さよなら
このお話で本編は完結です。
「…………腑抜けなくせに。」
俺を見返したティツァは、忌々しそうにそう言った。
相変わらず口も態度も悪いけれど、でもティツァは仲間のためにいつだって真っ直ぐで、そして案外優しいヤツだ。
「うん。いっぱい助けてくれて、感謝している。」
それ以上に嫌がらせを受けたような気がするが……いや、思い出すまい。全て水に流そう。
俺が「ありがとう。」と言えば、ティツァは顔を逸らす。
その耳はダランと伏せられて、尻尾がイライラと振られていた。
獣人ってのは、自分の感情を隠すのが苦手だよな。
俺はクスリと小さく笑う。
ティツァは、俺が危険な目に飛び込んで行く事を面白く思っていないのだ。そんな事は、耳や尻尾を見なくたって丸わかりだった。
それでも、ティツァは――――次代の獣人の長は、俺を止めたりしないだろう。俺がやろうとしている事が最善の策だとわかってしまうから。
「ティツァ。本当に今までありがとう。……どうか、アディと――――人間と仲良くやって行って欲しい。それが、獣人にとっても一番良い事だと思う。」
尻尾が、一際大きくブンッ!と振られた。
「お前に言われるまでもない!」
不機嫌な声を浴びせられても、全然怖くない。その不機嫌は、俺への心配が原因なんだから。
耳は相変わらずペタリと萎れている。
最後にその耳を撫でてみたかったなぁと思ったけれど……止めよう。やったら絶対本気で怒られる。流石にそれは怖かった。
なんとなく開いた自分の掌に目線を落とす。そのまま手をギュッと握り締めた。
俺は顔を上げ、今度は目線をこれもまたわかり易く落ち込んでいるアディに移す。
「アディも。――――俺をこの世界に呼んでくれてありがとう。俺はこの世界で成長できたと思う。」
そう。もしもサイトでアディに会わず、そしてアディがこの世界に呼んでくれなければ、きっと俺はいつまでも臆病で後悔ばかりの人生を送る事になっていたことだろう。
そういう意味では、俺もまたこの世界で救われたのだ。
俺が真っ直ぐアディを見つめて告げた言葉に、アディは唇を噛み締める。
やがて、その口がゆっくり開いた。
「ユウ――――」
まるで大切なもののように、そっと俺の名が呼ばれる。
青い瞳が俺を正面から見返していた。
その信じられないくらいキレイな青は、この世界で俺をずっと見ていてくれた青だ。
「――――俺は、本当はユウに帰って欲しくない。俺は、まだユウと語り尽くしていない。俺の国をもっともっと見て欲しいし、助言も欲しかった。国中を回って、一緒に過ごして、一緒に笑って……ただ、ただ、ずっと一緒にいたかった。ユウ、俺は――――」
アディは口ごもる。
……おいおい、国中を回るなんて一体どれだけかかるんだ?
絶対一ヶ月じゃ無理だろう?
それじゃ俺はいつになっても帰れなかったんじゃないか?
俺は向こうに帰って就活して修論書いて大学院を修了しなきゃならないんだぞ。いくらトリップした時点に戻してもらえるといったって、俺のさして優秀じゃない頭はそれほど記憶力が良くないんだ。作りかけの修論の内容を全部忘れでもしたら、泣くに泣けない。
……ひょっとしたら、俺が今回半ば強制的に帰る事になったのは、俺的にはラッキーだったのだろうか?
俺の顔は思わず引きつる。
強張った笑いを浮かべる俺の肩を、アディが感極まったようにガシッ!と掴んだ。
「なのに、ユウ、俺は――――王としての俺は、お前の言う事が正しいとわかってしまう。危険な方法なのに、お前に危険なんてほんの少しでも近づけたくないのに…………でも俺は、民のためにお前に雨を降らせてくれと……危険を犯して帰ってくれと、頼まなきゃならないんだ!」
……それが正解だろう。
大丈夫、お前の気持ちはよくわかる。……よくわかるから、頼むから肩を掴む手に力を入れ過ぎるのは止めて欲しい。
マジで肩が痛い。骨が砕けたらどうしてくれる?
