もしものその後(ユウを一番待ち望んでいるのがアディだったら)4
「手早く食べられるものだなんて、城で何かあったんですか?」
おっちゃんがフィフィに訊ねる声が聞こえる。同時にフライパンで何かを炒めるジュワーという音もして、料理を作りはじめたのもわかる。おばちゃんが他のお客さんに料理を運んでいる足音もしていて、予想に違わず店は書き入れ時のようだ。
(ごめん! 二人とも、俺はまだちょっと出て行けない)
みっともなく階段の一番上で伏せて体を隠しながら、俺は二人に手を合わせた。
「三日後の式典の準備でみんな大忙しなんです。今回、獣人は警備の半分をまかせられていますから。……奴隷の立場から解放されたのはいいのですけれど、それに伴って責任も増えるのでたいへんです」
ああ。間違いなくフィフィの声がする。
鈴を転がすような可憐な声に、俺はうっとり聞き惚れた。
そうか、獣人はきちんと権限を持って仕事をするようになったんだな。獣人の独立が順調に進んでいるようで、俺は自分のことのように嬉しくなる。
叶うことならば今すぐ飛び出して、フィフィに「良かったな」と言ってやりたいが――
いや、我慢我慢、俺は今さっき、まだフィフィたちには会えないと思ったばかりだろう。ものの五分と経たないうちに決意を鈍らせてどうするんだ?
それに何より“この姿”じゃ、フィフィの前にでることなんて、できなかった。
俺は、ほっそりとした自分の白い手を見つめ、グッと拳を握る。
(……でも、フィフィ、美人になっただろうな)
俺が最後に彼女と会ったのは、もう何年も前のことだ。可愛かったウサ耳少女は、大人なバニーガールになったのかもしれない。
(バ、バニーガール? ……それは、ぜひ、見て見たい!)
ついうっかりと、バニーガールの衣装を着た大人びたフィフィを想像してしまった俺は、……五分どころか、たった今我慢すると決めたことを、あっさり忘れてしまった。
鳥頭と責めることなかれ、君も男だったならきっとわかってくれると思う。これは悲しい男の性なのだ!
いや、今の俺は男じゃないけどな……
それはともかく! なんとかこっちの姿を見せずにフィフィの姿を覗けないかと、俺は画策する。
こっそり階段の上から店を覗こうとした。
脇の手すりにしっかりつかまって、身を乗り出す。
(も、もう少し――――)
食堂の一角が視界に入ってきた。
フィフィらしき女性の姿は、まだ見えない。
(こっちじゃないのか。入口の方かな?)
少しずつ少しずつ、慎重に体の向きを変えていく。
――――見覚えのある青みがかった長い髪と垂れ耳の後ろ姿が視界に入った。
(フィフィ!)
間違いない! フィフィだ。
(……ああ、顔が見たいな。こっちを向いてくれないだろうか?)
俺の心の声が聞こえたかのように、長い耳が揺れて、頭が動く。
振り返りそうになった、その時に――――
バンッ! と食堂のドアが開かれて、ピンと立った三角耳の迫力あるイケメン獣人が飛び込んできた。
俺は、慌てて頭を引っ込める。
「フィフィ! 出かけるぞ! 西の村に“ユウ”らしき人間が見つかった!」
「え!」
(えぇっ!?)
そんなバカな!
思わず叫びそうになり自分で自分の口を押えた。バクバク鳴る心臓を鎮めようと大きく息を吸う。
(ティツァ……間違いない。今のってティツァだよな?)
入って来たのは、相変わらず――――いや、以前より精悍さが増して凄みのある男になった獣人族の次代の長であるティツァだった。
俺は、ギュッと瞑った目の裏に、たった今見た男の姿を映し出す。
(あんなにカッコよくなるなんて、反則だろう! いや、前からイケメンだったけど……あの容姿はズルイ! 完璧な肉体の上に完璧な顔だなんて、ケンカ売ってんのか、こらぁっ!)
思い出したその映像に、間髪入れず怒鳴りつけた。
もちろん、ティツァとケンカしたって絶対勝てないことはわかっているから、ケンカなんか、現実では買わないけどな。
俺は女になったってのに、ティツァはあんなにイケメン度が増すなんて、絶対許せない!いくらなんでも差が有りすぎだろう。
どうしてこんなに不公平なんだ! 責任者出て来い!
(……あ、その責任者が、ヴィヴォだったら出て来てもらわなくてもいいです)
俺は、心の中で怒鳴りつけた相手に、速攻で謝り倒した。
「――――“ユウ”様が!? 本当に?」
俺のなんとも情けない一人芝居とは関係なく、フィフィとティツァは話をしている。
「確実とは言えないが、現れたのは黒髪黒目の見慣れない人間の“女性”だという話だ。身寄りも知り合いもなく、“ユウ”の可能性が高いという。……神殿の通訳を通じ、ドラン隊長が直々に俺に確認して来て欲しいと依頼してきた」
「コヴィノアール様が?」
ドラン隊長? ……誰だ、それ?
コヴィノアールってのは、どこかで聞いたような気がするんだが――――って! “コヴィ”のことじゃないか!
コヴィノアール・なんとか・ドラン。それは、以前俺がこの世界にトリップしていた時に、俺の警備についていたクソ真面目な騎士の名前だ。確か、近衛なんとか騎士団なんとか部隊の副隊長だったはずだけど(あんな長い部隊名、俺が覚えていられるはずがないだろう)――――そうか、隊長になったのかもしれないな。
出世したんだ。……移民じゃなく先住民出身だからあれ以上偉くなれないかもと心配していたんだが、順調に隊長になれたようで何よりだ。
アディの側にはコヴィみたいに、腕の立つ忠臣がいて欲しいからな。
良かった良かったと喜びながらも、俺はさっき聞いた言葉に引っかかる。
(黒髪黒目の“女性”……そうティツァは、はっきり言ったよな)
俺が“女性”になったことを、ティツァたちは知っているのだろうか?
