そして未来へ (エピローグ 2)
「ただいま。」
誰もいない部屋に、俺はそう言って帰る。
子供の頃からもうずっと習慣になっているのだから、その癖は治らない。
靴を脱ぐなり部屋の奥に向かった俺は、やっぱり習慣で上着も脱がずにデスクのパソコンを起動した。ネットにつなぎお気に入り登録してある[よろず相談サイト]にログインする。
「……やっぱりいないか。」
そこにアディからの投稿はなかった。
あれから、幾度かの季節が過ぎていた。
無事に大学院を修了し、そんなに有名でもないけれど、かといってブラックでもない、そこそこの建設会社に就職した俺は、ごくごく普通の生活を当たり前のように過ごしている。
大学院修了の年、俺の身に起こった異世界トリップなんて、まるでなかったかのような平々凡々な日々だ。
(もっとも、この平穏な生活とも、もう少しでおさらばだけどな。)
俺は、今の仕事を辞めて海外の発展途上国で技術指導をする意志を固めていた。
びっくりしたって?うん、俺もびっくりしている。
理由はいろいろある。
まず、一番現実的な理由だが……姉貴が昨春結婚したんだ。相手は地方出身の農家の次男坊で大らかで気の良いフツメンだ。
いや、なかなかの掘り出し者だと思うぜ。俺なんかにも気安いし、何よりあの姉貴の傍若無人ぶりを許してやれるとこなんて大物だと感心する。
ダブルハッピー、つまりはできちゃった結婚で、式を挙げて数か月で出産した姉貴は、当然のように親と同居した。もちろん旦那もセットで。そう、いわゆるマスオさんってやつさ。
つまり俺は長男だけど、家に入る必要がなくなったってわけなのさ。
「父さんと母さんの老後は私が見るからねv(゜∇^*)⌒☆ブイッ!」
なんて言っていたけれど、庭付き一軒家と子供の子守りまで確保して、姉貴にとっちゃ大満足の成り行きだろう。両親も、結婚する気配どころかいまだ彼女の影すらない俺に期待するよりも、姉貴夫婦と暮らす方が安心のようだった。
俺が元気で暮らしてさえいれば、両親はそこがどこであっても、もう気にしたりはしないだろう。
だったら俺は日本じゃなく、これから自分達の国を築いていく、そんな国の力になりたいと思った。…………そう、ロダのような国の力に。
これこそが俺が今の仕事を辞めて、発展途上国の指導に就こうと思った最大の理由だった。
直接アディ達の力になる事はできないけれど、アディと同じように努力している奴の力になる事ならできる。まあ、まだ準備段階だけれど、身の回りなんかを少しずつ片づけながら俺は決意を固めていた。
ただ、問題なのは、そういった国に行って今まで通りネットができるのかという事だった。
(多分、無理だよな。)
このご時世でネットがつながらないなんてことはないだろうけれど、今までみたいに好き放題にできるかと言えば、そうじゃないだろう。
――――俺は、あれからずっと毎日暇さえあれば[よろず相談サイト]にアディからの連絡がないか調べていた。
もちろん俺は、自分が無事に戻って来られた事や、それ以外にも折につけ自分の身に起こった出来事なんかをアディに発信していたが、返事がきた事は一度も無い。相談サイトを個人の連絡に使っている事には、ヤバいかなと思ったけれど、それについて他の相談者やサイトの管理人から何か言われた事は少しもなかった。むしろ、俺の『就職できたぞ!アディ。』なんて投稿には、多くの人から『おめでとう』の言葉をもらった。
うん。ホント居心地の良いサイトなんだ。
ただ、アディからの返信だけは、来ない。
既に向こうの世界が救われた事から、もうこっちのネットに繋がるなんて事自体ができなくなった可能性も高いが、それでも俺は諦める気にだけはならなかった。
……でも、それすらも、もうできなくなるかもしれない。
(――――アディ。ムリしていないか?)
