塔
「あそこに見える大きな空き地がゴーラです。ゴーラとは元々は広場という意味でお祭りや民の集会場などに使われています。」
耳に心地良いリーファの声をうっとりと聞き流す。
俺とリーファ、そしてお邪魔虫なエイベット卿と騎士2人は、城の奥にある塔の最上階に来ていた。
うん。もの凄く階段が長かった。
当然この世界にはエレベーターなんてものはない。この階段を多少息切れした程度で昇りきったリーファの見かけによらぬ体力にビックリな俺だ。
え?俺?……半引きこもりの俺に体力なんてあるわけないだろう?当然息も絶え絶えだったさ。エイベット卿と騎士2人の視線がますます冷たくなったけど、リーファが優しく労わってくれたから無問題だ。
それより問題なのは、この最上階のすぐ下の階にある食物貯蔵庫の方だろう。万が一の時のための非常食なんだろうが、こんな高い階まで食物を運び上げる労力を考えるとクラクラしそうだ。何でこんな場所を選んだのか、俺は責任者に聞いてみたい。
異世界召喚ができるくらいなんだから魔法でパパッと移動、なんていうこともなかった。
ファンタジー世界なのに何故だ?
なんでも、アディが俺とネットでやりとりできたのも、俺を異世界召喚できたのも、基本は『神の賜いし御力』とやらのおかげらしい。そもそも彼らが海を越えてこの国に辿り着けたのも全て『神の賜いし御力』のお導きがあったからで、その御力を今現在最も強く受けているのが国王であるアディであり、巫女姫であるリーファなのだそうだった。
現代日本人の俺が(……胡散臭い)と思ってしまったのは仕方のないことだろう。
八百万の神々を祭り、仏壇と神棚を並べ、ハロウィンもクリスマスもお正月もみんな等しくお祝いする現代日本人に信仰心なんか求めないで欲しい。
まぁ、俺はどの行事もみんなスルーするけどな。正月に餅を食うくらいはしてもいいけれど、今年は親が煩そうだし実家に帰るつもりはない。きっと正月もネット三昧だわ。
……俺の未来を占うのに神様の御力なんざこれっぽちも必要ないね。
実はここに来る前にリーファから「神殿の中をご案内します」なんて申し出をされたんだが、丁寧に断らせてもらった。うっかり「これが、神様です」なんて言われて巨大パソコンを見せられたりしたら笑えない。実はこの世界は誰かが創ったネットの中のVRMMOでしたなんていう厨二病的展開もゴメンこうむりたい。
興ざめもいいとこだろう?
「ユウ様?」
考え事をしていたせいだろう、リーファが心配そうに俺の顔を見詰めてくる。その背後ではエイベット卿と騎士2人が、てめぇちゃんと聞いているのかよ!ってな目つきで俺を睨んでいるけれど、できるだけそれは視界に入れないようにした。
「いや。見事な防御都市だなと思って。」
俺は誤魔化すようにそう言った。
実際眼下に広がるのは古代ヨーロッパによく見られるような都市と田園地方を城壁で仕切った典型的な防御都市だった。市街地を走る道路が稲妻状になって敵の侵入や見通しを阻んでいるのも防御都市の典型だ。
しかも都市は急速に発展し大きくなっているようだった。
(アディが苦労しているわけだよな。)
どこかごちゃごちゃとした印象を与える都市の中心部と、外部に広がりつつある格子状の街並みは、それだけで時代の変遷を見る者に訴えかけてくる。
(そういう時代が平穏無事だったことなんて滅多にないものな。)
俺は心の中でアディの奮闘にエールを送った。
現実に俺ができる事なんて何もないんだから仕方ないだろう?