いったいどうして?
どこから知ったんだ?
俺の疑問を代弁するように、フィフィがティツァに質問してくれた。
「――――現れたのは“女性”なんですね。ユウ様は、本当に“女性”になってしまわれたんでしょうか?」
「……国王は、そう言っている。ヴィヴォ様が最期の御力でユウをこの世界に引き寄せた時に、掴んでいた自分の手の中でユウの腕がみるみる細く柔らかくなっていったのを感じたと。あまりに儚く折れそうで、思わず力を緩めたら放してしまったと」
忌々しそうに、ティツァは唸る。
「確かに、ヴィヴォ様は、ユウ様を召喚するにあたって、ユウ様が誰より幸せになられるお姿にユウ様を変えると仰っておられましたが――――」
フィフィは、悲し気な声でそう言った。
ひぇぇぇぇ~っ!
バレてる。全部バレてるよ!
嘘だろう? ヴィヴォってば、あの“呪い”のことをみんなに言っていたのか?
そう言えば、神殿関係者の予測の一番人気がどうのこうのと言っていたような気もするが……あれって、神殿関係者の間だけじゃなかったのか?!
それで、アディは俺の腕が細くなったことから、俺が女になったと気づいたと――――
(そうだよな。男と女の腕じゃ、太さも感触も全然違うもんな。気づかれたのも当たり前なのかもしれない)
でも――――
「でも、腕の細さだけでは、男か女かはわかっても人間か獣人かはわからないはずだ。……ユウが人間の女になったとは、まだ決まっていない」
何故か、ティツァは怒ったようにそう言った。
「そうです! ……それに腕が細いのは女性ばかりじゃないですもの。ユウ様が獣人の男性になったとして、ユウ様はまだ三十歳前のはず。獣人にとって三十歳なんて少年と同じです。ユウ様は若返って腕が細くなったのかもしれません!」
フィフィは力強くそう言った。
そうか。寿命が人間より格段に長い獣人にとって三十歳は、まだまだ子供なんだな。
……ってことは、フィフィ、君はいったい何歳なんだい?
考え込みそうになった俺は、勢いよく頭を横に振った。
だめだ、だめだ。女性の年齢を考えるなんて……うん。失礼極まりない。
俺は考えない! 考えないぞ!
固く決意する俺とは関係なく、フィフィとティツァの会話はまだ続いていた。
「だから、さっさと行って、その人間の女性がユウではないと見定めて帰ってくるぞ。グズグズしていると、国王自ら「自分が行く」と言い出しそうだったからな」
「陛下が! この時期に!? 無理でしょう!」
「まったくだ。相変わらずあの国王は“ユウ”のことになると周りが見えなくなる」
苦りきった声で、ティツァはぼやいた。
「俺は直ぐに発つ。式典までには帰って来たいからな。後のことは、仲間に頼んできた。着いて来られるか?」
「はい!」
フィフィの返事は、迷いなかった。
その後、食堂のおっちゃんとおばちゃんに料理を注文しながら食べられなかったことを謝り、フィフィはティツァと出て行く。
お金は払うから、その料理は食堂にいるみんなで食べて欲しいと言っていた。
相変わらず優しくて良い子なフィフィに、俺は感動する。
それにしても――――
アディは、俺が女になったと知っていて黒髪黒目の人間の女性を探していたんだな。
そしてティツァは、俺が女になったことは信じても、人間か獣人かはわからずに両方の可能性を探っている。
フィフィは、それ以外にも俺が獣人の少年となった可能性を疑っているってとこだろうか?
――――俺は、自分がかぶっている茶色いケモ耳付のカツラに手をやった。
うん。助かった。おばちゃんのカツラのチョイスに感謝感激だ。
これが黒髪のカツラだったら、今頃俺はティツァに見つかっていたかもしれない。
おばちゃんたちが俺を自分の身内だってお客さんに言ってくれたのも、俺がスルーされた理由だろう。
やっぱりおばちゃんとおっちゃんは、俺の命の恩人だ。絶対足を向けて眠れない。
手を組み、おばちゃんとおっちゃんに心からの感謝の祈りを捧げてから、俺はようやく立ち上がった。
コトンコトンと階段を下りて行く。
「ユウユイ! ああ、気がついたんだね? もう起きても大丈夫なのかい? ゆっくり休んでいてもいいんだよ」
俺の姿を見つけたおばちゃんが、両手に皿を抱えながら心配そうに声をかけてくる。
鍋の前に立っていたおっちゃんも、首をひねって俺を見てホッとしたように笑った。
俺は、大丈夫ですと言うかわりに、笑いながらしっかり頷く。おばちゃんの側に駆けよって、皿を一つ持った。
「もうっ! ホントに働き者のイイ子なんだから。ムリするんじゃないよ。……それは、右奥のテーブルに持って行ってくれるかい?」
心配しながらも頼んでくるあたり、やっぱり食堂は忙しかったんだろう。
俺はしっかり頷くと、急ぎ足で言われたテーブルに向かった。
「お! ユウユイちゃん。具合が悪かったんだって? もう大丈夫なのかい?」
「ユウユイちゃんの姿が見えないと、やっぱり花がないよなぁ」
「ユウユイちゃん、俺、ご飯おかわり! ゆっくりでいいよ」
途端に常連客のみんなから声がかかってくる。
あったかい声に笑顔で応えながら、俺はパタパタと働いた。
――――俺が女になったとわかっていながら、政略結婚しようとしているアディのことは、頭の中から追いやって……考えないようにした。