俺は、せめて、ほんの少しでいいから情報が欲しかった。
俺の祈るようなその思いが、思わぬ形で通じたのは、その夜の事だった。
「ぎょえぇぇぇぇ〜っ!!」
び、びっくりした!心臓が止まるかと思った。
なんとその夜、寝ついたと思った俺は、夢の中で突然ヴィヴォのドアップに遭遇したのだった。
しわくちゃの顔が、ニタァッと笑う。
(こ、怖ぇ〜っ。)
どんな悪夢よりも恐ろしいこの状況に、俺の心臓はバクバクと鳴っていた。
「やれやれ、やっとお会いできましたじゃ。ユウ様、お久しぶりでございます。」
小さな頭がペコンと下がって丸い耳がつられて下を向く。
うん。間違いない。獣人族最長老の巫女ヴィヴォだ。
「お、お久しぶりです。……本当に、本物のヴィヴォ?」
「わしの偽物になど出会った事はございません。」
確かにヴィヴォの偽物になるのは、ハードルが高そうだ。
(……そうか。ヴィヴォか、本物なんだ。)
突如俺の中にその事実がストンと落ちる。
「ヴィヴォ!ヴィヴォ!――――アディは?みんなは、無事ですか?……あれからどうなったんですか?獣人は解放されたましたか?有鱗種は?水害の被害はそんなに大きくなかったですよね。」
ついつい止まらなくって突然発した俺の矢継ぎ早の質問に、ヴィヴォはあからさまにイヤそうな顔をして、耳をペタンと伏せた。
「ユウ様。少し落ち着きなされ。そんなに一度に聞かれてもこの年寄りには即答する事ができません。やれ、落ち着きのないところまで、あのヘタレ――――前国王に似ておられる。」
相変わらず、前国王――――アディのおじいちゃんへの評価は最低だった。
俺は、とりあえず深呼吸して落ち着く。
「そうですね。すみません。――――えっと、何から聞けばいいのかな?そうだ!みんな元気ですか?」
ひとつひとつ順番に聞けば良いのだと思った俺は、まずみんなの安否を尋ねる。
ヴィヴォは、笑いながら安心させるように大きくひとつ頷いた。
「大丈夫じゃ、ユウ様。心配はいりませぬ。概ね全員元気ですじゃ。」
良かったと俺は、ホッと息を吐き出す。
しかし、その息は、直ぐに止まりそうになった。
「――――そうじゃの。わしが死んだくらいで、後はみんな無事で過ごしております。」
「へっ――――?」
……死んだ?死んだって、ヴィヴォが?
え?え?え?……じゃあ、今俺の目の前にいるのは?
「獣人最高齢記録を塗り替え続けてきたわしじゃが、ようやくお迎えがきたのですじゃ。つい今し方、亡くなりました。やれやれやっと永眠する事ができますわい。」
ヴィヴォは本当にホッとしたように笑った。
(永眠?……永眠って?)
俺は、ジッとヴィヴォの足辺りを凝視する。
「そんなに見ぬでも、尻尾はちゃんとついておりますぞ。」
ヴィヴォはふさふさの尻尾をブンブンと振った。
(へ?尻尾?獣人って亡くなると無くなるのは足じゃなくて尻尾なのか?)
俺は、混乱の極致にいた。
そんな俺におかまいなしに、ヴィヴォは話を勝手に進める。
「尻尾はあっても、わしがここにおる事が、わしの死んだ事の何よりの証明ですじゃ。生きておる者が神殿の泉も使わずに異世界に来ることなどできませんからのぉ。まあ、死んだとしてもこんな真似ができるのは、わしくらいのものじゃろうが。」
フォッ、フォッ、フォッとヴィヴォは笑う。
大バ○さまかと思ったらバル○ン星人だったのか?……古いって?ほっといてくれ。今の俺はそれどころじゃない!
「長い長い年月を巫女として生きてきたわしには人知を超えた力が宿っておりますのじゃ。そして死んだ事によってその力を解放する事ができるようになりました。こうして異界に心を飛ばす事も――――それ以上の事も。」
ヴィヴォは小さな目を開いて、俺を凝視した。
そのままゆっくりと頭を下げる。
「お迎えに参りました。ユウ様。どうか我らのために我らの世界にお渡りください。」
エピローグ2が長すぎたので2話に分けます。
すみません、もう1話お付き合いください。




