有事 3
『我ら有鱗種は水が苦手だ。雨が降らない事を苦にする者はいなかったが、俺達は良くとも俺達が育てる作物や周囲の自然にとってそれは憂慮すべき事態だった。』
当然だろう。
そう思いながらも、俺はヴィヴォの語ってくれた昔語りを思い出していた。
――――遥かな昔、人間だけで他を全て排除した島の行く末を。
人間、獣人、有鱗種、それぞれがバランスをとり調和するのがこの世界の神の意志だ。
人間のみになった島は調和できず、人の属性である水が溢れて一夜にして海の底に沈んだのだとヴィヴォは言っていた。
(……ただの偶然だと思っていたけれど。)
人の属性は“水”だ。
人だけになった世界は水に沈み――――そして、人が逃げ出した大陸には、雨が降らなくなった。
俺の体が、ブルリと震える。
『我らの国はここより遥か南にある。雨がほとんど降らなくなれば、高温と乾燥のために大地には草木が育たなくなる。数年前まで緑豊かな土地だった場所が突然枯れ果てて、はじめて俺達は原因究明に躍起になった。』
大地の砂漠化は地球でも大きな問題だ。気候の変化、人口の増加による自然破壊、塩害による土地の劣化等、原因は様々に言われているが、おそらく有鱗種の国での砂漠化の原因は違う。
『国をあげての調査の果てに、神殿の巫女が、同じ神殿に仕えている獣人の巫女の間に伝わるおとぎ話のような伝説を思い出した。』
それは俺の思ったとおり、かつて海の底に沈んだ大陸の話だった。
やはり、どう考えても結論はそこに行きつくだろう。1つ1つの出来事は偶然で片づけられても、その出来事を関連して考えれば答えは1つだ。
『雨の降らぬ原因を人間がいなくなったためだと断定した神殿の意見を、当初国は一笑に付して取りあわなかった。しかし、いつまでも不自然な日照りが続き、いよいよ困窮した民が神殿を支持し暴動を起こすに至り、ついに国も動かざるを得なくなった。』
社会が困窮した時に一番被害を受けるのは、いつだって一般人、それも最下層の住民だ。
ましてや今回の事には神の意志が絡んでいる。ただでさえ宗教の絡んだ問題は根が深く大事件になり易いのに、この世界の神には『神の賜いし御力』なんていう有言実行の反則技があるんだ。人々の神殿への信頼は強いに決まっていた。神殿の意見を聞かぬ国に批判が集まるのは当然の流れだっただろう。
『ここで誤解して欲しくないんだが……我ら神殿関係者は、人に戻ってもらおうと考えたんだ。心を入れ替え、過ちを詫び、再び共に生きて欲しいと人に請うべきだと、国に進言した。』
俺は思わず顔をしかめる。
(それは、無理だろう?)
僅か10年程前まで完全に自分達の下の存在として虐げ使役してきた人間に、有鱗種がそんなに簡単に頭を下げられるはずがない。
(そんな真似をするくらいなら……)
『しかし国の中にいた強硬派の連中は、そんな生温い事をしている時間はないと主張した。今すぐ人間達を攻めて有無を言わさず連れ戻すべきだと声高に叫んだ。――――彼らの多くは、人間が去った時に激怒し連れ戻すべきだと主張した者達で……その中心は、ロダの一族を所有していた家だった。』
予想どおりのサウリアの言葉に頭が痛くなる。
本当に頭を押さえた俺を見て、サウリアは申し訳なさそうに視線を逸らせた。
『その家は、金と銀の色を持つ者を多く生み出すロダの一族を有している事に、常々優越感を持っていた家だ。“金と銀の光を持つ者を従えし者は、いつの日にか全ての人々を従えるだろう”という民間伝承があるからな。何の根拠もない言い伝えだが、そういった者を所有することは、我らにとって権力のステータス・シンボルになっている。』
――――また、救世主伝説か?!
しかも歪曲されているし。
どんな伝言ゲームだよ!
『ロダの一族に対するその家の執着は強い。人間を連れ戻す大義名分を得た彼らの強固な主張に屈する形で、国は人間達に対する侵攻を決定した。』
なんて傍迷惑な執念なんだ。
なんだかアディのおじいちゃんが逃げ出した理由がわかるような気がする。勝手にステータス・シンボルなんかにされて、金と銀の色を持つ人間を増やすためにいろいろされてきたんじゃないだろうか。
(血統書付きの犬とかそんな感じか?)
日本の皇室にもイギリスの王室にも由緒正しいお犬様がいたはずだ。ロシアの大統領に日本の秋田犬が贈られたのはいつだっただろう?
もちろん反旗を翻し逃げ出した理由は他にもいろいろあるんだろうけれど、この事も原因の一端だったのは間違いないだろう。
『その決定を聞いた神殿は、直ちに人間に事の次第を極秘裏に伝えるために無鱗である俺を派遣した。俺であれば人に紛れユイフィニアに接触する事ができるだろうと。……起こるだろう悲劇を防げないまでもできるだけ最小限に抑えたいと神殿は願っている。それが『神』のご意志のはずだ。――――頼む、俺をユイフィニアに会わせてくれ。そうでなければこの事をユイフィニアに伝えてくれるだけでもいい!もう、いつ我が国の侵攻がはじまってもおかしくないんだ。頼む!!』
そう言ってサウリアは額を地に付け頭を下げた。
(土下座じゃん。)
この世界にも土下座ってあるんだなと俺はぼんやり思う。
当然現実逃避の思考だ。事態の展開が急かつ大きすぎて頭が回らない。
俺は性格は醒めているくせに、パニックに弱いという全然使えない人間なんだ!
威張って言う事じゃないけどな。
あっ、やべぇ。自己嫌悪に嵌りそう。
これはさっさと問題を誰かに丸投げした方がイイだろう。
「ティツァ。有鱗種がこの国に攻めてくる。彼はそれを報せに来てくれたんだ。俺は彼をアディの元に連れて行こうと思う。」
うん。それが最善策だ。
サウリアの本来の目的も、この事を王太后様を通じて人間の王に伝える事なんだ。俺は王太后様じゃないけれど通訳はできる。山間の神殿まで行って帰って来る時間なんて待っている暇はないだろう。
なのにティツァは難しい顔で考えこむ。
何を迷っているんだ?まさか人間なんて救う必要はないとか言わないでくれよ。
「ティツァ、迷っている時間はないんだ。有鱗種の力がどれ程かはわからないけれど、国を挙げての派兵であればそれなりの武力で来ているだろう。人間と一緒に居る限り獣人だって襲われるんだ。いくら獣人が強くても、普通の獣人は余程追い詰められなければ戦ったりしないんだろう?グズグズしている間に犠牲者が出たら取り返しがつかないぞ。」
俺は、俺にしては珍しく強気で言いつのった。
ホント、そんなせいで人間や獣人が有鱗種に負けたりしたら、俺は立ち直れない。
一生後悔して生きる人生なんてまっぴらごめんだ。
「――――それは、救世主としてのお前の命令か?」
ティツァはそんなふうに聞いてきた。
俺は、救世主じゃないって言っているだろう!
しかし、背に腹は代えられなかった。
つまり救世主の命令ならばティツァは従うということなんだろう。
「……………………そうだ。」
もの凄くしぶしぶと、俺が悲痛な覚悟を決めて答えたっていうのに――――
「ティツァ!たいへんだっ。城の方角に火の手が上がっている!!」
狐耳と尻尾の獣人が、慌てて飛び込んできた。
――――俺は、どうやら間に合わなかったようだった。