いや、責任のある立場なんて立つものじゃないな。俺は就職できたとしても、できるだけそういう立場とは無縁のルーティンワークな仕事につこう。できれば快適な屋内で定時に帰れる仕事が良い。高給なんか望まないさ。暮らしていければそれで良い。決して高望みじゃないと思うのに、どうして俺は就職できないんだろう?姉貴は「ばっかじゃないの」って一蹴するけれど……
(それにしても、デカい都市だな。)
何もこんな異世界でまでイヤな就職の心配をする必要はないかと俺は視点を切り替える。
見渡す限りの都市は確かにもの凄く大規模な都市だった。
(ひょっとしてロダは都市国家なのか?)
その可能性はあるだろう。どことなく規模が古代ギリシャのアテネみたいな感じがする。古代ローマもはじめはテベレ川に沿って建設された小都市国家だ。
(古代アテネの人口は確か30万人くらいだったよな?)
船団を率いて逃げるように移民して来て、国を築いて10年。
(こんなにデカい都市になるものなのか?)
例えロダがここから見渡せる限りの都市国家なのだとしても、それは有り得そうになかった。
これも『神の賜いし御力』効果なのだろうかと俺はちょっと首を傾げる。
「ユウ様?」
また考え込んでしまった俺にリーファが心配そうに声をかけてきた。
俺は安心させるように笑い返す。
「悪い。ちょっと疲れたみたいです。」
エイベット卿と騎士2人が呆れたようにため息をついた。
「すみません。ユウ様。お察しすることができずに……私はご一緒できることが嬉しくて、ついユウ様を連れ回してしまいました。お部屋に戻りましょう。」
すまなそうにリーファが言ってくる。
いやむしろ連れ回してもらって俺の方こそ超嬉しかったんだから、全然平気だ。
……でも、なんていうかこれ以上ここには居たくないんだよな。
俺は眼下に広がる都市にもう一度目をやってからリーファ達と一緒に長い階段を降りはじめた。
降りはじめたんだけど……
(ヤバい。これは間違いなく、明日筋肉痛になるわ。)
降りなら楽勝だなんて思った俺がバカだった。階段は昇りより降りの方が足の負担がキツイってことを忘れていた。幸いにして俺とリーファが先に降りているからペースは自分で決められるし、女の子のリーファを気遣ったふりをしてゆっくり目に降りていけるからなんとかなってはいるが、未来の筋肉痛を止める術は無い。
明日の自分のみじめな姿を想像しながら凹んで降りていた俺は、前方に同じ階段を昇ってくる人影を見つけた。
2人並んで大きな荷物を背負っているところを見れば、食物貯蔵庫に食物を運んでいるのだろう。
(うわっ。たいへんそう。)
背の高さがずいぶん違うから男女なんだろうか?
(え?でも、あれって……)
俺は自分の見たモノが信じられずに、しかしリーファを促して階段の脇に寄って相手に道を譲った。
すれ違えない程の階段なら上から降りてくる人間の方が先に、下から昇ってくる人間を確認できるのだから、相手を先に通してやるのは常識だ。
ましてやあんなに重い荷物を背負っているんだ立ち止まらせたりしたら悪い。
案の定、ようやく俺達に気づいたその2人は……びっくりした顔でポカンとこちらを見上げてきた。
俺はこの隙にちょっとでも休めることに安心して、ニコッと2人に笑いかける。半引きこもりだって愛想笑いぐらいはできるさ。当たり前だろう。
(それにしても……)
俺は間近になった2人をしげしげと見ながら内心びっくりしていた。
(ケモミミと尻尾だ。)
異世界すげぇ〜っ。
有鱗種の次は獣人ときた。
獣人といったって本当に獣みたいなのは耳と尻尾だけで、あとは人間とほとんど変わらないからコスプレした人間みたいに見えるけど、きっと本物なんだろうなと俺はしきりに感心する。
背の高い方はピンっと立った三角形の耳とふさふさの長い尻尾を持った男で、俺でも見惚れるようなカッコいいイケメン獣人だった。服の上からでも鍛えられた筋肉が一目瞭然である。(フン!羨ましくなんかないぞ。)
背の低い方は長い垂れ耳の可愛い女の子で、尻尾はさっき上からチラッと見えたけどまん丸いポンポンみたいな毛玉だった。
(ウサギか?チックショ〜ッ、萌える!)
