からは、どろどろとオイルと思われる謎の液体が溢れ出ていた。
「ったく、汚ねぇな………………」
ぬめぬめと漏れ出る油だまりから少し離れて、男たちを一瞥する。みな一様に恐怖と驚愕で顔面が青ざめているのが分かる。
「そんな………………ガードロイドが、いとも簡単に………………」
俺は銃口を連中に向けた。
艶消し加工の施された、すらりと伸びるシルバーの銃身。レンガブロックのように角ばったスライド後端。そして、火薬と死の匂いを垂れ流す銃口が、大きく口を開けている。その奥の暗闇には、死神の気配を濃密に漂わせている。
「当たり前だ。これの弾丸は防弾チョッキも貫通するからな」
その銃の名を、デザートイーグル。
ガス圧作動方式を採用した、史上最大級の自動拳銃。
その四十四口径の銃口から吐き出される弾丸にかかれば、皮膜の真下を極薄のチタン合金で覆った木偶の坊など、取るに足らない的である。
とまれその威力は絶大で、生身の人間相手に向けるのは気が引けるので、対人戦闘にはベレッタやグロック拳銃を用いる。
「う、動くな!」
刹那、叫び声が倉庫内にこだまする。
油断したッ………………!
ガードロイドの相手をさせられている間に、動揺から立ち直ったらしき司会者の男が、銃口をキョーコの右こめかみに押し当てていた。
慌てて銃口を向けようとした瞬間、司会者の男が言葉を発した。
「これが狙いなんだろ………………?傷付けたくないなら、銃を捨てて手を挙げろ」
俺は歯噛みして、指示に従うことにした。
デザートイーグルと、ホルスターから抜いたベレッタを床に置き、爪先で男の傍へ蹴り飛ばす。そして、左大腿部のホルスターに刺さったグロックを、ステージ裏に続く暗幕の方へ、左足のインサイドで蹴る。
「………………これでいいか?」
俺はゆるりと両手を上げる。男はそれを確認すると、勝ち誇った表情で、今度はこちらに銃口を向けた。
「まだまだだな………………どうやら殺し屋でも、人質は切り捨てられないらしい」
どうやら、八方塞がりのようだ。
司会者の男はその面に狂喜の色を浮かべ、キョーコは自分なぞ切り捨てて反撃しろ、とでも言わんばかりの眼差しで俺を見ている。まあ、銃が手元にないんじゃあ、どうしようもない。
「………………」
コツン、と。
後頭部に押し当てられる、金属質な冷たさ。
「詰みだな、小僧」
「らしいな」
誰何を問うた時の声が背後から聞こえてくる。
「せめてもの恩情だ………………なにか、言い残すことは?」
「そうだな………………あいつの言った通り、俺は人間味全開で情に厚い殺し屋だったんだな………………」
なんとなく自虐的な笑みを浮かべたくなって、鼻を鳴らす。
「別に構わないだろ?今際の際くらい、手前の人生の悔いを口に出したって」
俺は一つ、ため息を吐く。半眼で見つめるのは、正面。
「────────ま、それは今じゃないけどな」
その刹那、暗幕の向こうから何かが勢いよく飛び出した。
背後の男と司会者の男の視線が、一瞬。ほんの一瞬だけ、グロックを手にして飛び出した修司の方に向けられる。
自分への注意が逸れたことを察知し、腰を屈めて銃口の直線状から逃れる。そして振り返りざまに男の腕を跳ね上げて銃を遠くへ弾き、ノーガードの顔面へ拳を振り抜く。
意識を刈り取ったかも確認せずにターンして、司会者の男に向かって突進する。
男は慌てふためきながら銃口を右往左往させている。完全に平静を欠いた。そう確信した俺は床を強く踏みしめる。
だが、突如右手をキョーコの頭部へ据えた瞬間、再び首筋から脳にかけてを冷たい何かが過った。
しかし、嬉しい誤算とやらは続くものである。
男の体勢が右へ勢いよく傾いたのだ。キョーコの頭部は射線から外れ、男は驚愕に瞠目している。
「ユウキ、離れろ!」
男の腰元には、ユウキがしがみつくようにして突進していたのだ。俺の声を聞き届けたユウキは、床を転がって距離を離す。
俺は転がっていたベレッタを拾い上げて、倒れた男の右腕をコンバットブーツの底で踏みつける。そして、苦痛に表情をゆがめる男の額に銃口を押し付け、そのまま強引に床に叩きつける。
人差し指を絞るようにたたみ、引き金を引ききる。
素早く切れのいいリコイルとともに、床と空中に大きな血の華が咲いた。
「………………任務完了」
「あの………………ありがとうございました」
キョーコは深々と頭を下げる。
「いや、俺を雇ったのはユウキだ。礼ならそいつに言ってやれ」
俺がそう言うと、ユウキは肩を小さく震わせた。
「ユウキ!なんでこんなに危ないことしたの!?」
ユウキの目線に合わせて腰を屈めたキョーコは、彼の両肩を揺すりながら怒鳴った。
ユウキは涙目になりながらも反駁した。
「だって………………どうしても助けたかったんだ」
それだけを絞り出すと、ユウキはしゃくり上げながら涙を流した。そんなユウキを、キョーコは黙って抱きしめる。
「一件落着、ってか?なかなか、絵になるんじゃないの?」
「ああ。そんでもって、眩しい」
俺には、家族はいない。
事故で両親を失い、機械の身体になって生き延びたあとは、血の繋がっていない養父母に引き取られた。そこで過ごした六年くらいは………………まあ、正直あまりいい思い出はない。
そんな回想をしながら夜の首都高速の灯りをぼんやり眺めていると、強い海風が吹いた。五月とは言え、朝夜は冷える。シャツ一枚でバイクに跨るには、少し心許ない。
まあ、擬似末端神経の感度を調節すれば問題はないし、そもそも病気知らずの身体だ。
「あの、シグマさん。これお返しします」
そう言ってコートを差し出すキョーコを、俺は手で制す。
「寒いだろ、そんな薄着一枚じゃ。まあ、あんたには余計なお節介かもしれんが………………。それでも、若い女がはだけた格好でってのもマズいし。やるよ、それ」
「………………ありがとうございます」
一瞬きょとん、とした彼女だったが、律儀に頭を下げると、コートを肩から羽織った。
「シグマ、僕からもありがとう。それで………………ちゃんとお礼がしたいんだけど、また会えるかな?」
今度はユウキが無垢な瞳で問うてくる。正直、その質問に少々戸惑った。
「ん~、多分な。それと………………」
俺はしゃがみ込んでユウキに目線を合わせると、指で彼の額を小突いた。
「年上には敬語使え。そんでもって、シグマさんだ。覚えとけ」
俺は不敵に、にやりと笑って見せる。それにユウキも、笑顔で応じる。
「修司、悪いけど二人を家まで送ってやってくれないか?」
「ああ、任せとけ」
時間も時間だし、このまま約束の集合場所まで向かおう。そう胸算用して修司に頷き返すと、俺は踵を返して泊めていたバイクの方に向かって歩き出した。
「あの、シグマさん!お代はいつか必ず支払います!それまで待ってて下さい!」
バイクに跨り、去ろうとする俺を呼び止めるかのように、キョーコは声を張り上げた。
俺は彼女を、そしてユウキを見た。
全く、俺にはつくづく縁遠いものなんだな。家族の愛情と安らぎというものは………………。
「気にすんな。良いもの見させてもらった礼だ」
そう言ってヘルメットのバイザーを下ろし、俺はバイクを走らせた。
今の心持ちとも相まってか、東京の、五月の夜の風は、柔らかく軽やかに感じた。