俺は抗議の意味も込めて、肩におかれたアディの手をポンポンと叩いてやった。
「俺の救うお前の国を……この世界を良い世界にしてくれ。獣人とも有鱗種とも手を取り合って――――幸せに。」
俺の言葉にアディは、泣きながら頷いた。
ボロボロの泣き顔なのに、それでもカッコいいなんてイケメンはズルい。
俺の顔は、多分見られないくらいに酷かっただろう。
(クソッ!イケメン爆死しろっ。)
――――それが、俺がアディとの別れ際に思った最後の言葉だった。
結果から言えば――――全ては、上手くいった。
あの後、俺はリーファとフィフィと共に神殿に行き、ドボン!と泉に飛び込んだ。
可愛い女の子2人に涙ながらに別れを惜しまれて、本当は凄く怖かったのだがなんとか見栄を張ってカッコよく去れたと思う。
俺が泉に飛び込むと同時に、世界には雨が降った。
来た時とは違って、なんだかゆっくりとこの世界から徐々に離れていった俺には、全てがよく見えていた。
泉の脇で2人並び、膝をつき手を合わせ俺の無事を祈るリーファとフィフィ。
突然の雨で逃げ惑う有鱗種達。
アディの指揮の元、浮足立つ有鱗種を制圧し、捕えられていた人々と王都が解放されていく。
獣人を率いるティツァと人間の軍を率いるコヴィが協力する見事な戦いが展開されていた。
――――その中でティツァは、まるで八つ当たりをするかのように必要以上に有鱗種に襲い掛かり、狐耳の獣人に止められる。
全く何をやっているのかと俺は密やかに笑ってしまった。
――――山間の神殿で、王太后様とヴィヴォが、突如降りはじめた大雨に驚く事も無く、水害に対する警戒と対策を神殿に命じている。
用意周到なその様子に、絶対わかっていたのだろうと確信した。
……雨は、思ったとおり有鱗種の国にも降った。
はじめて見る有鱗種の国には、赤い大地が広がっていた。その赤に雨が吸い込まれていく。
雨を怖がりながらも、天に向かい感謝の祈りを捧げる有鱗種の声が聞こえた。
うん。大丈夫だ。きっと後はサウリアが上手くやってくれる。
まるで降りしきる雨の中に、俺の意識が溶けているみたいに、俺は全てを感じとっていた。
………………雨の中、アディが天に顔を向ける。
そのまま黙って雨に打たれ続けていた。
整った顔を流れるのが、雨なのか涙なのかわからない。
「――――ユウ。」
アディが小さく俺の名を呼ぶ声が、いつまでも俺の耳に残った。
(バカだな。そんな事をしていると風邪をひくぞ。)
薄れ行く意識の中で、そう思った事を覚えている。
それが、この時俺の見た異世界最後の光景だった。
昼間の日射しがまぶしい。
気がつけば陽光の中に立っていて、俺はパチパチと目をしばたたかせていた。
呆然としている俺の横を、急ぎ足のサラリーマンがバタバタと足音高く通り過ぎる。何をそんなに急いでいるんだ?と思うけれど、向こうにしてみれば学生は気楽でいいよなと思っているんだろうな。
駅前の広場は、変わらず待ち合わせをしている人々で、溢れている。
――――俺は、一瞬の間に長い白昼夢を見ていたのだろうか?
そう思ってしまうくらい、それは変わらぬ普段の日常だった。
(でも、違う。)
俺が夢を見ていたんじゃないって事は、何より俺がわかる。
だって、俺が、俺自身が、変わっているんだ!
俺は顎を引き締め、自然に背筋を伸ばす。
以前は下ばかり見ていた顔を上げた。
これからアディはたいへんだろう。ティツァやサウリアも、コヴィやエイベット卿だって大忙しのはずだ。
(負けてらんねぇよな。)
俺は思う。――――そのまま、歩き出した。
空は青く、雨の気配は欠片もない。
それなのに俺の髪がまるで雨に打たれたかのように濡れている事に、すれ違った女子高生が驚いたように振り返っていた。
Fine
お読みいただき本当にありがとうございました。
この後、エピローグを2話投稿する予定です。
よろしければもう少しおつきあいください。




