山間の神殿 3
え?……見捨てる。
王太后様が前国王を見捨てるって……まさかの離婚!?
「わしなら間違いなく別れておったな。」
「私もそうしようとは思ったのですが、息子夫婦に、孫達と“お父さん”を頼むと言い遺されてしまったものですから。」
可愛い我が子の最期の頼みを無下にするわけにはいかなかったのだと、王太后様はため息交じりに説明してくれた。
……アディのおじいさんって、いったい?
「まあ“あれ”も、あのうっとうしいところを除けば、なかなか見どころのある男じゃったからな。我らを解放することはできずとも、我らの待遇を少しでも良くしようと東奔西走しておった。」
「そのくらいできなければ、本気で見捨てていましたわ。頼りにはならなくとも優しい人でしたから。――――ユウ様も優しいところが本当に夫にそっくりですわ。」
「………………。」
俺は褒められているのだろうか?
いや、絶対違うだろう!
老婦人2人はニコニコともの凄いイイ笑みを浮かべている。
俺の顔は引きつり過ぎて痙攣を起こしそうだった。
――――結局、この人達は俺に何をしたいんだ?
俺はガックリ項垂れる。
俺の疑問は顔に出ていたのだろう。王太后様が説明してくれた。
「ユウ様。我々は救世主たるあなた様に心からの感謝を伝え、そして今後世界を救う際に、悩み迷うだろうあなた様の背中を押すべく、お会いしたのです。」
(……背中を押す?)
押されたくありませんって、断っちゃダメだろうか。
「世界に危機が迫り、救世主たるあなたは、いずれ己が行動に迷うじゃろう。――――お迷いなさるな。あなたが為すことは、全て『神』の決められた運命ですじゃ。あなたにそれ以外の道は無い。御心のままに動きなされ。――――それをお伝えしたかった。」
おばあちゃんの言葉は……やっぱり呪いのようだった。
(道が無いって、何だ?!)
「ユウ様の事は、この世界にご来臨された時から逐一報告を受けておりました。その報告を聞くにつれ、どうにも夫を思い出し、ここは1つ発破をかけなければならないだろうと思い至ったのです。丁度リーファからユウ様をご案内したいと連絡をもらいましたから、一日千秋の思いでお待ち申しておりました。」
「ウム。もう少し遅ければ老体に鞭打ってこちらから出向かなければと思っておったところじゃった。やはり『神』のお導きじゃ。」
……逐一報告って、王太后様いったい何をしていらっしゃるのですか?
そして、おばあちゃん。老体に鞭打つのは止めてください。
――――お義母さんって、元気がイイのは良いんだけれど、もう少し自分の年を考えてくれたらって思うのよね――――
俺の母親がばあちゃん家に行くたびにぼやいていた言葉が蘇る。あの時は、元気がイイにこしたことはないじゃないかと思っていたんだが、今なら母親の気持ちがよくわかる。
(元気の良すぎる年寄って、やっぱり少し問題だ。)
「……ご心配していただきましてありがとうございます。――――でも、俺は救世主なんてもんじゃありませんから!」
心遣いには礼を言っても、譲れるものと譲れないものがある。
俺がキッと顔を上げれば、2人の老婦人は困ったように微笑んだ。
「やれ、往生際の悪い。」
「優柔不断のくせに、頑固なところまで“あの人”にそっくり。」
(それは、間違いなく俺を貶しているからな!!)