リーファといい、この世界の女の子ってめちゃくちゃレベルが高い!
俺を萌え殺す気なのか?と本気で疑ってしまいそうだ。まあ、男のイケメン度も高いけどそんなの俺には関係ないからな。
驚いていた俺だが、何故か目の前の2人もいつまで経っても俺を凝視している。
そればかりではなかった。俺の隣で俺と一緒に道を譲ったリーファも、俺達の後ろに居たエイベック卿と2人の騎士までもがポカンとしている。エイベック卿達に至っては驚き過ぎた所為だろう道を譲るのさえ忘れていた。そんなとこに突っ立っていちゃ邪魔だろうと俺が軽く睨んだら、ハッとしたように顎を引く。
「何をしている!」
エイベック卿が怒鳴った。
何かしているのはお前だろう?と思うんだが、その声を聞いた2人の獣人は慌てて脇に寄るとその場に跪こうとした。
狭い階段の上である。
しかも重い荷物を背負っているのだ。男はともかく女の子の獣人の方がバランスを崩すのは当たり前だった。
(マズイッ!)
―――ここでカッコよく女の子を助けられるようなら、きっと俺にだって彼女の1人くらいいたんだろうと思う。
それができないから、俺は年齢=彼女いない歴なんだ。
颯爽と彼女を助けたのは、当然ながら隣に居た男の獣人だった。
流石に荷物までは受け止められず、放り出されたそれはスゴイ勢いで下に落ちていき、時間差でズドン!と重い音を響かせる。幸いにして下には誰もいなかった。
(怖ぇぇぇ〜っ。人だったら絶対死んでいるぞ。)
「大丈夫か?良かったな。」
俺は思わず素で声をかけてしまった。
蒼ざめた顔の2人が信じられないものでも見るように俺を見てくる。
(何だよ?異世界人っていうのはそんなに珍しいのか。)
そもそも外見だけで区別がつくのか?確かに欧米人風のこの世界の顔立ちでは、THE日本人!てな感じの俺の顔は見慣れないかもしれないけど、それだってそんなに目立つわけじゃない。異世界トリップ定番の黒髪黒瞳が珍しいって設定もここにはないんだ。2人の騎士の片方は茶髪気味の俺の髪を上回る黒髪をしている。
「……ユウ様。」
その時リーファが俺に声をかけてきた。
「そのもの達は、奴隷です。」
「!?」
びっくりし過ぎて俺は声が出なかった。
「ユウ様が親切にお声をかけても、おそらく意味は伝わりません。姿形こそ私たちと似てはいますが、そのもの達は他の動物と変わらぬ生き物なのです。」
(バカな?!そんなことあるわけがないだろう!)
俺は心の中で叫んだ。
だって、彼らの俺を見る目には間違いなく理知の光が宿っている。
それに彼らは、俺が道を譲ったり、「大丈夫か?」と聞いたりすれば驚いていた。驚くってことは、自分達が本来はそんなことをされる対象じゃないってことをわかっているってことだ。
(犬や猫にそんなことがわかるのか?)
確かめようと、もう一度視線を合わせようとしたら、彼らはそれを避けるように顔を伏せてその場に土下座した。
「これだから常識の通じない者は困るのだ。奴隷などに道を譲り大切な食物をダメにしてしまうなどと。」
エイベック卿が忌々しそうに呟いた。呟くと言ってもそれは誰の耳にも聞こえる大きさで、俺に聞かせる気満々だったのは間違いないことだろう。
「エイベック卿!」
リーファが鋭い叱責の声を上げる。それは流石に至高の巫女姫に相応しい支配者の声だった。
エイベック卿が渋々と頭を下げる。
下げる相手は俺じゃなくてリーファなんだろうけどな。
「申し訳ありませんでした。参りましょうユウ様。」
ニッコリ笑ってリーファが俺を見上げてくる。
俺は途方に暮れて、リーファと未だ地に頭をつけたままの獣人2人を見詰めたのだった。