俺が憤然としていると、俄かに部屋の外が騒がしくなってきた。
「おばばさま。ここを開けてください!」
「おばあさま。ユウ様は!?」
「王太后様!お共も付けずにそんな異世界人と2人になられるなど、危険です!」
「エイベット卿!ユウはそんな奴じゃない。」
喧々諤々と言い合う声が響いてきた。扉もドンドンと叩かれている。
「ユウ!余計な事を話せば殺すからなっ。」
「ユウ様。ご無事ですか?」
どうやらティツァやフィフィもいるようだった。
ティツァ、獣人の言葉はどうせ人間にはわからないと思って叫んでいるんだろうが、王太后様には筒抜けだからな。
心配してそちらを見れば、何故か王太后様じゃなくておばあちゃんの方が眉をひそめていた。
「救世主様に対してなんたる言い草じゃ。後でシメねばならんの。」
「ユウ様。ご安心ください。この部屋は特殊な結界に守られていますから外からの声は聞こえても、中の声が外に漏れる事はありません。……あぁ、でもアディもリーファも、あんなに心配して。2人とも本当にユウ様が好きなのね。」
おばあちゃん……ティツァをシメるって、まさかの実力者なのか?
そして、王太后さま、うっとりと頬を赤らめるのは止めてください。
「あんな奴じゃが、ティツァは次代の獣人族を率いる長候補の1人じゃ。フィフィもわしの血をわずかながらに引いておる。耳と尻尾は違えども、容姿はわしの若い頃に瓜二つじゃし、きっと救世主様のお役に立つじゃろう。」
「アディは、夫よりも息子に似て少しは使える子ですわ。リーファも巫女としての力は私に及ばず獣人の言葉もわかりませんけれど、若い頃の私にそっくりな真面目な頑張り屋さんです。ユウ様。どうか2人をよろしくお願いしますね。」
フィフィとリーファが、おばばさまと王太后様に似ているだなんてウソだっ!!
絶対信じないぞっ。
それに、俺があんなに救世主なんかじゃないって言ったこと、2人共聞いていたのか?
俺は、またしても――――お義母さんは、どうして自分の都合の悪い事には、耳が遠くなるのかしら――――と、嘆いていた母親を思い出した。
ガックリと肩を落とす。
ニッコリ笑った王太后様は、背筋をスッと伸ばすと、パチンとカッコよく指を鳴らした。
その途端、ドン!ドン!と破壊的な音をさせていた扉がついに破られる。
おそらく体当たりをしていたのだろう、コヴィが先頭に立って部屋の中に転がりこんできた。
「ユウ!」
「ユウ様っ。」
直ぐ後にアディが飛び込んできて、俺の前に出てその背に俺を庇う。
続いてリーファが駆け寄って「大丈夫ですか?」と心配そうに聞いてきた。
「あらまあ、そんなに必死になって。アディ、リーファ、私はユウ様を取って食いはしませんよ?」
「おばばさまには油断をするなというのが、おじじさまの遺言です。」
――――おじじさまっていうのは、前国王陛下の事なんだろうな。
本当にいったい、前国王夫妻はどんな夫婦だったのだろう?
「……余計な事を。」
なんと王太后様は、小さく舌打ちをもらされた。
「親しくお話をさせていただいただけですよ。――――ねぇ、ユウ様。」
優しく笑いかけられて、俺は引きつった笑みを返す。
周囲を窺えば、既に立ち直ったコヴィが壁際に直立不動で立っていて、エイベット卿は相変わらずの苦虫を噛み潰したような顔でこっちを見ていた。扉の外では何だかんだと大騒ぎしていたようだが、いざ王太后様に前に出てしまえば何も言えないようである。
入口近くに居るティツァとフィフィが、目を真ん丸にして部屋の奥に座るおばあちゃんを凝視していた。
おばあちゃんがニッと笑った顔にティツァの耳がペタンと伏せられ尻尾がダランと下がる。
(あ……ばあちゃん家のタロウと同じ反応だ。)
俺のばあちゃん家にはタロウという名前のオスの秋田犬がいる。でかくて堂々とした偉そうな犬なのだが、ばあちゃんにだけはとことん弱く、ちょっと叱られてはショボンとして憐れな鳴き声を上げていた。
今のティツァの姿はそのタロウと、そっくり同じだった。
このロダという国の人間も獣人も、ヒエラルキーの頂点にいるのは、どうやらおば……ではなく、年配のご婦人のようである。
うん。良いことなんだろうな……多分。